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「国鉄色」の版間の差分

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=== 戦後まで ===
=== 戦後まで ===
[[ファイル:Color-Pattern-DC-old.gif|thumb|戦前の気動車の標準色([[青3号]]と[[黄かっ色2号]])]]
[[ファイル:Color-Pattern-DC-old.gif|thumb|戦前の気動車の標準色([[青3号]]と[[黄かっ色2号]])]]
[[戦前]]より[[蒸気機関車]]には[[黒 (国鉄制定色)|黒]]色、[[客車]]には[[ぶどう色1号]]、[[電気機関車]]・[[ディーゼル機関車]]および[[電車]]には[[ぶどう色2号]]の塗装が採用されていた。これは、蒸気機関車の煤煙によって汚れるため、明るい塗装をしないほうが良いと考えられたことが原因だとも、塗装にかかるコストが捻出できなかったからではないかとも言われていた。ただし、[[気動車]]については1935年以降[[青3号|藍青色]]と[[黄かっ色2号|灰黄色]]の塗り分けが採用されており、戦前唯一の軽快色とも言われていた。また電車も京阪神の急行電車用として製造された[[国鉄52系電車|モハ52形]]は登場時から[[1942年]]の急行運転廃止までクリーム色と茶色の塗り分け(時期によりパターンが異なる)がなされていたほか、関東地区でも1940年に予定されていた[[1940年東京オリンピック|東京オリンピック]]に向け「オリンピック塗装」と呼ばれる数パターンの塗り分けが試験的に施されたことがあった。
[[戦前]]より[[蒸気機関車]]には[[黒 (国鉄制定色)|黒]]色、[[客車]]には[[ぶどう色1号]]、[[電気機関車]]・[[ディーゼル機関車]]および[[電車]]には[[ぶどう色2号]]の塗装が採用されていた。これは、蒸気機関車の煤煙によって汚れるため、明るい塗装をしないほうが良いと考えられたことが原因だとも、塗装にかかるコストが捻出できなかったからではないかとも言われていた。ただし、[[気動車]]については1935年以降[[青3号|藍青色]]と[[黄かっ色2号|灰黄色]]の塗り分けが採用されており、戦前唯一の軽快色とも言われていた。また電車も[[京阪神快速|京阪神地区の急行電車]]用として製造された[[国鉄52系電車|モハ52形]]は登場時から[[1942年]]の急行運転廃止までクリーム色と茶色の塗り分け(時期によりパターンが異なる)がなされていたほか、関東地区でも1940年に予定されていた[[1940年東京オリンピック|東京オリンピック]]に向け「オリンピック塗装」と呼ばれる数パターンの塗り分けが試験的に施されたことがあった。


戦後の[[1948年]]に、線路を共用していた[[山手線]]と[[京浜東北線]]の誤乗防止のため、山手線用電車を緑色(用途の途絶した軍用塗料の流用といわれる)に塗ったことがあったが、両線用の電車の転属が相互に繰り返されたことによる混乱や、共用区間の複々線化決定により長続きしなかった。<ref>「[[鉄道ジャーナル]]」 1985年3月号 P.29 [[星晃]] 「国鉄車両の色〝あのころ〟の話」</ref>
戦後の[[1948年]]に、線路を共用していた[[山手線]]と[[京浜東北線]]の誤乗防止のため、山手線用電車を緑色(用途の途絶した軍用塗料の流用といわれる)に塗ったことがあったが、両線用の電車の転属が相互に繰り返されたことによる混乱や、共用区間の複々線化決定により長続きしなかった。<ref>「[[鉄道ジャーナル]]」 1985年3月号 P.29 [[星晃]] 「国鉄車両の色〝あのころ〟の話」</ref>
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=== 多色使用の開始とラインカラー ===
=== 多色使用の開始とラインカラー ===
[[File:GN_181-Whitefish.jpg|thumb|250px|「湘南色」のモデルとなったグレート・ノーザン鉄道のディーゼル機関車]]
[[File:GN_181-Whitefish.jpg|thumb|250px|「湘南色」のモデルとなったグレート・ノーザン鉄道のディーゼル機関車]]
国鉄発足後の[[1950年]]、[[湘南電車]]に使用される[[国鉄80系電車|80系電車]]が[[緑2号]]と[[黄かん色]]の2色塗りで登場した。この2色塗装パターンは、[[アメリカ合衆国|アメリカ]]の[[グレート・ノーザン鉄道]]の[[ディーゼル機関車]]の塗装にヒントを得たもので、これに近い色合いを採用したものである。オレンジ色は警戒色でもあることから、高速電車の色としてもふさわしいものと考えられた。この塗装デザインは、後に「[[湘南電車#車両の色|湘南色]]」と呼ばれることになる。当初「沿線のミカンの実と葉の色」として宣伝されたが、これは後付けの理由によるものである。
国鉄発足後の[[1950年]]、[[湘南電車]]に使用される[[国鉄80系電車|80系電車]]が[[緑2号]]と[[黄かん色]]の2色塗りで登場した。この2色塗装パターンは、[[アメリカ合衆国|アメリカ]]の[[グレート・ノーザン鉄道]]のディーゼル機関車の塗装にヒントを得たもので、これに近い色合いを採用したものである。オレンジ色は警戒色でもあることから、高速電車の色としてもふさわしいものと考えられた。この塗装デザインは、後に「[[湘南電車#車両の色|湘南色]]」と呼ばれることになる。当初「沿線のミカンの実と葉の色」として宣伝されたが、これは後付けの理由によるものである。


同時期、[[横須賀線]]の車両では[[青2号]]と[[クリーム2号]]の2色塗りが採用された。これが「[[横須賀線#車両の色|横須賀色(スカ色)]]」と呼ばれる。のち、「スカ色」は若干色合いの異なる[[青15号]]と[[クリーム1号]]に変更されたが、現在も使用されている。こちらは、海沿いに向かうため「白砂青松を表現した色」として宣伝されることになった。
同時期、[[横須賀線]]の車両では[[青2号]]と[[クリーム2号]]の2色塗りが採用された。これが「[[横須賀線#車両の色|横須賀色(スカ色)]]」と呼ばれる。のち、「スカ色」は若干色合いの異なる[[青15号]]と[[クリーム1号]]に変更されたが、現在も使用されている。こちらは、海沿いに向かうため「白砂青松を表現した色」として宣伝されることになった。
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また、関西地区での急行用にも80系電車が投入されることになったが、この車両では塗り分けパターンは多少の差はあるが、大阪鉄道管理局の意向を汲み、戦前のモハ52形にも通じる濃いクリーム色([[クリーム3号]])とマルーン([[ぶどう色3号]])の2色塗りが採用された。
また、関西地区での急行用にも80系電車が投入されることになったが、この車両では塗り分けパターンは多少の差はあるが、大阪鉄道管理局の意向を汲み、戦前のモハ52形にも通じる濃いクリーム色([[クリーム3号]])とマルーン([[ぶどう色3号]])の2色塗りが採用された。


また、[[1956年]](昭和31年)[[11月19日]]の東海道本線の全線電化時、特急「つばめ」「はと」に用いられる車両に明るい塗装を施し、全線電化のPRを行なう方針がまとまり、機関車と客車では[[淡緑5号]]一色の塗装が施された。その色から「青大将」と呼ばれることになった。
また、[[1956年]](昭和31年)[[11月19日]]の[[東海道本線]]の全線[[鉄道の電化|電化]]時、[[東海道本線優等列車沿革|特急]][[つばめ (列車)|「つばめ」「はと」]]に用いられる車両に明るい塗装を施し、全線電化のPRを行なう方針がまとまり、機関車と客車では[[淡緑5号]]一色の塗装が施された。その色から「青大将」と呼ばれることになった。


通勤形電車においては、[[1957年]](昭和32年)に[[中央線快速|中央線]]に投入された[[国鉄101系電車|90系電車]](後の101系)にオレンジバーミリオン([[朱色1号]])が採用され、イメージチェンジが図られた。その後、新たな線区に通勤型電車が投入されるたびに、誤乗防止の観点などからカナリアイエロー([[黄5号]])やウグイス色([[黄緑6号]])といった新たな色が制定され、[[日本の鉄道ラインカラー一覧|路線別カラー]](ラインカラー)が普及することとなった。路線別のカラーは他の鉄道事業者(特に地下鉄で顕著)にも波及し、国鉄を引き継いだJR各社において、今もなお使用されている点で大きな功績といえる。
[[通勤形車両 (鉄道)|通勤型電車]]においては、[[1957年]](昭和32年)に[[中央線快速|中央線]]に投入された[[国鉄101系電車|90系電車(後の101系)]]にオレンジバーミリオン([[朱色1号]])が採用され、イメージチェンジが図られた。その後、新たな線区に通勤型電車が投入されるたびに、誤乗防止の観点などからカナリアイエロー([[黄5号]])やウグイス色([[黄緑6号]])といった新たな色が制定され、[[日本の鉄道ラインカラー一覧|路線別カラー]](ラインカラー)が普及することとなった。路線別のカラーは他の[[鉄道事業者]](特に[[地下鉄]]で顕著)にも波及し、国鉄を引き継いだ[[JR]]各社において、今もなお使用されている点で大きな功績といえる。


これらの多くの色を使用した塗装は、それまで無味乾燥だった国鉄車両に文字通り色を添えることになり、国鉄車両はカラフル化の一途をたどっていったが、国鉄時代は1両の側面や妻面に塗られる色数は原則的に2色までであった。塗色の多色化が進むのは、[[国鉄分割民営化]]後のことである。
これらの多くの色を使用した塗装は、それまで無味乾燥だった国鉄車両に文字通り色を添えることになり、国鉄車両はカラフル化の一途をたどっていったが、国鉄時代は1両の側面や妻面に塗られる色数は原則的に2色までであった。塗色の多色化が進むのは、[[国鉄分割民営化]]後のことである。
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=== 国鉄車両関係色見本帳 ===
=== 国鉄車両関係色見本帳 ===
1950年代前半までは、必要の都度塗料メーカーが塗料見本板を作成し、国鉄工作局の承認を得た上で車両工場・メーカーへと配布していた。使用している色数が少なかった頃はこれで問題なかったが、1950年代には多くの色が車両に使用されるようになってきた。このため国鉄では、1953年に、車両色彩の基本的な指針を決定するべく、日本鉄道技術協会に車両の色彩調節の研究を委託した。また、この時代から[[マンセル・カラー・システム|マンセル記号]]により色を表現するようになった。
[[1950年代]]前半までは、必要の都度塗料メーカーが塗料見本板を作成し、国鉄工作局の承認を得た上で車両工場・メーカーへと配布していた。使用している色数が少なかった頃はこれで問題なかったが、1950年代には多くの色が車両に使用されるようになってきた。このため国鉄では、1953年に、車両色彩の基本的な指針を決定するべく、日本鉄道技術協会に車両の色彩調節の研究を委託した。また、この時代から[[マンセル・カラー・システム|マンセル記号]]により色を表現するようになった。


1956年に、国鉄車両に使われる塗装の色をまとめた見本帳として作成されたのが「国鉄車両関係色見本帳」である。当初は車内の色のみマンセル記号が併記されていたが、1959年に作成された第2版では、全ての色にマンセル記号が併記されることになった。また、この見本帳に掲載された色は、「何色何号」と呼ばれるようになった。この色見本帳に掲載された色は、国鉄制定色と呼ばれている。
1956年に、国鉄車両に使われる塗装の色をまとめた見本帳として作成されたのが「国鉄車両関係色見本帳」である。当初は車内の色のみマンセル記号が併記されていたが、1959年に作成された第2版では、全ての色にマンセル記号が併記されることになった。また、この見本帳に掲載された色は、「何色何号」と呼ばれるようになった。この色見本帳に掲載された色は、国鉄制定色と呼ばれている。
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やがて、国鉄車両の色は、その用途別に決められてゆくことになった。地区に関係なく同じ色の車両が走る状況は、結果として車両色の没個性化を招くことになる。
やがて、国鉄車両の色は、その用途別に決められてゆくことになった。地区に関係なく同じ色の車両が走る状況は、結果として車両色の没個性化を招くことになる。


==== 特急車両の塗色 ====
==== [[特急車両]]の塗色 ====
[[1958年]]、特急「こだま」用の[[国鉄181系電車|20系電車(後の151系電車)]]の登場に際し、[[クリーム4号]]地に対して窓部分に[[赤2号]]を巻いたデザインを決定した。この後に続く[[特急形車両|特急形]]の電車と[[気動車]]に採用される「国鉄特急色」の始まりである。また、[[ヨーロッパ]]の[[TEE]]カラーを逆転させたものともいわれるが、はっきりしない<ref>{{Cite book|title=鉄道にまつわる言葉を
[[1958年]]、[[特別急行列車|特急]][[こだま (列車)#東海道本線電車特急「こだま」|「こだま」]]用の[[国鉄181系電車|20系電車(後の151系電車)]]の登場に際し、[[クリーム4号]]地に対して窓部分に[[赤2号]]を巻いたデザインを決定した。この後に続く特急形の電車と気動車に採用される「国鉄特急色」の始まりである。また、[[ヨーロッパ]]の[[TEE]]カラーを逆転させたものともいわれるが、はっきりしない<ref>{{Cite book|title=鉄道にまつわる言葉を
イラストと豆知識でブァーン!と読み解く
イラストと豆知識でブァーン!と読み解く
テツ語辞典|date=2018年2月|year=2018年|publisher=誠文堂}}</ref>。
テツ語辞典|date=2018年2月|year=2018年|publisher=誠文堂}}</ref>。


同年に登場した[[国鉄20系客車|20系客車]]では、[[青15号]]地に[[クリーム1号]]の細帯を3本巻いたデザインが採用された。<ref>同時期に新設された東北特急「はつかり」では使用する車両は[[国鉄スハ43系客車|スハ44]]、[[国鉄10系客車|ナロ10]]等の在来型客車であったが、青15号地にクリーム帯2本という類似した塗装で登場している。</ref>いわゆる「[[ブルートレイン (日本)|ブルートレイン]]色」の始まりである。この色と塗り分けはブルートレインを牽引するEF60形500番台、EF65形500番台・1000番台などの機関車にも採用され、ブルートレインとしての存在感と、[[編成 (鉄道)|編成]]としての美しさをさらに高めた。これらの機関車の塗り別けはブルトレ色や特急色などと呼ばれる。その後、新たなコンセプトで[[1969年]](昭和44年)に登場した[[国鉄12系客車|12系客車]]で[[青20号]]の地色に[[クリーム10号]]の2本帯という塗り分けが初めて採用され<ref>この2色の組み合わせ自体は、[[新幹線0系電車]]用としてすでに使われていたものである。</ref>、12系を特急用に発展させた[[国鉄14系客車|14系]]にもこの塗色が受け継がれ、一時は「ニュー・ブルートレイン色」とも呼ばれた<ref>14系で編成された寝台列車自体が「ニュー・ブルートレイン」と呼ばれていた。</ref>。その後新造された改良形からは、塗装の省力化のため細帯がステンレス帯に変わるものの、寝台特急の標準色として親しまれてゆくことになる。
同年に登場した[[国鉄20系客車|20系客車]]では、[[青15号]]地に[[クリーム1号]]の細帯を3本巻いたデザインが採用された。<ref>同時期に新設された[[東北本線]]特急「[[はつかり (列車)|はつかり]]」では使用する車両は[[国鉄スハ43系客車|スハ44]]、[[国鉄10系客車|ナロ10]]等の[[旧型客車]]であったが、青15号地にクリーム帯2本という類似した塗装で登場している。</ref>いわゆる「[[ブルートレイン (日本)|ブルートレイン]]色」の始まりである。この色と塗り分けはブルートレインを牽引する[[国鉄EF60形電気機関車#500番台|EF60形500番台]][[国鉄EF65形電気機関車#500番台(P形)|EF65形500番台]]などの機関車にも採用され、ブルートレインとしての存在感と、[[編成 (鉄道)|編成]]としての美しさをさらに高めた。これらの機関車の塗り別けはブルトレ色や特急色などと呼ばれる。その後、新たなコンセプトで[[1969年]](昭和44年)に登場した[[国鉄12系客車|12系客車]]で[[青20号]]の地色に[[クリーム10号]]の2本帯という塗り分けが初めて採用され<ref>この2色の組み合わせ自体は、[[新幹線0系電車]]用としてすでに使われていたものである。</ref>、12系を特急用に発展させた[[国鉄14系客車|14系]]にもこの塗色が受け継がれ、一時は「ニュー・ブルートレイン色」とも呼ばれた<ref>14系で編成された寝台列車自体が「ニュー・ブルートレイン」と呼ばれていた。</ref>。その後新造された改良形からは、塗装の省力化のため細帯がステンレス帯に変わるものの、寝台特急の標準色として親しまれてゆくことになる。


また、寝台電車の[[国鉄583系電車|581系電車]]においては、クリーム1号の地色に対し、雨とい・窓まわり・裾の帯が青15号という寝台特急(客車)用の組み合わせを引き継いでおり、明暗の塗り分けパターンをそれまでの特急形と揃えつつ、窓まわりの帯をひときわ広くすることで、昼行・夜行兼用車両であることを表現している。
また、寝台電車の[[国鉄583系電車|581系電車]]においては、クリーム1号の地色に対し、雨とい・窓まわり・裾の帯が青15号という寝台特急(客車)用の組み合わせを引き継いでおり、明暗の塗り分けパターンをそれまでの特急形と揃えつつ、窓まわりの帯をひときわ広くすることで、昼行・夜行兼用車両であることを表現している。
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</gallery>
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==== 修学旅行用車両の塗色 ====
==== [[修学旅行列車|修学旅行用車両]]の塗色 ====
[[1959年]]に登場した[[修学旅行]]用82系電車(後の[[国鉄155系・159系電車|155系]]に初めて採用された塗色で、窓周りを黄色([[黄1号]])、腰板幕板を朱色([[朱色3号]])としており、公募によって決定されたが、黄色は後年[[黄5号]]に変更された。その後、同じ修学旅行用として製造された159系電車や[[国鉄165系電車#167系|167系電車]]、[[国鉄キハ58系気動車#800番台車(修学旅行用)|キハ58形・キハ28形800番台気動車]]にも採用され、画一化された塗色の国鉄車両の中で異彩を放っていたが、[[1977年]]の国鉄色の色数整理にともなって廃止された。
[[1959年]]に登場した[[修学旅行]]用[[国鉄155系・159系電車|82系電車(後の155系]]に初めて採用された塗色で、窓周りを黄色([[黄1号]])、腰板幕板を朱色([[朱色3号]])としており、公募によって決定されたが、黄色は後年[[黄5号]]に変更された。その後、同じ修学旅行用として製造された159系電車や[[国鉄165系電車#167系|167系電車]]、[[国鉄キハ58系気動車#800番台車(修学旅行用)|キハ58形・キハ28形800番台気動車]]にも採用され、画一化された塗色の国鉄車両の中で異彩を放っていたが、[[1977年]]の国鉄色の色数整理にともなって廃止された。


==== 電源方式別の塗色 ====
==== 電源方式別の塗色 ====
1958年に登場した初の準急形電車である[[国鉄153系電車|91系電車(後の153系電車)]]では、直流区間を走行することから「湘南色」が採用された。この時点で、「湘南色」は直流用の[[近郊形車両|近郊形]]から[[急行形車両|急行形]]までの、事実上の標準色として使用されることになる。また、「スカ色」についても、旧型国電などの色として使用されるケースが多くなり、こちらも直流近郊電車の事実上の標準色となっていたといえる。また、新性能直流電気機関車は、1965年に[[青15号]]地に[[クリーム1号]]の前面[[警戒色]]が標準色と決められた<ref>ただし、旧形電気機関車でも[[国鉄EF58形電気機関車|EF58形]]に例外的に採用した。</ref>。
1958年に登場した初の[[準急列車|準急]]形電車である[[国鉄153系電車|91系電車(後の153系電車)]]では、[[直流電化]]区間を走行することから「湘南色」が採用された。この時点で、「湘南色」は直流用の[[近郊形車両|近郊形]]から[[急行形車両|急行形]]までの、事実上の標準色として使用されることになる。また、「スカ色」についても、旧型国電などの色として使用されるケースが多くなり、こちらも直流近郊電車の事実上の標準色となっていたといえる。また、新性能直流電気機関車は、1965年に[[青15号]]地に[[クリーム1号]]の前面[[警戒色]]が標準色と決められた<ref>ただし、旧形電気機関車でも[[国鉄EF58形電気機関車|EF58形]]に例外的に採用した。</ref>。


1959年に登場した[[国鉄ED70形電気機関車|ED70形交流電気機関車]]では、初めて[[赤2号]]の外板色が正式採用となった。この後、交流専用の機関車・電車の標準色とされることになり、[[国鉄711系電車|711系電車]]でも外板色として採用された。
1959年に登場した[[国鉄ED70形電気機関車|ED70形交流電気機関車]]では、初めて[[赤2号]]の外板色が正式採用となった。この後、[[交流型電車|交流型電気機関車・電車]]の標準色とされることになり、[[国鉄711系電車|711系電車]]でも外板色として採用された。


[[交直流電車|交流直流両用電車]]においては、[[1960年]]の[[国鉄415系電車|401系・421系電車]]の登場時に[[赤13号]]という外板色がまず決められた。当初は警戒色としての飾り帯は[[商用電源周波数|電源周波数]]別に分けられていたが、急行形交直両用電車が登場する際に、組み合わせ色として[[クリーム4号]]が採用されたのを機に、飾り帯の色も同色に揃えられた。赤13号は交直両用機関車の標準色にも採用されている。
[[交直流電車|交流直流両用電車]]においては、[[1960年]]の[[国鉄415系電車|401系・421系電車]]の登場時に[[赤13号]]という外板色がまず決められた。当初は警戒色としての飾り帯は[[商用電源周波数]]別に分けられていたが、急行形交直両用電車が登場する際に、組み合わせ色として[[クリーム4号]]が採用されたのを機に、飾り帯の色も同色に揃えられた。赤13号は交直両用機関車の標準色にも採用されている。
<gallery>
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ファイル:Color-Pattern-EC711.gif|近郊形交流電車の色([[赤2号]]と[[クリーム4号]])
ファイル:Color-Pattern-EC711.gif|近郊形交流電車の色([[赤2号]]と[[クリーム4号]])
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==== 気動車の塗色 ====
==== 気動車の塗色 ====
気動車においては、[[1956年]]に準急気動車として登場した[[国鉄キハ55系気動車|キハ55系気動車]]において、[[クリーム2号]]地に[[赤2号]]の細帯という2色塗りが採用されていた。[[1958年]]に初めて気動車による急行列車を運行することになり、PR上からも急行色の制定が必要とされたため、[[クリーム4号]]を使用して、窓周りに[[赤11号]]の帯を巻いたデザインが採用された。
気動車においては、[[1956年]]に準急気動車として登場した[[国鉄キハ55系気動車|キハ55系気動車]]において、[[クリーム2号]]地に[[赤2号]]の細帯という2色塗りが採用されていた。[[1958年]]に初めて気動車による[[急行列車]]を運行することになり、PR上からも急行色の制定が必要とされたため、[[クリーム4号]]を使用して、窓周りに[[赤11号]]の帯を巻いたデザインが採用された。


また、一般形気動車については、戦前からの2色塗りデザインが既に存在していたが、耐候性が弱いために新たに標準色を制定することになり、[[1959年]]9月に一般形気動車の新しい標準色として[[クリーム4号]]と[[朱色4号]]の2色塗りが採用された。
また、一般形気動車については、戦前からの2色塗りデザインが既に存在していたが、耐候性が弱いために新たに標準色を制定することになり、[[1959年]]9月に一般形気動車の新しい標準色として[[クリーム4号]]と[[朱色4号]]の2色塗りが採用された。


一般形気動車においては、[[1976年]]には首都圏での省力化のため、[[朱色5号]]一色とすることが決まり、これは通称「首都圏色」と呼ばれた。しかし、首都圏のみならず、ほとんどの一般気動車が「首都圏色」に塗られることになり、1977年に登場した[[国鉄キハ40系気動車 (2代)|キハ40系気動車]]に至っては、当初から朱色5号一色で登場したのである。
一般形気動車においては、[[1976年]]には首都圏での省力化のため、[[朱色5号]]一色とすることが決まり、これは通称「首都圏色」と呼ばれた。しかし、首都圏のみならず、ほとんどの一般気動車が「首都圏色」に塗られることになり、1977年に登場した[[国鉄キハ40系気動車 (2代)|キハ40系気動車]]に至っては、当初から朱色5号一色で登場したのである。


1963年に落成した[[国鉄DD51形ディーゼル機関車|DD51形ディーゼル機関車]]2~4は[[島秀雄]]が提案したとされる朱色4号をベースに屋根上を灰色とし、その境に白帯を配した塗装を採用し、これが国鉄ディーゼル機関車の標準色となった。
1963年に落成した[[国鉄DD51形ディーゼル機関車|DD51形ディーゼル機関車]]2~4は[[島秀雄]]が提案したとされる朱色4号をベースに屋根上を灰色とし、その境に白帯を配した塗装を採用し、これが国鉄ディーゼル機関車の標準色となった。
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==== 大阪地区の独自性 ====
==== 大阪地区の独自性 ====
戦前戦後の急行電車の独自塗色にも見られるが、同じ国有鉄道という組織の内にありながら、大阪地区は東京地区とは異なる路線を採ろうとすることが多かった。80系快速色の消滅後、一時的に大阪地区独自の塗色は途絶えていたが、[[1972年]]の新幹線岡山開業により急行運用が消滅して余剰となった[[国鉄153系電車|153系電車]]を[[新快速]]に投入することとなり、大阪鉄道管理局は、シルバーグレー([[灰色9号]])にスカイブルー([[青22号]])の帯を巻いた新塗色を設定してイメージアップを図った。同様の塗装は[[阪和線]]の新快速([[国鉄113系電車|113系電車]])に波及した他、スカイブルーの帯を[[春日大社]]の[[鳥居]]をイメージした[[朱色3号]]に変えた塗色が、[[1973年]]に電化された[[大和路線|関西線]]113系に出現した。これは、[[国鉄分割民営化]]前後に全国へ波及した、地域色のはしりともいえるものである。
戦前戦後の急行電車の独自塗色にも見られるが、同じ国有鉄道という組織の内にありながら、大阪地区は東京地区とは異なる路線を採ろうとすることが多かった。80系快速色の消滅後、一時的に大阪地区独自の塗色は途絶えていたが、[[1972年]]の新幹線岡山開業により急行運用が消滅して余剰となった[[国鉄153系電車|153系電車]]を[[新快速]]に投入することとなり、大阪鉄道管理局は、シルバーグレー([[灰色9号]])にスカイブルー([[青22号]])の帯を巻いた新塗色を設定してイメージアップを図った。同様の塗装は[[阪和線]]の新快速([[国鉄113系電車|113系電車]])に波及した他、スカイブルーの帯を[[春日大社]]の[[鳥居]]をイメージした[[朱色3号]]に変えた塗色が、[[1973年]]に電化された[[大和路線|関西線]]113系に出現した。これは、国鉄分割民営化前後に全国へ波及した、地域色のはしりともいえるものである。


==== 私鉄への影響 ====
==== 私鉄への影響 ====
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=== 地域別の色へ ===
=== 地域別の色へ ===
1980年代になると、国鉄再建において地域密着経営が謳われる中、地域の事情に応じたカラーリングの車両を走らせるという思想が現れることになる。
になると、国鉄再建において地域密着経営が謳われる中、地域の事情に応じたカラーリングの車両を走らせるという思想が現れることになる。


その嚆矢ともいえるのは、[[1979年]]に登場した[[国鉄117系電車|117系電車]]で、クリーム1号地にぶどう色2号の帯を巻いたデザインで登場した。また、[[福塩線]]に投入された[[国鉄105系電車|105系電車]]では、[[黄5号]]地に[[青20号]]の帯を巻いたデザインが、[[身延線]]の新性能電車への置き換えのために投入した[[国鉄115系電車|115系電車]]では、[[赤2号]]地に[[クリーム10号]]の帯を巻いたデザインが採用された。特急形においても、1981年に登場した[[国鉄185系電車|185系電車]]では、[[クリーム10号]]地に[[緑14号]]の斜めストライプを3本入れるという、当時の国鉄としては斬新なデザインが採用された。
その嚆矢ともいえるのは、[[1979年]]に登場した[[国鉄117系電車|117系電車]]で、クリーム1号地にぶどう色2号の帯を巻いたデザインで登場した。また、[[福塩線]]に投入された[[国鉄105系電車|105系電車]]では、[[黄5号]]地に[[青20号]]の帯を巻いたデザインが、[[身延線]]の新性能電車への置き換えのために投入した[[国鉄115系電車|115系電車]]では、[[赤2号]]地に[[クリーム10号]]の帯を巻いたデザインが採用された。特急形においても、1981年に登場した[[国鉄185系電車|185系電車]]では、[[クリーム10号]]地に[[緑14号]]の斜めストライプを3本入れるという、当時の国鉄としては斬新なデザインが採用された。
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=== リバイバルカラー ===
=== リバイバルカラー ===
[[国鉄分割民営化|分割民営化]]後、地域カラーが増えた事はもとより国鉄形車輌の淘汰も始まり、徐々に希少価値を生む様になってきた。そのため、[[鉄道ファン]]の間における国鉄色人気は上昇した。
国鉄分割民営化後、地域カラーが増えた事はもとより国鉄形車輌の淘汰も始まり、徐々に希少価値を生む様になってきた。そのため、[[鉄道ファン]]の間における国鉄色人気は上昇した。


この結果、JR各社では一旦地域カラーに変更した車輌を、再び国鉄色に戻す例が多く現れるようになった。また、JR後に登場した車両でも国鉄色に塗装変更された車両も登場している。この事例は私鉄にも影響を与え、私鉄においても旧塗装の復活等が行われるようになった([[リバイバルトレイン]]も参照の事)。
この結果、JR各社では一旦地域カラーに変更した車輌を、再び国鉄色に戻す例が多く現れるようになった。また、JR発足後に登場した車両でも国鉄色に塗装変更された車両も登場している。この事例は私鉄にも影響を与え、私鉄においても旧塗装の復活等が行われるようになった([[リバイバルトレイン]]も参照の事)。


== 国鉄制定色一覧 ==
== 国鉄制定色一覧 ==

2021年4月13日 (火) 06:52時点における版

国鉄色塗装の485系(左)と583系(右)

国鉄色(こくてつしょく/こくてついろ)とは、日本国有鉄道とその後継であるJRグループなどで採用されている車体の塗装の総称。

概要

本来、言葉通りの意味からは「国鉄時代に制定された塗装」と解釈することも出来るが、趣味者の用法としては国鉄時代末期に出現した地域カラーは除かれる場合が多く、「国鉄時代に特定の地域に限定されず全国区で採用された塗装」と言う意味合いで使われる場合が多い。例えば交直流急行形電車の場合、国鉄時代末期になって各地区で様々な塗装が登場した。これらは登場こそ国鉄時代であるが、国鉄色と呼ばれることは稀である。

ただし、青緑1号のように登場後一貫して線区限定で使用された色もあり、明確な基準はない。

沿革

戦後まで

戦前の気動車の標準色(青3号黄かっ色2号

戦前より蒸気機関車には色、客車にはぶどう色1号電気機関車ディーゼル機関車および電車にはぶどう色2号の塗装が採用されていた。これは、蒸気機関車の煤煙によって汚れるため、明るい塗装をしないほうが良いと考えられたことが原因だとも、塗装にかかるコストが捻出できなかったからではないかとも言われていた。ただし、気動車については1935年以降藍青色灰黄色の塗り分けが採用されており、戦前唯一の軽快色とも言われていた。また電車も京阪神地区の急行電車用として製造されたモハ52形は登場時から1942年の急行運転廃止までクリーム色と茶色の塗り分け(時期によりパターンが異なる)がなされていたほか、関東地区でも1940年に予定されていた東京オリンピックに向け「オリンピック塗装」と呼ばれる数パターンの塗り分けが試験的に施されたことがあった。

戦後の1948年に、線路を共用していた山手線京浜東北線の誤乗防止のため、山手線用電車を緑色(用途の途絶した軍用塗料の流用といわれる)に塗ったことがあったが、両線用の電車の転属が相互に繰り返されたことによる混乱や、共用区間の複々線化決定により長続きしなかった。[1]

多色使用の開始とラインカラー

「湘南色」のモデルとなったグレート・ノーザン鉄道のディーゼル機関車

国鉄発足後の1950年湘南電車に使用される80系電車緑2号黄かん色の2色塗りで登場した。この2色塗装パターンは、アメリカグレート・ノーザン鉄道のディーゼル機関車の塗装にヒントを得たもので、これに近い色合いを採用したものである。オレンジ色は警戒色でもあることから、高速電車の色としてもふさわしいものと考えられた。この塗装デザインは、後に「湘南色」と呼ばれることになる。当初「沿線のミカンの実と葉の色」として宣伝されたが、これは後付けの理由によるものである。

同時期、横須賀線の車両では青2号クリーム2号の2色塗りが採用された。これが「横須賀色(スカ色)」と呼ばれる。のち、「スカ色」は若干色合いの異なる青15号クリーム1号に変更されたが、現在も使用されている。こちらは、海沿いに向かうため「白砂青松を表現した色」として宣伝されることになった。

また、関西地区での急行用にも80系電車が投入されることになったが、この車両では塗り分けパターンは多少の差はあるが、大阪鉄道管理局の意向を汲み、戦前のモハ52形にも通じる濃いクリーム色(クリーム3号)とマルーン(ぶどう色3号)の2色塗りが採用された。

また、1956年(昭和31年)11月19日東海道本線の全線電化時、特急「つばめ」「はと」に用いられる車両に明るい塗装を施し、全線電化のPRを行なう方針がまとまり、機関車と客車では淡緑5号一色の塗装が施された。その色から「青大将」と呼ばれることになった。

通勤型電車においては、1957年(昭和32年)に中央線に投入された90系電車(後の101系)にオレンジバーミリオン(朱色1号)が採用され、イメージチェンジが図られた。その後、新たな線区に通勤型電車が投入されるたびに、誤乗防止の観点などからカナリアイエロー(黄5号)やウグイス色(黄緑6号)といった新たな色が制定され、路線別カラー(ラインカラー)が普及することとなった。路線別のカラーは他の鉄道事業者(特に地下鉄で顕著)にも波及し、国鉄を引き継いだJR各社において、今もなお使用されている点で大きな功績といえる。

これらの多くの色を使用した塗装は、それまで無味乾燥だった国鉄車両に文字通り色を添えることになり、国鉄車両はカラフル化の一途をたどっていったが、国鉄時代は1両の側面や妻面に塗られる色数は原則的に2色までであった。塗色の多色化が進むのは、国鉄分割民営化後のことである。

国鉄車両関係色見本帳

1950年代前半までは、必要の都度塗料メーカーが塗料見本板を作成し、国鉄工作局の承認を得た上で車両工場・メーカーへと配布していた。使用している色数が少なかった頃はこれで問題なかったが、1950年代には多くの色が車両に使用されるようになってきた。このため国鉄では、1953年に、車両色彩の基本的な指針を決定するべく、日本鉄道技術協会に車両の色彩調節の研究を委託した。また、この時代からマンセル記号により色を表現するようになった。

1956年に、国鉄車両に使われる塗装の色をまとめた見本帳として作成されたのが「国鉄車両関係色見本帳」である。当初は車内の色のみマンセル記号が併記されていたが、1959年に作成された第2版では、全ての色にマンセル記号が併記されることになった。また、この見本帳に掲載された色は、「何色何号」と呼ばれるようになった。この色見本帳に掲載された色は、国鉄制定色と呼ばれている。

この見本帳は、印刷ではなく実際の塗料を使った見本であり、またマンセル記号も記載されているため、塗装の時期や工場ごとに色合いが異なる状態はなくなり、国鉄のどの工場でもほぼ同じような色で塗装できることになった。後の車両塗装の標準化にも貢献したといえる。

用途別の塗色標準化

やがて、国鉄車両の色は、その用途別に決められてゆくことになった。地区に関係なく同じ色の車両が走る状況は、結果として車両色の没個性化を招くことになる。

1958年特急「こだま」用の20系電車(後の151系電車)の登場に際し、クリーム4号地に対して窓部分に赤2号を巻いたデザインを決定した。この後に続く特急形の電車と気動車に採用される「国鉄特急色」の始まりである。また、ヨーロッパTEEカラーを逆転させたものともいわれるが、はっきりしない[2]

同年に登場した20系客車では、青15号地にクリーム1号の細帯を3本巻いたデザインが採用された。[3]いわゆる「ブルートレイン色」の始まりである。この色と塗り分けはブルートレインを牽引するEF60形500番台EF65形500番台などの機関車にも採用され、ブルートレインとしての存在感と、編成としての美しさをさらに高めた。これらの機関車の塗り別けはブルトレ色や特急色などと呼ばれる。その後、新たなコンセプトで1969年(昭和44年)に登場した12系客車青20号の地色にクリーム10号の2本帯という塗り分けが初めて採用され[4]、12系を特急用に発展させた14系にもこの塗色が受け継がれ、一時は「ニュー・ブルートレイン色」とも呼ばれた[5]。その後新造された改良形からは、塗装の省力化のため細帯がステンレス帯に変わるものの、寝台特急の標準色として親しまれてゆくことになる。

また、寝台電車の581系電車においては、クリーム1号の地色に対し、雨とい・窓まわり・裾の帯が青15号という寝台特急(客車)用の組み合わせを引き継いでおり、明暗の塗り分けパターンをそれまでの特急形と揃えつつ、窓まわりの帯をひときわ広くすることで、昼行・夜行兼用車両であることを表現している。

1959年に登場した修学旅行82系電車(後の155系)に初めて採用された塗色で、窓周りを黄色(黄1号)、腰板幕板を朱色(朱色3号)としており、公募によって決定されたが、黄色は後年黄5号に変更された。その後、同じ修学旅行用として製造された159系電車や167系電車キハ58形・キハ28形800番台気動車にも採用され、画一化された塗色の国鉄車両の中で異彩を放っていたが、1977年の国鉄色の色数整理にともなって廃止された。

電源方式別の塗色

1958年に登場した初の準急形電車である91系電車(後の153系電車)では、直流電化区間を走行することから「湘南色」が採用された。この時点で、「湘南色」は直流用の近郊形から急行形までの、事実上の標準色として使用されることになる。また、「スカ色」についても、旧型国電などの色として使用されるケースが多くなり、こちらも直流近郊電車の事実上の標準色となっていたといえる。また、新性能直流電気機関車は、1965年に青15号地にクリーム1号の前面警戒色が標準色と決められた[6]

1959年に登場したED70形交流電気機関車では、初めて赤2号の外板色が正式採用となった。この後、交流型電気機関車・電車の標準色とされることになり、711系電車でも外板色として採用された。

交流直流両用電車においては、1960年401系・421系電車の登場時に赤13号という外板色がまず決められた。当初は警戒色としての飾り帯は商用電源周波数別に分けられていたが、急行形交直両用電車が登場する際に、組み合わせ色としてクリーム4号が採用されたのを機に、飾り帯の色も同色に揃えられた。赤13号は交直両用機関車の標準色にも採用されている。

気動車の塗色

気動車においては、1956年に準急型気動車として登場したキハ55系気動車において、クリーム2号地に赤2号の細帯という2色塗りが採用されていた。1958年に初めて気動車による急行列車を運行することになり、PR上からも急行色の制定が必要とされたため、クリーム4号を使用して、窓周りに赤11号の帯を巻いたデザインが採用された。

また、一般形気動車については、戦前からの2色塗りデザインが既に存在していたが、耐候性が弱いために新たに標準色を制定することになり、1959年9月に一般形気動車の新しい標準色としてクリーム4号朱色4号の2色塗りが採用された。

一般形気動車においては、1976年には首都圏での省力化のため、朱色5号一色とすることが決まり、これは通称「首都圏色」と呼ばれた。しかし、首都圏のみならず、ほとんどの一般形気動車が「首都圏色」に塗られることになり、1977年に登場したキハ40系気動車に至っては、当初から朱色5号一色で登場したのである。

1963年に落成したDD51形ディーゼル機関車2~4は島秀雄が提案したとされる朱色4号をベースに屋根上を灰色とし、その境に白帯を配した塗装を採用し、これが国鉄ディーゼル機関車の標準色となった。

大阪地区の独自性

戦前戦後の急行電車の独自塗色にも見られるが、同じ国有鉄道という組織の内にありながら、大阪地区は東京地区とは異なる路線を採ろうとすることが多かった。80系快速色の消滅後、一時的に大阪地区独自の塗色は途絶えていたが、1972年の新幹線岡山開業により急行運用が消滅して余剰となった153系電車新快速に投入することとなり、大阪鉄道管理局は、シルバーグレー(灰色9号)にスカイブルー(青22号)の帯を巻いた新塗色を設定してイメージアップを図った。同様の塗装は阪和線の新快速(113系電車)に波及した他、スカイブルーの帯を春日大社鳥居をイメージした朱色3号に変えた塗色が、1973年に電化された関西線113系に出現した。これは、国鉄分割民営化前後に全国へ波及した、地域色のはしりともいえるものである。

私鉄への影響

なお、島原鉄道南海電気鉄道など国鉄に車両を乗入れさせていた私鉄では、国鉄と同じ車両を導入したり国鉄の車両と仕様を合わせるなどしたため、同時に塗装も同じものを採用する場合が多かった。

また、水島臨海鉄道など国鉄から車両の払下げを受けた鉄道会社でも、結果的に国鉄色を導入する場合があった。

地域別の色へ

になると、国鉄再建において地域密着経営が謳われる中、地域の事情に応じたカラーリングの車両を走らせるという思想が現れることになる。

その嚆矢ともいえるのは、1979年に登場した117系電車で、クリーム1号地にぶどう色2号の帯を巻いたデザインで登場した。また、福塩線に投入された105系電車では、黄5号地に青20号の帯を巻いたデザインが、身延線の新性能電車への置き換えのために投入した115系電車では、赤2号地にクリーム10号の帯を巻いたデザインが採用された。特急形においても、1981年に登場した185系電車では、クリーム10号地に緑14号の斜めストライプを3本入れるという、当時の国鉄としては斬新なデザインが採用された。

また、ほとんど「首都圏色」のみとなっていた気動車においても、この考え方は波及することになり、1985年には相模線キハ35系気動車において、クリーム1号地に青20号の帯というデザインが採用された[7]

このように、一部の地域・路線を走る車両にのみ専用の塗装するという考え方は全国的に拡大し、多くの地域カラーを生み出した。この動きはJR化によって更に顕著となり、イメージチェンジも図られることになった。この結果、国鉄色をまとった車両は急速に減少することになった。

リバイバルカラー

国鉄分割民営化後、地域カラーが増えた事はもとより国鉄形車輌の淘汰も始まり、徐々に希少価値を生む様になってきた。そのため、鉄道ファンの間における国鉄色人気は上昇した。

この結果、JR各社では一旦地域カラーに変更した車輌を、再び国鉄色に戻す例が多く現れるようになった。また、JR発足後に登場した車両でも国鉄色に塗装変更された車両も登場している。この事例は私鉄にも影響を与え、私鉄においても旧塗装の復活等が行われるようになった(リバイバルトレインも参照の事)。

国鉄制定色一覧

色名称 色見本 マンセル記号 16進表記 RGB 国鉄部内での慣用色名称 主な路線・車体色
赤1号 6R 3.8/13 B2152B 178,21,43 郵便車の「」マーク
711系電車(赤2号からの塗り替え後)
赤2号 4.5R 3.1/8.5 842B32 132,43,50 えんじ 交流車両の地色
1958年以降の特急車両の帯色
赤3号 7.5R 3.5/5 7A453D 122,69,61 赤茶色 コキ50000形
ホキ9500形
赤7号 5.5R 2.5/3.3 563533 86,53,51 マルーン 「サロンエクスプレス東京」→「ゆとり」の地色
赤11号 7.5R 4.3/13.5 C32829 195,40,41 スカーレット 157系電車初期の帯色
急行形気動車の帯色
DD54形の地色
赤13号 3.5R 3.8/6 88474B 136,71,75 小豆色 交直流車両の地色
赤14号 C9242F 201,36,47 京葉線
ぶどう色1号 5YR 1.5/2 35271D 53,39,29 戦前の旧型車両ほぼ全般
ぶどう色2号 2.5YR 2/2 413027 65,48,39 ぶどう色 戦後の旧型車両ほぼ全般

117系の帯色

ぶどう色3号 7.5R 2/6 58211C 88,33,28 関西急電用の地色
とび色2号 3.5YR 3.8/3.5 735340 115,83,64 とび色 ワキ5000形
ワム80000形
朱色1号 0.5YR 5.3/8.8 C16543 193,101,67 オレンジバーミリオン 中央線快速
大阪環状線
武蔵野線
朱色3号 8.5R 5/15 E03625 224,54,37 朱色 修学旅行用車両の地色
113系(関西線)の帯色
朱色4号 9R 4.3/11.5 B53D27 181,61,39 金赤色 ディーゼル機関車、一般気動車の地色
朱色5号 8.3R 5/11.1 CA4F3C 202,79,60 柿色 一般形気動車(通称「首都圏色」)
黄1号 2.5Y 8/13.3 FDBC00 253,188,0 黄色 中央・総武緩行線ステンレス車の帯色
タキ5450形のタンク部分
黄4号 4.5Y 8.3/6.8 EACD6F 234,205,111 薄黄色 食堂車の椅子の色
黄5号 2.5Y 7.5/8.8 E3B144 227,177,68 マリーゴールドイエロー 鋼製車時代の中央・総武緩行線など
黄6号 5Y 9/4.7 F7E19E 247,225,158 薄卵色 サロンエクスプレス東京」の帯色
クリーム1号 1.5Y 7.8/3.3 D6BC96 214,188,150 薄茶色 横須賀線塗装(通称「スカ色」)の帯色
クリーム2号 4Y 8/5.5 E0C37B 224,195,123 横須賀線塗装(通称「スカ色」)のかつての帯色
クリーム3号 7.5YR 7.3/7 E2A665 226,166,101 関西急電・阪和急行用の帯色
クリーム4号 9YR 7.3/4 CFAC84 207,172,132 小麦色 特急形電車・気動車の地色
一般形気動車の帯色
ホキ2200形
クリーム9号 2.5Y 7.8/1.5 CABEAC 202,190,172 アイボリー
クリーム10号 1.5Y 9/1.3 ECE0D1 236,224,209 アイボリーホワイト 0系200系新幹線、185系、415系電車などの地色
クリーム12号 5.4Y 9/0.87 E6E1D5 230,225,213 クリームホワイト
黄かん色 4YR 5.5/11 CA6A1F 202,106,31 みかん色 「湘南色」の帯色
黄かっ色1号 8.5YR 5.5/5.5 A57C4A 165,124,74 黄褐色
黄かっ色2号 2.5Y 5.5/4 988054 152,128,84 キハ52形(大糸線)の色
淡緑1号 10GY 7/1.8 9EAE9C 158,174,156 薄緑色 車内の客室化粧板に使用
淡緑3号 1.5G 6/2.5 7B9681 123,150,129 ミストグリーン タキ1900形 (大量集約輸送用)
淡緑5号 0.5G 4.3/2.8 546C55 84,108,85 東海道線電化直後の特急客車の地色。通称「青大将色」
淡緑6号 10GY 7.3/4 97BC94 151,188,148 若葉色 グリーン車窓下の識別帯
淡緑7号 2.5GY 7.5/1 BAB8A9 186,184,169 シルバーグリーン
黄緑6号 7.5GY 6.5/7.8 7BAB4F 123,171,79 萌黄色 山手線コンテナの地色
黄緑7号 9GY 6.6/10.5 57B544 87,181,68 黄緑色 グリーン車のマーク
緑1号 3BG 3.5/5.5 005E54 0,94,84   阪和急行用の地色
緑2号 10GY 3/3.5 354F33 53,79,51 ダークグリーン 「湘南色」、「トワイライトエクスプレス」の地色
緑14号 10GY 3.53/6.7 246029 36,96,41 モスグリーン 東北上越新幹線200系電車185系電車の帯色
緑15号 2E8B57 46,139,87 211系の湘南色の緑部分、埼京線、横浜線の帯色
灰緑色2号 10G 5.5/2 6D8881 109,136,129 灰緑色
灰緑色3号 10BG 3.8/2.8 3B6063 59,96,99 スレートグリーン 運転台地色
青緑1号 2BG 5/8 009786 0,151,134 エメラルドグリーン 常磐快速線
なのはな窓下帯の色
加古川線
青緑6号 4.3BG 1.9/3.4 003835 0,56,53 鉄色 サロンカーなにわ」の地色
青1号 2B 4.8/4 417A83 65,122,131 旧2等車(→新1等車)の帯色
青2号 2.5B 3/2.3 324C51 50,76,81 ウルトラマリン 横須賀線塗装(通称「スカ色」)のかつての地色
青3号 5PB 2/3 2A3444 42,52,68 戦前の気動車
青9号 2PB 5/6 52799E 82,121,158 そら色
青15号 2.5PB 2.5/4.8 234059 35,64,89 インクブルー 寝台用客車
1970年代の直流形車両
横須賀線塗装(通称「スカ色」)の地色
青19号 8.8B 4.2/3.6 496779 73,103,121 スレートブルー
青20号 4.5PB 2.5/7.8 003F6C 0,63,108 ブライトブルー 東海道新幹線
常磐線(交直流車)の帯色
12系・14系以降の急行・特急形客車の地色
青22号 3.2B 5/8 00859E 0,133,158 みず色 京浜東北線/C35形コンテナ
青23号 004F8A 0,79,138 九州地区の帯色
青24号 00B2E5 0,178,229 京浜東北線等ステンレス車の帯色
青26号 6.2B 6/11.2 00acd1 0,172,209 JR四国のコーポレートカラー
薄茶色4号 8.5YR 6.8/2 B4A18E 180,161,142 サンドベージュ 特急形電車グリーン車壁面
165系ムーンライトえちご
薄茶色5号 2YR 6.8/6 D99574 217,149,116 肌色
薄茶色6号 5YR 6.8/1 AEA29B 174,162,155 茶ねずみ色 特急形電車普通車壁面
薄茶色13号 9YR 8/1.4 D1C3B5 209,195,181 薄茶色
薄茶色14号 10YR 8.5/1.2 DDD2C5 221,210,197 白茶色
薄茶色15号 6.3YR 4.2/2.7 765F4B 118,95,75 ココアブラウン
薄茶色17号 8.6YR 6/3.7 A98A68 169,138,104 ベージュ
N 1.5 2A2A2A 42,42,42 蒸気機関車
多くの貨車
ねずみ色1号 N 5 767676 118,118,118 ねずみ色 国鉄型ディーゼル機関車の車体上半分の地色
灰色1号 N 6 8F8F8F 143,143,143 灰色
灰色8号 N 7 AAAAAA 170,170,170 シルバーグレー 地下鉄乗入れ車の地色
灰色9号 N 8 C5C5C5 197,197,197 パールホワイト 関西地区快速車両の地色
灰色16号 N 8.5 D3D3D3 211,211,211 フロスティホワイト
白3号 N 9.2 E7E7E8 231,231,232 東海道新幹線100系以降の地色

脚注

  1. ^ 鉄道ジャーナル」 1985年3月号 P.29 星晃 「国鉄車両の色〝あのころ〟の話」
  2. ^ 鉄道にまつわる言葉を イラストと豆知識でブァーン!と読み解く テツ語辞典. 誠文堂. (2018年2月 2018) 
  3. ^ 同時期に新設された東北本線特急「はつかり」では使用する車両はスハ44ナロ10等の旧型客車であったが、青15号地にクリーム帯2本という類似した塗装で登場している。
  4. ^ この2色の組み合わせ自体は、新幹線0系電車用としてすでに使われていたものである。
  5. ^ 14系で編成された寝台列車自体が「ニュー・ブルートレイン」と呼ばれていた。
  6. ^ ただし、旧形電気機関車でもEF58形に例外的に採用した。
  7. ^ 奇しくも、相模線は最初に「首都圏色」の車両が登場した線区でもある。

参考文献