コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

「三段峡」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
m Botによる: {{Normdaten}}を追加
(2人の利用者による、間の2版が非表示)
1行目: 1行目:
[[ファイル:Sandankyo (9875225076).jpg|300px|right]]
'''三段峡'''(さんだんきょう)は、[[広島県]][[山県郡]][[安芸太田町]]の[[太田川]]上流の支流・柴木川にある長さ約16キロメートルの[[峡谷]]である。国の[[特別名勝]]に指定され、県北東部の[[帝釈峡]]と並び渓谷美を争い[[匹見峡]]、[[寂地峡]]とともに[[西中国山地国定公園]]の代表的景観となっている。
'''三段峡'''(さんだんきょう)は、[[広島県]][[山県郡]][[安芸太田町]]および[[北広島町]]を流れる[[太田川]][[水系]]柴木川流域にある総延長約16[[キロメートル|km]]の[[峡谷]]である{{r|kantei}}。


国の[[特別名勝]]。[[日本百景]]、[[森林浴の森100選]]、[[日本紅葉の名所100選]]。県北東部の[[帝釈峡]]と並び渓谷美を争い[[匹見峡]]、[[寂地峡]]とともに[[西中国山地国定公園]]{{Sfn|国交省2007|p=5}}の代表的景観となっている。2014年度版『[[:fr:Guide bleu]] Japon』で三ツ星を獲得するなど海外でも紹介されている{{r|kantei}}。
==概要==
[[File:三段滝.jpg|thumb|right|三段滝 2019年11月撮影]]
[[File:二段滝.jpg|thumb|right|二段滝 2019年11月撮影]]
[[File:黒淵.jpg|thumb|三段峡七景の1つ黒淵 2019年11月撮影]]
一帯は[[石英]]斑岩からなり、長年の[[浸食]]によって[[節理]]が刻まれ、[[断層]]が露出している。比高は400メートルあり、その間に、落差30メートルの[[三段滝]]をハイライトに、黒淵、猿飛の滝、二段滝、三ツ滝、龍門の滝があり、5つの滝と2つの淵が七景として知られる。他に長淵、大淵といった滝壺の跡、耶源、王城など無数の景勝地が連なる。


== 地理 ==
これらの景観は軽装でも気軽に散策できるように[[遊歩道]]が設けられている。これは三段峡が名勝に指定された時に、観光整備したためである。このときの開発は環境に極力配慮したため、ほとんど自然環境を損なうことはなかった。しかし、柴木川の最上流に[[樽床ダム]]が建設されてからは水量が減少し、以前ほど滝の迫力がなくなったと言われている。また、一帯には[[国有林]]も多く、伐採の対象となっており、その環境問題が懸念されている。
{{File clip | Geofeatures map of Chugoku Japan ja.svg | width = 300 | 47 | 57 | 36 | 33 | w = 1500 | h = 900 |周辺地形図|align=right}}
{{OSM Location map
|coord = {{coord2|34|37|00|N|132|11|15|E}}
|zoom = 11
|float = right
|width = 300
|height = 350
|nolabels=1
| scalemark = 200
| caption =
|label1 =三ツ滝|label-pos1 =right|label-size1 = 14|mark1 =|mark-size1 =12
|mark-coord1 = {{coord2|34|39|00.2|N|132|10|13.9|E}}
|label2 =三段滝|label-pos2 =right|label-size2 = 14|mark2 =|mark-size2 =12
|mark-coord2 = {{coord2|34|37|51.4|N|132|11|12.1|E}}
|label3 =猿飛|label-pos3 =left|label-size3 = 14|mark3 =|mark-size3 =12
|mark-coord3 = {{coord2|34|37|13.6|N|132|10|47.4|E}}
|label4 =二段滝|label-pos4 =bottom|label-size4 = 14|mark4 =|mark-size4 =12
|mark-coord4 = {{coord2|34|37|06.0|N|132|10|43.2|E}}
|label5 =黒淵|label-pos5 =right|label-size5 = 14|mark5 =|mark-size5 =12
|mark-coord5 = {{coord2|34|36|50.8|N|132|12|09.3|E}}
}}
この地は[[中新世]]後期からの隆起によって形成された[[中国山地]](西中国山地/[[冠山 (廿日市市)|冠山]]山地とも)の中にあり、[[恐羅漢山]]などの1,000m級の山々が作る脊梁に近接している{{r|tokuyama-u}}{{r|hiroshima-u}}。この付近の山列は北東-南西方向に伸び、さらに同方向に断層が発達している{{r|tokuyama-u}}{{Sfn|国交省2007|p=3}}。最初はなだらかな山地でありそこを柴木川が流れていたが、隆起により急峻となったことで川の流れが強くなり[[侵食]]力を高めていった{{r|hiroshima-u}}。そして柴木川は北西-南東方向に流れていき、隆起よりも川の下刻浸食力が上回ったことで山列・断層線を直行して横谷が形成され[[穿入蛇行]]が発達し、特徴的な渓谷が形成された{{r|hb751}}{{r|tokuyama-u}}{{r|hiroshima-u}}。地形学的には太田川流域にある侵食平坦面の最上位である八幡・芸北高原面から流れ下る地点に位置する{{Sfn|国交省2007|p=2}}。


柴木川に加えて、中間の葭ヶ原で合流する支流(太田川二次支流)横川川、その支流(太田川三次支流)田代川も渓谷をなし、特に田代川上流は「奥三段峡」と呼ばれる{{r|tokuyama-u}}{{r|hiroshima-u}}。これら支流の侵食力の深さの違いで更に景観を生み出している{{r|hiroshima-u}}。延長は、[[樽床ダム]]床から柴木の渓谷入口までが約11km{{r|hb751}}{{r|hiroshima-u}}{{r|tokuyama-u}}、それに支流の渓谷を加えて約16km。標高は、最高が八幡高原(樽床ダム)の約800m{{r|forestock}}、最低が戸河内町柴木の渓谷入口約350m{{r|hiroshima-u}}、標高差は約400mから500m{{r|tokuyama-u}}{{r|forestock}}。
なお、柴木川の支流田代川を更に上流に行くと全く手付かずの秘境である奥三段峡がある。遊歩道など観光設備が整備されていないため、本格的な[[トレッキング]]の準備が必要である。


冬は北西からの季節風による降雪、夏は梅雨や台風の影響による降雨と、年間を通じて降水量が多い地域になる{{Sfn|国交省2007|p=4}}。水質基準は柴木川全域でAA類型であり、基準値を満たしている{{Sfn|国交省2007|p=54}}。上流端が発電用ダムの樽床ダム、下流端が発電用ダムの柴木川ダムになり、河川水は水力発電に用いられている{{Sfn|国交省2007|p=49}}。
新緑・[[森林浴]]・[[紅葉]]などの目的で観光客が訪れ、県を代表する観光地となっている。しかし後述の通り地元の鉄道が廃線になった影響で観光客の減少が続いており、観光関係者は危機感を募らせている<ref>[http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn200804230164.html 「三段峡観光復活へ住民の会」][[中国新聞]]、2008年4月23日</ref>。


地質はほぼ高田[[流紋岩]]類で、斑晶は主に[[石英]]からなる{{r|tokuyama-u}}{{Sfn|国交省2007|p=3}}{{r|hb751}}{{Sfn|吉野1|p=664}}。これに広島[[花崗岩]]類が貫入している{{r|tokuyama-u}}{{Sfn|国交省2007|p=3}}{{r|hb751}}。
==交通==
[[広島バスセンター]]から[[広電バス]]の[[広電バス#広島北営業所管轄|三段峡線]]高速道経由便で約70分、一般道経由便で約100分。三段峡[[バス停留所]](終点)下車すぐに三段峡正面口がある。また、三段滝・二段滝に近い水梨口(出合橋)へは三段峡正面口から定期[[マイクロバス]]が運行されている。


植生は豊富で、特に植生帯の下降現象が国内で唯一見られる{{r|kantei}}。下流側、柴木川と太田川の合流付近である戸河内は、かつて芸北地方の[[たたら製鉄]]の中心地でありその周りの樹木は製鉄用の薪に用いられたため{{r|NDLJP1460014}}現在の植生は[[代償植生]]であるが、三段峡周辺は原生林が残っている。[[オオサンショウウオ]]・[[ギギ]]やゴギ(中国地方のみに生息する[[イワナ]])など、貴重な種が生息する{{r|canon}}。
1969年7月27日から[[可部線]][[三段峡駅]]が三段峡正面口の最寄りにあったが、利用者の減少に伴い[[2003年]][[11月30日]]に廃止となっている。


==事故==
=== 景観 ===
国の特別名勝(峡谷・渓谷の部)指定は三段峡・[[瀞峡]]・[[黒部峡谷]]・[[上高地]]・[[昇仙峡]]・[[奥入瀬渓流]]の6箇所、三段峡は関西以西では唯一指定されている。
*[[1952年]][[11月3日]] - コンクリート製の橋が崩壊、転落した高校生7人が死亡。「制限2トン」の場所に十数人が立ち入っていたもの<ref>「制限中の事故」『日本経済新聞』昭和29年10月10日11面</ref>。

代表的なものは、三ツ滝・三段滝・黒淵・猿飛・二段滝で五大景観(壮観)と呼ばれる{{r|tokuyama-u}}{{Sfn|国交省2007|p=5}}。あるいは、この5つに加えて竜ノ口・竜門で七景と呼ばれる{{r|hb751}}。

<gallery widths="250px" heights="250px">
Gthumb.svg|三ツ滝(柴木川、北広島町)。畳岩と呼ばれる巨岩に挟まれた三曲五段の滝{{r|anmidokorospot}}。
三段滝.jpg|[[三段滝]](柴木川、安芸太田町)。代表的景観{{r|tokuyama-u}}{{r|anmidokorospot}}。
黒淵.jpg|黒淵(柴木川、安芸太田町)。S字状に屈曲した突角にある。周りは原生林{{r|anmidokorospot}}{{Sfn|吉野1|p=672}}。
猿飛 IMG 4878-2.jpg|猿飛(横川川、安芸太田町)。かつて切り立った岩壁を猿が飛びかっていたと言われている{{r|anmidokorospot}}。ロープは観光舟用の引縄。
二段滝.jpg|二段滝(横川川、安芸太田町)。かつては2段であったが[[昭和63年7月豪雨]]で1段目の岩壁が剥ぎ取られてしまい(滝の後退現象)、現在は1段の滝{{r|anmidokorospot}}。
</gallery>

北広島町東八幡原樽床ダムから南進してすぐに渓谷となり、三ツ滝を形成する。そこから安芸太田町小坂および横川に入ると、左岸側から深入山の北麓より発する小板川が合流、出合滝を形成する{{Sfn|吉野1|p=663}}。そこから南進し安芸太田町柴木に入ると東進から南進し、隅角に三段滝をなす{{Sfn|吉野1|p=663}}。そこから南進し右岸側から横川川が合流する{{Sfn|吉野1|p=663}}。そこから東進し左岸で水梨川が合流する{{Sfn|吉野1|p=663}}。そこから南進しながら転流し、柴木中心部で渓谷を抜ける{{Sfn|吉野1|p=663}}。
<gallery>
Gthumb.svg|竜門。両岸に岩がそそり立つ幅5mの峡門{{r|anmidokorospot}}。
出合滝 1930.jpg|出合滝(1930年)。小板川との合流付近にある。
Gthumb.svg|耶源。懸崖。縦方向の節理に水が侵食して窪み、それが[[薬研]]に似ていることからこの名がついた。上部は緑樹、河床は巨岩が散在する{{r|anmidokorospot}}{{Sfn|吉野1|p=673}}。
Gthumb.svg|仏岩。円錐状の塔岩。頂上に1本岩松が生える{{r|anmidokorospot}}{{Sfn|吉野1|p=673}}。
天狗岩 DSC 0127.jpg|天狗岩。花崗岩が板状節理となって露出した大岸壁{{r|anmidokorospot}}。
石樋.jpg|石樋。流紋岩の河床が続く水路状の流路。そばにある遊歩道の位置がかつての河床で、かつてその先端に滝があって滝の後退現象によって現在の流路が形成された{{r|anmidokorospot}}。
夫婦淵.jpg|女夫淵。大小2つの縁が瓢箪型に配置され、夫婦のように見えることからこの名がついた{{r|anmidokorospot}}。
三段峡 赤滝.jpg|赤滝。[[タンスイベニマダラ]]によって赤く染まった岩が露出した崖にある滝{{r|anmidokorospot}}。
竜の口 1930.jpg|竜ノ口(1930年)。河床に大小の岩が伏竜のように横たわり、その間を川水が蛇行している{{Sfn|吉野1|p=663}}{{r|anmidokorospot}}。
三段峡 姉妹滝.jpg|姉妹滝{{r|anmidokorospot}}。
Gthumb.svg|長淵。三段峡入り口にある、長さ約100mの渓谷内で最も長い淵。両岸ともに花崗岩{{r|anmidokorospot}}{{Sfn|吉野1|p=667}}。
</gallery>

三段滝の下流側で合流する横川川は、西が上流側にあたり、流水量は柴木川より少ない{{Sfn|吉野2|p=779}}。途中猿飛・二段滝があり、その上流左岸側から田代川が合流する{{Sfn|吉野1|p=663}}。田代川が形成した渓谷は奥三段峡と言われ、観光用道路は併設しておらず沢歩きの入門編として紹介されている{{r|chugoku20170806}}。

<gallery>
Gthumb.svg|蜘蛛渕(奥三段峡)。昔、この地に炭焼人が住んでいて、ある時その草履に蜘蛛の巣が張っていた。怪しんだ炭焼人はそれを脱ぐと、蜘蛛がそれを淵に曳き入れたという{{Sfn|吉野3|p=41}}。
Gthumb.svg|畳ヶ平(奥三段峡)。河床に畳をひいたような平べったい岩がある{{Sfn|吉野3|p=43}}。
Gthumb.svg|蛇淵(奥三段峡){{Sfn|吉野3|p=43}}。
</gallery>

== 沿革 ==
[[ファイル:松落葉集 三段竜頭.jpg|250px|right|thumb|『松落葉集』三段竜頭(三段滝)]]
{{ external media
| topic = 中国放送公開動画
| align = right
| width = 250px
| video1 = [https://play.rcc.jp/prewar-film/film26.php ひろしま戦前の風景 26.「三段峡探勝記念」より] - 国の名勝指定から2年後の1927年撮影
}}
[[1917年]]([[大正]]6年)地元写真家の熊南峰は入峡してその景観に驚き、小学校教師の斎藤露翠とともに三段峡を世を広める活動を始めた{{Sfn|文書館2017|p=1}}。これを三段峡の開峡年としている{{Sfn|文書館2017|p=1}}。[[2017年]]([[平成]]29年)には100周年記念が行われている{{r|kantei}}{{Sfn|文書館2017|p=1}}。

また熊南峰は、『松落葉集』の「[[峨眉山|三峨]]・[[三峡]]」を引用し三段峡と名付けた{{Sfn|文書館2017|p=12}}。ただ三段滝から三段峡と名付けられたとする通説も存在する。
* [[江戸時代|江戸]]中期までの文献には三段峡は登場していない{{Sfn|文書館2017|p=12}}。
* [[1768年]]([[明和]]5年) : たたら製鉄の鉄師[[加計隅屋|隅屋]]15代目佐々木正封が『松落葉集』を編纂し、16代目佐々木正任が安永元年(1772年)発行した{{Sfn|文書館2017|p=12}}。これが歴史上最初に三段峡を紹介した書であり、この序文に[[蜀]]の三峨・三峡に似ていると記されている{{Sfn|文書館2017|p=12}}。また内容から竜の口・三段竜頭(三段滝)・猿飛・呼岩は、当時の文人たちに知られていたことがわかっている{{Sfn|文書館2017|p=1}}。
* [[1825年]]([[文政]]8年) : [[広島藩]]地誌『[[芸藩通志]]』編纂{{Sfn|文書館2017|p=12}}。三段峡渓谷の概略図、竜口滝と三段滝の図と記事あり{{Sfn|文書館2017|p=12}}。編纂者の内、[[頼采真|頼舜燾]]と[[津村尚誼]]は竜口谷まで入峡しそれぞれ紀行文・漢詩を残している{{Sfn|文書館2017|p=12}}。『芸藩通志』内の竜口の漢詩はその尚誼作{{Sfn|文書館2017|p=2}}。
* 1917年(大正6年) : 山県郡斯民会が『山県郡写真帳』を発行することになり、その取材のため熊南峰は初めて竜の口まで入峡し、その景観に感銘を受ける{{Sfn|文書館2017|p=12}}{{Sfn|文書館2017|p=2}}。以降、友人の斎藤露翠とともに名勝指定運動や観光開発推進の中心人物として動く{{Sfn|文書館2017|p=2}}。
* [[1921年]](大正10年) : [[芸備日日新聞]]に初めて記事が載る{{Sfn|文書館2017|p=12}}。
* [[1923年]](大正12年)
** 6月 : 『日本山水大観』(『[[太陽 (博文館)|太陽]]』の臨時増刊)に掲載。全国的メディアでの初記事になる{{Sfn|文書館2017|p=12}}。
** 12月 : 内務省調査員[[国府犀東]]が入峡。三段峡の名が正式に確定する(命名は熊南峰だが、この時名付け親を国府犀東とした){{Sfn|文書館2017|p=12}}。
* [[1925年]](大正14年) : [[史蹟名勝天然紀念物保存法]]による名勝指定{{Sfn|文書館2017|p=5}}。
* [[1926年]](大正15年) : 探勝路完成{{Sfn|文書館2017|p=12}}。
* [[1952年]]([[昭和]]27年)11月3日 - コンクリート製の橋が崩壊、転落した高校生7人が死亡。「制限2トン」の場所に十数人が立ち入っていたもの<ref>『[[日本経済新聞]]』1954年(昭和29年)10月10日11面「制限中の事故」([[日本経済新聞社]])</ref>。
* [[1953年]](昭和28年) : [[文化財保護法]]に基づく特別名勝指定{{Sfn|文書館2017|p=5}}。
* [[1957年]](昭和32年) : [[樽床ダム]]竣工{{Sfn|文書館2017|p=12}}。
* [[1969年]](昭和44年)
** 1月 : [[西中国山地国定公園]]指定{{Sfn|文書館2017|p=9}}。
** 7月 : [[日本国有鉄道|国鉄]](現在:[[西日本旅客鉄道|JR西日本]])[[可部線]]の延伸に伴い、[[三段峡駅]]開業{{Sfn|文書館2017|p=10}}。
* [[2003年]](平成15年) : 可部線([[可部駅|可部]] - 三段峡間)の[[廃線]]に伴い、三段峡駅も[[廃駅]]になる。これにより、観光面で大きな打撃を受けた{{Sfn|文書館2017|p=11}}。

== 観光 ==
軽装でも気軽に散策できるように[[遊歩道]]が設けられている。「出会橋」「王城洞門」など遊歩道にも名がついている。[[三段峡交通]]により正面入口から出合橋までのマイクロバス路線もある。黒淵と猿飛では[http://www.akioota-navi.jp/html/kankou_mobi_sandankyo_attention.html#tosen 観光舟(黒淵渡船・猿飛渡船)]が運行されている。[http://www.akioota-navi.jp/html/kankou_mobi_sandankyo_attention.html#guide ガイドツアー]も用意されている。

以下、[http://www.akioota-navi.jp/html/kankou_mobi_sandankyo_sansaku_corse.html 公式的に紹介されている散策コース]と、[[森林セラピー基地]]認定セラピーロード{{r|kantei}}を列挙する。
* セラピーロード黒淵コース - 三段峡入口から黒淵まで。片道2時間(渡船込み)。
* セラピーロード猿飛コース - 三段峡水梨口駐車場から猿飛まで。渡船込み。
* ミニミニコース - 三段峡入口から姉妹滝・竜ノ口まで。片道10分。
* ミニコース - 三段峡入口から石樋休憩所まで。片道30分。
* 3時間コース - 三段峡入口からバスで出合橋駐車場まで、そこから横川川の猿飛・二段滝(渡船込み)、柴木川の三段滝を巡る。
* 4時間コース - 三段峡入口からバスで出合橋駐車場まで、そこから横川川の猿飛・二段滝(渡船込み)、次に柴木川の三段滝、そこから柴木川下流ヘ向かい黒淵(渡船込み)を経由し、三段峡入口到着。
* 聖湖コース(餅ノ木口コース) - 樽床ダム聖湖口駐車場から三ツ滝、そこから下流へ向かい餅ノ木口駐車場まで。片道1時間。

<gallery>
三段峡遊歩道 DSC 0108.jpg
Sandankyo (9876729794).jpg
三段峡 DSC 0147.jpg
三段峡吊り橋.jpg
Yoshigahara.jpg
</gallery>

== 交通 ==
:''[https://akioota-navi.jp/html/kankou_mobi_sandankyo_access.html 安芸太田ナビ]参照''
* 車
** [[中国自動車道]]・[[戸河内インターチェンジ|戸河内IC]]から約8km
* バス
** [[広電バス]]三段峡線、三段峡バス停下車


== 脚注 ==
== 脚注 ==
{{reflist}}
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist|2
|refs=
*<ref name="kantei">{{cite web|url=http://www.kantei.go.jp/jp/singi/tiiki/tiikisaisei/dai40-2nintei/plan/a332.pdf|format=PDF|title=特別名勝「三段峡」と「食」のブランディングプロジェクト|publisher=首相官邸 地域再生制度|accessdate=2021-03-30}}</ref>

*<ref name="hb751">{{cite web|url=http://www.hiroshima-bunka.jp/modules/newdb/detail.php?id=751|title=三段峡(さんだんきょう)|publisher=ひろしま文化大百科|accessdate=2021-03-30}}</ref>
*<ref name="tokuyama-u">{{cite web|url=http://chaos.tokuyama-u.ac.jp/souken/gehp/ge-kohyou/h027.htm|title=広島27 三段峡|publisher=徳山大学総合研究所|accessdate=2021-03-30}}</ref>
*<ref name="hiroshima-u">{{cite web|url=https://home.hiroshima-u.ac.jp/sonodera/21c/matu1.htm|title=教養ゼミ "21世紀の残したい広島の自然環境"|publisher=広島大学総合科学部&大学院総合科学研究科|accessdate=2021-03-30}}</ref>
*<ref name="forestock">{{cite web|url=http://www.forestock.or.jp/forests/nissinringyo/tayori20111101.html|title=森からの便り】2011年 秋・冬|publisher=フォレストック協会|accessdate=2021-03-30}}</ref>
*<ref name="NDLJP1460014">{{Cite book|和書|publisher=宮本常一|title=村里を行く|id={{NDLJP|1460014}}|url =https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1460014/129|date =1943|page=250|accessdate =2021-03-30}}</ref>
*<ref name="canon">{{cite web|url=https://canon.jp/ja-JP/corporate/csr/furusato/about/organization/pastevents-org03|title=三段峡-太田川流域研究会|publisher=キヤノン|accessdate=2021-03-30}}</ref>

*<ref name="anmidokorospot">{{cite web|url=http://www.akioota-navi.jp/html/kankou_mobi_sandankyo_midokorospot.html|title=三段峡見どころスポット集|publisher=安芸太田ナビ|accessdate=2021-03-30}}</ref>
*<ref name="chugoku20170806">{{cite web|url=https://www.chugoku-np.co.jp/blog/article/article.php?comment_id=6216&comment_sub_id=0&category_id=206|title=奥三段峡=広島県安芸太田町|publisher=中国新聞|date=2017-08-06|accessdate=2021-03-30}}</ref>
}}

== 参考資料 ==
*{{国指定文化財等データベース|401|2318|三段峡}}
* {{Cite journal|和書
|author=
|title=開峡百周年 三段峡の歴史と自然
|url=https://www.pref.hiroshima.lg.jp/soshiki_file/monjokan/zuroku/h29zuroku_sandankyou.pdf
|format=PDF
|publisher=広島県立文書館
|date=2017
|accessdate=2021-03-30
|ref={{SfnRef|文書館2017}}
}}
* {{Cite journal|和書
|author=吉野盆見
|title=名勝三段峡 (其一)
|url=https://www.jstage.jst.go.jp/article/jgeography1889/41/11/41_11_661/_article/-char/ja
|format=PDF
|volume =41|number=11|journal=地学雑誌|publisher=東京地学協会|doi=10.5026/jgeography.41.661
|date=1929
|accessdate=2021-03-30
|ref={{SfnRef|吉野1}}
}}
* {{Cite journal|和書
|author=吉野盆見
|title=名勝三段峡 (其二)
|url=https://www.jstage.jst.go.jp/article/jgeography1889/41/12/41_12_777/_article/-char/ja
|format=PDF
|volume =41|number=12|journal=地学雑誌|publisher=東京地学協会|doi=10.5026/jgeography.41.777
|date=1929
|accessdate=2021-03-30
|ref={{SfnRef|吉野2}}
}}
* {{Cite journal|和書
|author=吉野盆見
|title=名勝三段峡 (其三)
|url=https://www.jstage.jst.go.jp/article/jgeography1889/42/1/42_1_40/_article/-char/ja
|format=PDF
|volume =41|number=12|journal=地学雑誌|publisher=東京地学協会|doi=10.5026/jgeography.42.40
|date=1929
|accessdate=2021-03-30
|ref={{SfnRef|吉野3}}
}}
* {{Cite journal|和書
|author=
|title=太田川水系の流域及び河川の概要
|url=http://www.cgr.mlit.go.jp/ootagawa/plan/pdf/plan.pdf
|format=PDF
|publisher=国土交通省河川局
|date=2007
|accessdate=2021-03-30
|ref={{SfnRef|国交省2007}}
}}


== 関連項目 ==
== 関連項目 ==
*[[日本国指定名勝一覧]]
* [[日本の特別名勝一覧]]
*[[加計隅屋]]
* [[龍頭峡]]


== 外部リンク ==
== 外部リンク ==
*[https://akioota-navi.jp/html/kankou_mobi_sandankyo_attention.html 三段峡の紹介ページ]、[http://www.akioota-navi.jp/ 『あきおおたナビ』(安芸太田町観光協会)]
* [https://akioota-navi.jp/html/kankou_mobi_sandankyo_attention.html 三段峡] - 『あきおおたナビ』
* [https://cs-akiota.or.jp/special/tag/%E4%B8%89%E6%AE%B5%E5%B3%A1/ 三段峡] - 地域商社あきおおた
*{{国指定文化財等データベース|401|2318|三段峡}}
* [https://play.rcc.jp/prewar-film/film26.php ひろしま戦前の風景 26.「三段峡探勝記念」より] (昭和2年6月)- [[中国放送]](RCC)
* [https://sanken-hiroshima.org/ NPO法人 三段峡-太田川流域研究会]
* [https://sanken-hiroshima.org/ NPO法人 三段峡-太田川流域研究会]
{{japan-geo-stub}}
{{japan-geo-stub}}


{{Normdaten}}
{{DEFAULTSORT:さんたんきよう}}
{{DEFAULTSORT:さんたんきよう}}
[[Category:日本の谷]]
[[Category:日本の谷]]
43行目: 215行目:
[[Category:広島県の地形]]
[[Category:広島県の地形]]
[[Category:安芸太田町の地理]]
[[Category:安芸太田町の地理]]
[[Category:北広島町]]
[[Category:太田川水系]]
[[Category:太田川水系]]
[[Category:中国山地]]
[[Category:中国山地]]

2021年4月11日 (日) 11:49時点における版

三段峡(さんだんきょう)は、広島県山県郡安芸太田町および北広島町を流れる太田川水系柴木川流域にある総延長約16km峡谷である[1]

国の特別名勝日本百景森林浴の森100選日本紅葉の名所100選。県北東部の帝釈峡と並び渓谷美を争い匹見峡寂地峡とともに西中国山地国定公園[2]の代表的景観となっている。2014年度版『fr:Guide bleu Japon』で三ツ星を獲得するなど海外でも紹介されている[1]

地理

周辺地形図
拡大
拡大

Clip
周辺地形図
地図
About OpenStreetMaps
Maps: terms of use
5 km
[[file:|14px|alt=|link=]]
黒淵
[[file:|14px|alt=|link=]]
二段滝
猿飛
三段滝
.
三ツ滝

この地は中新世後期からの隆起によって形成された中国山地(西中国山地/冠山山地とも)の中にあり、恐羅漢山などの1,000m級の山々が作る脊梁に近接している[3][4]。この付近の山列は北東-南西方向に伸び、さらに同方向に断層が発達している[3][5]。最初はなだらかな山地でありそこを柴木川が流れていたが、隆起により急峻となったことで川の流れが強くなり侵食力を高めていった[4]。そして柴木川は北西-南東方向に流れていき、隆起よりも川の下刻浸食力が上回ったことで山列・断層線を直行して横谷が形成され穿入蛇行が発達し、特徴的な渓谷が形成された[6][3][4]。地形学的には太田川流域にある侵食平坦面の最上位である八幡・芸北高原面から流れ下る地点に位置する[7]

柴木川に加えて、中間の葭ヶ原で合流する支流(太田川二次支流)横川川、その支流(太田川三次支流)田代川も渓谷をなし、特に田代川上流は「奥三段峡」と呼ばれる[3][4]。これら支流の侵食力の深さの違いで更に景観を生み出している[4]。延長は、樽床ダム床から柴木の渓谷入口までが約11km[6][4][3]、それに支流の渓谷を加えて約16km。標高は、最高が八幡高原(樽床ダム)の約800m[8]、最低が戸河内町柴木の渓谷入口約350m[4]、標高差は約400mから500m[3][8]

冬は北西からの季節風による降雪、夏は梅雨や台風の影響による降雨と、年間を通じて降水量が多い地域になる[9]。水質基準は柴木川全域でAA類型であり、基準値を満たしている[10]。上流端が発電用ダムの樽床ダム、下流端が発電用ダムの柴木川ダムになり、河川水は水力発電に用いられている[11]

地質はほぼ高田流紋岩類で、斑晶は主に石英からなる[3][5][6][12]。これに広島花崗岩類が貫入している[3][5][6]

植生は豊富で、特に植生帯の下降現象が国内で唯一見られる[1]。下流側、柴木川と太田川の合流付近である戸河内は、かつて芸北地方のたたら製鉄の中心地でありその周りの樹木は製鉄用の薪に用いられたため[13]現在の植生は代償植生であるが、三段峡周辺は原生林が残っている。オオサンショウウオギギやゴギ(中国地方のみに生息するイワナ)など、貴重な種が生息する[14]

景観

国の特別名勝(峡谷・渓谷の部)指定は三段峡・瀞峡黒部峡谷上高地昇仙峡奥入瀬渓流の6箇所、三段峡は関西以西では唯一指定されている。

代表的なものは、三ツ滝・三段滝・黒淵・猿飛・二段滝で五大景観(壮観)と呼ばれる[3][2]。あるいは、この5つに加えて竜ノ口・竜門で七景と呼ばれる[6]

北広島町東八幡原樽床ダムから南進してすぐに渓谷となり、三ツ滝を形成する。そこから安芸太田町小坂および横川に入ると、左岸側から深入山の北麓より発する小板川が合流、出合滝を形成する[17]。そこから南進し安芸太田町柴木に入ると東進から南進し、隅角に三段滝をなす[17]。そこから南進し右岸側から横川川が合流する[17]。そこから東進し左岸で水梨川が合流する[17]。そこから南進しながら転流し、柴木中心部で渓谷を抜ける[17]

三段滝の下流側で合流する横川川は、西が上流側にあたり、流水量は柴木川より少ない[20]。途中猿飛・二段滝があり、その上流左岸側から田代川が合流する[17]。田代川が形成した渓谷は奥三段峡と言われ、観光用道路は併設しておらず沢歩きの入門編として紹介されている[21]

沿革

『松落葉集』三段竜頭(三段滝)
映像外部リンク
中国放送公開動画
ひろしま戦前の風景 26.「三段峡探勝記念」より - 国の名勝指定から2年後の1927年撮影

1917年大正6年)地元写真家の熊南峰は入峡してその景観に驚き、小学校教師の斎藤露翠とともに三段峡を世を広める活動を始めた[24]。これを三段峡の開峡年としている[24]2017年平成29年)には100周年記念が行われている[1][24]

また熊南峰は、『松落葉集』の「三峨三峡」を引用し三段峡と名付けた[25]。ただ三段滝から三段峡と名付けられたとする通説も存在する。

  • 江戸中期までの文献には三段峡は登場していない[25]
  • 1768年明和5年) : たたら製鉄の鉄師隅屋15代目佐々木正封が『松落葉集』を編纂し、16代目佐々木正任が安永元年(1772年)発行した[25]。これが歴史上最初に三段峡を紹介した書であり、この序文にの三峨・三峡に似ていると記されている[25]。また内容から竜の口・三段竜頭(三段滝)・猿飛・呼岩は、当時の文人たちに知られていたことがわかっている[24]
  • 1825年文政8年) : 広島藩地誌『芸藩通志』編纂[25]。三段峡渓谷の概略図、竜口滝と三段滝の図と記事あり[25]。編纂者の内、頼舜燾津村尚誼は竜口谷まで入峡しそれぞれ紀行文・漢詩を残している[25]。『芸藩通志』内の竜口の漢詩はその尚誼作[26]
  • 1917年(大正6年) : 山県郡斯民会が『山県郡写真帳』を発行することになり、その取材のため熊南峰は初めて竜の口まで入峡し、その景観に感銘を受ける[25][26]。以降、友人の斎藤露翠とともに名勝指定運動や観光開発推進の中心人物として動く[26]
  • 1921年(大正10年) : 芸備日日新聞に初めて記事が載る[25]
  • 1923年(大正12年)
    • 6月 : 『日本山水大観』(『太陽』の臨時増刊)に掲載。全国的メディアでの初記事になる[25]
    • 12月 : 内務省調査員国府犀東が入峡。三段峡の名が正式に確定する(命名は熊南峰だが、この時名付け親を国府犀東とした)[25]
  • 1925年(大正14年) : 史蹟名勝天然紀念物保存法による名勝指定[27]
  • 1926年(大正15年) : 探勝路完成[25]
  • 1952年昭和27年)11月3日 - コンクリート製の橋が崩壊、転落した高校生7人が死亡。「制限2トン」の場所に十数人が立ち入っていたもの[28]
  • 1953年(昭和28年) : 文化財保護法に基づく特別名勝指定[27]
  • 1957年(昭和32年) : 樽床ダム竣工[25]
  • 1969年(昭和44年)
  • 2003年(平成15年) : 可部線(可部 - 三段峡間)の廃線に伴い、三段峡駅も廃駅になる。これにより、観光面で大きな打撃を受けた[31]

観光

軽装でも気軽に散策できるように遊歩道が設けられている。「出会橋」「王城洞門」など遊歩道にも名がついている。三段峡交通により正面入口から出合橋までのマイクロバス路線もある。黒淵と猿飛では観光舟(黒淵渡船・猿飛渡船)が運行されている。ガイドツアーも用意されている。

以下、公式的に紹介されている散策コースと、森林セラピー基地認定セラピーロード[1]を列挙する。

  • セラピーロード黒淵コース - 三段峡入口から黒淵まで。片道2時間(渡船込み)。
  • セラピーロード猿飛コース - 三段峡水梨口駐車場から猿飛まで。渡船込み。
  • ミニミニコース - 三段峡入口から姉妹滝・竜ノ口まで。片道10分。
  • ミニコース - 三段峡入口から石樋休憩所まで。片道30分。
  • 3時間コース - 三段峡入口からバスで出合橋駐車場まで、そこから横川川の猿飛・二段滝(渡船込み)、柴木川の三段滝を巡る。
  • 4時間コース - 三段峡入口からバスで出合橋駐車場まで、そこから横川川の猿飛・二段滝(渡船込み)、次に柴木川の三段滝、そこから柴木川下流ヘ向かい黒淵(渡船込み)を経由し、三段峡入口到着。
  • 聖湖コース(餅ノ木口コース) - 樽床ダム聖湖口駐車場から三ツ滝、そこから下流へ向かい餅ノ木口駐車場まで。片道1時間。

交通

安芸太田ナビ参照

脚注

  1. ^ a b c d e 特別名勝「三段峡」と「食」のブランディングプロジェクト” (PDF). 首相官邸 地域再生制度. 2021年3月30日閲覧。
  2. ^ a b 国交省2007, p. 5.
  3. ^ a b c d e f g h i j 広島27 三段峡”. 徳山大学総合研究所. 2021年3月30日閲覧。
  4. ^ a b c d e f g 教養ゼミ "21世紀の残したい広島の自然環境"”. 広島大学総合科学部&大学院総合科学研究科. 2021年3月30日閲覧。
  5. ^ a b c 国交省2007, p. 3.
  6. ^ a b c d e 三段峡(さんだんきょう)”. ひろしま文化大百科. 2021年3月30日閲覧。
  7. ^ 国交省2007, p. 2.
  8. ^ a b 森からの便り】2011年 秋・冬”. フォレストック協会. 2021年3月30日閲覧。
  9. ^ 国交省2007, p. 4.
  10. ^ 国交省2007, p. 54.
  11. ^ 国交省2007, p. 49.
  12. ^ 吉野1, p. 664.
  13. ^ 村里を行く』宮本常一、1943年、250頁。NDLJP:1460014https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1460014/1292021年3月30日閲覧 
  14. ^ 三段峡-太田川流域研究会”. キヤノン. 2021年3月30日閲覧。
  15. ^ a b c d e f g h i j k l m n o 三段峡見どころスポット集”. 安芸太田ナビ. 2021年3月30日閲覧。
  16. ^ 吉野1, p. 672.
  17. ^ a b c d e f g 吉野1, p. 663.
  18. ^ a b 吉野1, p. 673.
  19. ^ 吉野1, p. 667.
  20. ^ 吉野2, p. 779.
  21. ^ 奥三段峡=広島県安芸太田町”. 中国新聞 (2017年8月6日). 2021年3月30日閲覧。
  22. ^ 吉野3, p. 41.
  23. ^ a b 吉野3, p. 43.
  24. ^ a b c d 文書館2017, p. 1.
  25. ^ a b c d e f g h i j k l m 文書館2017, p. 12.
  26. ^ a b c 文書館2017, p. 2.
  27. ^ a b 文書館2017, p. 5.
  28. ^ 日本経済新聞』1954年(昭和29年)10月10日11面「制限中の事故」(日本経済新聞社
  29. ^ 文書館2017, p. 9.
  30. ^ 文書館2017, p. 10.
  31. ^ 文書館2017, p. 11.

参考資料

関連項目

外部リンク