「ジェンダーフリー」の版間の差分
編集の要約なし |
|||
(100人を超える利用者による、間の756版が非表示) | |||
1行目: | 1行目: | ||
{{混同|ジェンダー・ブラインド}} |
|||
'''ジェンダーフリー'''(gender-free)とは、文化的・社会的文脈における「男」「女」の性のイメージや役割である[[ジェンダー]]にとらわれず、個々人それぞれが自分らしく個人としての資質に基づいて果たすべき役割を自己決定出来るようにしようという、「ジェンダーからの自由を目指す」思想、および、この思想に基づいた運動を指す。 |
|||
{{Otheruses||SDGsの目標5|ジェンダー平等}}{{複数の問題 |
|||
| 出典の明記 = 2021年1月28日 (木) 07:11 (UTC) |
|||
| 更新 = 2021年1月28日 (木) 07:11 (UTC) |
|||
| 観点 = 2021年1月28日 (木) 07:11 (UTC) |
|||
}} |
|||
'''ジェンダーフリー'''([[ラテン文字]]表記:{{lang|ja-Latn|gender-free}})は、当初は「従来の固定的な性別による役割分担にとらわれず、男女が[[平等]]に、自らの能力を生かして[[自由]]に行動・生活できること」との意味であった[[和製英語]]である<ref>『デイリー新語辞典』(三省堂)</ref>。「社会的性別にこだわらない」という程度の平易な意味で作り出された和製英語であった。しかし、「ジェンダーフリー」という言葉は、日本における多くの[[外来語]]のように由来の言葉とは異なる意味でも用いられ、[[多義語|多義]]な意味を持つようになった。これを踏まえて、2004年に東京都が「ジェンダーフリー」の用語を使わないとし、2006年に[[男女共同参画局]]も[[地方公共団体]]に対して「用語をめぐる[[誤解]]や[[混乱]]を解消するため、今後はこの用語を使用しないことが適切」との事務連絡通知を出し、公機関による使用が控えられるようになった<ref name="renraku_20060131">[https://www.gender.go.jp/kaigi/senmon/kihon/siryo/pdf/kiI25-sankou.pdf 「ジェンダーフリーについて」男女共同参画局 事務連絡 2006年1月31日]より引用</ref>。2015年、SDGsでは[[男女同権|ジェンダー平等]]と呼ばれている。また、[[ジェンダー中立性]]とも言う<ref>{{Cite web |title=SDGs目標5ジェンダー平等とは |url=https://www.worldvision.jp/children/join_23.html#d0e9d87eb78fa54e47cd213ca7606442 |accessdate=2024.5.27 |publisher=world vision}}</ref>。 |
|||
== ジェンダーフリー概念の成立 == |
== 「ジェンダーフリー概念」の成立や事例 == |
||
{{出典の明記|date= 2021年1月28日 (木) 07:11 (UTC)|section= 1}} |
|||
上記の意味での「ジェンダーフリー」という和製英語は、日本国内でのみ用いられている。日本で行われているジェンダーフリー運動の考え方は、英語圏でいう「ジェンダー・イクォリティ」運動に近い。「gender-free」という言葉自体は、アメリカの教育学者バーバラ・ヒューストンが用いたとされているが、ヒューストンはこの言葉を「ジェンダーの存在を意識しない」という意味で使用しており、かつ、「ジェンダーフリーよりも、ジェンダーに起因する差別や格差に敏感な視点を常に持って教育を進めるべきだ」という批判的な文脈で使った言葉である。すなわち、日本において「ジェンダーからの自由を目指す」思想や運動に「ジェンダーフリー」という語が用いられたのは、本来の意味と異なる誤用であった。 |
|||
:<small>(なお、フェミニストの山口智美は、『「ジェンダー・フリー」をめぐる混乱の根源』の中で以下のように述べている。<br/>『私は10年以上、アメリカの大学院でフェミニズムを専門としてきたが、「ジェンダー・フリー」という言葉は聞いたことがなかった。「ジェンダー・フリー」の「フリー」は、日本で一般に理解されているような「~からの自由」という意味より、英語では「~がない」という意味合いが強い。アルコールフリービール、オイルフリーファンデーションなどを例にとるとお分かりいただけるだろう。アメリカ人のフェミニスト学者数名に、「ジェンダー・フリー」について聞いてみたところ、「何それ?ジェンダー・ブラインドって意味なの?」という反応が返ってきた。彼女たちは、「ジェンダーを見ようとしない。ジェンダーが見えていない」という意味にとった。つまり、ジェンダー・フリーを、男女平等に対して否定的な意味合いを持つ用語と解釈したのである。』)</small>[http://homepage.mac.com/tomomiyg/gfree1.htm] |
|||
=== 思想的背景・社会主義との関係 === |
|||
「ジェンダーフリー」は、[[フェミニズム]]運動の一環として、あるいはその考え方を中心にした文脈で理論・運動が展開されることが多い。ただし、フェミニストのすべてがジェンダーフリー賛同派というわけではない。 |
|||
日本語における「ジェンダーフリー」の理論的・思想的背景については、[[社会学者]]の[[江原由美子]]によれば[[社会主義]]の[[イデオロギー]]から来ている<ref>『フェミニズムの名著50』</ref>。 |
|||
「ジェンダーフリー」的な思想の発祥はフランスの社会主義者[[フランソワ・マリー・シャルル・フーリエ]]によって提唱された、家族廃止・家事労働の共同化等「ファランステール」という生活集団に見られるとの意見がある<ref>『フェミニズムの歴史』</ref>。 |
|||
男性に対する文化的圧力を問題とする「[[男性学]]」「[[メンズリブ]]」「[[マスキュリズム]]」などの活動を行う層にも、ジェンダーフリー運動に賛同する者は多い。また、[[クィア]]と呼ばれる、同性愛など性的マイノリティーに属する層の中にも運動に賛同する者がいるが、この層では、本来の「ジェンダーフリー」の意味から離れ、独自の政治的意味を付加する論も存在する。 |
|||
1922年に建国された[[ソ連]]では当初は、[[アレクサンドラ・コロンタイ]]が家族廃止、家事労働の共同化等ような意味での「ファランステール」に似たジェンダーフリー政策を打ち出した。しかし、この政策は失敗に終わり、1934年にはソ連政府も根本的見直しをすることになった(ニコラス・S・ティマシェフ「ロシアにおける家族廃止の試み」){{Efn|ジェンダーフリーと社会・共産主義の結びつきについては、安藤紀典『マルクス主義の女性解放論』が詳しい。}}。 |
|||
=== 関連リンク === |
|||
* [http://homepage.mac.com/tomomiyg/gfree1.htm 「ジェンダー・フリー」をめぐる混乱の根源](山口智美:シカゴ大学東アジア研究センターポストドクトラル研究員) |
|||
===gender-blindの意味の変遷と問題=== |
|||
== ジェンダーフリー運動とそれをめぐる状況 == |
|||
[[英語圏]]では「従来の固定的な性別による役割分担にとらわれず、男女が[[平等]]に、自らの能力を生かして[[自由]]に行動・生活できること」という「意味」を指す言葉として、'''gender-blind(社会的性別)、gender-equality(社会的性別平等)'''などの語が用いられていた<ref name="yamaguchi" />。ただし、2021年にはオランダの自国の性別欄を2024年度以降に無くすとした[[パスポート]]は、「Gender-Blind ID」とされている<ref>{{Cite web|和書|title=男性発端のジェンダー平等活動、サステナブルな生理用品…欧州のSDGsな取り組み(FRaU編集部) |url=https://gendai.ismedia.jp/articles/-/89747 |website=FRaU {{!}} 講談社 |date=2021-11-28 |access-date=2023-06-04 |language=ja}}</ref>。このような男女の性別欄や区分を無くす「gender-blind」へは批判的な意見があり、問題になっている<ref>{{Cite journal|last=Henriques|first=Ana O.|last2=Rafael|first2=Sónia|last3=Almeida|first3=Victor M|last4=Pinto|first4=José Gomes|date=2023-04-19|title=The problem with gender-blind design and how we might begin to address it: A model for intersectional feminist ethical deliberation|url=https://doi.org/10.1145/3544549.3582750|journal=Extended Abstracts of the 2023 CHI Conference on Human Factors in Computing Systems|pages=1–12|publisher=Association for Computing Machinery|location=New York, NY, USA|doi=10.1145/3544549.3582750|isbn=978-1-4503-9422-2}}</ref>。 |
|||
===「社会的性差無視」の意味でのgender-free === |
|||
英語での「{{lang|en|gender-free}}」という言葉自体は、和製英語「ジェンダーフリー」とは意味は異なるものの、アメリカの教育学者[[バーバラ・ヒューストン]]が最初に用いたとされている。ヒューストンは「gender-free」という言葉を「ジェンダーの存在を気にしない(社会的性差は存在しないものと考える)」、社会的性差無視という意味で使用していた。そして、彼女は、ジェンダーの存在を無視する「gender-free」よりも、男女の社会的性差に起因する差別や格差に敏感な視点を常に持って教育を進めるべきだと述べた。ここように社会的性差を無いものと考える「gender-free」に賛成しないという文脈で使った<ref name="福嶋"/>。 |
|||
== 日本における「ジェンダーフリー」 == |
|||
ジェンダーフリーでは、「ジェンダー」とは文化的・社会的文脈における「男」「女」の性の役割やイメージに限定した意味で用いられている。 |
|||
「ジェンダー・フリー」という言葉の初出は、[[井上輝子]]によれば、 [[東京都女性財団]]『ジェンダー・フリーな教育のために-女性問題研修プログラム開発報告書』 (1995-96)、 『若い世代の教師のために-あなたのクラスはジェンダー・フリー?』 (1995)であり、その後、行政資料で多く使用され、 [[2002年]]に使用のピークを迎えたという<ref>{{Cite|和書|author = 若桑みどり ほか編著|title =「ジェンダー」の危機を超える!徹底討論!バックラッシュ|date=2006|publisher=青弓社 |page=68-70|ref = harv}}</ref>。 |
|||
[[山口智美 (文化人類学者)|山口智美]]は、「ジェンダー・フリー」は、この用語が日本に導入される元となったバーバラ・ヒューストンの論文の誤読であるとして、「ジェンダー・フリー」という用語の使用を疑問視している<ref name="yamaguchi">{{Cite web|和書| url = https://webfemi.wordpress.com/2011/06/14/genderfreekonrankongen/ | title = ジェンダーフリーをめぐる混乱の根源 (1) & (2)|author=山口智美 |work=くらしと教育をつなぐWe 2004年11月号&2005年1月号掲載| accessdate = 2021-10-04 }}</ref>。山口は、上記の東京女性財団の報告書で引用されているヒューストンの論文において、ヒューストンは、ジェンダー・ブラインド(ジェンダーを見ないようにする意味である)を合意する「ジェンダー・フリー」を批判し、「ジェンダー・センシティブ(ジェンダーに敏感な)教育」を支持する立場に立っていたという<ref name="yamaguchi" />。山口は、ヒューストンが提唱したわけではない用語が日本で定着していった過程を説明し、 「ジェンダー・フリー」という言葉が意識中心の問題に陥りやすいことを批判した<ref name="福嶋">{{Cite journal|和書|author=福嶋秩子 |date=2008-03 |title=「ジェンダー・フリー」ということば |journal=新潟ジェンダー研究 |volume=7 |pages=13-16 |publisher=ジェンダー視点に立った研究・教育者ネットワーク |url=http://id.nii.ac.jp/1661/00000235 |NAID=120006584612 |ref=harv }}</ref>。 |
|||
それから、ジェンダーフリーは主としてラディカル・フェミニズムの一環として、あるいはその考え方を中心にした文脈で理論、運動が展開されたため、この運動において用いられる「[[ジェンダー]]」の概念は、人文系の学問において一般的に用いられる中立的・客観的意味での「社会的文化的性別」とは異なっている。 |
|||
===ジェンダー撲滅の「ジェンダーフリー」と賛否=== |
|||
ラディカル・フェミニズムでは、「ジェンダー」は、男性と女性を平等で相互補完的に位置づけているものではなく、「男が上で女は下」「男が支配し女が従う」といった、非対称の関係として機能している、と捉えている。「ジェンダー」は男女の支配従属の関係を維持するための装置であり、また、ジェンダーを根底から規定し、女性を差別的状況におく社会的仕組みの中心をなすのが、性別役割分業であるとしている。 |
|||
本来はジェンダーフリーとは「[[ジェンダー|社会的性別(ジェンダー)]]からの離脱の自由」を認める風潮を目指すはずが、「社会的[[性別]](日本語の「ジェンダー」)そのものが悪であり、無くす必要がある」というジェンダーを撲滅させるという意味にいつしか摩り替わった。それが[[フェミニスト]]・左翼が画策した男女共同参画政策に連動した、教育現場でのジェンダー撲滅させる「ジェンダーフリー教育」が明らかになるにつれて、批判がより高まった。スポーツで男女の区別を曖昧にしたり、男性の女性トイレ使用など社会的混乱を招いた。 |
|||
内閣府男女共同参画局が言うとおり、ジェンダーそれ自体は良いものでも悪いものでも無い。だが、フェミニストの[[上野千鶴子]]が著書『ジェンダー・フリーは止まらない』(松香堂)にも収録された[[2001年]]4月15日、[[特定非営利活動法人|NPO法人]]「フィティ・ネット」設立記念フォーラムでの講演にて、「'''女は嫁に行くのが一番だ、と私は信じています'''」という意味の見解を述べることは、[[ドイツ]]で違法である'''「[[アドルフ・ヒトラー|ヒットラー]]を支援する'''」ような発言をした時のように[[犯罪]]であるべきと主張した。上野は「(中略)人種に関しては許されないことが、なぜ女に関しては言ってもいいのでしょうか。それを「思想信条の自由」のもとに許していいのか、と思います。」と聴衆に訴えかけた。このような「ジェンダーフリー」・「男女平等」・「女性の社会参画」を隠れ蓑にした、「[[思想]]の押し付け」が平然と行われていることを保守派は批判し続けている。 |
|||
すなわち、ジェンダーフリー運動における「ジェンダー」は、中立的な概念・用語ではなく、性別役割分業を階級構造であると見なし、また、これを解消すべきという意図が含まれている、政治的な概念・用語となっている。 |
|||
[[日本国政府]]の「内閣府男女共同参画局」はジェンダーフリーについて『一部に、画一的に男女の違いを無くし人間の中性化を目指すという意味で「ジェンダー・フリー」という用語を使用している人がいますが、[[男女共同参画社会]]はこのようなことを目指すものではありません』と説明している(内閣府・男女共同参画関連用語集より引用)。2003年2月27日の国会における[[福田康夫]][[内閣官房長官|官房長官]](当時)の答弁では、「ジェンダーフリーという言葉はいかなる場合でも使ってはいけないということではない」「誤解を招くような、そういう恐れあるので政府として公式に使っていない」「使用する際に、例えば地方公共団体とか関係機関において用語を適切に定義して、それが誤解なく理解されるようにする、これが大事だ」との見解を示した<ref>[https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_kaigirokua.nsf/html/kaigirokua/003115620030227001.htm#p_honbun 第164回予算委員会第一分科会 第一号] 平成15年(2003年)2月27日</ref>。 |
|||
2005年12月27日に閣議決定された男女共同参画基本計画(第2次)第 2 部 2 (2) 項で使われている『「社会的性別」(ジェンダー)の視点』の用語の補足説明 2.では、『「ジェンダー・フリー」という用語を使用して、性差を否定したり、男らしさ、女らしさや男女の区別をなくして人間の中性化を目指すこと、また、家族やひな祭り等の伝統文化を否定することは、国民が求める男女共同参画社会とは異なる』と記されている。また『児童生徒の発達段階をふまえない行き過ぎた性教育、男女同室着替え、男女同室宿泊、男女混合騎馬戦等の事例は極めて非常識である』と記載されている<ref>[https://www.gender.go.jp/about_danjo/basic_plans/2nd/index2.html 男女共同参画基本計画(第2次)]2005.12.27</ref>。[[2006年]]1月31日に[[内閣府]]男女共同参画局から各都道府県と政令指定都市の男女共同参画担当課(室)にあてて出された事務連絡には、「ジェンダーフリー」の用語をめぐる誤解や混乱を解消するために、上記の内容が基本計画に記述されたと記されており、『地方公共団体においても、このような趣旨を踏まえ、今後はこの用語は使わないことが適切と考えます』と記載されている<ref name="renraku_20060131" />。[[内閣府]]によるこの用語の不使用通知をきっかけにして千葉県の女性センターが閉鎖されるなどの新しい混乱が起きた<ref>現代用語の基礎知識2007</ref>。 |
|||
また、この運動においては、「社会に男女の区別や性差の意識があるために役割分業も発生するから、男女を分ける制度をなくしてしまおう」という考え方のもとに、男女の差異そのものを否定・相対化してしまおうという論が主張されたり、その論にしたがった政策も進められている。 |
|||
内閣府男女共同参画局の指摘する意味での「ジェンダーフリー」という用語は、[[アメリカ合衆国|アメリカ]]でも、[[日本]]政府でも、[[国際連合|国連]]でも、公式に使われていない。なお、「(生物学的な意味での)男女を区別せず処遇する」と言う意味での {{lang|en|gender-free}} は、英米軍の公式用語として使用されているし、「(生物学的な)ジェンダー(性)にかかわらない(語彙など)」という意味では使われているので「英語にない完全な[[和製英語]]」という言い方も正しくない。 |
|||
この政策では、制度面の改革と評価面の改革という二面性が存在する。<br/> |
|||
たとえば、学校教育運動であるジェンダーフリー教育としては、以下のような特徴が挙げられる。<br/> |
|||
制度面では、男女に分けない共通性として、科目の共通性(男子も家庭科を必修にする等)、衣服・教材の共通性(体操服を両性共通のデザインにする等)、呼称の共通性(両性とも「さん」付けに統一する等)、呼び順の共通性(男女混合名簿等)など、各制度における両性の共通化を推し進める。<br/> |
|||
また、評価面では、ジェンダーステレオタイプによるバイアスを解消し、生活指導面(泣く男子は叱るのに、泣く女子は叱らない等の区別はしない)、進路指導面(女子が理系に進むことに消極的になるような誘導はしない)、固定的な役割分担を定めない(常に男子が学級委員、女子が副学級委員等と固定化しない、運動部のマネージャーを女子のみに限定しない)など、「個々の個性」に基づいた評価・進路指導の方針を進める、などである。<br/> |
|||
また、学校教育方面以外にも、育児教育や職業選択などでジェンダーフリー運動が展開されている。 |
|||
[[福井県]]では、男女共同参画関連施設の県生活学習館で開架されていたジェンダー関連書籍を閲覧室からカウンター近くの事務室へ移し、敦賀市の市議等から抗議をうけた事例がある。県は、内容を確認をするためにこれらの書籍を移動したと説明し、確認の結果、全て問題がなかったとして一般公開を再開している<ref>ジェンダー関連書排除 県生活学習館(福井新聞 2006/5/12)</ref><ref>ジェンダー関連 元戻し閲覧再開(福井新聞2006/5/17)</ref>。 |
|||
これに対して批判側からは、性別は生物学的要素を多分に含むものであるから体格、出身、門地、民族その他の要素と同一に取り扱えない、差別ではない性差による区別は否定されるべきでない、といった批判がなされている。 |
|||
東京都では、男女の違いを否定するという意味でのジェンダーフリーが、都教育委員会の男女平等の見解と異なることから、ジェンダーフリーという言葉を用いないように文書で通達している。また、抗議を受けて、東京都[[国分寺市]]が、「ジェンダーフリー」という言葉を使用する恐れがあるとして講演を依頼していたフェミニストである[[上野千鶴子]]を招くことを見送った事例がある<ref> [http://www.cablenet.ne.jp/~mming/against_GFB.html 東京都に抗議する!]([[上野千鶴子]] 国分寺問題)</ref><ref>[http://www.jcp.or.jp/josei/html/2005/050119_q%26a_genderfree.html 「ジェンダー・フリー」への攻撃 なぜ?]([[日本共産党]] しんぶん赤旗)</ref> |
|||
英語圏では、「社会的文化的性からの解放」を目指すものとして、「ジェンダー・イクォリティ」運動が、日本の「ジェンダーフリー」運動に近いものとして存在している。ただし、日本以外では、「あらゆる場面において男女の区別を解体すると、女性を対象にして保護や優遇措置を求めるフェミニズム運動にとって不利である」ことが早くから指摘されており、これを踏まえ、男女の区別を画一的に解体せずに、ジェンダー・イクォリティ」運動を進めるべきであるというフェミニストも見られる。 |
|||
=== 日本の「ジェンダーフリー」擁護派の弁明 === |
|||
日本政府の内閣府男女共同参画局はジェンダーフリーについて『一部に、画一的に男女の違いを無くし人間の中性化を目指すという意味で「ジェンダー・フリー」という用語を使用している人がいますが、男女共同参画社会はこのようなことを目指すものではありません』と説明している(内閣府・男女共同参画関連用語集より引用)。この意味での「ジェンダーフリー」という用語は、[[アメリカ合衆国|アメリカ]]でも、[[日本]]政府でも、[[国際連合|国連]]でも、公式に使われていない。なお、「(生物学的な意味での)男女を区別せず処遇する」と言う意味でのgender-freeは、英米軍の公式用語として使用されているし、「(生物学的な)ジェンダー(性)にかかわらない(語彙など)」という意味では使われているので「英語にない完全な和製英語」という言い方も正しくない。2003年2月27日の予算委員会第一分科会における官房長官の答弁として、「ジェンダーフリーという言葉はいかなる場合でも使ってはいけないということではない」「誤解を招くような、そういうおそれがあるので政府として公式に使っていない」「使用する際に、例えば地方公共団体とか関係機関において用語を適切に定義して、それが誤解なく理解されるようにする、これが大事だ」との見解を示しているが(国会議事録検索システムより引用)、その後、男女共同参画局メーリングリストで「定義を示して使用するのは差し支えない」と局長が見解を示すなど、行政も混乱している。この様に政府や自治体は一部の過激な論調を抑えるようにはしているが、福井県の男女共同参画関連施設において、政府の男女共同参画方針に相応しくない書籍を閲覧室から書庫に移した際、フェミニストから言論弾圧との苦情が殺到した事例もあり、政府や自治体が思うように男女共同参画政策を動かせない実態もある。 |
|||
擁護派からは[[日本]]で「ジェンダーフリー」と呼ばれる運動の思想は、英語圏における「ジェンダー・イクォリティ」([[:en:Gender equality|gender equality]]、[[ジェンダー平等]])運動に近いとの主張が存在する。フェミニズム・社会学者[[山口智美 (文化人類学者)|山口智美]]は、『「ジェンダー・フリー」をめぐる混乱の根源』の中で『私は10年以上、'''アメリカの大学院でフェミニズムを専門としてきたが、「ジェンダー・フリー」という言葉は聞いたことがなかった'''。「ジェンダー・フリー」の「フリー」は、日本で一般に理解されているような「〜からの自由」という意味より、英語では「〜がない」という意味合いが強い。[[アルコールフリー|アルコールフリービール]]、オイルフリーファンデーションなどを例にとるとお分かりいただけるだろう。アメリカ人のフェミニスト学者数名に、「ジェンダー・フリー」について聞いてみたところ、「何それ?ジェンダー・ブラインドって意味なの?」という反応が返ってきた。彼女たちは、「(知らない言葉である「ジェンダーフリー」の意味について)'''ジェンダーを見ようとしない。ジェンダーが見えていない'''」という意味にとった。つまり、ジェンダー・フリーを、[[男女同権|男女平等]]に対して否定的な意味合いを持つ[[用語]]と解釈したのである。』と述べている<ref name="yamaguchi" /> |
|||
<br/>東京都では、男女の違いを否定するという意味でのジェンダーフリーが、都教育委員会の男女平等の見解と異なることから、ジェンダーフリーという言葉を用いないように文書で通達している。また、国分寺市の講演にフェミニストである上野千鶴子を招くことを見送った事例がある。 |
|||
2006年時点では「ジェンダーフリー」を前面に押し出して普及させようという形の運動は下火となっているが、上野千鶴子らは『バックラッシュ! なぜジェンダーフリーは叩かれたのか?』にて、ジェンダーフリー教育を批判する言説を「バックラッシュ」と呼び、そのバックラッシュを批判しながら、ジェンダー等の用語について解説したり、ジェンダーフリーや男女共同参画の問題点を論じたり、バックラッシュ言説が問題とした各論点について検証する、という立場にたった論考集などを出版している<ref>上野千鶴子・宮台真司・斉藤環・小谷真理他共著 『バックラッシュ! なぜジェンダーフリーは叩かれたのか?』 双風舎、2006年</ref>。 |
|||
=== 関連リンク === |
|||
* [http://www.cablenet.ne.jp/~mming/against_GFB.html 東京都に抗議する!]([[上野千鶴子]] 国分寺問題) |
|||
* [http://www.jcp.or.jp/josei/html/2005/050119_q%26a_genderfree.html 「ジェンダー・フリー」への攻撃 なぜ?]([[日本共産党]] しんぶん赤旗) |
|||
== ジェンダーフリー |
== 日本の「ジェンダーフリー」論争 == |
||
=== 賛成派の主張 === |
|||
[[男性]]達は、「男はこうあるべき」という旧来の「男らしさ」にとらわれているので、もっと[[性役割]]から解放されて、働き蜂という立場を考え直し、もっと育児にかかわるなど生き方を考え直すべきだ、と主張する。そのため、下記のような試みを[[男性]]に対して提言する<ref>東京女性財団『男性のためのジェンダー・フリー読本 少し立ちどまって、男たち』(88p)</ref>。 |
|||
# 男らしさの理想像に合わせようと見栄を張らずに、実質をとる。 |
|||
ジェンダーフリー運動については、賛同派と反対派の間でさまざまな論争が行われている。 |
|||
# 女性にも経済的責任を担ってもらう。[[デート]]も当然割り勘を基本とする。 |
|||
# 職場への単一帰属をやめ、複数の人間関係を持つようにする。 |
|||
# 「自分は男らしく生きたいとは思っていない」と公言するようにする。 |
|||
# 定期的に、また、意識的に男の理想像から逸脱する。たとえば週末に[[女装]]をするのも良いだろうし、平日の[[公園]]でブラブラするのも良い。 |
|||
[[精神科医]]の[[香山リカ (精神科医)|香山リカ]]は、著書で「ジェンダーフリー教育や男女共同参画社会に疑問を呈する人たちは、そうした考えを『男らしさ・女らしさをいっさい排除しようとする極端な思想だ』と指摘しておきながら、自分たちも『すべての男は男らしく、すべての女は女らしく』、『それは誰にとっても生まれつき決定されていることなのだ』と極論に走るのはなぜなのだろう。(中略)いずれにしても、いくら『ジェンダー重視教育』を主張する人たちが声をあげても、少子化社会で女性の労働力はますます重要なものとなり、女性の社会進出は今とは形を変えることはあってもストップすることはないだろう。そうなると、一方で『女は女らしく』と言いながら、他方で『女性もどんどん働いて』と勧める教育を施さなければならなくなる。それこそ、心理学の世界では『ダブル・バインド』と呼ばれるもっともストレス度の高い状態だ」と述べている<ref>『いまどきの常識』 岩波新書 p66〜67</ref>。 |
|||
ジェンダーフリーの考え方のひとつにある「[[性差別]]が起こるのは社会的・文化的性(日本語の上での「ジェンダー」)があるからである」と捉える考え方は[[フェミニズム]]運動と重なる部分が大きい。賛同派の一部には、性差・差異そのものを否定・相対化する過激な論者(主として、マルクス主義フェミニズム、ラディカル・フェミニズム、ポストモダン・フェミニズムなどの論者)もおり、この考え方にもとづき、性の区別の意識をなくそうという方向の教育も実際に行われている。 |
|||
=== 反対・否定派の主張 === |
|||
例えば、古くからいつまでも泣いている男の子を「男らしくない」とか、「~かしら」「~なの」「~わ」などの[[女性語]]を用いる男性を疎んじる風潮が一般的な傍ら、「俺」「僕」「お前」「食う」「うまい」「メシ(飯)」などの[[男性語]]を用いたり、大股を広げて歩く、腕あぐらをかく、長ズボンばかり穿いているといった女子の立ち居振る舞いを「女らしくない」という考えもある。 |
|||
[[石原慎太郎]]元[[東京都知事]]は、都議会定例会において、「最近、教育の現場をはじめさまざまな場面で、男女の違いを無理やり無視するジェンダーフリー論が跋扈している」、「男らしさ、女らしさを差別につながるものとして否定したり、[[ひな祭り]]や[[こいのぼり]]といった伝統文化まで拒否する極端で[[グロテスク]]な主張が見受けられる」、「男と女は同等であっても、同質ではあり得ない。男女の区別なくして、人としての規範はもとより、家庭、社会も成り立たないのは自明の理だ」と強調し、ジェンダーフリー教育を批判した。<ref>[https://www.metro.tokyo.dbsr.jp/index.php/6755959?Template=doc-one-frame&VoiceType=onehit&VoiceID=56481 東京都議会平成16年第2回定例会(第7号)] 平成16年(2004年)6月1日</ref>。 |
|||
[[クリスチャン・トゥデイ]]は、男女の区別をスポーツに曖昧にしたり、女性トイレの男性利用がされる社会的混乱が起こしていると指摘している。「ジェンダーフリー」活動する左翼の一部が女性解放のために子どもを産まない運動、人口削減計画を推進していることに社会混乱を引き起こし、国家破壊に動いていると批判している<ref name=":0" />。 |
|||
しかし、社会的・文化的な性とされる「ジェンダー」は、その社会の文化に強く結びついているため、それを全て画一的に排しようとするのは困難である。また、推進側でも思想的方向性が統一されているわけではなく、上記のような理論には問題があるとの指摘をする者もいる。すなわち、「性差を考慮しなくなること、否定すること=ジェンダーレスでは、構造的、生物的性差が隠蔽され、それが[[セクハラ]]などと結びつく可能性がある」という主張である(すなわち現存の性差を全て社会的所産と規定する[[構築主義]]の考え方を純粋に突き詰めれば、例えば男女別に分けてある公衆トイレや公衆浴場の区分、空港などで男性の係官が女性の身体検査をしない規定でさえ性差別であるとする議論も可能となる。)。このような指摘をした推進側の論者は、ジェンダーフリーとは、画一的に生物学的な男女の性差までも否定しようとする考えではなく、男女の性差を個々の個体差(肯定的な「男らしさ・女らしさ」、否定的な「男らしくなさ・女らしくなさ」「男臭さ・女臭さ」)などの評価ではなく、個性としての「自分らしさ」として評価することに還元する運動である、としている。 |
|||
[[旧統一教会]]関連団体である「[[国際勝共連合]]」はジェンダーフリーを[[共産主義]]の亜種である「[[文化共産主義]]」とみなしており、反対運動を展開している<ref>『世界思想』2013年12月号、世界思想出版 p6~16</ref><ref>『世界思想』2007年4月号、世界思想出版 p6~16</ref><ref>『世界思想』2008年5月号、世界思想出版 p28~29</ref><ref>『世界思想』2008年1月号、世界思想出版 p28~29</ref>。 |
|||
これに対して反対派は、果たして個性・自分らしさという評価が可能なのかという指摘や、性差否定を目指さなくても結果として男女の中性化を招くのではないかという指摘をしている。さらに、賛同派の中には性差・差異そのものを否定する過激な論者も存在する点を取り上げて、このような論者を含む運動は「家族および社会の崩壊につながりかねない」との批判も行っている。その例として、「[[香取慎吾]]の『おはロック』の歌詞がジェンダーフリーに反する」「『[[桃太郎]]』のストーリーをイデオロギーによって改変」「挿絵で母親がエプロンをしていることは問題」といった、「行きすぎ」ともいえる「過激な」(と反対派が考える)ジェンダーフリー教育が一部で行なわれていることを挙げている。 |
|||
=== 賛成派の対応に対する批判 === |
|||
[[石原慎太郎]]東京都知事は、[[都議会]]定例会において、「最近、教育の現場をはじめさまざまな場面で、男女の違いを無理やり無視するジェンダーフリー論が跋扈している」「男らしさ、女らしさを差別につながるものとして否定したり、[[ひな祭り]]や[[こいのぼり]]といった伝統文化まで拒否する極端でグロテスクな主張が見受けられる」「男と女は同等であっても、同質ではあり得ない。男女の区別なくして、人としての規範はもとより、家庭、社会も成り立たないのは自明の理だ」と強調し、ジェンダーフリー教育を[[公人]]の立場で公式に批判した。 |
|||
ジェンダーフリー運動が始まってから十数年が経ち、数多くの批判がなされるようになるに従い、ジェンダーフリー批判者へ対する賛同者たちのジェンダーフリーの理論に対する直接的な批判だけではなく、ジェンダーフリー賛成派の硬直的で好戦的な態度に対する批判にも繋がっている。アメリカの[[合衆国最高裁判所|連邦最高裁判所]]において(女性差別に関するものではなく人種差別に関するものではあるが)アファーマティブアクションを義務づける法律が違憲とされ、廃止されたことがある{{Efn|[[1995年]]5月、米国連邦最高裁判所は、[[ネグロイド|黒人]]学生のみに適用される[[メリーランド州立大学]]の[[奨学金]]制度は法の下の平等に反するとした控訴審判決を支持し、同年6月29日には、黒人が多数選出されるように区割りされた[[ジョージア州]]の下院議員選挙区の設定は違憲であるとした。また、[[公共事業]]であるハイウエー工事において、マイノリティー関連企業を優遇する政策が一定の場合には違憲になるとした。アメリカの場合、アファーマティブアクションは、大抵は[[マイノリティ]](主に黒人などの国内における少数民族)に対して実施されるものであるが男性が多数を占める消防隊や警察などにおいては女性が優遇されることがままにある}}。 |
|||
=== ジェンダーレスとの混同 === |
|||
賛同派側はこれを「少数による一部の運動をジェンダーフリーそのものであるかのようにミスリードするもの」と反論した。 |
|||
[[宮台真司]]や[[斉藤環]]などが、ジェンダーフリーとジェンダーレスの混同を指摘している。彼らによると、ジェンダーフリーとは「性差を否定すること」ではなく、性別による固定された社会的な役割を柔軟にしていく運動であり、逆を言えば従来通りの価値観すら認める立場である。一方で、ジェンダーレスは性別そのものを否定していく運動であり、一般にジェンダーフリー否定派が糾弾するのはジェンダーレスの思想であるという。[[宮台真司]]は『バックラッシュ! なぜジェンダーフリーは叩かれたのか』の中で「社会学のオーソドックスな枠組みからいうと、ジェンダーフリーは、ジェンダーレスではありません。ジェンダーレスは「社会的性別の消去」だけど、ジェンダーフリーは「社会的性別に関わる再帰性」であって、「ジェンダーフリーだから、ああしろ、ここしろ」という直接的メッセージは本来、出てきません。」と唱えた。 |
|||
また、後述するように、ジェンダーフリーの名の下に行われている、「男女」を「女男」に変える、ランドセルの色を男女で統一、男女の伝統行事の否定などの動きが、「ジェンダーフリー」の本質から逸れている可能性のあるもの、あるいは「男女の差を意図的になくそうとしている」と保守派から批判されている。つまり、同じように「女らしさ」を肯定し、推奨したとしても、各世代間の「女らしさ」の意識にズレがあるため、議論が平行線を辿ってしまうという構造である。 |
|||
ジェンダーフリー運動が始まってから数年経ち、数多くの批判が行われるようになってきたが、これは、ジェンダーフリーの理論の直接的な問題点のみならず、賛同派側が硬直した態度、好戦的な態度をとることによって、自ら敵を作っているからではないかという指摘もある。特に地方公共団体主催で行われた過去のジェンダーフリー公聴会では、会場から出た批判的な声を全て「クレーム」「[[バックラッシュ]]」として聞くに値しないかのような対応をしたことが報道された。中にはクレーム対応係を設けていたケースまである。こういった強引とも思える手法が明るみに出るにつれ、ますます反対派を勢いづかせることになった。 |
|||
また、フェミニストは拙速な差別是正を目指すあまり、安易な[[逆差別]]([[男性差別]])を肯定・推進し、反発を招いている。「男女」という表現を「女男」という表現にするなど、非本質的な部分に固執するあまり(「男女」が差別なら「女男」も差別と見なせるので矛盾しており、こうした矛盾がジェンダーフリーの理念に賛成している人まで敵にまわし始めているとの指摘もある)、必要以上に反感を買っている。 |
|||
いくらフェミニストが「正しい」とする理念を掲げても、社会には多様な価値観、感情を持った人達がおり、それらの人達と折り合いをつけながら徐々に是正していくことが必要であるのに、フェミニストは怒りや憎しみという負の感情から逆差別に走りがちであり、上記のような言動をとることも多く、これに対する反発から、フェミニズムのあら捜しをする勢力の拡大につながっているとも考えられる。 |
|||
こういった背景から、ジェンダーフリー運動が要求するのは「〜らしさ」の自己決定権{{Efn|「伝統的な価値観を尊重したい人はそうすれば良いし、その考えは守られた方が良い。一方、伝統的な価値観を受け入れたくない人は別な価値観で生きることが出来れば良いし、その考えは守られた方が良い」とする考え}}であり、「社会から性差が無くなるべきだ」とは主張しない。 |
|||
産業界においては、男性のみ、あるいは女性のみが専有すると思われていた職業が両性に解放されたり、有能な女性が「機会の平等」によって社会進出(賃金労働者化)すること、必要に応じて男性が育児休暇をとるなどの点において、女性の人材活用などの面で新自由主義と一部で重なるためもあり、保守派もそれほど批判的ではない。だが「これまで、あるいは現在も不利な立場にある女性に対して、有利な環境や快適に過ごせる環境を整えることで、女性の社会進出を促進させる」という考え方にもとづき、各企業の入社試験・昇進や公務員試験等で女性を優先的に採用させようとする[[アファーマティブ・アクション]]、[[ポジティブ・アクション]]のような積極的施策を求める動きもあるが、こちらについては「結果平等である」「悪平等である」「男性差別である」といった保守派や男性からの反発が強い。同様に、アファーマティブアクションを義務づける法律が、かつてアメリカで制定されたが、米最高裁で違憲とされ、この法律は廃止された。 |
|||
一方、自民党などは「男らしさ、女らしさを認めます」とし、ジェンダーフリーを「らしさ」を否定する思想という理解のもと、ジェンダーフリーを否定している。ジェンダーフリー自体は、個々人の考える「男らしさ、女らしさ」を否定する概念ではなく、社会的に必然性のある区別(例:トイレや更衣室を'''男女別室'''にする)や、男が「男らしく」あること、女が「女らしく」あることをも、自己決定権を前提に肯定している。 |
|||
宗教においては、[[世界教授アカデミー]]、および[[世界日報]]という団体が伝統的性文化への回帰を広く呼びかけている。[[世界教授アカデミー]]および[[世界日報]]は[[統一教会]]との強固な関係を持つ。ジェンダーフリー賛同側は「批判側にカルトが係わっている」ことをアピールしている現状である。ジェンダーフリー批判派は、ジェンダーフリーを批判する一部にカルト宗教が係わっていることによって、問題はかえって複雑化している、と考えている。 |
|||
なお、アメリカでは、パット・タンジェントをはじめとするテレバンジェリストと言われる保守派のテレビ宣教師達が、男女の役割分担を尊重し、子供は家庭で母親が育てるべきであると説いている。 |
|||
==政 |
=== 国政政党と「ジェンダーフリー」への賛否 === |
||
==== 自由民主党 ==== |
|||
* 原則としてジェンダーフリー政策を支持し、与党として、かつてのジェンダーフリー政策を主導してきたが、一部の末端での政策運用については、『(教育)現場では「小学5年生で男女同宿」「学校のトイレが男女一緒」など性差を否定する『教育の暴走』がおこなわれている』([[自由民主党 (日本)|自民党]]の実態調査プロジェクトの[[ウェブサイト|ホームページ]])などとして批判し、現在は「ジェンダーフリー」という言葉自体は誤解や混乱を招くとして使っていない。 |
|||
*[[自民党]]は、男女同室着替えをジェンダーフリー教育の結果だとしている。空き教室があるにもかかわらず同室で着替えさせていると主張している。また自由民主党と民主党の違いは「ジェンダーフリーを推進しているかどうかだ」としている。 |
|||
:*([http://www.jimin.jp/jimin/info/gender/jender.html 過激な性教育・ジェンダーフリー教育実態調査プロジェクト]) |
|||
:*([http://www.jimin.jp/jimin/daily/05_05/26/170526a.shtml 自民党ニュース]) |
|||
【日本共産党】 |
|||
*[[日本共産党]]は、ジェンダーフリー教育を擁護している。 |
|||
:*([http://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2005-01-19/ftp0119faq.html 「ジェンダー・フリー」への攻撃 なぜ?]) |
|||
:*([http://www.haruko.gr.jp/josei/2006/060726.html 女性が輝く21世紀へ]) |
|||
【民主党】 |
|||
*「老若男女が、それぞれ生きがいを感じる社会システムづくりが社会全体を豊かにするのです。性別役割分業を固定化しない(ジェンダーフリー)社会こそ、日本を再創造するカギとなります。」と主張している。 |
|||
:*([http://www.dpj.or.jp/seisaku/sogo/manifesto/index/02_02.html 民主党政策集]) |
|||
==== 日本共産党 ==== |
|||
==ジェンダーフリーの実践例等 == |
|||
* 一部の議員が「ジェンダーフリー」という言葉を使わないことに反発している。 |
|||
ジェンダーフリーの実践として次のような例があると言われている。しかし、[[男女別学]]学校の[[男女共学]]化などは必ずしもジェンダーフリーの意図をもって行われているとは限らない。なお、[[日本教職員組合]]は、男女同室着替えには反対の立場であり、「更衣室の整備拡充」を文部科学省に要求している。また、[[女子大学]]はそのまま放置している。ただし、ジェンダーフリー思想とは全く別個に、少子高齢化を生き抜く方便として、女子大学が共学化する事例は各地で実在する。 |
|||
** ([https://www.jcp-chibakengikai.jp/html/menu2/2005/20051217132753.html 日本共産党千葉県議]) |
|||
==== 民主党 ==== |
|||
【 教育現場 】 |
|||
* 「老若男女が、それぞれ生きがいを感じる社会システムづくりが社会全体を豊かにするのです。性別役割分業を固定化しない(ジェンダーフリー)社会こそ、日本を再創造するカギとなります。」とし、男女共同参画社会政策は支持していた。しかし、昨今の「ジェンダーフリー」という言葉に対する反発世論に配慮して党の政策から「ジェンダーフリー」という用語自体は削除されている。 |
|||
** ([http://www.dpj.or.jp/seisaku/sogo/manifesto/index/02_02.html 旧・「民主党政策集」]) |
|||
== 日本の「ジェンダーフリー」の実践例等 == |
|||
以前より[[日本教職員組合]]などは、「[[男の子]]だけの[[通過儀礼]]を廃止せよ」といった、ジェンダーフリーにつながる主張を行ってきた。さらに、女性の社会進出が進むにつれ、学校教育はより細かいジェンダーバイアスの撤廃を指摘されるようになった。そして男女共同参画基本法の制定により、一つの教育運動となったものである。 |
|||
日本における「ジェンダーフリー」の実践として次のような例がある。 |
|||
=== 教育現場 === |
|||
具体的な事例としては、以下のような事が[[教育現場]]で行われていると言われる。 |
|||
以前より[[日本教職員組合]]などは、「[[男の子]]だけの[[通過儀礼]]を廃止せよ」といった、「ジェンダーフリー」(正確にはジェンダーレス)につながる主張を行ってきた。さらに、女性の社会進出が進むにつれ、学校教育はより細かいジェンダーバイアスの撤廃を指摘されるようになった。そして[[男女共同参画社会基本法]]の制定により、一つの教育運動となったものである。 |
|||
具体的な事例としては、「ジェンダーフリー教育」として、以下のような事が教育現場で行われてきたとされる。 |
|||
*[[クラス]][[名簿]]を男女混合にする。<br/> |
|||
*「男女」の名詞を「女男」に変える。 |
|||
*スカートは最も「女らしい」服装なので、制服からスカートを廃止しようとした。 |
|||
*女子の[[体操着]]の[[ブルマー]]廃止と同時に、男子の[[短パン]]も廃止し、男女兼用の[[ハーフパンツ]]とする。また、かつては[[トレーニングウェア]]の色を男子は[[青]]や[[紺]]・[[深緑]]、女子は[[赤]]や[[臙脂色|エンジ]]としていたが、男女共用の青や[[緑]]([[黄緑]]・[[青緑]])、[[紫]]([[青紫]]・[[赤紫]])などどちらにも相応しい色に切り替えた。 |
|||
*[[運動会]]の競技を男女混合にする。 |
|||
*ロッカーや下駄箱の男女別の禁止。 |
|||
*小学校教科書の記述を「点検」。「男の子はズボンに女の子はスカートに髪かざり」、「おじいさんは反物売り、おばあさんは家で」、「およめに来て・・・・およめに行く」、「小さなお母さんになってお昼を作る」などの表現をジェンダーフリーに反するものとする。 |
|||
*男女別学の公立高校を共学にする。([[大学]]では、[[女子大学]]はあるのに、[[男子大学]]はない。<!--極めて深刻な[[男性差別]]である。-->) |
|||
*高校入試の合格者数を、男女同数にするよう要求する。 |
|||
*黒や赤などのランドセルの色を家庭が選択することを禁止し、「女男ともに黄色いランドセル」といった、統一色を要求する。 |
|||
*ジェンダーフリーを英文で使う(ジェンダーフリーは和製英語)。 |
|||
*空き教室があるにもかかわらず(無い場合もある)男女同室着替えをさせる。 |
|||
*過激な性教育をおこなう(賛成派は子供の権利と主張。反対派は年齢に相応しない、純粋な子供の心を傷付けるなどと主張) |
|||
::男性器の模型に避妊具を被せる練習を行わせる。 |
|||
::白い液体(牛乳)が出る男性器の模型を使う。 |
|||
::性器がついた男女の人形に性行為をさせ、生徒に見せる。 |
|||
::性描写がある絵本を見せる。 |
|||
*[[運動会]]の踊りで、母親がごはんをつくる曲が、ジェンダーフリーに反するという理由から歌詞のない演奏にされる(ふりーせる)<!--産経新聞2002.11.22-->。 |
|||
* [[若桑みどり]]ほか編著『「ジェンダー」の危機を超える!徹底討論!バックラッシュ』の中において、次の内容がジェンダーフリー教育の実践例として挙げられている<ref>[[若桑みどり]] ほか編著『「ジェンダー」の危機を超える!徹底討論!バックラッシュ』</ref>。 |
|||
【 団体等の活動 】 |
|||
** [[学級|クラス]][[名簿]]を男女混合にする |
|||
** 女子の[[体操着|体操服]]の[[ブルマー]]廃止と同時に、男子の[[短パン]]も廃止し、男女兼用の[[ハーフパンツ]]とする。また、かつては[[トレーニングウェア]]の色を男子は[[青]]や[[紺]]・深緑、女子は[[赤]]や[[えんじ色|えんじ]]としていたが、男女共用の青や[[緑]]([[黄緑]]・青緑)、[[紫]]([[青紫]]・[[赤紫]])などの色に切り替えた(なお、ブルマー廃止については[[ブルセラ]]問題が原因の一つとされている。[[ブルマー#日本における普及と衰退]]) |
|||
** [[運動会]]の競技を男女混合にする。 |
|||
** 靴箱やロッカーの男女混合。 |
|||
* ランドセルの色を問題として取り上げ、男は黒、女は赤というのはおかしいとして男女同色を検討する<ref>読売新聞社説 2004年2月20日</ref>。 |
|||
* 思春期以降の生徒にとってジェンダーフリーと[[性教育]]とは密接不可分なものと考え、教育現場で生かす<ref>東京女性財団『ジェンダー・フリーな教育のためにII』</ref>。 |
|||
* 子供たちの[[権利]]として[[障害者|障害児]]に効果的な、具体性のある性教育を行う([[東京都立七生特別支援学校|都立七生養護学校]]等)<ref>『新・国民の油断 「ジェンダーフリー」「過激な性教育」が日本を滅ぼす』[[PHP研究所]] 「巻頭カラー写真」および「第三章」</ref>。 |
|||
** 男性器の模型に避妊具を被せる練習を行わせる。 |
|||
** 白い液体(牛乳)が出る男性器の模型を使う。 |
|||
** 性器がついた男女の人形に性行為をさせ、生徒に見せる。 |
|||
** 性描写がある絵本を見せる。 |
|||
* さいたま市議会議員の[[生方博志]]は、日本教職員組合平和学習冊子編集委員会編の「総合学習の時間に生かす『これが平和学習だ』」という冊子において、「1 女男混合名簿の実践、2 各教科の女男平等教育・・」など、「女男」という用語を用いた取り組みが示されていると指摘している<ref>{{Cite conference | title = さいたま市議会 | conference = 平成14年9月定例会 | volume = 3 | quote = 日教組の平和学習冊子編集委員会編の「総合学習の時間に生かす『これが平和学習だ』」という冊子には、女男平等を目指す学校改革の取組みの中で、1 女男混合名簿の実践、2 各教科の女男平等教育、3女男という線引き、区別の意識的な排除、4 女男別統計の排除、5 学校内で仕事や役割を女男別で分けない、6 性別役割分業やジェンダーを植えつける隠れたカリキュラムに気づき、意識的に女男平等教育のための教材を設定する、以上のようなことが示されております。今、何人かの笑い声が聞こえましたけれども、まさに「女男」という、私たちとっては異常な書き方をしているわけですけれども、こうした日教組の方針が、現在着々と教育現場で拡大解釈されながら浸透していると、こう私は考えている一人でございます。 | url = https://ssp.kaigiroku.net/tenant/saitama/SpMinuteView.html?council_id=8&schedule_id=4&minute_id=18&is_search=true | date = 2002-09-10}}</ref>。 |
|||
[[教育行政]]や団体の運動としては、次のような事例が挙げられる。 |
|||
* 衆議院特別委員会で質問に立った[[山谷えり子]]議員は、自分が千葉県松戸市の「ふりーせる保育」について保護者に取材した結果の一例として、[[運動会]]のダンスを「[[慎吾ママのおはロック]]」のCDで踊りたいという希望があったが、[[母親]]が朝ごはんをつくるフレーズがジェンダーフリーに反するという[[理由]]で、[[歌詞]]のない[[カラオケ]]になった事例があると指摘した<ref>{{Cite conference | title = 青少年問題に関する特別委員会 | conference = 第155回国会 | volume = 2 | quote = それから、お母さんたちが、運動会で「慎吾ママのおはロック」のCDをかけて一緒にダンスをしたいと言ったらば、お母さんが朝御飯をつくるというフレーズがジェンダーフリーに反するからだめだと言われて、歌詞をなくしてカラオケだけでやった。 | url = https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_kaigirokua.nsf/html/kaigirokua/007315520021121002.htm | date = 2002-11-21}}</ref>。 |
|||
*日本教職員組合は2005年3月に発刊した「日教組政策制度要求と提言」の政策提言62において、国への政策提言として、男女平等教育のための基本方針の策定、学校における男女平等教育推進のための教職員への研究の実施、性別役割分業に基づく記述や挿し絵をなくすために教科書の検定にジェンダーの視点を入れることなどを提案している。また、活動のひとつとして「毎年2月をメディア・チェック月間と位置づけ、社会の中や自分の中にある「固定的なジェンダー意識」に気付き、問題化し、放送機関や関係機関に対し要請行動を行なって」いると述べている。 |
|||
*日本女性学習財団発行の冊子『新子育て支援 未来を育てる基本のき』において、「無意識のうちに、子どもたちに『女らしさ』や『男らしさ』を押しつけるような子育てをしていませんか? ふり返ってみましょう」との言葉とともに、 |
|||
::「ひな祭り」や「鯉のぼり」といった伝統行事 |
|||
::女の子に「さくら」「美咲」「優花」という愛らしい名前をつけたり、男の子に「翔太」「翼」「大輝」というスケールの大きい名前をつけること |
|||
::出産祝いで、女児にピンクの産着、男児に水色の産着を贈ること |
|||
:などが、ジェンダーフリーに反する例として挙げられた。<br/> |
|||
:<span style="font-size:smaller;">※ 冊子の記述について、「ひな祭り」や「鯉のぼり」のような伝統行事を否定するなどいきすぎであるとの指摘がなされたが、これに対して日本女性学会は、2003年3月の学会ニュースにて、これらの伝統行事に含まれていた「男は強く元気に/女は優しく美しく」と、「性別と人のありかたを結びつけるシンボリズム」は今日では適切でないとし、5月5日がこどもの日であるようにひなまつりも性別によらない祝いにするのが良い、との回答を行った。</span> |
|||
*2003年に福岡市で開かれた女性フォーラムにおいて、昔話の「[[桃太郎]]」を「桃子」に変更し、ストーリーを改変させた劇を上演。鬼を退治することでなく、話し合いによって解決する内容となっている。これは「男性=暴力的、女性=平和的」といったイメージから作られたと思われる。 |
|||
*新設の[[男子高校]]に対し、共学化を要求する。<br/><small>(これについて、既存の[[女子大学]]に関しては何も行動を取っておらず事実上黙認しているため、矛盾ではないかとの意見もある。)</small> |
|||
*第156回国会において、社会民主党・市民連合の議員が、財界の出資による「全寮制男子校」設置の構想を批判したうえで、「今後、性別に特化した学校を設立することは、「男女共同参画」と矛盾するのではないか」等の質問を行った。<br/><small>(これについて、多数の女子大学がある一方で男子大学はただ1校しかないことには言及されていないため、矛盾ではないかとの意見もある。)</small> |
|||
:<span style="font-size:smaller;">※ なお、これについて政府は、男女の共学については教育上尊重されるべきものであるが、すべての学校における男女の共学を一律に強制する趣旨のものではない、との見解を示している(参考:衆議院質問答弁・第156回常会質問23)。</span> |
|||
*「ジェンダーチェック」を行い、ジェンダーフリーを"理解"していないと「化石」と認定される。 |
|||
* 『現代用語の基礎知識2006』の「ジェンダーフリー」の項によれば、「学校現場では、男女混合名簿や、更衣室を一緒にするなど混乱」があったとされる。 |
|||
=== 関連リンク === |
|||
* [http://www.jtuc-rengo.or.jp/roudou/kankyou/sekuhara/checksheet.html 男性のためのジェンダーチェック表](日本労働組合総連合会) |
|||
==== 日教組の見解<ref>この節は日本教職員組合発行『隠れたカリキュラム ジェンダーフリーの教育を』 session3を参照。</ref> ==== |
|||
* [http://www.jimin.jp/jimin/info/gender/index.html 過激な性教育・ジェンダーフリーの調査結果][[自由民主党]]のホームページより |
|||
* [http://popup12.tok2.com/home2/education/index.htm これでいいのか?性教育-教室はアダルトショップ-] |
|||
* [http://homepage1.nifty.com/1010/jender.htm 恐るべしジェンダーフリー教育]([[長尾誠夫]]のHOTPAGE) |
|||
日本教職員組合が発行している小冊子『隠れたカリキュラム ジェンダーフリーの教育を』の中において、'''「女と男を分けることをやめよう」・「学校行事はジェンダー・フリーで」・「ジェンダーフリーの教材開発を」'''と主張している。この[[意味]]でのジェンダーフリーの[[学習材|教材]]開発とは、[[文学]]教材においては'''女の子も男の子も'''主体的に行動的に描かれることであり、「性の教育」を推進する教材開発である。 |
|||
== ジェンダーフリーの思想的背景 == |
|||
=== 団体等の活動 === |
|||
日本でジェンダーフリーという政治運動が起こった背景について、推進側は、女性の社会進出(賃金労働者化)が進み、男女観も多様化した中で、従来の男らしさ・女らしさというステレオタイプによる評価基準を不合理に感じたり窮屈に感じる人が増えてきたためとしている。女性の高学歴化が進むに従い「男性並の権利や生活」を求める女性も出てきた。しかし性差や「らしさの壁」に遮られ、男性と同等には扱われないことに気づき、男女の区別を廃止してしまう(ジェンダーフリー)ことに解決の道を見出した、といったものである。 |
|||
[[教育行政]]や団体の運動としては、次のような事例が挙げられる。 |
|||
* 日本教職員組合は[[2005年]]3月に発刊した『日教組政策制度要求と提言』の政策提言62において、[[国]]への[[政策]]提言として、[[男女平等教育]]のための基本方針の策定、[[学校]]における男女平等教育推進のための教職員への研修の実施、性別役割分業に基づく記述や挿し絵をなくすために教科書の検定にジェンダーの視点を入れることなどを提案している。また、活動のひとつとして「毎年2月をメディア・チェック月間と位置づけ、[[社会]]の中や自分の中にある「固定的なジェンダー意識」に気付き、問題化し、放送機関や関係機関に対し要請行動を行なって」いると述べている。 |
|||
そのため「男女共同参画社会基本法」が作られ、同法が一部のフェミニストたちに「ジェンダーフリーを推進するもの」だと認識されたことが、この運動が広がった要因のひとつだと考えられている。 |
|||
* 日本女性学習財団発行の冊子『新子育て支援 未来を育てる基本のき』において、「'''無意識のうちに、子どもたちに『女らしさ』や『男らしさ』を押しつけるような[[育児|子育て]]をしていませんか? ふり返ってみましょう'''」との[[自然言語|言葉]]とともに、 |
|||
**「[[雛祭り|ひな祭り]]」や「[[こいのぼり]]」といった[[年中行事|伝統行事]] |
|||
** 女の子に「さくら」・「美咲」・「優花」という愛らしい[[名前]]をつけたり、男の子に「翔太」・「翼」・「大輝」というスケールの大きい名前をつけること |
|||
** 出産祝いで、女児にピンクの産着、男児に水色の産着を贈ること |
|||
: などが、ジェンダーフリーに反する例として挙げられた。 |
|||
[[日本女性学会]]は、[[2003年]]3月の学会ニュースにおいて、鯉のぼりとひな祭りに含まれていた'''「男は強く元気に/女は優しく美しく」と、「性別と人のありかたを結びつけるシンボリズム」は今日では適切でない'''とし、5月5日が全ての[[子供|こども]]のための[[祝日]]であるようにひなまつりも性別によらない祝いにするのが良い、と指摘している<ref>[http://www.joseigakkai-jp.org/newsgogai.htm 学会ニュース『Q&A-男女共同参画をめぐる現在の論点』日本女性学会 号外 2003年3月]{{リンク切れ|date=2021年9月}}</ref>。 |
|||
* 2003年に[[福岡市]]で開かれた女性フォーラムにおいて、昔話の「[[桃太郎]]」を「[[桃子]]」に変更し、[[物語|ストーリー]]を変えた劇<!--上演する団体自身がストーリーを変更して上演したのであり使役的な意味を含む表現は不適切-->を上演。鬼を退治することでなく、話し合いによって解決する[[内容]]となっている。 |
|||
* 第156回国会において、[[植田至紀]]が、財界の出資による「全寮制男子校」設置の構想を批判したうえで、「今後、性別に特化した学校を設立することは、「男女共同参画」と矛盾するのではないか」等の質問を行った<ref>{{Cite conference | title = 常会| conference = 第156回国会 | quote = 現在、トヨタ、JR西日本等の財界の出資による「全寮制男子校」設置の構想があるが、国家政策として男女共同参画が課題となっているいま、性別に特化した学校設立には、時代錯誤という印象を禁じ得ない。教育は、両性の平等を基礎とすべきであり、教育分野の規制緩和により、「両性の平等」「男女共同参画社会の実現」が損なわれてはならないと考える立場から質問するものである。1 今後、性別に特化した学校を設立することは、「男女共同参画」と矛盾するのではないか。 | url = https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/a156023.htm | date = 2003-02-20 }}</ref>。これについて政府は、男女の共学については教育上尊重されるべきものであるが、すべての学校における男女の共学を一律に強制する趣旨のものではない、との見解を示している<ref>{{Cite conference | title = 常会| conference = 第156回国会 | quote = 学校における男女の共学については、教育基本法(昭和二十二年法律第二十五号)第五条の規定により、教育上尊重されるべきものであるが、これは、すべての学校における男女の共学を一律に強制する趣旨のものではなく、個々の学校において男女共学とするか男女別学とするかについては、地域の実情、学校の特色等に応じて設置者等において適切に判断されるべきものであると考えている。 | url = https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/b156023.htm | date = 2003-03-14 }}</ref>。 |
|||
本来はジェンダーフリーが「社会的・文化的に作られた性(日本語の「ジェンダー」)からの離脱の自由」を認める風潮を目指すはずが、「社会的・文化的に作られた性(日本語の「ジェンダー」)そのものが悪であり、無くす必要がある」にいつしか摩り替わった。それがフェミニストが画策した男女共同参画政策に連動した、教育現場でのジェンダーフリー教育で明らかになるにつれて、保守派の反発も受けることになった。 |
|||
また、日本の代表的フェミニストの1人である[[上野千鶴子]]が著書『ジェンダー・フリーは止まらない』(松香堂)にも収録された2001年4月15日、NPO法人フィティ・ネット設立記念フォーラムでの講演にて、一個人が私的な思想信条の範疇で「女は嫁に行くのが一番だ、と私は信じています」と述べる行為すらも、「ドイツではヒットラーを支援するような発言をすると犯罪を構成します。(中略)人種に関しては許されないことが、なぜ女に関しては言ってもいいのでしょうか。それが「思想信条の自由」のもとに許していいのか、と思います。」と聴衆に訴えかけ、思想信条の自由を奪うべきとの立場からジェンダーフリーを説いた事実もあり、ジェンダーフリー批判が必ずしも誤解や中傷の類とは言えない側面も多分にある。 |
|||
* [[埼玉県]]男女共同参画苦情処理委員は、県立高校の共学化を求める苦情に応じ、公立の男女別学校の早期共学化を求める勧告を行った。これに対し、[[埼玉県立浦和第一女子高等学校]][[PTA]]広報部は、同校の[[保護者]]を対象としたアンケート結果や、現役の[[女子高生]]が疑問の声をあげていることなどから、勧告は「根拠のない結論」であると指摘した。県教育委員会はこの勧告に対し、「早期の共学化は行わず、当面は現状を維持する」との報告を行った{{要出典|date=2021年9月}}。 |
|||
ジェンダーフリーの理論的・思想的背景については、ラディカル・フェミニストの江原由美子によれば社会主義のイデオロギーから来ているという(『フェミニズムの名著50』)。歴史的にみるとジェンダーフリーの発祥はフランスの社会主義者シャルル・フーリエの理論、フーリエによって提唱された「ファランステール」という生活集団に見られる(『フェミニズムの歴史』)。また旧ソ連ではアレンクサンドラ・コロンタイが同じような政策(家族廃止、家事労働の共同化等)を打ち出した。しかし、この政策は失敗に終わり1934年には旧ソ連政府も根本的見直しをすることになった(ニコラス・S・ティマシェフ「ロシアにおける家族廃止の試み」)。ジェンダーフリーと社会・共産主義の結びつきについては、安藤紀典「マルクス主義の女性解放論」が詳しい。 |
|||
* 日本労働組合総連合会はセクシャルハラスメントへの対策の一環として、男性向けに「ジェンダーチェック」を行うための表を作成して公開している。この表では、25個のチェック項目のうち18項目以上に該当すると「レッドカード」と認定される<ref>[http://www.jtuc-rengo.or.jp/roudou/kankyou/sekuhara/checksheet.html 男性のためのジェンダーチェック表(日本労働組合総連合会)]</ref>。 |
|||
ただし現在のジェンダーフリー運動は、直接的には第二波フェミニズムを源としているという見方がされている。社会的文化的に形成された性別(ジェンダー)から解放されるべきだというジェンダーフリー運動の理論的背景は、社会主義・共産主義から直接繋がっているというよりも、フランスの哲学者[[シモーヌ・ド・ボーヴォワール]]の『[[第二の性]]』に代表される実存主義フェミニズムや、[[マルクス主義]]を女性運動の理論的根拠に採り入れたフェミニズム理論(ラディカル・フェミニストのシュラミス・ファイアストーンによる「妊娠・出産によって性の階級制度が生み出され、女性への抑圧となる構造は解消されるべきだ」という主張など)が大きく影響しているといえよう。これは、男女を権力関係と見なす傾向や、女性の「性と生殖に関する権利」などが主張される点に良く現れている。 |
|||
* また、[[公共施設]]では赤は[[女性差別]]だから[[便所|トイレ]]の壁の色や表示を男女同一を促す勧告が女性団体等から出ているが、男女別がはっきりしない、視認性がはっきりせず[[バリアフリー]]に反するという市民からの意見が出ている<ref>[[中日新聞]][[2008年]]10月28日付[[記事]] 「やはり必要?男女のトイレマーク 揺れる[[愛知県]][[大府市]]」</ref>。 |
|||
しかし、にも関わらず、日本のジェンダーフリー運動は、アメリカ、ヨーロッパ、共産主義国のフェミニズム運動とは異なる部分も多い。それはジェンダーフリーという語が日本固有であること、さらにジェンダーフリーが問題にするジェンダーは「日本文化におけるジェンダー」であることに起因していると言えるだろう。 |
|||
== 国別学生達の「ジェンダー」意識アンケート == |
|||
=== 関連リンク === |
|||
<!-- 読売新聞記事の議論は単純集計結果に基づいており、男女別集計に基づく議論はなく、以前の文は本文全体が出展にない勝手読みだったため、読売新聞記事と、第一次情報の男女別集計結果を別に分けて全面的に書き換えました --> |
|||
*EON/W([[トランスジェンダー]]を解説するサイト)より |
|||
[[文部科学省]]の外郭団体である[[財団法人]]「一ツ橋文芸教育振興会」と「日本青少年研究所」は、2003年秋に[[日本]]・[[アメリカ合衆国|米国]]・[[大韓民国|韓国]]・[[中華人民共和国|中国]]の[[高等学校|高校生]]各千人を対象に[[アンケート]]調査を行い、[[2004年]]2月にその結果を発表した。この結果にもとづき、[[読売新聞]]は、[[日本]]では「'''女は女らしくすべきだ'''」を肯定した[[在籍者 (学習者)|生徒]]が28.4%であり、[[外国|他国]](米58.0%、中71.6%、韓47.7%)よりも「突出して低い」と報じた。また、「'''男は男らしく'''」を肯定した人も43.4%と、4カ国で唯一半数以下であると指摘した<ref>[[2004年]]2月17日[[読売新聞]][[朝刊]]</ref>。 |
|||
*:[http://www.netlaputa.ne.jp/~eonw/sign/sign64.html ジェンダーフリーと社会主義] |
|||
*:[http://www.netlaputa.ne.jp/~eonw/sign/sign87.html ジェンダーフリーは性差否定である] |
|||
なお、上記の[[新聞]][[記事]]が引用し、日本青少年研究所が公開している[[調査]]報告書には、単純集計結果と男女別集計結果が記されている。この報告書における男女別集計結果によれば、調査対象者と各項目を肯定した者の男女比は下記の通りである<ref>[http://www1.odn.ne.jp/youth-study/reserch/ 高校生の生活と意識に関する調査] (日本青少年研究所 [[2004年]]2月)</ref>。 |
|||
== ジェンダーフリーにおける生物学的問題 == |
|||
{| class="wikitable" |
|||
ジェンダーフリーの論者は、ジェンダーフリーを正当化する理論として、ジェンダー(社会的性別)は後天的な要因が大きく関わって決定されるという説を主張している。文化人類学者[[マーガレット・ミード]]の研究、さらに性科学者[[ジョン・マネー]]の研究をその根拠付けに参照する著者も存在した。また、生物学的性差とは独立に後天的要因のみによって決定されるという急進的な主張をするフェミニストも存在した。 |
|||
|+ [[調査]][[対象]]と調査[[結果]](「肯定」は「全くそう思う」と「まあそう思う」の[[割合]]の合計。[[単位]]は%) |
|||
|- |
|||
! !! [[日本]] !! [[アメリカ合衆国|米国]] !! [[中華人民共和国|中国]] !! [[大韓民国|韓国]] |
|||
|- |
|||
! 調査対象 (男子:女子) |
|||
| 35.0:64.8 || 47.6:52.1 || 45.7:54.0 || 52.9:47.1 |
|||
|- |
|||
! 女は女らしくすべきだ 肯定 (男子:女子) |
|||
| 38.9:22.5 || 61.0:55.5 || 75.4:68.0 || 61.3:32.3 |
|||
|- |
|||
! 男は男らしくすべきだ 肯定 (男子:女子) |
|||
| 49.2:40.4 || 65.1:62.4 || 83.0:79.7 || 67.4:40.9 |
|||
|} |
|||
読売新聞2月20日[[朝刊]]の社説は、「日本青少年研究所」が公開した4カ国対象の意識調査において、「'''女は女らしくすべきだ'''」を肯定した日本の生徒が少なかった事などにもとづき、「教育界で流行している『ジェンダーフリー』思想の影響を見て取ることができる。」とし、その社説の最後で「調査結果は、倒錯した論理が広がったときの恐ろしさを示している。」と結論づけた<ref>読売新聞[[2004年]]2月20日朝刊:社説</ref>。 |
|||
だが近年、ジョン・マネーの研究は間違いであったことが明らかになった([[デイヴィッド・ライマー]]の項を参照)。これにより、ジェンダーフリーの学術的な正当性は否定されたとの指摘を、反対派は行った。 |
|||
== ジェンダーの先天性後天性論争 == |
|||
上記の事実が明らかになった後、賛同派は、「すでにジェンダーフリー思想は様々な多岐にわたる分野の研究成果から成立しており古い学説に依拠するような時代は大昔に過ぎ去っている」とした(関連、[[文化相対主義]]、[[社会的構築主義]])が、実際には、ジョン・マネーが唱えた説は近年に出版されたフェミニズムの書物などにも記されている。それゆえ、「賛同派は自らが依拠していた説をご都合主義的に翻した」との批判も受けることになった。 |
|||
ジェンダーフリーの論者は、ジェンダーフリーを正当化する理論として、ジェンダー(社会的性別)は後天的な要因が大きく関わって決定されるという説を主張している。文化人類学者[[マーガレット・ミード]]の研究、さらに性科学者[[ジョン・マネー]]の研究をその根拠付けに参照する著者も存在した。また、生物学的性差とは元もと人間に備わっているものではなく後天的な要因のみによって作られるものである、という急進的な主張をするフェミニストも存在した。 |
|||
だが近年、マーガレット・ミードとジョン・マネーの研究は間違いであったことが明らかになった([[マーガレット・ミード]]・[[デイヴィッド・ライマー]]の項を参照)。反対派はこのことでジェンダーフリーの学術的な正当性は否定されたとの指摘を行った。上記の事実が明らかになった後、賛同派は、「すでにジェンダーフリー思想は様々な多岐にわたる分野の研究成果から成立しており古い学説に依拠するような時代は遥か昔に過ぎ去っている」とした(関連、[[文化相対主義]]、[[社会的構築主義]])が、実際には、マーガレット・ミードやジョン・マネーが唱えた説は近年に出版されたフェミニズムの書物などにも記されている。それゆえ、「賛同派は自らが依拠していた説をご都合主義的に翻した」との批判も受けることになった。 |
|||
しかし、性差が後天的な要因でのみ決定されるという説が否定されたことは、性差が先天的な要因のみで決まるということが証明されたことを意味しない。これまで保守派の一部がジェンダーフリーを批判するために援用してきた脳神経学や遺伝子学などの分野において、男女の脳は従来言われていたほどの差はないのではないか、という傾向の主張もあり、ジェンダーフリー推進側は、このような主張にも注目すべきだとしている(最近の脳神経学の研究をわかりやすく紹介している本としては、田中富久子『脳の進化学 ――男女の脳はなぜ違うのか』など)。 |
|||
しかし、ジェンダーフリーの論者は「性差が後天的な要因でのみ決定されるという説が否定されたことは、性差が先天的な要因のみで決まるということが証明されたことを意味しない」と主張している。これまで保守派の一部がジェンダーフリーを批判するために援用してきた脳[[神経学]]や[[遺伝学]]などの分野において、ジェンダーフリーの論者は、「男女の脳は従来言われていたほどの差はないのではないか」、という傾向の主張をし、このような主張にも注目すべきだとしている{{Efn|最近の脳神経学の研究をわかりやすく紹介している本としては、田中富久子『脳の進化学 ――男女の脳はなぜ違うのか』など}}。 |
|||
== 関連項目 == |
|||
*[[ジェンダー]] |
|||
*[[フェミニズム]] |
|||
*[[フェミニスト]] |
|||
*[[メンズリブ]] |
|||
*[[性自認]] |
|||
*[[性教育]] |
|||
*[[男女共同参画社会]] |
|||
*[[マーガレット・ミード]] |
|||
*[[ジョン・マネー]] |
|||
*[[デイヴィッド・ライマー]] |
|||
*[[女人禁制]] |
|||
*[[男尊女卑]] |
|||
*[[石原慎太郎]] |
|||
*[[田嶋陽子]] |
|||
*[[安倍晋三]] |
|||
*[[野村旗守]] |
|||
*[[男性差別]] |
|||
*[[林道義]] |
|||
*[[八木秀次 (法学者)|八木秀次]] |
|||
*[[米田健三]] |
|||
*[[高市早苗]] |
|||
*[[山谷えり子]] |
|||
== |
== 脚注 == |
||
{{脚注ヘルプ}} |
|||
=== 注釈 === |
|||
{{Notelist}} |
|||
=== 出典 === |
|||
{{Reflist|30em|refs= |
|||
<ref name=":0">{{Cite web|和書|title=持続する希望 穂森幸一 |url=https://www.christiantoday.co.jp/articles/31297/20220811/homori-koichi-215.htm |website=[[クリスチャントゥデイ]] |access-date=2022-08-25 |language=ja |first=コラムニスト: |last=穂森幸一}}</ref> |
|||
}} |
|||
== 関連文献 == |
|||
=== 肯定的立場 === |
=== 肯定的立場 === |
||
* 江原由美子編『男性のためのジェンダー・フリー読本 少し立ちどまって、男たち』[[東京女性財団]](1997年3月) |
|||
*日本女性学会ジェンダー研究会著 『Q&A 男女共同参画/ジェンダーフリー・バッシング―バックラッシュへの徹底反論』 [[明石書店]] (2006/06) ISBN 4750323489 |
|||
* [[伊田広行]]著『シングル単位の恋愛・家族論―ジェンダー・フリーな関係へ』[[世界思想社]] (1998年4月) {{ISBN2|4790706990}} |
|||
*[[上野千鶴子]]・[[宮台真司]]・[[斉藤環]]・[[小谷真理]]他共著 『バックラッシュ! なぜジェンダーフリーは叩かれたのか?』 [[双風舎]] (2006/06/26) ISBN 4902465094 |
|||
* 日本女性学会ジェンダー研究会著 『Q&A 男女共同参画/ジェンダーフリー・バッシング―バックラッシュへの徹底反論』 [[明石書店]] (2006年6月) {{ISBN2|4750323489}} |
|||
=== 否定的立場 === |
=== 否定的立場 === |
||
* レナード・サックス著『男の子の脳、女の子の脳〜こんなに違う見え方・聞こえ方・学び方』草思社(2006年) |
|||
*[[西尾幹二]]著 『新・国民の油断 「ジェンダーフリー」「過激な性教育」が日本を亡ぼす』 [[PHP研究所]] (2005/01/12) ISBN 4569638120 |
|||
* [[西尾幹二]]・八木秀次著 『新・国民の油断 「ジェンダーフリー」「過激な性教育」が日本を亡ぼす』 [[PHP研究所]] (2005年1月12日) {{ISBN2|4569638120}} |
|||
*[[野村旗守]]編 『男女平等バカ「ジェンダーフリー」はモテない女のヒガミである!家庭、学校、社会、自治体、中央官庁の“ジェンダーな”事件簿 年間10兆円の血税をたれ流す、“男女共同参画”の怖い話!』 [[宝島社]] (2005/12/02) ISBN 4-7966-5040-7 |
|||
* [[野村旗守]]編 『男女平等バカ「ジェンダーフリー」はモテない女のヒガミである!家庭、学校、社会、自治体、中央官庁の“ジェンダーな”事件簿 年間10兆円の血税をたれ流す、“男女共同参画”の怖い話!』 * [[宝島社]] (2005年12月2日) {{ISBN2|4-7966-5040-7}} |
|||
=== 否定派を批判しているものの肯定的ではない立場 === |
|||
== 関連特集(雑誌・テレビ等) == |
|||
* [[上野千鶴子]]・[[宮台真司]]・[[斎藤環]]・[[小谷真理]]・[[鈴木謙介]]・[[後藤和智]]・[[澁谷知美]]・[[山口智美 (文化人類学者)|山口智美]]・[[荻上チキ]]他共著 『バックラッシュ! なぜジェンダーフリーは叩かれたのか?』 [[双風舎]] (2006年6月26日) {{ISBN2|4902465094}} |
|||
* [[SAPIO]] |
|||
[http://www.s-book.com/plsql/com2_magcode?sha=1&sho=2300205106&type=s&keitai=0 平成十八年五月十日号 箱もの利権ほか '''暴走するジェンダーフリー''' これは白い文化大革命だ] |
|||
== 関連項目 == |
|||
: [http://homepage2.nifty.com/antifemi/kiji79.html ジェンダーフリーに狂奔するフェミニスト8人の仰天「言行録」 千葉展正]他二本 |
|||
* [[性別|性別(セックス)]]/[[ジェンダー]] |
|||
平成十八年九月二十七日号 対中外交からニート利権まで 血税にたかる! 掠める! 喰らう! 悪い奴ら |
|||
* [[性教育]] |
|||
* [[性差別]] |
|||
: [http://skygarden.shogakukan.co.jp/skygarden/owa/solrenew_magcode?sha=1&zname=2300&keitai=0 [ジェンダー利権]「男女共同参画推進」ってフェミニストへの血税バラ撒きのこと? 野村旗守] |
|||
* [[マスキュリズム]]/[[メンズリブ]] |
|||
*[[ビートたけしのTVタックル]] |
|||
* [[フェミニズム]]/[[ウーマン・リブ]] |
|||
* [[男女共同参画社会]]/ [[男女共同参画社会基本法]]/[[男女雇用機会均等法]] |
|||
[http://www.geocities.jp/jb_motherlode/040112_tv_tackle/tackle00.html ジェンダーフリー・男女共同参画社会特集] |
|||
* [[性的少数者]]/[[LGBT]] |
|||
* [[国際ジェンダー学会]] |
|||
* [[ジェンダー史学会]] |
|||
== 外部リンク == |
== 外部リンク == |
||
=== 肯定的立場 === |
=== 肯定的立場 === |
||
* [http://niben.jp/or/ryosei/gender/sassi/sassi.html 司法におけるジェンダーバイアス(第二東京弁護士会)] {{ja icon}} |
|||
* [http://seijotcp.hp.infoseek.co.jp/genderfreeQandA.html ジェンダーフリーとは ](chiki ([[荻上チキ]]) 成城トランスカレッジ) |
|||
: [http://d.hatena.ne.jp/seijotcp/20051006 「ジェンダーフリー」でgoogle検索をかけたらアレな結果になる件について] |
|||
: [http://d.hatena.ne.jp/seijotcp/20060424/p3 「ジェンダーフリーとは」をなかったことにしたい人。] |
|||
=== 中立的立場(ジェンダーフリーだが極端な肯定派も糾弾する良識派) === |
|||
* [http://www.geocities.jp/fghi6789/gender.html 男女共同参画・ドメスティックバイオレンス・ジェンダー](「ある作家のホームページ」より) |
|||
* [http://www.geocities.jp/genderfreeteine/ ジェンダーフリーていねHP] |
|||
=== 否定的立場 === |
=== 否定的立場 === |
||
* [http://www. |
* [http://www.seisaku-center.net/modules/wordpress/index.php?cat=9 ジェンダーフリー] {{リンク切れ|date=2021年9月}}{{ja icon}}([[日本政策研究センター]]) |
||
* [http://constanze.at.webry.info/ のまりんの資料棚] {{ja icon}}([[神奈川県平塚市立大野中学校]][[教員|教諭]]・[[野牧雅子]]のブログ) |
|||
* [http://www5e.biglobe.ne.jp/~tokutake/koregajendafuri.htm これがジェンダーフリーの正体だ]([[徳澤健]] 日本を変える!) |
|||
* [http:// |
* [http://www4.hp-ez.com/hp/eon/page40/87 ジェンダーフリーは性差否定である] {{ja icon}} |
||
: [http://plaza.rakuten.co.jp/mizuhonet/diary/200604270000/ 説得力ゼロ『「ジェンダーフリーとは」をなかったことにしたい人。』] |
|||
=== 関連施設等 === |
|||
[[Category:ジェンダー|しえんたーふりー]] |
|||
* [http://www.tokyo-womens-plaza.metro.tokyo.jp/contents/outline.html#01 東京ウィメンズプラザ(旧・東京女性財団)] {{ja icon}} |
|||
{{フェミニズム}} |
|||
{{LGBT}} |
|||
{{DEFAULTSORT:しえんたあふりい}} |
|||
===関連施設等=== |
|||
[[Category:ジェンダー研究]] |
|||
* [http://www.tokyo-womens-plaza.metro.tokyo.jp/contents/outline.html#01 東京ウィメンズプラザ(旧東京女性財団)] |
|||
[[Category:ジェンダー平等]] |
|||
[[Category:和製英語]] |
|||
[[Category:ポリティカル・コレクトネス]] |
|||
[[Category:フェミニスト用語]] |
2024年7月13日 (土) 20:22時点における最新版
ジェンダーフリー(ラテン文字表記:gender-free)は、当初は「従来の固定的な性別による役割分担にとらわれず、男女が平等に、自らの能力を生かして自由に行動・生活できること」との意味であった和製英語である[1]。「社会的性別にこだわらない」という程度の平易な意味で作り出された和製英語であった。しかし、「ジェンダーフリー」という言葉は、日本における多くの外来語のように由来の言葉とは異なる意味でも用いられ、多義な意味を持つようになった。これを踏まえて、2004年に東京都が「ジェンダーフリー」の用語を使わないとし、2006年に男女共同参画局も地方公共団体に対して「用語をめぐる誤解や混乱を解消するため、今後はこの用語を使用しないことが適切」との事務連絡通知を出し、公機関による使用が控えられるようになった[2]。2015年、SDGsではジェンダー平等と呼ばれている。また、ジェンダー中立性とも言う[3]。
「ジェンダーフリー概念」の成立や事例
[編集]思想的背景・社会主義との関係
[編集]日本語における「ジェンダーフリー」の理論的・思想的背景については、社会学者の江原由美子によれば社会主義のイデオロギーから来ている[4]。
「ジェンダーフリー」的な思想の発祥はフランスの社会主義者フランソワ・マリー・シャルル・フーリエによって提唱された、家族廃止・家事労働の共同化等「ファランステール」という生活集団に見られるとの意見がある[5]。
1922年に建国されたソ連では当初は、アレクサンドラ・コロンタイが家族廃止、家事労働の共同化等ような意味での「ファランステール」に似たジェンダーフリー政策を打ち出した。しかし、この政策は失敗に終わり、1934年にはソ連政府も根本的見直しをすることになった(ニコラス・S・ティマシェフ「ロシアにおける家族廃止の試み」)[注釈 1]。
gender-blindの意味の変遷と問題
[編集]英語圏では「従来の固定的な性別による役割分担にとらわれず、男女が平等に、自らの能力を生かして自由に行動・生活できること」という「意味」を指す言葉として、gender-blind(社会的性別)、gender-equality(社会的性別平等)などの語が用いられていた[6]。ただし、2021年にはオランダの自国の性別欄を2024年度以降に無くすとしたパスポートは、「Gender-Blind ID」とされている[7]。このような男女の性別欄や区分を無くす「gender-blind」へは批判的な意見があり、問題になっている[8]。
「社会的性差無視」の意味でのgender-free
[編集]英語での「gender-free」という言葉自体は、和製英語「ジェンダーフリー」とは意味は異なるものの、アメリカの教育学者バーバラ・ヒューストンが最初に用いたとされている。ヒューストンは「gender-free」という言葉を「ジェンダーの存在を気にしない(社会的性差は存在しないものと考える)」、社会的性差無視という意味で使用していた。そして、彼女は、ジェンダーの存在を無視する「gender-free」よりも、男女の社会的性差に起因する差別や格差に敏感な視点を常に持って教育を進めるべきだと述べた。ここように社会的性差を無いものと考える「gender-free」に賛成しないという文脈で使った[9]。
日本における「ジェンダーフリー」
[編集]「ジェンダー・フリー」という言葉の初出は、井上輝子によれば、 東京都女性財団『ジェンダー・フリーな教育のために-女性問題研修プログラム開発報告書』 (1995-96)、 『若い世代の教師のために-あなたのクラスはジェンダー・フリー?』 (1995)であり、その後、行政資料で多く使用され、 2002年に使用のピークを迎えたという[10]。
山口智美は、「ジェンダー・フリー」は、この用語が日本に導入される元となったバーバラ・ヒューストンの論文の誤読であるとして、「ジェンダー・フリー」という用語の使用を疑問視している[6]。山口は、上記の東京女性財団の報告書で引用されているヒューストンの論文において、ヒューストンは、ジェンダー・ブラインド(ジェンダーを見ないようにする意味である)を合意する「ジェンダー・フリー」を批判し、「ジェンダー・センシティブ(ジェンダーに敏感な)教育」を支持する立場に立っていたという[6]。山口は、ヒューストンが提唱したわけではない用語が日本で定着していった過程を説明し、 「ジェンダー・フリー」という言葉が意識中心の問題に陥りやすいことを批判した[9]。
ジェンダー撲滅の「ジェンダーフリー」と賛否
[編集]本来はジェンダーフリーとは「社会的性別(ジェンダー)からの離脱の自由」を認める風潮を目指すはずが、「社会的性別(日本語の「ジェンダー」)そのものが悪であり、無くす必要がある」というジェンダーを撲滅させるという意味にいつしか摩り替わった。それがフェミニスト・左翼が画策した男女共同参画政策に連動した、教育現場でのジェンダー撲滅させる「ジェンダーフリー教育」が明らかになるにつれて、批判がより高まった。スポーツで男女の区別を曖昧にしたり、男性の女性トイレ使用など社会的混乱を招いた。
内閣府男女共同参画局が言うとおり、ジェンダーそれ自体は良いものでも悪いものでも無い。だが、フェミニストの上野千鶴子が著書『ジェンダー・フリーは止まらない』(松香堂)にも収録された2001年4月15日、NPO法人「フィティ・ネット」設立記念フォーラムでの講演にて、「女は嫁に行くのが一番だ、と私は信じています」という意味の見解を述べることは、ドイツで違法である「ヒットラーを支援する」ような発言をした時のように犯罪であるべきと主張した。上野は「(中略)人種に関しては許されないことが、なぜ女に関しては言ってもいいのでしょうか。それを「思想信条の自由」のもとに許していいのか、と思います。」と聴衆に訴えかけた。このような「ジェンダーフリー」・「男女平等」・「女性の社会参画」を隠れ蓑にした、「思想の押し付け」が平然と行われていることを保守派は批判し続けている。 日本国政府の「内閣府男女共同参画局」はジェンダーフリーについて『一部に、画一的に男女の違いを無くし人間の中性化を目指すという意味で「ジェンダー・フリー」という用語を使用している人がいますが、男女共同参画社会はこのようなことを目指すものではありません』と説明している(内閣府・男女共同参画関連用語集より引用)。2003年2月27日の国会における福田康夫官房長官(当時)の答弁では、「ジェンダーフリーという言葉はいかなる場合でも使ってはいけないということではない」「誤解を招くような、そういう恐れあるので政府として公式に使っていない」「使用する際に、例えば地方公共団体とか関係機関において用語を適切に定義して、それが誤解なく理解されるようにする、これが大事だ」との見解を示した[11]。
2005年12月27日に閣議決定された男女共同参画基本計画(第2次)第 2 部 2 (2) 項で使われている『「社会的性別」(ジェンダー)の視点』の用語の補足説明 2.では、『「ジェンダー・フリー」という用語を使用して、性差を否定したり、男らしさ、女らしさや男女の区別をなくして人間の中性化を目指すこと、また、家族やひな祭り等の伝統文化を否定することは、国民が求める男女共同参画社会とは異なる』と記されている。また『児童生徒の発達段階をふまえない行き過ぎた性教育、男女同室着替え、男女同室宿泊、男女混合騎馬戦等の事例は極めて非常識である』と記載されている[12]。2006年1月31日に内閣府男女共同参画局から各都道府県と政令指定都市の男女共同参画担当課(室)にあてて出された事務連絡には、「ジェンダーフリー」の用語をめぐる誤解や混乱を解消するために、上記の内容が基本計画に記述されたと記されており、『地方公共団体においても、このような趣旨を踏まえ、今後はこの用語は使わないことが適切と考えます』と記載されている[2]。内閣府によるこの用語の不使用通知をきっかけにして千葉県の女性センターが閉鎖されるなどの新しい混乱が起きた[13]。
内閣府男女共同参画局の指摘する意味での「ジェンダーフリー」という用語は、アメリカでも、日本政府でも、国連でも、公式に使われていない。なお、「(生物学的な意味での)男女を区別せず処遇する」と言う意味での gender-free は、英米軍の公式用語として使用されているし、「(生物学的な)ジェンダー(性)にかかわらない(語彙など)」という意味では使われているので「英語にない完全な和製英語」という言い方も正しくない。
福井県では、男女共同参画関連施設の県生活学習館で開架されていたジェンダー関連書籍を閲覧室からカウンター近くの事務室へ移し、敦賀市の市議等から抗議をうけた事例がある。県は、内容を確認をするためにこれらの書籍を移動したと説明し、確認の結果、全て問題がなかったとして一般公開を再開している[14][15]。
東京都では、男女の違いを否定するという意味でのジェンダーフリーが、都教育委員会の男女平等の見解と異なることから、ジェンダーフリーという言葉を用いないように文書で通達している。また、抗議を受けて、東京都国分寺市が、「ジェンダーフリー」という言葉を使用する恐れがあるとして講演を依頼していたフェミニストである上野千鶴子を招くことを見送った事例がある[16][17]
日本の「ジェンダーフリー」擁護派の弁明
[編集]擁護派からは日本で「ジェンダーフリー」と呼ばれる運動の思想は、英語圏における「ジェンダー・イクォリティ」(gender equality、ジェンダー平等)運動に近いとの主張が存在する。フェミニズム・社会学者山口智美は、『「ジェンダー・フリー」をめぐる混乱の根源』の中で『私は10年以上、アメリカの大学院でフェミニズムを専門としてきたが、「ジェンダー・フリー」という言葉は聞いたことがなかった。「ジェンダー・フリー」の「フリー」は、日本で一般に理解されているような「〜からの自由」という意味より、英語では「〜がない」という意味合いが強い。アルコールフリービール、オイルフリーファンデーションなどを例にとるとお分かりいただけるだろう。アメリカ人のフェミニスト学者数名に、「ジェンダー・フリー」について聞いてみたところ、「何それ?ジェンダー・ブラインドって意味なの?」という反応が返ってきた。彼女たちは、「(知らない言葉である「ジェンダーフリー」の意味について)ジェンダーを見ようとしない。ジェンダーが見えていない」という意味にとった。つまり、ジェンダー・フリーを、男女平等に対して否定的な意味合いを持つ用語と解釈したのである。』と述べている[6]
2006年時点では「ジェンダーフリー」を前面に押し出して普及させようという形の運動は下火となっているが、上野千鶴子らは『バックラッシュ! なぜジェンダーフリーは叩かれたのか?』にて、ジェンダーフリー教育を批判する言説を「バックラッシュ」と呼び、そのバックラッシュを批判しながら、ジェンダー等の用語について解説したり、ジェンダーフリーや男女共同参画の問題点を論じたり、バックラッシュ言説が問題とした各論点について検証する、という立場にたった論考集などを出版している[18]。
日本の「ジェンダーフリー」論争
[編集]賛成派の主張
[編集]男性達は、「男はこうあるべき」という旧来の「男らしさ」にとらわれているので、もっと性役割から解放されて、働き蜂という立場を考え直し、もっと育児にかかわるなど生き方を考え直すべきだ、と主張する。そのため、下記のような試みを男性に対して提言する[19]。
- 男らしさの理想像に合わせようと見栄を張らずに、実質をとる。
- 女性にも経済的責任を担ってもらう。デートも当然割り勘を基本とする。
- 職場への単一帰属をやめ、複数の人間関係を持つようにする。
- 「自分は男らしく生きたいとは思っていない」と公言するようにする。
- 定期的に、また、意識的に男の理想像から逸脱する。たとえば週末に女装をするのも良いだろうし、平日の公園でブラブラするのも良い。
精神科医の香山リカは、著書で「ジェンダーフリー教育や男女共同参画社会に疑問を呈する人たちは、そうした考えを『男らしさ・女らしさをいっさい排除しようとする極端な思想だ』と指摘しておきながら、自分たちも『すべての男は男らしく、すべての女は女らしく』、『それは誰にとっても生まれつき決定されていることなのだ』と極論に走るのはなぜなのだろう。(中略)いずれにしても、いくら『ジェンダー重視教育』を主張する人たちが声をあげても、少子化社会で女性の労働力はますます重要なものとなり、女性の社会進出は今とは形を変えることはあってもストップすることはないだろう。そうなると、一方で『女は女らしく』と言いながら、他方で『女性もどんどん働いて』と勧める教育を施さなければならなくなる。それこそ、心理学の世界では『ダブル・バインド』と呼ばれるもっともストレス度の高い状態だ」と述べている[20]。
反対・否定派の主張
[編集]石原慎太郎元東京都知事は、都議会定例会において、「最近、教育の現場をはじめさまざまな場面で、男女の違いを無理やり無視するジェンダーフリー論が跋扈している」、「男らしさ、女らしさを差別につながるものとして否定したり、ひな祭りやこいのぼりといった伝統文化まで拒否する極端でグロテスクな主張が見受けられる」、「男と女は同等であっても、同質ではあり得ない。男女の区別なくして、人としての規範はもとより、家庭、社会も成り立たないのは自明の理だ」と強調し、ジェンダーフリー教育を批判した。[21]。
クリスチャン・トゥデイは、男女の区別をスポーツに曖昧にしたり、女性トイレの男性利用がされる社会的混乱が起こしていると指摘している。「ジェンダーフリー」活動する左翼の一部が女性解放のために子どもを産まない運動、人口削減計画を推進していることに社会混乱を引き起こし、国家破壊に動いていると批判している[22]。
旧統一教会関連団体である「国際勝共連合」はジェンダーフリーを共産主義の亜種である「文化共産主義」とみなしており、反対運動を展開している[23][24][25][26]。
賛成派の対応に対する批判
[編集]ジェンダーフリー運動が始まってから十数年が経ち、数多くの批判がなされるようになるに従い、ジェンダーフリー批判者へ対する賛同者たちのジェンダーフリーの理論に対する直接的な批判だけではなく、ジェンダーフリー賛成派の硬直的で好戦的な態度に対する批判にも繋がっている。アメリカの連邦最高裁判所において(女性差別に関するものではなく人種差別に関するものではあるが)アファーマティブアクションを義務づける法律が違憲とされ、廃止されたことがある[注釈 2]。
ジェンダーレスとの混同
[編集]宮台真司や斉藤環などが、ジェンダーフリーとジェンダーレスの混同を指摘している。彼らによると、ジェンダーフリーとは「性差を否定すること」ではなく、性別による固定された社会的な役割を柔軟にしていく運動であり、逆を言えば従来通りの価値観すら認める立場である。一方で、ジェンダーレスは性別そのものを否定していく運動であり、一般にジェンダーフリー否定派が糾弾するのはジェンダーレスの思想であるという。宮台真司は『バックラッシュ! なぜジェンダーフリーは叩かれたのか』の中で「社会学のオーソドックスな枠組みからいうと、ジェンダーフリーは、ジェンダーレスではありません。ジェンダーレスは「社会的性別の消去」だけど、ジェンダーフリーは「社会的性別に関わる再帰性」であって、「ジェンダーフリーだから、ああしろ、ここしろ」という直接的メッセージは本来、出てきません。」と唱えた。
また、後述するように、ジェンダーフリーの名の下に行われている、「男女」を「女男」に変える、ランドセルの色を男女で統一、男女の伝統行事の否定などの動きが、「ジェンダーフリー」の本質から逸れている可能性のあるもの、あるいは「男女の差を意図的になくそうとしている」と保守派から批判されている。つまり、同じように「女らしさ」を肯定し、推奨したとしても、各世代間の「女らしさ」の意識にズレがあるため、議論が平行線を辿ってしまうという構造である。
こういった背景から、ジェンダーフリー運動が要求するのは「〜らしさ」の自己決定権[注釈 3]であり、「社会から性差が無くなるべきだ」とは主張しない。
一方、自民党などは「男らしさ、女らしさを認めます」とし、ジェンダーフリーを「らしさ」を否定する思想という理解のもと、ジェンダーフリーを否定している。ジェンダーフリー自体は、個々人の考える「男らしさ、女らしさ」を否定する概念ではなく、社会的に必然性のある区別(例:トイレや更衣室を男女別室にする)や、男が「男らしく」あること、女が「女らしく」あることをも、自己決定権を前提に肯定している。
国政政党と「ジェンダーフリー」への賛否
[編集]自由民主党
[編集]- 原則としてジェンダーフリー政策を支持し、与党として、かつてのジェンダーフリー政策を主導してきたが、一部の末端での政策運用については、『(教育)現場では「小学5年生で男女同宿」「学校のトイレが男女一緒」など性差を否定する『教育の暴走』がおこなわれている』(自民党の実態調査プロジェクトのホームページ)などとして批判し、現在は「ジェンダーフリー」という言葉自体は誤解や混乱を招くとして使っていない。
日本共産党
[編集]- 一部の議員が「ジェンダーフリー」という言葉を使わないことに反発している。
民主党
[編集]- 「老若男女が、それぞれ生きがいを感じる社会システムづくりが社会全体を豊かにするのです。性別役割分業を固定化しない(ジェンダーフリー)社会こそ、日本を再創造するカギとなります。」とし、男女共同参画社会政策は支持していた。しかし、昨今の「ジェンダーフリー」という言葉に対する反発世論に配慮して党の政策から「ジェンダーフリー」という用語自体は削除されている。
日本の「ジェンダーフリー」の実践例等
[編集]日本における「ジェンダーフリー」の実践として次のような例がある。
教育現場
[編集]以前より日本教職員組合などは、「男の子だけの通過儀礼を廃止せよ」といった、「ジェンダーフリー」(正確にはジェンダーレス)につながる主張を行ってきた。さらに、女性の社会進出が進むにつれ、学校教育はより細かいジェンダーバイアスの撤廃を指摘されるようになった。そして男女共同参画社会基本法の制定により、一つの教育運動となったものである。
具体的な事例としては、「ジェンダーフリー教育」として、以下のような事が教育現場で行われてきたとされる。
- 若桑みどりほか編著『「ジェンダー」の危機を超える!徹底討論!バックラッシュ』の中において、次の内容がジェンダーフリー教育の実践例として挙げられている[27]。
- ランドセルの色を問題として取り上げ、男は黒、女は赤というのはおかしいとして男女同色を検討する[28]。
- 思春期以降の生徒にとってジェンダーフリーと性教育とは密接不可分なものと考え、教育現場で生かす[29]。
- 子供たちの権利として障害児に効果的な、具体性のある性教育を行う(都立七生養護学校等)[30]。
- 男性器の模型に避妊具を被せる練習を行わせる。
- 白い液体(牛乳)が出る男性器の模型を使う。
- 性器がついた男女の人形に性行為をさせ、生徒に見せる。
- 性描写がある絵本を見せる。
- さいたま市議会議員の生方博志は、日本教職員組合平和学習冊子編集委員会編の「総合学習の時間に生かす『これが平和学習だ』」という冊子において、「1 女男混合名簿の実践、2 各教科の女男平等教育・・」など、「女男」という用語を用いた取り組みが示されていると指摘している[31]。
- 衆議院特別委員会で質問に立った山谷えり子議員は、自分が千葉県松戸市の「ふりーせる保育」について保護者に取材した結果の一例として、運動会のダンスを「慎吾ママのおはロック」のCDで踊りたいという希望があったが、母親が朝ごはんをつくるフレーズがジェンダーフリーに反するという理由で、歌詞のないカラオケになった事例があると指摘した[32]。
- 『現代用語の基礎知識2006』の「ジェンダーフリー」の項によれば、「学校現場では、男女混合名簿や、更衣室を一緒にするなど混乱」があったとされる。
日本教職員組合が発行している小冊子『隠れたカリキュラム ジェンダーフリーの教育を』の中において、「女と男を分けることをやめよう」・「学校行事はジェンダー・フリーで」・「ジェンダーフリーの教材開発を」と主張している。この意味でのジェンダーフリーの教材開発とは、文学教材においては女の子も男の子も主体的に行動的に描かれることであり、「性の教育」を推進する教材開発である。
団体等の活動
[編集]教育行政や団体の運動としては、次のような事例が挙げられる。
- 日本教職員組合は2005年3月に発刊した『日教組政策制度要求と提言』の政策提言62において、国への政策提言として、男女平等教育のための基本方針の策定、学校における男女平等教育推進のための教職員への研修の実施、性別役割分業に基づく記述や挿し絵をなくすために教科書の検定にジェンダーの視点を入れることなどを提案している。また、活動のひとつとして「毎年2月をメディア・チェック月間と位置づけ、社会の中や自分の中にある「固定的なジェンダー意識」に気付き、問題化し、放送機関や関係機関に対し要請行動を行なって」いると述べている。
- 日本女性学習財団発行の冊子『新子育て支援 未来を育てる基本のき』において、「無意識のうちに、子どもたちに『女らしさ』や『男らしさ』を押しつけるような子育てをしていませんか? ふり返ってみましょう」との言葉とともに、
- などが、ジェンダーフリーに反する例として挙げられた。
日本女性学会は、2003年3月の学会ニュースにおいて、鯉のぼりとひな祭りに含まれていた「男は強く元気に/女は優しく美しく」と、「性別と人のありかたを結びつけるシンボリズム」は今日では適切でないとし、5月5日が全てのこどものための祝日であるようにひなまつりも性別によらない祝いにするのが良い、と指摘している[34]。
- 第156回国会において、植田至紀が、財界の出資による「全寮制男子校」設置の構想を批判したうえで、「今後、性別に特化した学校を設立することは、「男女共同参画」と矛盾するのではないか」等の質問を行った[35]。これについて政府は、男女の共学については教育上尊重されるべきものであるが、すべての学校における男女の共学を一律に強制する趣旨のものではない、との見解を示している[36]。
- 埼玉県男女共同参画苦情処理委員は、県立高校の共学化を求める苦情に応じ、公立の男女別学校の早期共学化を求める勧告を行った。これに対し、埼玉県立浦和第一女子高等学校PTA広報部は、同校の保護者を対象としたアンケート結果や、現役の女子高生が疑問の声をあげていることなどから、勧告は「根拠のない結論」であると指摘した。県教育委員会はこの勧告に対し、「早期の共学化は行わず、当面は現状を維持する」との報告を行った[要出典]。
- 日本労働組合総連合会はセクシャルハラスメントへの対策の一環として、男性向けに「ジェンダーチェック」を行うための表を作成して公開している。この表では、25個のチェック項目のうち18項目以上に該当すると「レッドカード」と認定される[37]。
- また、公共施設では赤は女性差別だからトイレの壁の色や表示を男女同一を促す勧告が女性団体等から出ているが、男女別がはっきりしない、視認性がはっきりせずバリアフリーに反するという市民からの意見が出ている[38]。
国別学生達の「ジェンダー」意識アンケート
[編集]文部科学省の外郭団体である財団法人「一ツ橋文芸教育振興会」と「日本青少年研究所」は、2003年秋に日本・米国・韓国・中国の高校生各千人を対象にアンケート調査を行い、2004年2月にその結果を発表した。この結果にもとづき、読売新聞は、日本では「女は女らしくすべきだ」を肯定した生徒が28.4%であり、他国(米58.0%、中71.6%、韓47.7%)よりも「突出して低い」と報じた。また、「男は男らしく」を肯定した人も43.4%と、4カ国で唯一半数以下であると指摘した[39]。
なお、上記の新聞記事が引用し、日本青少年研究所が公開している調査報告書には、単純集計結果と男女別集計結果が記されている。この報告書における男女別集計結果によれば、調査対象者と各項目を肯定した者の男女比は下記の通りである[40]。
日本 | 米国 | 中国 | 韓国 | |
---|---|---|---|---|
調査対象 (男子:女子) | 35.0:64.8 | 47.6:52.1 | 45.7:54.0 | 52.9:47.1 |
女は女らしくすべきだ 肯定 (男子:女子) | 38.9:22.5 | 61.0:55.5 | 75.4:68.0 | 61.3:32.3 |
男は男らしくすべきだ 肯定 (男子:女子) | 49.2:40.4 | 65.1:62.4 | 83.0:79.7 | 67.4:40.9 |
読売新聞2月20日朝刊の社説は、「日本青少年研究所」が公開した4カ国対象の意識調査において、「女は女らしくすべきだ」を肯定した日本の生徒が少なかった事などにもとづき、「教育界で流行している『ジェンダーフリー』思想の影響を見て取ることができる。」とし、その社説の最後で「調査結果は、倒錯した論理が広がったときの恐ろしさを示している。」と結論づけた[41]。
ジェンダーの先天性後天性論争
[編集]ジェンダーフリーの論者は、ジェンダーフリーを正当化する理論として、ジェンダー(社会的性別)は後天的な要因が大きく関わって決定されるという説を主張している。文化人類学者マーガレット・ミードの研究、さらに性科学者ジョン・マネーの研究をその根拠付けに参照する著者も存在した。また、生物学的性差とは元もと人間に備わっているものではなく後天的な要因のみによって作られるものである、という急進的な主張をするフェミニストも存在した。
だが近年、マーガレット・ミードとジョン・マネーの研究は間違いであったことが明らかになった(マーガレット・ミード・デイヴィッド・ライマーの項を参照)。反対派はこのことでジェンダーフリーの学術的な正当性は否定されたとの指摘を行った。上記の事実が明らかになった後、賛同派は、「すでにジェンダーフリー思想は様々な多岐にわたる分野の研究成果から成立しており古い学説に依拠するような時代は遥か昔に過ぎ去っている」とした(関連、文化相対主義、社会的構築主義)が、実際には、マーガレット・ミードやジョン・マネーが唱えた説は近年に出版されたフェミニズムの書物などにも記されている。それゆえ、「賛同派は自らが依拠していた説をご都合主義的に翻した」との批判も受けることになった。
しかし、ジェンダーフリーの論者は「性差が後天的な要因でのみ決定されるという説が否定されたことは、性差が先天的な要因のみで決まるということが証明されたことを意味しない」と主張している。これまで保守派の一部がジェンダーフリーを批判するために援用してきた脳神経学や遺伝学などの分野において、ジェンダーフリーの論者は、「男女の脳は従来言われていたほどの差はないのではないか」、という傾向の主張をし、このような主張にも注目すべきだとしている[注釈 4]。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ ジェンダーフリーと社会・共産主義の結びつきについては、安藤紀典『マルクス主義の女性解放論』が詳しい。
- ^ 1995年5月、米国連邦最高裁判所は、黒人学生のみに適用されるメリーランド州立大学の奨学金制度は法の下の平等に反するとした控訴審判決を支持し、同年6月29日には、黒人が多数選出されるように区割りされたジョージア州の下院議員選挙区の設定は違憲であるとした。また、公共事業であるハイウエー工事において、マイノリティー関連企業を優遇する政策が一定の場合には違憲になるとした。アメリカの場合、アファーマティブアクションは、大抵はマイノリティ(主に黒人などの国内における少数民族)に対して実施されるものであるが男性が多数を占める消防隊や警察などにおいては女性が優遇されることがままにある
- ^ 「伝統的な価値観を尊重したい人はそうすれば良いし、その考えは守られた方が良い。一方、伝統的な価値観を受け入れたくない人は別な価値観で生きることが出来れば良いし、その考えは守られた方が良い」とする考え
- ^ 最近の脳神経学の研究をわかりやすく紹介している本としては、田中富久子『脳の進化学 ――男女の脳はなぜ違うのか』など
出典
[編集]- ^ 『デイリー新語辞典』(三省堂)
- ^ a b 「ジェンダーフリーについて」男女共同参画局 事務連絡 2006年1月31日より引用
- ^ “SDGs目標5ジェンダー平等とは”. world vision. 2024年5月27日閲覧。
- ^ 『フェミニズムの名著50』
- ^ 『フェミニズムの歴史』
- ^ a b c d 山口智美. “ジェンダーフリーをめぐる混乱の根源 (1) & (2)”. くらしと教育をつなぐWe 2004年11月号&2005年1月号掲載. 2021年10月4日閲覧。
- ^ “男性発端のジェンダー平等活動、サステナブルな生理用品…欧州のSDGsな取り組み(FRaU編集部)”. FRaU | 講談社 (2021年11月28日). 2023年6月4日閲覧。
- ^ Henriques, Ana O.; Rafael, Sónia; Almeida, Victor M; Pinto, José Gomes (2023-04-19). “The problem with gender-blind design and how we might begin to address it: A model for intersectional feminist ethical deliberation”. Extended Abstracts of the 2023 CHI Conference on Human Factors in Computing Systems (New York, NY, USA: Association for Computing Machinery): 1–12. doi:10.1145/3544549.3582750. ISBN 978-1-4503-9422-2 .
- ^ a b 福嶋秩子「「ジェンダー・フリー」ということば」『新潟ジェンダー研究』第7巻、ジェンダー視点に立った研究・教育者ネットワーク、2008年3月、13-16頁、NAID 120006584612。
- ^ 若桑みどり ほか編著『「ジェンダー」の危機を超える!徹底討論!バックラッシュ』青弓社、2006年、68-70頁。
- ^ 第164回予算委員会第一分科会 第一号 平成15年(2003年)2月27日
- ^ 男女共同参画基本計画(第2次)2005.12.27
- ^ 現代用語の基礎知識2007
- ^ ジェンダー関連書排除 県生活学習館(福井新聞 2006/5/12)
- ^ ジェンダー関連 元戻し閲覧再開(福井新聞2006/5/17)
- ^ 東京都に抗議する!(上野千鶴子 国分寺問題)
- ^ 「ジェンダー・フリー」への攻撃 なぜ?(日本共産党 しんぶん赤旗)
- ^ 上野千鶴子・宮台真司・斉藤環・小谷真理他共著 『バックラッシュ! なぜジェンダーフリーは叩かれたのか?』 双風舎、2006年
- ^ 東京女性財団『男性のためのジェンダー・フリー読本 少し立ちどまって、男たち』(88p)
- ^ 『いまどきの常識』 岩波新書 p66〜67
- ^ 東京都議会平成16年第2回定例会(第7号) 平成16年(2004年)6月1日
- ^ 穂森幸一, コラムニスト:. “持続する希望 穂森幸一”. クリスチャントゥデイ. 2022年8月25日閲覧。
- ^ 『世界思想』2013年12月号、世界思想出版 p6~16
- ^ 『世界思想』2007年4月号、世界思想出版 p6~16
- ^ 『世界思想』2008年5月号、世界思想出版 p28~29
- ^ 『世界思想』2008年1月号、世界思想出版 p28~29
- ^ 若桑みどり ほか編著『「ジェンダー」の危機を超える!徹底討論!バックラッシュ』
- ^ 読売新聞社説 2004年2月20日
- ^ 東京女性財団『ジェンダー・フリーな教育のためにII』
- ^ 『新・国民の油断 「ジェンダーフリー」「過激な性教育」が日本を滅ぼす』PHP研究所 「巻頭カラー写真」および「第三章」
- ^ さいたま市議会. 平成14年9月定例会. Vol. 3. 10 September 2002.
日教組の平和学習冊子編集委員会編の「総合学習の時間に生かす『これが平和学習だ』」という冊子には、女男平等を目指す学校改革の取組みの中で、1 女男混合名簿の実践、2 各教科の女男平等教育、3女男という線引き、区別の意識的な排除、4 女男別統計の排除、5 学校内で仕事や役割を女男別で分けない、6 性別役割分業やジェンダーを植えつける隠れたカリキュラムに気づき、意識的に女男平等教育のための教材を設定する、以上のようなことが示されております。今、何人かの笑い声が聞こえましたけれども、まさに「女男」という、私たちとっては異常な書き方をしているわけですけれども、こうした日教組の方針が、現在着々と教育現場で拡大解釈されながら浸透していると、こう私は考えている一人でございます。
- ^ 青少年問題に関する特別委員会. 第155回国会. Vol. 2. 21 November 2002.
それから、お母さんたちが、運動会で「慎吾ママのおはロック」のCDをかけて一緒にダンスをしたいと言ったらば、お母さんが朝御飯をつくるというフレーズがジェンダーフリーに反するからだめだと言われて、歌詞をなくしてカラオケだけでやった。
- ^ この節は日本教職員組合発行『隠れたカリキュラム ジェンダーフリーの教育を』 session3を参照。
- ^ 学会ニュース『Q&A-男女共同参画をめぐる現在の論点』日本女性学会 号外 2003年3月[リンク切れ]
- ^ 常会. 第156回国会. 20 February 2003.
現在、トヨタ、JR西日本等の財界の出資による「全寮制男子校」設置の構想があるが、国家政策として男女共同参画が課題となっているいま、性別に特化した学校設立には、時代錯誤という印象を禁じ得ない。教育は、両性の平等を基礎とすべきであり、教育分野の規制緩和により、「両性の平等」「男女共同参画社会の実現」が損なわれてはならないと考える立場から質問するものである。1 今後、性別に特化した学校を設立することは、「男女共同参画」と矛盾するのではないか。
- ^ 常会. 第156回国会. 14 March 2003.
学校における男女の共学については、教育基本法(昭和二十二年法律第二十五号)第五条の規定により、教育上尊重されるべきものであるが、これは、すべての学校における男女の共学を一律に強制する趣旨のものではなく、個々の学校において男女共学とするか男女別学とするかについては、地域の実情、学校の特色等に応じて設置者等において適切に判断されるべきものであると考えている。
- ^ 男性のためのジェンダーチェック表(日本労働組合総連合会)
- ^ 中日新聞2008年10月28日付記事 「やはり必要?男女のトイレマーク 揺れる愛知県大府市」
- ^ 2004年2月17日読売新聞朝刊
- ^ 高校生の生活と意識に関する調査 (日本青少年研究所 2004年2月)
- ^ 読売新聞2004年2月20日朝刊:社説
関連文献
[編集]肯定的立場
[編集]- 江原由美子編『男性のためのジェンダー・フリー読本 少し立ちどまって、男たち』東京女性財団(1997年3月)
- 伊田広行著『シングル単位の恋愛・家族論―ジェンダー・フリーな関係へ』世界思想社 (1998年4月) ISBN 4790706990
- 日本女性学会ジェンダー研究会著 『Q&A 男女共同参画/ジェンダーフリー・バッシング―バックラッシュへの徹底反論』 明石書店 (2006年6月) ISBN 4750323489
否定的立場
[編集]- レナード・サックス著『男の子の脳、女の子の脳〜こんなに違う見え方・聞こえ方・学び方』草思社(2006年)
- 西尾幹二・八木秀次著 『新・国民の油断 「ジェンダーフリー」「過激な性教育」が日本を亡ぼす』 PHP研究所 (2005年1月12日) ISBN 4569638120
- 野村旗守編 『男女平等バカ「ジェンダーフリー」はモテない女のヒガミである!家庭、学校、社会、自治体、中央官庁の“ジェンダーな”事件簿 年間10兆円の血税をたれ流す、“男女共同参画”の怖い話!』 * 宝島社 (2005年12月2日) ISBN 4-7966-5040-7
否定派を批判しているものの肯定的ではない立場
[編集]- 上野千鶴子・宮台真司・斎藤環・小谷真理・鈴木謙介・後藤和智・澁谷知美・山口智美・荻上チキ他共著 『バックラッシュ! なぜジェンダーフリーは叩かれたのか?』 双風舎 (2006年6月26日) ISBN 4902465094
関連項目
[編集]- 性別(セックス)/ジェンダー
- 性教育
- 性差別
- マスキュリズム/メンズリブ
- フェミニズム/ウーマン・リブ
- 男女共同参画社会/ 男女共同参画社会基本法/男女雇用機会均等法
- 性的少数者/LGBT
- 国際ジェンダー学会
- ジェンダー史学会
外部リンク
[編集]肯定的立場
[編集]否定的立場
[編集]関連施設等
[編集]