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== 生涯 ==
== 生涯 ==
[[高知県]][[長岡郡]][[本山町]]出身。[[京都大学|京都帝國大学]]を卒業。[[1947年]](昭和22年)の第1回高知県知事選挙に出馬し当選。およそ半年後の[[1947年]](昭和22年)[[7月25日]]に[[公職追放]]が決定し、解職。追放解除後の[[1951年]](昭和26年)に[[国民民主党 (日本 1950-1952)|民主党]]、[[日本社会党|社会党]]、[[社会革新党|社民党]]の推薦を得て、現職の[[桃井直美]]を約2万票の差で破り当選。[[1955年]](昭和30年)まで再び知事を務めた。知事退任後の[[1958年]](昭和33年)の[[第28回衆議院議員総選挙]]で無所属で立候補したが落選した。1968年(昭和43年)2月19日、[[脳軟化症]]のため66歳で死去。
[[高知県]][[長岡郡]][[本山町]]出身。[[京都大学|京都帝國大学]]を卒業。[[1947年]](昭和22年)の第1回高知県知事選挙に出馬し当選。およそ半年後の[[1947年]](昭和22年)[[7月25日]]に[[公職追放]]が決定し、解職。追放解除後の[[1951年]](昭和26年)に[[国民民主党 (日本 1950)|民主党]]、[[日本社会党|社会党]]、[[社会革新党|社民党]]の推薦を得て、現職の[[桃井直美]]を約2万票の差で破り当選。[[1955年]](昭和30年)まで再び知事を務めた。知事退任後の[[1958年]](昭和33年)の[[第28回衆議院議員総選挙]]で無所属で立候補したが落選した。1968年(昭和43年)2月19日、[[脳軟化症]]のため66歳で死去。


{{高知県知事|1947(昭和22)年-1948(昭和23)年,1951(昭和26)年-1955(昭和30)年}}
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2020年12月26日 (土) 10:39時点における版

川村 和嘉治(かわむら わかじ、1901年(明治34年)2月21日 - 1968年(昭和43年)2月19日、満66歳没)は日本の政治家高知県知事を務めた。

生涯

高知県長岡郡本山町出身。京都帝國大学を卒業。1947年(昭和22年)の第1回高知県知事選挙に出馬し当選。およそ半年後の1947年(昭和22年)7月25日公職追放が決定し、解職。追放解除後の1951年(昭和26年)に民主党社会党社民党の推薦を得て、現職の桃井直美を約2万票の差で破り当選。1955年(昭和30年)まで再び知事を務めた。知事退任後の1958年(昭和33年)の第28回衆議院議員総選挙で無所属で立候補したが落選した。1968年(昭和43年)2月19日、脳軟化症のため66歳で死去。