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1948年、転落事故を起こしたが、その後も詩集や童話を出版した。生涯にわたり彼の詩は、分かり易い言葉で綴られた。そしてさらに、画家の[[パブロ・ピカソ]]、[[マルク・シャガール]]、[[マックス・エルンスト]]、[[ジョルジュ・ブラック]]、[[ジョアン・ミロ]]、写真家の[[イジス]]らと美術書を編んだ。 |
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1977年(77歳)、[[マンシュ県]]オモンヴィーユ=ラ=プチット([[:fr:Omonville-la-Petite|Omonville-la-Petite]])の家で、肺ガンのために死去した。 |
2021年4月15日 (木) 22:36時点における版
ジャック・プレヴェール (Jacques Prévert) | |
---|---|
(1961年) | |
誕生 |
1900年2月4日 フランス共和国、ヌイイ=シュル=セーヌ |
死没 |
1977年4月11日 フランス、マンシュ県オモンヴィーユ=ラ=プティト) |
職業 | 映画作家、詩人、作詞家、童話作家 |
国籍 | |
ジャンル | 詩 |
代表作 | 『天井桟敷の人々』(脚本)、「枯葉」(歌詞) |
デビュー作 | 『ことばたち』(文集) |
ウィキポータル 文学 |
ジャック・プレヴェール(Jacques Prévert、1900年2月4日 - 1977年4月11日)は、フランスの民衆詩人、映画作家、童話作家。シャンソン『枯葉』の詞や、映画『天井桟敷の人々』のシナリオを書いた。
生涯
パリの西隣ヌイイ=シュル=セーヌに生まれた。父はブルターニュ系のアンドレ、母はオーヴェルニュ系のシュザンヌであった。15歳から、パリの商店や百貨店で働いた。
1920年(20歳)、徴兵先のリュネヴィルで、のちの画家イヴ・タンギーを知り、さらに翌年、駐留先のコンスタンティノープルで、後の編集者マルセル・デュアメルを知った。1922年、パリに戻り、映写技師の弟ピエールが勤める映画館に、3人で入り浸った。1924年から3人はモンパルナスで共同生活を始め、1925年からそこへ、アンドレ・ブルトン、ルイ・アラゴン、フィリップ・スーポー、ロベール・デスノス、ミシェル・レリス、レーモン・クノーら、シュルレアリストが出入りして、一ときプレヴェールも同調したが、1928年、疎隔して絶縁し、タンギーやデュアメルらと映画制作に打ち込み、かたわら、詩を雑誌に載せ始めた。
1932年(32歳)、ポール・グリモー、クロード・オータン=ララ、ジャン=ルイ・バローらのアジプロ劇団『10月グループ』(Groupe Octobre)に、脚本『新聞ばんざい』(Vive la Presse)、『フォントノワの戦い』(La Bataille de Fontenoy)を書き、後者はソビエト連邦モスクワの左翼演劇コンクールの一等賞を取った。
『10月グループ』が解散した1936年から1945年にわたって、約20の映画のシナリオ、台詞を書き、マルセル・カルネ、ジャン・ルノワール、ジャン・グレミヨンらの監督、ジャン・ギャバン、アルレティ、ミシェル・モルガンらの俳優と仕事をした。
撮影所仲間の作曲家ジョゼフ・コズマが、1935年の『美しい星へ』(À la belle étoile)以降、プレヴェールの詩によるシャンソンを50曲も作り、イヴ・モンタン、エディット・ピアフ、ジュリエット・グレコ、マルセル・ムールジ(Marcel Mouloudji)らが歌った。
1940年からのナチスによる被占領期は、南仏に疎開した。
1946年(43歳)、奨められて最初の単行本『パロール』(Paroles)を出版した。書き溜めた自由詩・散文詩・メモなどの寄せ集めであったが、待たれていて売れ、のちのちまで数百版を重ねたと言われる。同じ年、妻ジャニーヌとの間に一女を得て、童話を書くようになり、写真家のイーラ(Ylla)、画家のエルザ・アンリケ(Elsa Henriquez)、アンドレ・フランソワ(André François)、ジャックリーヌ・デュエーム(Jacqueline Duhême)らと、子供の本を作った。
1948年、転落事故を起こしたが、その後も詩集や童話を出版した。生涯にわたり彼の詩は、分かり易い言葉で綴られた。そしてさらに、画家のパブロ・ピカソ、マルク・シャガール、マックス・エルンスト、ジョルジュ・ブラック、ジョアン・ミロ、写真家のイジスらと美術書を編んだ。
女優アヌーク・エーメのデビュー作 (La Maison sous la mer 1947) 及び2作目 (La Fleur de l'âge 1947, 未公開作) に脚本で関わっていたが、1作目の役名"アヌーク"を彼女が芸名に用い、さらにプレヴェールが"エーメ"を付け加えることを提案した[1]。
1977年(77歳)、マンシュ県オモンヴィーユ=ラ=プチット(Omonville-la-Petite)の家で、肺ガンのために死去した。
没後に、二篇の詩集が出版された。
主な作品
文学書
- 1945年:『ことばたち』(Paroles) - 詩・スローガン・メモ・回想など
- 1946年:『物語』(Histoires) - 詩集
- 1951年:『スペクタクル』(Spectacle) - 詩集
- 1955年:『雨と晴天』(La Pluie et le beau temps) - 詩集
- 1965年:『がらくた集』(Fatras) - 詩集
- 1973年:『物そのほか』(Choses et autres)- 詩集
- 1980年:『夜の太陽』(Soleil de nuit) - 詩集(没後)
- 1984年:『第5の季節』(La Cinquième Saison) - 詩集(没後)
- 1992年 & 2004年:『全集』(Œuvres complètes)(プレイヤード叢書)
児童文学
- 1947年:『おりこうでない子どもたちのための8つのおはなし』(Contes pour enfants pas sages)
- 1947年:『小さなライオン』(Le Petit Lion)、(イーラの写真)
- 1950年:『動物たち』(Des bêtes)、(イーラの写真)
- 1952年:『バラダー島からの手紙』(Lettre des îles Baladar)、(アンドレ・フランソワの画)
- 1952年:『指芝居』(Guignol)、(エルザ・アンリケの画)
- 1953年:『月のオペラ』(L'Opéra de la lune)、(ジャックリーヌ・デュエームの画)
美術書
- 1951年:『春の大舞踏会』(Grand Bal du printemps)、(イジス(Izis)の写真)
- 1952年:『ロンドンの魅力』(Charmes de Londres)、(イジスの写真)
- 1962年:『昼間』(Diurnes)、(ピカソの画、アンドレ・ヴィラール(André Villers)の写真)
- 1961年:『パリの色彩』(Couleur de Paris)、(ピーター・コルネリウス(Peter Cornelius)の写真)
- 1965年:『イジスのサーカス』(Le Cirque d'Izis)、(マルク・シャガールの画、イジスの写真)
- 1964年:『犬等は渇く』(Les Chiens ont soif)、(マックス・エルンストのエッチング)
- 1968年:『ヴァランジュヴィユ』(Varengeville)、(ジョルジュ・ブラックの画)
- 1971年:『祭』(Fêtes)、(アレクサンダー・カルダーの版画)
- 1973年:『エッチング』(Eaux-fortes)、(マルセル・ジャン(Marcel Jean)の版画)
- 1975年:『アドーニス』(Adonides)、(ジョアン・ミロのエッチングと水彩画)
映画
脚本家として活躍したが、なかでも台詞が素晴らしかった[2]。
- 1936年:ジェニイの家(Jenny)- 脚本/台詞
- 1938年:霧の波止場(Quai des brumes) - 脚色/台詞
- 1939年:陽は昇る(Le Jour se lève) - 脚色/台詞
- 1941年:曳き船(Remorques) - 脚本
- 1942年:悪魔が夜来る(Les Visiteurs du Soir) - 脚本/台詞
- 1943年:高原の情熱(Lumière d'été) - 脚本/台詞
- 1944年:天井桟敷の人々(Les Enfants du paradis) - 脚本/台詞
- 1945年:幻の馬(Soltilèges) - 脚本/台詞
- 1946年:夜の門(Les Portes de la nuit) - 脚本
- 1949年:火の接吻(Les amants de Vérone) - 脚色/台詞
- 1951年:やぶにらみの暴君(Le Roi et l'oiseau) - 脚色/台詞
- 1956年:ノートルダムのせむし男(Notre-Dame de Paris)]- 脚色/台詞
- 1961年:素晴らしき恋人たち(Les Amours célèbres) - 台詞
- 1980年:王と鳥(Le Roi et l'oiseau) - 脚本/台詞/作詞/『やぶにらみの暴君』の改作
- 2008年:アニエスの浜辺(Les plages d'Agnès) - 出演・アニエス・ヴァルダのドキュメンタリー
映画の仕事は、外部リンクの"Internet Movie Database"に詳しい。
シャンソン
プレヴェールの詩にジョゼフ・コズマが曲を付けたシャンソンには、枯葉、バルバラのほか、次などがある。
美しい星へ(A la belle étoile)/二匹の蝸牛葬式に出かける(Deux escargots s'en vont à l'enterrement.....)/ 鯨釣り(La pêche à la baleine)/朝の食事(Déjeuner du matin)/庭(Le jardin)/夜のパリ(Paris at night)/愛し合う子どもたち(Les enfants qui s'aiment)/魔性 驚異(Démons et merveilles)/看守の歌(Chanson du Geôlier)/書取り(Page d'écriture)/子どものための歌、冬(Chanson pour les enfants l'hiver)/校門を出たら(En sortant de l'école)/外国の祭(Fête foraine)/血だらけの唄(Chanson dans le sang)/目録(Inventaire)/鳥の絵を描くために(Pour faire le portrait d'un oiseau)/五月の歌(Chanson Du Mois De Mai)/昼も夜も(Le Jour Et La Nuit)/パテル・ノステル(Pater Noster)/歌(Chanson)/手回しオルガン(L'orgue de barbarie)/劣等生(Le cancre)/祭(La fête)/演奏会は失敗だった(Le concert n'a pas été réussi)/はがねの娘(Fille d'acier)/いい朝(Un beau matin)/寓話(Fable)/心配の鳥(Les oiseaux du souci)/鳥刺しの唄(Chanson de l'oiseleur)/そして祭は続く(Et la fête continue)Presque(殆ど)/絶望がベンチに座っている(Le désespoir est assis sur un banc)/Cet amour(この愛)/割れた鏡(Le miroir brisé)/ひまわり(Tournesol)/Les bruits de la nuit(夜の音)/主顕節(Epiphanie)/大きな赤い(Immense et rouge)/ノックしている(On frappe)/子供狩り(Chasse à l'enfant)/美しい季節(La belle saison)/私はわたしよ(Je suis comme je suis)/庭(Le jardin)
邦訳
- 嶋岡晨訳編『プレヴェール詩集』飯塚書店(世界現代詩集12)1967年
- 大岡信訳『プレヴェール詩集』新潮社(世界詩人全集18)1968年
- 平田文也訳『プレヴェール詩集』弥生書房(世界の詩シリーズ)1972年
- サンリオ出版部訳 司修絵『小鳥のはこんできた手紙』サンリオ、1976年
- 麻周堯訳『のんぶらり島』牧神社、1976年(アンドレ・フランソワ & エルサ・アンリケ画)
- 嶋岡晨訳『愛の詩集』飯塚書店、1977年
- 小笠原豊樹訳『金色の老人と喪服の時計』大和書房、1977年
- 大岡信訳『プレヴェール詩集 - やさしい鳥-』偕成社、1977年
- 粟津則雄訳『想像力の散歩―叢書創造の小径』新潮社 、1977年
- 山城隆一訳『猫の詩集』新書館、1978年
- 内藤濯訳『つきのオペラ』至光社、1980年(ジャクリーヌ・デュエーム画)
- 宗左近訳『おかしなおかしなクリスマス』文化出版局、1981年(エリザ・アンリケ画)
- 山田宏一訳『天井桟敷の人々』新書館、1982年
- 小笠原豊樹訳『プレヴェール詩集』マガジンハウス、1991年
- 改訂版『プレヴェール詩集』岩波文庫、2017年
- 高畑勲訳・注解『ことばたち』ぴあ、2004年」
- 中込純次訳『ジャック・プレヴェール詩集 - Fatras』青樹社(世界詩人叢書)1998年
- 布施佳宏訳『おりこうでない子どもたちのための8つのおはなし』二瓶社、2004年(エリザ・アンリケ画)
- 高畑勲編訳 奈良美智画『鳥への挨拶』ぴあ、2006年
- 柏倉康夫訳『歌の塔』未知谷、2013年
日本で公開された映画
日本で公開された下記の映画は、プレヴェールの脚本或いは台詞によっている。以下で、前の数字は初公開の、後の数字は日本公開の、西暦年次である。
- 1936、1939:ジェニイの家(Jenny)、マルセル・カルネ監督
- 1938、1949:霧の波止場(Le quai des brumes)、マルセル・カルネ監督
- 1942、1948:悪魔が夜来る(Les visiteurs du soir)、マルセル・カルネ監督
- 1943、1948:高原の情熱(Lumière d'été)、ジャン・グレミヨン監督
- 1945、1952:天井桟敷の人々(Les Enfants du paradis)、マルセル・カルネ監督
- 1949、1950:火の接吻(Les amants de Vérone)、アンドレ・カイヤット監督
- 1952、1955:やぶにらみの暴君(La bergère et le ramoneur)、ポール・グリモー監督
- 1956、1957:ノートルダムのせむし男(Notre Dame de Paris)、ジャン・ドラノワ監督
- 1961、1962:素晴らしき恋人たち(Amours célèbres)、ミシェル・ボワロン監督
- 1980、2006:王と鳥(Le Roi et l'oiseau)、ポール・グリモー監督
評伝
- 柏倉康夫著:『思い出しておくれ、幸せだった日々を 評伝ジャック・プレヴェール』、左右社 (2011)
出典
いろいろなウェブ情報のほか、
- 「小笠原豊樹訳、プレヴェール詩集、マガジンハウス(1991)」巻末の、小笠原豊樹:解説
- 江上卓ほか編:新潮世界文学辞典(1990) ISBN 9784107302090
- 篠田一士ほか編:集英社世界文学事典(2002) ISBN 9784081430079