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「花と竜」の版間の差分

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==== キャスト ====
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*玉井金五郎:[[嶋政宏]]
*玉井金五郎:[[嶋政宏]]
*[[古手川祐子]]
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*[[黒木瞳]]
*[[黒木瞳]]

2020年12月23日 (水) 03:55時点における版

舞台となった若松港に立つ火野葦平(1953年)
主人公である火野の父、玉井金五郎(1936年頃)

花と竜』(はなとりゅう)は、昭和27年(1952年)4月から翌28年(1953年)5月まで『読売新聞』に連載された火野葦平長編小説である。

内容

明治中期から太平洋戦争後の北九州を舞台に、著者の父である玉井金五郎(若松の仲士・玉井組組長)と妻のマンの夫婦が、裏切りやすれ違いを経験しながら家族の歴史を積み重ねていく大河小説である。ほとんど実名であり、沖仲仕の生活向上のために小頭聯合組合を結成しようと運動して、吉田磯吉の四天王と呼ばれた岡部亭蔵の一派に狙われ三十数か所の刃傷をうけたのも、どてら婆さんなる女侠客の乾児から襲撃され危篤となったのも事実である。

タイトルの「竜」は、金五郎が青年の客気で五体に入れた刺青であり、男としての虚栄心と詰まらない意地が、人生に拭えない影を落とすという自戒の徴である。周囲の誤解や無理解に挫けず、ひたむきに信念を貫く金五郎とそれを支えつづけるマンは、戦後に全てを失った日本において、裏切りや屈辱の境遇にあっても人としての品位を守ろうとする、玉井自身の理想を「花」としたものである。やや通俗的であるが、米国の占領から独立する日本への火野の願いを物語っている。

映像化

連載終了直後の1954年藤田進主演で『花と龍 第一部 洞海湾の乱斗』と『花と龍 第二部 愛憎流転』の2部作として、東映で最初の映画化がされている。その後、1962年日活で、1965年1966年に東映で、1973年松竹で映画化された。また、1963年1970年にNET(現・テレビ朝日)で、1964年日本テレビで、1992年TBSでドラマ化されている。

なお、上述の1973年版では田宮二郎が栗田の銀五役で出演しているが、奇しくも田宮の自殺情報がマスコミに入ったのは日本テレビ(関東ローカル)でこの1973年版(第一部)を放送している最中であった。そして、日本テレビでもこの1973年版の放送中にニュース速報で田宮の自殺を報じることとなった。

映画

1954年

花と龍 第一部 洞海湾の乱斗
花と龍 第二部 愛憎流転
監督 佐伯清
脚本 池田忠雄
橋本忍
原作 火野葦平
出演者 藤田進
山本礼三郎
山根寿子
島崎雪子
音楽 團伊玖磨
撮影 西川庄衛
製作会社 東映
公開 1954年3月3日(第一部)
1954年3月24日(第二部)
上映時間 135分(第一部)
122分(第二部)
製作国 日本の旗 日本
言語 日本語
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1954年3月3日に『第一部 洞海湾の乱斗』、同年3月24日に『第二部 愛憎流転』が公開された。製作は東映。

キャスト

第一部・第二部
第一部
第二部

スタッフ

1962年

花と竜
監督 舛田利雄
脚本 井手雅人
原作 火野葦平
出演者 石原裕次郎
浅丘ルリ子
岩崎加根子
葉山良二
音楽 伊部晴美
撮影 山崎善弘
編集 辻井正則
製作会社 日活
配給 日活
公開 1962年12月26日
上映時間 109分
製作国 日本の旗 日本
言語 日本語
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1962年12月26日に公開。製作は日活。配給収入は3億6040万円[1]

キャスト

スタッフ

1965年・1966年

花と龍
続花と龍 洞海湾の決斗
監督 山下耕作
脚本 田坂啓
中島貞夫(2作目)
原作 火野葦平
出演者 中村錦之助
佐久間良子
淡路恵子
田村高廣
音楽 三木稔
撮影 古谷伸
編集 河合勝己
製作会社 東映
配給 東映
公開 1965年11月20日(1作目)
1966年1月13日(2作目)
上映時間 97分(1作目)
90分(2作目)
製作国 日本の旗 日本
言語 日本語
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1965年11月20日公開。製作は東映。タイトルは『花と龍』。その後、1966年1月13日に続編として『続花と龍 洞海湾の決闘』が公開された。1965年版は2009年11月21日にDVDが発売された。

1965年に中村錦之助東映京都撮影所(以下、東映京都)の役者が30数人で労働組合を結成し会社と揉めた[2][3][4][5]。委員長だった錦之助は責任を取り[6]、また時代劇が作られなくなった東映の製作方針もあり[5]、当時他社の人気スターが独立プロを興すブームもあって[3]岡田茂東映京都所長を介して、大川博東映社長に東映退社を告げた[3][7]五社協定が俄然強い時代で[6]アカ嫌いの大川は、役者が独立プロを作るからと勝手に辞めたらしめしが付かないと反対した[3][7]。岡田は錦之助がまた東映に戻って来れるようにと四本だけ出演してくれと条件を錦之助に飲ませて大川社長を説得し[3][7]、錦之助を円満退社させた[3][7]。四本のうちの二本が本作と続編の二本[7]。残りの二本は『沓掛時次郎 遊侠一匹』と『丹下左膳 飛燕居合斬り[3][7]

キャスト

第1作
第2作(続編)

スタッフ

1969年

日本侠客伝 花と龍
監督 マキノ雅弘
脚本 棚田吾郎
原作 火野葦平
出演者 高倉健
星由里子
藤純子
二谷英明
音楽 木下忠司
撮影 飯村雅彦
編集 田中修
製作会社 東映
配給 東映
公開 1969年5月31日
上映時間 112分
製作国 日本の旗 日本
言語 日本語
前作 日本侠客伝 絶縁状
次作 日本侠客伝 昇り龍
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日本侠客伝」シリーズとして、1969年5月31日公開。製作は東映。タイトルは『日本侠客伝 花と龍』。配給収入は1億8000万円[8]

キャスト

スタッフ

1970年

日本侠客伝 昇り龍
監督 山下耕作
脚本 笠原和夫
原作 火野葦平
出演者 高倉健
藤純子
中村玉緒
片岡千恵蔵
音楽 斎藤一郎
撮影 吉田貞次
編集 宮本信太郎
製作会社 東映
配給 東映
公開 1970年12月3日
上映時間 117分
製作国 日本の旗 日本
言語 日本語
前作 日本侠客伝 花と龍
次作 日本侠客伝 刃
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日本侠客伝」シリーズとして、1970年12月3日公開。製作は東映。タイトルは『日本侠客伝 昇り龍』。同シリーズとしては『日本侠客伝 花と龍』の次作であり、玉井金五郎やお京のキャストも同じだが、ストーリーに繋がりはなく、それぞれ独立している。

出演者

スタッフ

1973年

花と龍 青雲篇 愛憎篇 怒濤篇
監督 加藤泰
脚本 加藤泰
三村晴彦
野村芳太郎
原作 火野葦平
製作 三嶋与四治
出演者 渡哲也
香山美子
竹脇無我
田宮二郎
音楽 鏑木創
主題歌 美空ひばり
撮影 丸山恵司
編集 大沢しづ
製作会社 松竹
配給 松竹
公開 1973年3月17日
上映時間 168分
製作国 日本の旗 日本
言語 日本語
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1973年3月17日公開。製作は松竹。タイトルは『花と龍 青雲篇 愛憎篇 怒濤篇』。

キャスト

スタッフ

テレビドラマ

1959年

1959年11月17日から同年12月29日まで、フジテレビの『鶴田浩二文芸名作シリーズ』(火曜20:00 - 20:30)で放送。

キャスト
スタッフ
フジテレビ 鶴田浩二文芸名作シリーズ
前番組 番組名 次番組
花と竜
(1959年版)

1963年

1963年12月1日、NET系の『日本映画名作ドラマ』で放送。

キャスト

スタッフ

NET 日本映画名作ドラマ
前番組 番組名 次番組
花と竜
(1963年版)

1964年

村田英雄の花と龍』。1964年10月25日から1965年1月17日まで日本テレビ系で放送。全13回。放送時間は日曜21:30 - 22:00で、7年続いた『ダイヤル110番』の次番組として開始。

主題歌は村田の持ち歌としてよく聞かれた。

キャスト

スタッフ

  • 脚本:新井豊
  • 演出:野崎元晴
  • 主題歌:村田英雄「花と竜」作詞:二階堂伸(=村田英雄) 作曲:北くすお(=村田英雄)
日本テレビ 日曜21時台後半枠
前番組 番組名 次番組
村田英雄の花と龍

1970年

1970年3月19日から5月14日までNET系の『ナショナルゴールデン劇場』で放送。全9回。1962年公開の映画版を監督の舛田利雄がリメイクした作品である。

キャスト

スタッフ

  • 原作:火野葦平
  • 脚本・演出:舛田利雄
  • 音楽:冨田勲
NET(現:テレビ朝日) ナショナルゴールデン劇場
前番組 番組名 次番組
花と竜

1992年

1992年1月4日、TBS系で放送。放送時間は21:00 - 23:48(JST)。

キャスト

スタッフ

脚注

  1. ^ 『キネマ旬報ベスト・テン85回全史 1924-2011』(キネマ旬報社、2012年)190頁
  2. ^ 萬屋錦之介『わが人生(みち)悔いなくおごりなく』東京新聞出版局、1995年、163-164頁。ISBN 4808305429 
  3. ^ a b c d e f g 岡田茂『悔いなきわが映画人生 東映と、共に歩んだ50年』財界研究所、2001年、151-152頁。ISBN 4879320161 
  4. ^ 関根弘「ルポタージュ 大映真空地帯と東映番外地 さびれる映画産業労働者の実態」『月刊労働問題』1965年11月号、日本評論社、66–70頁。 浮田哲夫「執行委員長中村錦之助の行方 赤旗の中に立つ大スターの家庭の事情」『週刊現代』1965年6月24日号、講談社、106–111頁。 加東康一「多難をきわめた映俳協のユニオン化 俳優も労働者と認めさせた錦之助の苦闘もむなしく、映俳協はユニオン化を断念?」『映画情報』1975年3月号、国際情報社、63頁。 
  5. ^ a b 菅孝行「現代俳優論〈20〉中村錦之助 ―東映城外、斜陽に立つ―」『朝日ジャーナル』1971年1月29日号、朝日新聞社、24-26頁。 
  6. ^ a b 由原木七郎「連載 写真で見るスターの歴史(1) 萬屋錦之介(後)」『映画情報』1980年8月号、国際情報社、30頁。 
  7. ^ a b c d e f 「岡田茂インタビュー 『俺は"映画の錦之助"として死にたいと晩年の彼は言っていた』 文・金澤誠」『キネマ旬報臨時増刊 天晴れ!時代劇』1997年12月16日発行、キネマ旬報社、20頁。 
  8. ^ 『キネマ旬報ベスト・テン85回全史 1924-2011』(キネマ旬報社、2012年)260頁

参考文献

関連項目

外部リンク