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2021年2月14日 (日) 12:01時点における版

豊ノ島 大樹
場所入りする豊ノ島関
基礎情報
四股名 豊ノ島 大樹
本名 梶原 大樹
愛称 カジ、いきちゃん、とよちゃん
生年月日 (1983-06-26) 1983年6月26日(41歳)
出身 高知県宿毛市
身長 169cm
体重 166kg
BMI 58.12
所属部屋 時津風部屋
得意技 左四つ・下手投げ
成績
現在の番付 引退
最高位関脇
生涯戦歴 703勝643敗68休(109場所)
幕内戦歴 493勝524敗48休(71場所)
優勝 十両優勝2回
序二段優勝1回
序ノ口優勝1回
殊勲賞3回
敢闘賞3回
技能賞4回
データ
初土俵 2002年1月場所
入幕 2004年9月場所
引退 2020年3月場所(番付上は2020年7月場所[注 1]
引退後 年寄井筒
趣味 音楽鑑賞
備考
金星4個(白鵬1個、日馬富士3個)
2020年4月17日現在

豊ノ島 大樹(とよのしま だいき、1983年6月26日[1] - )は、高知県宿毛市出身で時津風部屋所属の元大相撲力士。本名は梶原 大樹(かじわら だいき)、愛称はカジ、いきちゃん。身長169cm、体重166kg、血液型はA型、星座は蟹座。得意技は左四つ・寄り・下手投げ。嫌いなものはグリーンピースレーズン、溶けていないチーズ[2]。趣味は音楽鑑賞、カラオケ釣りボウリングなどと多種多様である。最高位は東関脇2012年5月場所)。現在は年寄井筒

座右の銘は「三年先の稽古」。小学生のときに相撲を教わった恩師の言葉だという。その言葉は自身のブログのタイトルにもなっている。また、自身と同じブログ力士である、雅山普天王らとも仲が良い。下戸でありは飲めない。持病としててんかんを持っている。夫人は、元歌手の竹内沙帆[3]。はとこに、女子サッカークラブAC長野パルセイロ・レディース國澤志乃がいる[4]

来歴

出生~アマチュア時代

豆腐店の長男として生まれる。小学校時代、毎朝特大のおにぎり6個(米6合分)を食べて登校するなどして力士としての素養を磨いていた。小学校1〜3年生まではサッカーをやっていた。中学3年時に全国都道府県中学相撲大会で個人・団体優勝を果たし、宿毛高校へ進学後、2001年に行われた宮城国体では県少年選抜チームの1人として相撲競技の団体優勝に貢献した。因みに、宿毛高校相撲部時代の恩師は土佐ノ海の弟であった。

大相撲入門後

高校卒業直前の2002年1月場所に初土俵、父親の知人が時津風部屋の後援会長をしていた縁もあり、時津風部屋に入門。同期入門に中学時代からのライバルであり親友でもある琴菊次(現・秀ノ山、元大関・琴奨菊)がおり、序ノ口序二段では琴菊次との優勝争いを制している[5]

2004年5月場所に新十両へ昇進し(西十両13枚目)、第二検査受検合格者としては初の関取となった。十両は2場所で通過し、同年9月場所に新入幕(西前頭15枚目)。その場所では6勝9敗と負け越し、翌11月場所は十両へ陥落(東十両筆頭)するも、翌2005年1月場所で再入幕(東前頭17枚目)。同年7月場所は東前頭16枚目で6勝9敗と負け越し、翌9月場所には再び十両へ陥落(西十両筆頭)。その場所では14勝1敗の成績を挙げて初の十両優勝を果たし、翌11月場所において2度目の再入幕を果たして以降は幕内に定着した[5]

2007年1月場所では優勝争いに絡む活躍を見せて、12勝3敗の好成績を挙げて初の敢闘賞技能賞を受賞した。自己最高位となる西前頭筆頭にまで躍進した翌3月場所でも2大関を破る活躍を見せて8勝7敗と勝ち越しを決め、翌5月場所では新三役となる小結への昇進を果たした。これも第二検査合格者としては初の快挙である[5]

しかし、2007年4月30日に時津風部屋へ出稽古に出向いてきた横綱朝青龍との稽古中に、右膝と足首の靱帯を負傷した[6]。豊ノ島は全治2週間と診断され、朝青龍には大きな批判が寄せられたが、豊ノ島自身は自身のブログで「稽古中の事故」としている。同年5月9日には時津風親方(元小結・双津竜)が休場の可能性を示唆したが、10日には怪我が完治していないものの強行出場することを明らかにした。その初日に朝青龍と対戦したものの、立合いからすぐに豊ノ島が腰から落ちて敗れてしまった。結局、この5月場所では豊ノ島は4勝11敗と大きく負け越してしまった[5]。翌7月場所でも怪我が完治していない中で出場したが、結果的には7勝8敗と負け越した。

続く同年9月場所では、11日目に横綱・白鵬から自身初となる金星を挙げ(白鵬が初めて配給した金星でもあった)、さらに琴欧洲琴光喜の2大関を破る活躍を見せて8勝7敗と勝ち越し、初の殊勲賞を受賞した。しかし、この9月場所の直後に時津風部屋力士暴行死事件が発覚し、それ以降、自身のブログの更新を自粛していた。

2008年1月場所と続く3月場所ではいずれも6勝9敗の成績に終わった。一時期は147kgまで体重が増加し、さすがに廻しが取れなかったりする弊害が出てきたため、体重を142kgまで絞った同年5月場所では11勝4敗の好成績を挙げた。それでもまだ腰にかかる負担が多かったのか、西小結の位置で迎えた翌7月場所では腰にM字型のテーピングをしながらの出場となったが、初日に土俵際の捨て身の投げで朝青龍を破り、3日目には前場所に優勝した琴欧洲を破り、10勝5敗という好成績で三役では初となる勝ち越しを果たし、翌9月場所では関脇へ昇進した。時津風部屋からの関脇は蔵間以来30年ぶりのこととなった。その9月場所では6勝9敗と負け越し、翌11月場所では平幕へ陥落した。9月場所では負け越したが2場所連続で朝青龍に勝ち、11月場所では4大関に勝利した。

2009年1月場所では西小結へ復帰したが、7日目の魁皇戦で小手投げで敗れた際に左肘を負傷してしまい、翌8日目からは休場した。休場は自身初のこととなった。その後の数場所は幕内中位であまり芳しい成績は収められなかったが、2009年11月場所において11勝4敗の好成績を挙げて2回目の技能賞を受賞した。

2010年1月場所では東前頭筆頭の位置で8勝7敗と勝ち越しを決め、翌3月場所では関脇へ復帰した。しかし、同年6月に発覚した大相撲野球賭博問題に関与したという理由により、謹慎処分を受けて同年7月場所を全休し、翌9月場所では十両へと陥落してしまった。なお、大相撲野球賭博問題に関しては、本人は2011年3月3日賭博開帳図利容疑で書類送検されている[7][8]

西十両筆頭の位置まで番付を落す2010年9月場所では、幕内経験を生かした圧倒的な強さを見せ付けて、14勝1敗の成績を挙げて2回目の十両優勝を果たした。再入幕となった翌11月場所では3日目に旭天鵬に敗れた以外は連勝を続け、把瑠都・魁皇の2大関も破る活躍で千秋楽まで優勝を争い、14勝1敗の好成績を挙げて優勝決定戦まで進出した。千秋楽では稀勢の里を破ったが、その取組は、左四つから稀勢の里が先手を取って寄り詰めるが、豊ノ島は土俵際で左にうまく体を開き、体勢の崩れた相手を押し倒した、という内容であった[9]。優勝決定戦では横綱・白鵬に敗れて優勝は逃したものの、3回目の敢闘賞と3回目の技能賞を同時に受賞した[5]

しかし、2010年11月場所における関脇・栃煌山鶴竜が揃って7勝8敗で小結に下がり、また小結・栃ノ心阿覧が平幕に陥落したものの、東前頭筆頭の稀勢の里と西前頭筆頭の琴奨菊が関脇に上がったため、2011年1月場所では三役への昇進を果たせずに東前頭筆頭の位置に留められた。平幕で14勝以上しながら翌場所でも平幕に留められるのは史上初のこととなった。その1月場所では初日に大関・把瑠都を破った後、2日目から7連敗を喫したが、その後は一転して7連勝を果たして8勝7敗と勝ち越しを決めた。小結へ復帰した同年5月技量審査場所では5勝10敗と振るわなかったものの、大相撲八百長問題により多数の力士が引退した影響もあり、翌7月場所では西前頭2枚目とわずかな番付の降下に留まった。その7月場所では9勝6敗と勝ち越し、小結へ復帰した翌9月場所では9日目まで1勝7敗と振るわなかったものの、またもそこから一転して7連勝を果たして8勝7敗と勝ち越しを決めた。前場所と同じ東小結の位置に留め置かれた翌11月場所でも9勝6敗と勝ち越しを果たした。

関脇へ復帰した2012年1月場所では5勝10敗と大敗してしまい、翌3月場所では平幕へと陥落してしまったが、その場所で11勝4敗の好成績を挙げて4回目の技能賞を受賞し、翌5月場所に関脇へ復帰した。その5月場所では9日目に久々に白鵬を破ったものの、取組が組まれなかった琴欧洲以外の5大関には全く勝利できず、最終的には7勝8敗と負け越した。西小結の位置で迎えた翌7月場所では鶴竜・琴欧洲の2大関を破ったものの5勝10敗と大敗した。

2011年4月に同じ時津風部屋の霜鳳が大相撲八百長問題に関与したという理由により引退勧告を受けて引退したため、それまで霜鳳が所有していた年寄・錦島年寄名跡を譲られた[注 2]

2013年に入ってからは稽古不足の影響[注 3]で7月場所まで4場所連続負け越しを喫するが、9月場所は初日から4連敗しながらも8勝7敗と5場所ぶりに勝ち越した。翌11月場所は3日目に琴奨菊から不戦勝を得る幸運も手伝って14日目に勝ち越しを手にする。[注 4]

2014年3月場所で小結に復帰(東小結)。小結は2012年7月場所以来10場所ぶり。

2014年5月場所では西前頭4枚目で相撲をとっていたが、13日目に腰を痛め、休場した。本人曰く「同日朝に腰を突然痛め、相撲を取れる状態ではなくなった。ぎっくり腰のような感じ。背筋を伸ばして歩くことができない」とコメントしている。この場所は前日の12日目で負け越しが決まっていた。 なお、この場所では6日目に横綱・日馬富士に押し出しで勝ち、3つ目の金星を得ている。休場明けとなった7月場所では12日目に勝ち越しを決め、14日目の隠岐の海戦で不戦勝を得る幸運もあって2012年11月場所以来の2ケタ勝利となる10勝5敗の好成績。翌9月場所は西前頭2枚目まで番付を戻したものの初日の稀勢の里戦で敗れた際に左膝の靭帯を痛め、2週間の治療と安静が必要と診断されて2日目から途中休場。なおこれにより、2日目の対戦相手であった豪栄道は不戦勝の形で大関として初めての白星を得る結果となった。[10]それでも「番付の枚数をあまり落としたくない」[11]という理由で6日目から再出場を果たし、中日に休場を含めての負け越しが確定したものの初日の出た9日目から千秋楽までに6勝するなど終盤に大きく追い上げた。2015年11月場所は5日目の琴奨菊戦で肩透かしを決めたように見えたが行司差し違えで黒星を喫する[注 5]。結局この場所は13日目に負け越しが確定したばかりか14日目から左足底筋断裂により途中休場の憂き目にあった。

東前頭7枚目で迎えた2016年1月場所は、10日目に勝ち越しを決め好調であった。13日目には3横綱を破り無敗だった琴奨菊にとったりを決め勝利し、平幕で唯一終盤まで優勝争いに加わり続けた。14日目の嘉風戦に勝利した際に左膝を痛めた影響で、千秋楽は栃煌山に突き出しで敗れて3敗目を喫し、優勝争いから脱落[12][13](この取組の後、琴奨菊は14勝1敗でこの場所初優勝)。それでも12勝3敗の好成績で場所を終え、優勝した琴奨菊に唯一の土を付けた事が評価されて3度目の殊勲賞を受賞した。

2016年3月場所は、最高位である2012年5月場所の東関脇以来23場所(約4年)ぶりの関脇復帰(西関脇)となった。初日にいきなり横綱の鶴竜を破る最高のスタートを切ったが、2日目から8連敗。9日目にして平幕落ちが確定する。10日目には横綱・日馬富士を破り、意地を見せたが結局3勝12敗と大きく負け越した。7月場所は東前頭11枚目の地位となったが、場所前の稽古中に左足のアキレス腱を断裂したため、休場を発表した[14]。このため、続く9月場所では2010年9月場所以来6年ぶりとなる十両へ陥落した。その9月場所も全休に甘んじ、これにより74場所連続で務めた関取の地位から離れることとなった。三役から4場所後に幕下に陥落したのは史上初の記録であり、三賞受賞から1年以内に幕下に陥落したのも高見盛以来2例目[15]

稽古中の7月1日、巨漢の逸ノ城の攻めに、豊ノ島が左に回り込んだ時に「バン!」という大きな音と同時に豊ノ島は崩れ落ちた。「誰かに足を引っ張られたようだった。腱が切れた音や感覚は、今も残っている」と豊ノ島は話した。知人がスマートフォンで撮影した動画には、怪我の瞬間が残っている。怪我をした豊ノ島の元へ駆けつけた妻や後援者には当初強がっていたが、その晩に家族だけになると不安に襲われて号泣した。妻は「家のことは心配せず、きちんと直して後悔のないよう相撲を取ってください」と伝えるのが精一杯であった[16]。手術で患部を13針も縫合し、歩くまで1カ月半を要した[17]。熊本市内でのリハビリ中から、土俵に戻ることだけを考えてきた。「最後の一番が稽古場なんて嫌だ」。幕下陥落後は取的と一緒に大部屋で生活している。特別待遇を断り、食事も風呂も若い衆と同じ順番である。「全ては自分自身を奮い立たせるため」と現実を受け入れた[17]

負傷から3ヶ月半の療養を経て、10月22日の大相撲秋巡業高知場所で復帰。この時点では、三段目の当たりを受けて左足で踏ん張れるようになったが、相撲を取れる状態には戻っていない。復帰に際して「もう一度相撲と向き合えるいい経験になった。時天空関は相撲をやりたくてもできなくなった。それを考えたらまだまだできる」と言っている[18]。迎えた11月場所は幕内優勝決定戦進出力士としては北勝力以来、史上2人目の幕下陥落となったが、場所入りに際して「もう一度復活して幕内優勝を狙ってやろうという気持ち。歴史に残るようなドラマチックな力士になろうと思っている」と言い切った[19]。西幕下7枚目の地位で土俵に上がった11月場所は夫人からこの場所に際して冗談で「これで勝ち越せなかったら別居だね」と伝えられた中、6番相撲で勝ち越しを果たし、4勝3敗で場所を終えた。勝ち越しを決めた6番相撲の行われた11月24日のちょうど7年前である2009年11月場所10日目の旭天鵬戦では、夫人から「勝ち越したら付き合う」と言われて掬い投げで旭天鵬を破り、この日が“交際確約記念日”になったというトリビアがある[20]

西幕下6枚目で迎えた2017年1月場所では、6日目(3番目)に同7枚目でその後同場所7戦全勝優勝した石橋(十両昇進後朝乃山に改名)に敗れるも、それ以外全勝で6勝1敗の好成績で終えた。1月31日に間垣(元小結・時天空)が死去した際、告別式で「4歳上の弟弟子が『年下のチビには負けられない』とケンカみたいな稽古をしたから、関取にまでなれた。しこ名の通り、天から空から見守って下さい。またいつか一緒に相撲を取りましょう」とコメント[21]。2017年3月8日の稽古中、右ふくらはぎを痛め、3月場所は1番相撲が不戦敗で2番相撲が休場扱いになった。この場所は4番相撲で負け越しを確定させ、7番相撲で1勝したことで場所成績は1勝5敗1休。場所を終え、記者に「来場所につながる白星にしたいか」と問われると、豊ノ島は「もうちょっと白星が欲しかったけど、まだあきらめてないし。時間がかかった方が(関取に)戻ったときに話題性があるでしょ。そう思うしかない」と来場所以降も現役を続ける考えを示した[22]。翌5月場所も3勝4敗と負け越し、7月場所は東幕下28枚目まで番付を落としたが、ここから3場所続けての勝ち越しを決めて番付を戻した。怪我による幕下陥落以降、怪我の影響によるけいこ不足で立合いの鋭さは今一つ[23]

2018年3月場所は幕内で対戦経験のある琴ノ若の長男である琴鎌谷と5番相撲で対戦して勝利し、勝ち越しを確定させた。この場所は2016年11月場所で幕下に陥落して以降では最高成績タイとなる6勝1敗。7月場所には連続勝ち越しを3場所まで伸ばし、相撲雑誌にも7月場所の相撲について「相撲に重みが戻ってきた。勝った5番は安定感があり、2年ぶりの関取復帰がいよいよ現実となりそうだ」と期待を寄せる声があった[24]。9月場所では幕下西の筆頭で6勝1敗の成績を残し、見事13場所ぶりの関取復帰を果たした。4連勝を決めた6日目には妻と娘への感謝を語りながら大粒の涙を流した。十両復帰報告は家族3人が写った写真をInstagramに掲載して行った[25]。豊ノ島は場所6日目の常幸龍戦が取り直しになった後、「花道の方を見ながら、時天空のことを思い出した」という。取り直しの一番を制して勝ち越しを決め、十両復帰に大きく前進し、思わず涙を流した。「つくり話みたいで言うのが嫌だったけど。自分の形ではない右四つで寄っていったし、時天空が後押ししてくれたのかな」と感慨に浸った[26]。2018年11月場所、2019年1月場所は共に十両の地位で2桁白星であり、3月場所は再入幕を果たして16場所ぶりとなる幕内の地位となった。3月場所番付発表の際、幕内最高優勝を目標に掲げた[27]。その3月場所は11日目の戦で負け越しが決定[28]。さらに13日目の佐田の海戦で敗れて10敗となり、下に2枚半番付を残している幕内残留が絶望的になり、翌場所は東十両筆頭に番付を落とした。[29]。5月場所6日目の旭秀鵬戦では最初は黒星を喫したかに見えたが、令和初となる十両以上の取り組みにおける物言いが付き、同体ではないかと物言いが付いた中、豊ノ島が尻から落ちるより先に旭秀鵬の右手が着いたと行司差し違えにより白星を得た。行司差し違えも十両の取り組みにおいては令和初[30]。11月場所は場所前に満足な稽古ができず、体重も自己最高の167kgまで増えて太り過ぎてしまった[31]が7日目まで5勝2敗と前半は良好な成績であった。ところが中日から4連敗し、その中で右腕を痛めたこともあって最終的には6勝9敗の負け越し。本人は途中でけがをしたことについて「このケガが前半だったら危なかった。終盤だったことを良しとして前に進んでいかないとね」と捉えている[32][33]

2020年1月場所、東十両11枚目の地位で4勝11敗の負け越して幕下陥落が決定的となった。去就については千秋楽の大翔丸との取組後に「場所が終わったから、しっかり考えたい。どうなるか分からない」と明言を避けた一方、「今日が最後になるかもしれないと思って」と位置付けていた千秋楽の取組で電車道の相撲を取られたことには心底動揺しており、引退する方向に気持ちが傾いていることを匂わせた[34]。だがこの時点で7歳となる長女に「お相撲さんでいてほしい。普通のお父さんになってほしくない」と言われて翻意し、現役続投を明示。3月場所は幕下で取ることが確定的だが「出てマイナスになることはない。少しも悔いが残らない状態で終わりたい」と話した[35]

引退

2020年3月場所は6番相撲の千代鳳戦で4敗目を喫して負け越しを確定させたが、報道では現役引退せずに翌場所以降に関取復帰を懸けることが示唆された[36]。しかし場所後の4月17日に現役を引退して年寄・井筒を襲名することが発表された[37]。豊ノ島は引退発表後、マスコミの電話取材に応じて「(春場所で)負け越したら辞めると決めていた」「もう一回琴奨菊と当たりたかった」などと語った[38]。最終場所は2019新型コロナウイルス感染拡大の影響で無観客場所となった上に引退会見も行われず、元三役としては寂しい幕引きとなった[39]。家族は引退に抵抗があったが、豊ノ島が妻に「体壊れたらどうするの?」と話すと妻は泣きながら引退の意向を受け入れた[40]。引退に際して師匠の時津風は「ここまでよくケガを乗り越えて頑張ったと思う」と労い「教え方もうまいし、経験したことを親方として指導してもらいたい」と指導者として歩む今後に期待を寄せた[41]。一部報道からは、新型コロナウイルス流行の影響で気力を保てず引退に至ったのではないか、とする考察が見られた[42]

引退後

7月場所5日目の幕内取り組みでNHK大相撲中継解説デビューを果たす。相撲の技術にも話術にも長けており、的確に取組を分析していく解説は好評であった[31]

略歴

  • 初土俵:2002年1月場所
  • 新十両:2004年5月場所
  • 新入幕:2004年9月場所
  • 新小結:2007年5月場所
  • 新関脇:2008年9月場所
  • 引退:2020年3月場所[注 6]

取り口

相手の懐に潜り込み、鋭い左差しやもろ差しを決めての速攻相撲を得意とする。小さい体であるにもかかわらずまともに胸を出すような立合いをするのが弱点であるが裏を返せば169cmの小兵でありながら胸から当たっても幕内で通用するという意味であり、元和歌乃山は「176cmの僕より小さいのに胸から行く立合いをするので、それを考えれば器用だ」と評していた[43]。豊ノ島の体質について尾崎勇気(元関脇・隆乃若)は「腰が強く柔らかいので土俵際でよく残された」と現役時代の取組の感触に基づき証言している[43]浦風は「内容的にはケガをしてもおかしくない相撲だね。見ていてヒヤッとするからね。土俵際であんなにエビ反って大丈夫か」と心配しつつ「そこが余裕になってしまっているから。残れるというね。そこがこの男の持ち味と言えばそうなんだけど」と反り腰・残り腰の強さを評している。[44]朝日山(元関脇・琴錦)は2016年3月場所前の記事で、二本に入った時に肘を曲げているので小手投げを食いにくい点、腹を使って圧力をかけることが上手い点、中に入れない時に安易に組まずに間合いを取る点などが特徴として挙げられている[45]。同じ記事では、下半身は硬いがどんな状況でも足が揃わず腹にためを作って必ず前に足を出していることにも触れている[45]。怪我で幕下に落ちた際に「どうせなら最後ぐらい前に出る相撲で悔いなく終わろう」と意識が変わり、自ら突進して攻める相撲に変わった[46]。引退に際しては「自分が、めちゃくちゃ(稽古を)やるタイプではないというのは理解している」と稽古態度について自覚するところを語っていた[47]

エピソード

取組関連

  • 琴ノ若親子と対戦経験がある。とは2勝0敗(うち一番は豊ノ島が十両在位時)、息子とは1勝1敗(2020年1月場所現在…幕下同士と十両同士で一番ずつ)[48]
  • 2020年1月場所9日目の蒼国来戦は2人合わせて72歳の高齢対決となった[49]。因みに蒼国来はこの時点で36歳0ヶ月と、同時点で36歳6ヶ月と関取最年長であった豊ノ島に次ぎ現役関取中2位の年長力士であった。

取組以外の相撲関連

  • 15代時津風の付き人を務めた時期があり、個人的には可愛がられた弟子の立場であった[6]。しかし2007年に時津風部屋力士暴行死事件が発覚、15代時津風が相撲協会を解雇されて以降は会うことはなかった。被害者力士に暴行を加えた兄弟子3人について、2008年2月9日に行われた福祉大相撲に参加した際に時天空が「親方からの指示があったと思う。3人は将来があるのにかわいそう」と述べ、豊ノ島は「3人の分まで相撲に集中したい」と語った[50]。2014年8月に15代時津風の訃報を聞いた際には「相撲人生を左右する時期に、いい意味で厳しく育ててもらった。山本さんのおかげで関取になれたので」と述懐している[51]
  • 現役終盤期こそ家族の絆を重視していたが、2010年11月場所の白鵬との優勝決定戦の際はまだ独身であり現在の自身の家族はまだ存在しなかったためか、土俵上で孤独を感じていたという[47]
  • 遅くとも2014年頃から、土佐料理店が贈呈した舟盛りの描かれた化粧廻しを使用[52]
  • 2014年7月場所から、中村部屋出身の元十両・彩豪から贈られた鉄紺色の締め込みを使用している。未使用のままだった締め込みを1本譲り受けたもので、体格は彩豪のほうが身長、体重とも大きいが、長さに問題はなく、同年6月に行われた部屋の合宿で体に馴染ませてから使用している。なお、初めて着用したこの場所は10勝5敗の二桁勝ち星を挙げた[53]
  • 2015年のインタビューにおいて、一番の宝物はであると答え、同時に若い衆に対しては外出する時に帽子で髷を隠さないように呼びかけた。またもし自分が女性だったら子供の頃の憧れでヒーローだった貴乃花や人間性の素晴らしい白鵬と結婚したいとも話していた[54]
  • 2016年1月場所千秋楽、豪栄道に勝って優勝を決めた琴奨菊に豊ノ島は東の花道で迎え、両肩に手を回しながら「よかったね」とライバルの初優勝を祝福した。一方で「(琴奨菊は)優勝してくれて一番うれしい相手だが、優勝されて一番悔しい相手」と複雑な心境も吐露していた[55][56]
  • 2017年5月場所に「辞めるという選択肢も出るかもしれない」と師匠の時津風に報告、「自分で決めていい」という回答を得ていた。しかし「トト、お相撲辞めないで」と4歳の娘に訴えられたことと夫人の励ましもあり土俵に上がり続け、2018年9月場所の6勝1敗の成績で再十両復帰となった[57]。2018年11月場所8日目、沙帆夫人との電話で2016年10月以来は2年間ほど無縁だった月給が入ってきたことを知った[58]。「給料が入りました。ありがとうございます」との報告に「買いたいものも我慢させて苦労をかけた。男として家族として仕事できた。うれしい」と感慨深い思いを述べている[59]
  • アキレス腱断裂で幕下に陥落してから、琴奨菊からは電話で「お前の双差しは、俺が研究しても許した。負け越したって大丈夫。自信持って」と、白鵬からも「地力があっても心技体のどれかが欠けていると勝てない。特に心ですよ」と励まされた[23]
  • 2018年11月場所は取組が終わると毎日のように部屋に戻る前にラーメンを食べていたが、それから1年ほど体調管理のために夕方のラーメンは控えていた。ラーメンを楽しみにしている、若い伸び盛りの付け人には食べさせて自分は店の外で待っていたという[60]
  • 2019年1月場所4日目、第72代元横綱・稀勢の里が長引く怪我が完治せず成績不振の為、横綱在位12場所の短命で引退表明(幕内では39回対戦し、豊ノ島の9勝30敗)。その報道に豊ノ島は「横綱が決めた事だけど、何とかまだまだやって欲しかった」と惜しんだ。稀勢の里との幕内対戦成績はその1月場所前、ライバル・琴奨菊らと出稽古した際相撲談議に花が咲き、稀勢の里が「相撲ってやっぱり楽しいっす、やめられないっすよね」と無邪気な笑みを浮かべながら話した事を披露。「楽しかったし、次の3月場所も合同稽古をしようと話していた。あの時もまだ長く相撲を取れると感じたし、本当にやりたいんだなって思ってたからね…」と残念そうに語っていた[61]
  • 引退から日が浅い2020年7月場所前の記事によると、親方として教え魔気質があることを自認している[62]

メディア出演

趣味・嗜好・交友

その他

  • 女優ミラ・ジョヴォヴィッチ好角家の一面があり、2014年11月2日に放送されたテレビ朝日系の日曜洋画劇場バイオハザードV リトリビューション』の中で紹介されたインタビューでは「ダイキ(豊ノ島)が大好き!」と答えている。当の豊ノ島はジョヴォビッチと一切面識が無かったものの、そのインタビューを見た豊ノ島は同月3日にブログで感激報告するに至った。[67]
  • 白鵬が2010年に小、中学生を対象とした相撲大会「白鵬杯」を創設したのに追随して自身も地元・高知で相撲大会「豊ノ島杯」を創設した。白鵬は豊ノ島の引退の際に「私が2010年に白鵬杯を始めた後、すぐに行動したのも豊ノ島関のすごさだと思う」と豊ノ島の人間性に触れ「そういう明るさがあって、人のよさもあって人間としても好きでしたね」としみじみ話した。白鵬は「豊ノ島杯」を創設した豊ノ島を「今後の相撲道発展のために絶対必要な人だと思います」とまで評していた[68]

主な成績

2020年3月場所終了現在

通算成績

  • 通算成績:703勝643敗68休(109場所)
  • 通算勝率:.524
  • 幕内成績:493勝524敗48休(71場所)
  • 幕内勝率:.485
  • 三役在位:13場所(関脇5場所、小結8場所)

各段優勝

  • 十両優勝:2回(2005年9月場所、2010年9月場所)
  • 序二段優勝:1回(2002年5月場所)
  • 序ノ口優勝:1回(2002年3月場所)

三賞・金星

  • 三賞:10回
    • 殊勲賞:3回(2007年9月場所、2008年7月場所、2016年1月場所)
    • 敢闘賞:3回(2007年1月場所、2008年5月場所、2010年11月場所)
    • 技能賞:4回(2007年1月場所、2009年11月場所、2010年11月場所、2012年3月場所)
  • 金星:4個
    • 白鵬1個(2007年9月場所)
    • 日馬富士3個(2013年3月場所、2014年5月場所、2015年3月場所)

場所別成績

豊ノ島 大樹
一月場所
初場所(東京
三月場所
春場所(大阪
五月場所
夏場所(東京)
七月場所
名古屋場所(愛知
九月場所
秋場所(東京)
十一月場所
九州場所(福岡
2002年
(平成14年)
(前相撲) 西序ノ口32枚目
優勝
7–0
西序二段26枚目
優勝
7–0
東三段目30枚目
5–2 
東三段目5枚目
3–4 
東三段目17枚目
4–3 
2003年
(平成15年)
西三段目6枚目
7–0 
西幕下10枚目
2–5 
西幕下27枚目
3–4 
東幕下34枚目
5–2 
西幕下21枚目
4–3 
東幕下17枚目
5–2 
2004年
(平成16年)
西幕下7枚目
4–3 
西幕下4枚目
5–2 
西十両13枚目
11–4 
東十両4枚目
11–4 
西前頭15枚目
6–9 
東十両筆頭
8–7 
2005年
(平成17年)
東前頭17枚目
8–7 
東前頭13枚目
7–8 
西前頭13枚目
6–9 
東前頭16枚目
6–9 
西十両筆頭
優勝
14–1
東前頭8枚目
7–8 
2006年
(平成18年)
西前頭9枚目
7–8 
西前頭10枚目
6–9 
東前頭13枚目
8–7 
東前頭11枚目
9–6 
西前頭6枚目
4–11 
西前頭10枚目
8–7 
2007年
(平成19年)
西前頭9枚目
12–3
西前頭筆頭
8–7 
東小結
4–11 
西前頭4枚目
7–8 
東前頭5枚目
8–7
東前頭4枚目
9–6 
2008年
(平成20年)
東前頭2枚目
6–9 
西前頭3枚目
6–9 
西前頭5枚目
11–4
西小結
10–5
西関脇
6–9 
東前頭筆頭
9–6 
2009年
(平成21年)
西小結
2–6–7[注 9] 
西前頭6枚目
8–7 
西前頭3枚目
5–10 
東前頭7枚目
8–7 
東前頭4枚目
7–8 
東前頭5枚目
11–4
2010年
(平成22年)
東前頭筆頭
8–7 
西関脇
6–9 
東前頭筆頭
5–10 
東前頭5枚目
出場停止
0–0–15
西十両筆頭
優勝
14–1
西前頭9枚目
14–1[注 10]
2011年
(平成23年)
東前頭筆頭
8–7 
八百長問題
により中止
西小結
5–10 
西前頭2枚目
9–6 
東小結
8–7 
東小結
9–6 
2012年
(平成24年)
西関脇
5–10 
東前頭4枚目
11–4
東関脇
7–8 
西小結
5–10 
西前頭3枚目
6–9 
西前頭6枚目
11–4 
2013年
(平成25年)
東前頭2枚目
6–9 
東前頭4枚目
7–8
西前頭4枚目
7–8 
西前頭5枚目
6–9 
西前頭7枚目
8–7 
西前頭2枚目
8–7 
2014年
(平成26年)
東前頭筆頭
8–7 
東小結
5–10 
西前頭4枚目
4–9–2[注 11]
西前頭10枚目
10–5 
西前頭2枚目
6–6–3[注 12] 
東前頭6枚目
8–7 
2015年
(平成27年)
東前頭4枚目
7–8 
東前頭5枚目
8–7
東前頭2枚目
4–11 
西前頭7枚目
7–8 
西前頭8枚目
10–5 
東前頭3枚目
5–9–1[注 13] 
2016年
(平成28年)
東前頭7枚目
12–3
西関脇
3–12 
東前頭7枚目
5–10 
東前頭11枚目
休場[注 14]
0–0–15
東十両8枚目
休場[注 14]
0–0–15
西幕下7枚目
4–3 
2017年
(平成29年)
西幕下6枚目
6–1 
東幕下2枚目
1–5–1 
東幕下19枚目
3–4 
東幕下28枚目
5–2 
西幕下17枚目
4–3 
西幕下13枚目
5–2 
2018年
(平成30年)
東幕下5枚目
0–3–4 
西幕下35枚目
6–1 
東幕下14枚目
5–2 
西幕下7枚目
5–2 
西幕下筆頭
6–1 
東十両13枚目
11–4 
2019年
(平成31年
/令和元年)
西十両5枚目
10–5 
西前頭14枚目
5–10 
東十両筆頭
8–7 
東前頭14枚目
7–8 
西前頭14枚目
1–9–5[注 15] 
西十両8枚目
6–9 
2020年
(令和2年)
東十両11枚目
4–11 
東幕下2枚目
2–5 
新型コロナウイルス
拡大により中止
西幕下7枚目
引退
––
x x
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。    優勝 引退 休場 十両 幕下
三賞=敢闘賞、=殊勲賞、=技能賞     その他:=金星
番付階級幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口
幕内序列横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列)

合い口

(以下は最高位が横綱・大関の現役力士)

  • 横綱・白鵬には2勝31敗(この他、優勝決定戦での1敗がある)。白鵬の大関在位中は2敗。白鵬の横綱昇進後は2勝29敗。2007年9月場所の勝利は、自身初金星だっただけでなく、白鵬にとっても初めての金星配給だった。2010年11月場所で幕内最高優勝決定戦を戦い黒星。直近の白星は2012年5月場所で、決まり手は首投げ。
  • 横綱・鶴竜には9勝16敗。鶴竜の大関在位中は2勝5敗。鶴竜の横綱昇進後は1勝2敗。直近の白星は2016年3月場所で、決まり手は寄り切り。
  • 元大関・照ノ富士には4勝4敗。照ノ富士の大関在位中は1勝1敗。
  • 元大関・髙安には7勝5敗。髙安の大関在位中は対戦なし。
  • 元大関・栃ノ心には8勝8敗。栃ノ心の大関在位中は対戦なし。

(以下は最高位が横綱・大関の引退力士)

  • 元横綱・朝青龍には2勝7敗だった。2008年7月場所と9月場所で2連勝した。
  • 元横綱・日馬富士には9勝35敗だった。日馬富士の大関在位中は3勝12敗。日馬富士の横綱昇進後は4勝9敗。最後の対戦となった2016年3月場所は押し倒しで勝利した。
  • 元横綱・稀勢の里には9勝30敗で、稀勢の里の大関在位中は3勝14敗。但し稀勢の里の横綱昇進後、豊ノ島は十両・幕下に陥落の為一度も対戦が無かった。最後の白星は2015年11月場所で、勝利の決まり手は押し出しだった。
  • 元大関・千代大海には6勝2敗と大きく勝ち越した。2007年3月場所の初対戦から5連勝を記録したが、6回目の対戦となった2008年9月場所で初黒星。
  • 元大関・出島とは、出島の大関陥落後に対戦して9勝4敗だった。2009年7月場所の対戦は、出島の現役最後の一番となった。
  • 元大関・雅山とは、雅山の大関陥落後に対戦して6勝5敗だった。
  • 元大関・魁皇には8勝7敗と勝ち越した。2011年7月場所の対戦は、魁皇が当時の史上最多記録である通算1045勝に並ぶ白星を挙げた取組となり、これが最後の対戦となった。
  • 元大関・琴欧洲には16勝16敗と互角の成績だった。琴欧洲の大関在位中は15勝14敗と勝ち越した。
  • 元大関・琴光喜には4勝12敗だった。琴光喜の大関在位中は3勝9敗。
  • 元大関・把瑠都には4勝18敗だった。把瑠都の大関在位中は3勝9敗。
  • 元大関・琴奨菊には13勝27敗(不戦勝による1勝と不戦敗による1敗を含む)だが、琴奨菊の大関在位中は8勝8敗(不戦勝による1勝を含む)と互角だった。2016年1月場所の白星は、この場所を14勝1敗で優勝した琴奨菊にとって唯一の黒星だった。
  • 元大関・豪栄道には15勝14敗(不戦敗による1敗を含む)と勝ち越しているが、豪栄道の大関昇進後は5敗(不戦敗による1敗を含む)。直近の白星は2014年1月場所で、決まり手は下手投げ。
  • 最高位が関脇以下の力士との幕内での対戦成績は以下の通りである。
力士名 勝数 負数 力士名 勝数 負数 力士名 勝数 負数 力士名 勝数 負数
関脇
碧山 6 8 朝赤龍 7 7 安美錦 20 20 阿覧 7 4
2 4 逸ノ城 1 1 隠岐の海 9 7 魁聖 6 2
旭天鵬 9 11 琴ノ若 1 0 琴勇輝 3 3 隆乃若 4 1
大栄翔 1 0 宝富士 5 4 豪風 8 18 玉春日 7 2
玉乃島 8 3 玉鷲 9 6 土佐ノ海 2 2 栃煌山 10 17
栃乃洋 4 4 追風海 1 0 北勝力 5 0 御嶽海 0 1
妙義龍 5 6 嘉風 15(1) 10(1) 若の里 7 6
小結
岩木山 4 4 遠藤 5 3 阿武咲 1 0 海鵬 2 2
臥牙丸 7 3 垣添 4 3 旭鷲山 2 1 黒海 5 3
常幸龍 2 2 松鳳山 6 6(1) 高見盛 9 7 千代鳳 1 1
千代大龍 7 3 闘牙 0 1 栃乃花 3 0 普天王 10 6
豊真将 10 8 露鵬 3 2 竜電 0 1 若荒雄 3 0
前頭
東龍 1 1 安壮富士 1 0 阿夢露 2 0 荒鷲 1 0
石浦 0 2 潮丸 2 0 炎鵬 0 1 皇司 3 1
大砂嵐 1 3 鏡桜 1 0 1 2 春日王 7 2
春日錦 3 1 片山 0 3 北桜 4 0 北太樹 8 5
木村山 1 0 旭秀鵬 1 3 琴恵光 0 1 琴龍 1 1
佐田の海 2 3 佐田の富士 1 0 里山 1 0 十文字 2 7
駿傑 3 1 翔天狼 5 0 青狼 2 0 蒼国来 3 0
大翔鵬 1 1 大真鶴 1 0 貴源治 1 1 貴ノ岩 0 1
隆の鶴 0 1 玉飛鳥 3 0 千代翔馬 0 1 千代白鵬 0 1
千代丸 2 1 剣翔 0 1 照強 1 1 德勝龍 3 3
德瀬川 2 0 栃栄 1 0 栃乃若 3 1 友風 0 1
豊桜 5 5 豊響 8 4 錦木 1 2(1) 白露山 0 5
英乃海 2 0 富士東 3 0 武州山 3 1 武雄山 4 3
誉富士 3 1 舛乃山 1 0 猛虎浪 3 0 矢後 1 1
山本山 0 1 琉鵬 0 1 若隆景 0 1 若兎馬 2 0
若ノ鵬 1 0
※カッコ内は勝数、負数の中に占める不戦勝、不戦敗の数。太字は2020年11月場所終了現在、現役力士

メディア出演

テレビ

  • バース・デイ「人気力士が大ケガで引退危機…妻子に支えられ復活を目指す激動の日々」(2018年12月1日、TBS

Web配信

改名歴

  • 梶原 大樹(かじわら だいき)2002年1月場所 - 2002年5月場所
  • 豊ノ島 大樹(とよのしま - )2002年7月場所 -

年寄変遷

  • 井筒 大樹(いづつ だいき)2020年4月-

関連項目

脚注

注釈

  1. ^ 2020年5月場所が中止となり、中止決定時点で既に発表されていた同場所の番付が翌7月場所に持ち越されたため
  2. ^ 2017年5月12日に朝赤龍が現役を引退し「錦島」を襲名した時に、元朝赤龍がこの名跡を継承(取得)していることが日本相撲協会の平成29年度の事業報告書で確認でき、豊ノ島が名跡を手放したことが明らかになった
  3. ^ 『相撲』2013年11月号56頁の紹介欄には「今や巡業で申し合いやぶつかり稽古を行う姿がほとんど見られない」と記述されていた。
  4. ^ 場所直前に祖母が死去し、葬儀が場所初日に行われる不穏な状況の中で勝ち越しを果たした。
    豊ノ島、亡き祖母との約束果たす/九州場所 SANSPO.COM 2013.11.23 20:43
  5. ^ 『大相撲ジャーナル』2016年1月号34頁によると、花道のモニターを見て「かかとの感覚はなかった」と判定に釈然としない様子であった。
  6. ^ なお、現役引退表明が番付編成会議後であったため、2020年5月場所の番付には四股名が記載されている。
  7. ^ 2013年6月30日放送の『行列のできる法律相談所』での再現VTRによると、収録前日の妻との会話で「適当に踊ればいいよね」と言ったところ、「完璧に覚えてバチンと決めて来い!」と叱責され、夜中にPVを見ながら猛練習したという。
  8. ^ 当日は11月場所番付発表日で、場所入りが義務付けられており「その日のうちに福岡入りすること」を条件として特別に許可が下りて新宿・スタジオアルタでの生放送に出演した。『相撲』2013年11月号89頁
  9. ^ 左肘内側側副靱帯損傷により8日目から途中休場
  10. ^ 白鵬と優勝決定戦
  11. ^ 急性腰痛症により13日目から途中休場
  12. ^ 左膝内側側副靭帯損傷により2日目から途中休場。6日目から再出場
  13. ^ 左足底筋断裂により14日目から途中休場
  14. ^ a b 左アキレス腱皮下断裂により全休
  15. ^ 右アキレス腱付着部症、右アキレス腱周囲炎のため10日目から休場

出典

  1. ^ 豊ノ島大樹 日本相撲協会公式サイト
  2. ^ 「まわし? 見えたら…」勢と豊ノ島が爆笑トーク 日刊スポーツ 2019年3月2日14時28分(日刊スポーツ新聞社、2019年4月25日閲覧)
  3. ^ 豊ノ島が歌手竹内沙帆と「ニコニコ婚」 nikkansports.com 2011年2月6日8時12分 紙面から
    因みに婚姻届の提出は「ニコニコ」の語呂合わせとして時間を見計らって2011年2月5日午前2時5分、東京・墨田区役所で行った。
  4. ^ 豊ノ島と国沢志乃 高知出身のはとこ2人「悔いなき競技人生を」 高知新聞 2015年12月31日 紙面から
  5. ^ a b c d e 北辰堂出版『昭和平成 大相撲名力士100列伝』(塩澤実信、2015年)208ページから209ページ
  6. ^ a b 時事ドットコム:恩情派親方の不覚=亡くなった山本さん(2014年8月12日)”. web.archive.org (2014年8月20日). 2019年6月23日閲覧。
  7. ^ 野球賭博の捜査終結 書類送検力士らは36人に 警視庁 asahi.com 2011年3月4日
  8. ^ 野球賭博 琴光喜ら27人書類送検 Sponichi Annex 2011年3月4日
  9. ^ ベースボール・マガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(5) 時津風部屋』p44
  10. ^ 平幕・豊ノ島が左膝のけがで休場 NHK 9月15日 11時39分
  11. ^ 【白星黒星】松鳳山、大砂嵐の突きを顔面に浴び「あれは意識を失います」 SANSPO.COM 2014.9.22 20:02
  12. ^ 豊ノ島 優勝に望み繋ぐも左膝痛めた デイリースポーツ online 2016年1月24日
  13. ^ 豊ノ島、栃煌山に敗れる!3敗目喫しVレース脱落 スポーツ報知 2016年1月24日 17時4分
  14. ^ 豊ノ島が休場へ アキレス腱断裂、十両転落確実”. 2016年7月4日閲覧。
  15. ^ 『大相撲ジャーナル』2017年2月号24ページ
  16. ^ Sports Graphiv Number PLUS April 2017(文藝春秋、2017年4月10日)p51
  17. ^ a b 東京新聞 2016年11月10日 夕刊
  18. ^ 豊ノ島復活!左アキレス腱断裂から3カ月半 地元大歓声に感謝 Sponichi Annex 2016年10月23日 05:30
  19. ^ 豊ノ島 幕下からの再起で幕内優勝狙う「歴史に残る力士に」 Sponichi Annex 2016年11月4日 05:30
  20. ^ 豊ノ島勝ち越しにホッ!夫人からの“別居通告”回避 日刊スポーツ 2016年11月24日16時7分
  21. ^ 元時天空告別式、“年下の兄弟子”豊ノ島が涙「天から空から見守って下さい」 Daily Sports Online 2017.2.7
  22. ^ 豊ノ島、現役続行宣言「あきらめてない」初白星 日刊スポーツ 2017年3月24日22時21分
  23. ^ a b 毎日新聞2017年6月6日 東京朝刊
  24. ^ 『大相撲ジャーナル』2018年9月号 p.48-49
  25. ^ 豊ノ島、家族3ショット笑顔で十両復帰報告「いろんな方々から励まし、支えてもらいました」 2018年9月26日23時55分 スポーツ報知(報知新聞社、2018年9月29日閲覧)
  26. ^ 豊ノ島 13場所ぶり関取復帰 亡き弟弟子を思いしみじみ「時天空が後押ししてくれたのかな」 Sponichi Annex (スポーツニッポン新聞社、2018年9月29日閲覧)
  27. ^ “再入幕男”だ!豊ノ島 16場所ぶり幕内復帰「やっぱりうれしい」 Sponichi Annex 2019年2月26日 05:30(スポーツニッポン新聞社、2019年3月1日閲覧)
  28. ^ 豊ノ島が負け越し決定「力んだかな」残り4日に全力 日刊スポーツ 2019年3月20日17時18分(日刊スポーツ新聞社、2019年3月23日閲覧)
  29. ^ 豊ノ島10敗目で幕内残留絶望的 納得いく相撲を 日刊スポーツ 2019年3月22日17時40分 (日刊スポーツ新聞社、2019年3月23日閲覧)
  30. ^ 豊ノ島「負けてるかなと」令和初の差し違えで4連勝 日刊スポーツ 2019年5月17日17時29分(日刊スポーツ新聞社、2019年5月19日閲覧)
  31. ^ a b 元関脇豊ノ島、スーツでNHK相撲中継解説デビュー 日刊スポーツ 2020年7月23日20時51分(2020年7月26日閲覧)
  32. ^ 最年長関取の36歳豊ノ島が3場所連続負け越し 日刊スポーツ 2019年11月23日16時46分(2019年11月25日閲覧)
  33. ^ 豊ノ島6勝9敗で令和元年締め「世代交代の1年」 日刊スポーツ 2019年11月24日16時48分(2019年11月25日閲覧)
  34. ^ 豊ノ島、幕下陥落が決定的「やりきった気持ちある」 日刊スポーツ 2020年1月26日16時1分(2020年1月26日閲覧)
  35. ^ 関取最年長の豊ノ島、現役続行を明言 長女から「お相撲さんでいて」と言われ翻意 Sponichi Annex 2020年2月2日 05:30(2020年2月2日閲覧)
  36. ^ 豊ノ島「あと1番」来場所の関取復帰消滅も前向く 日刊スポーツ 2020年3月18日16時22分(2020年3月18日閲覧)
  37. ^ "引退および年寄襲名のお知らせ" (HTML) (Press release). 日本相撲協会. 17 April 2020. 2020年4月17日閲覧 {{cite press release2}}: 不明な引数|trans_title=が空白で指定されています。 (説明)
  38. ^ "現役引退の元関脇・豊ノ島、同世代の琴奨菊と「もう一回やりたかった」". スポーツ報知. 報知新聞社. 17 April 2020. 2020年4月17日閲覧
  39. ^ 豊ノ島の相撲道支えた「家族愛」 引退会見なく、さみしい幕切れ zakzak 2020.4.18(2020年4月20日閲覧)
  40. ^ a b 元豊ノ島の井筒親方が37歳の誕生日 現役引退後は「ザ・現役と親方の間の日々」 2020年6月26日 17時17分スポーツ報知(2020年6月30日閲覧)
  41. ^ 引退豊ノ島は「相撲巧者で相撲好きな力士」師匠エール 日刊スポーツ 2020年4月17日20時22分(2020年4月21日閲覧)
  42. ^ 元関脇・豊ノ島が引退表明…コロナ廃業のアスリートが続々 日刊ゲンダイDIGITAL 2020/04/18 11:50(2020年6月28日閲覧)
  43. ^ a b 『大相撲ジャーナル』2014年4月号56頁から57頁
  44. ^ 『大相撲ジャーナル』2016年4月号58頁
  45. ^ a b 『大相撲ジャーナル』2016年4月号26-27頁
  46. ^ 豊ノ島、前に出て1敗も35歳で味わう相撲の楽しさ 日刊スポーツ 2019年3月11日18時12分(日刊スポーツ新聞社、2019年3月13日閲覧)
  47. ^ a b 引退豊ノ島「もう1回、菊とやりたかった」一問一答 日刊スポーツ 2020年4月17日19時30分(2020年5月8日閲覧)
  48. ^ 【大相撲記録】親子2代と対戦した力士
  49. ^ 2力士で72歳、豊ノ島が蒼国来とのシニア対決制す 日刊スポーツ 2020年1月20日17時39分(2020年1月28日閲覧)
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外部リンク