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* {{Cite journal|和書|author=松本典久 |year=1991 |month=7|title=あさぎり 二つの顔の新特急 |journal=鉄道ジャーナル |issue=297 |pages= 22-33 |publisher=鉄道ジャーナル社 |ref = 松本297}} |
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* {{Cite journal|和書|author= |year=2002 |month=12 |title=小田急座談 (Part2) 輸送・運転編 |journal= 鉄道ピクトリアル アーカイブスセレクション|issue=2 |pages= 6-20 |publisher= 電気車研究会|ref = zadana2}} |
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2020年12月21日 (月) 03:25時点における版
ふじさん | |
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「ふじさん」で使用される小田急60000形MSE車 (写真は「あさぎり」時代のもの) | |
概要 | |
国 | 日本 |
種類 | 特別急行列車 |
現況 | 運行中 |
地域 | 東京都、神奈川県、静岡県 |
運行開始 | 1955年10月1日 |
運営者 |
小田急電鉄 東海旅客鉄道(JR東海) |
旧運営者 | 日本国有鉄道(国鉄) |
路線 | |
起点 | 新宿駅(小田急) |
終点 | 御殿場駅 |
列車番号 |
400M+号数 831M・832M(31・32号) |
使用路線 |
小田急:小田原線 JR東海:御殿場線 |
車内サービス | |
クラス | 普通車 |
技術 | |
車両 |
60000形電車 (小田急・喜多見検車区) |
軌間 | 1,067 mm |
電化 | 直流1,500 V |
ふじさん(英: Mt. Fuji)は、小田急電鉄小田原線と東海旅客鉄道(JR東海)御殿場線を直通運転する特急列車(ロマンスカー)である。2018年3月17日にあさぎりから改称された[1]。
本項では、小田急小田原線と御殿場線を直通運転していた優等列車の沿革についても記述する。最新の運行概況については運行概況の節を参照。
沿革
1955年に小田急から日本国有鉄道(国鉄)御殿場線への直通列車として、新宿駅と御殿場駅を結ぶ特別準急2往復の運行が開始されたのが始まりである[2]。1959年には4往復に増発されたが[3]、御殿場線の電化と同時に、それまで4種類あった愛称を「あさぎり」に統一し[4]、同年10月には列車種別も連絡急行に変更された[5]。1991年3月16日からは特急列車に変更され[6]、小田急とJR東海の相互乗り入れに変更されたが[6]、2012年3月17日からは再び小田急の車両のみによる運行に変更されることになった[7]。
本項では、以下必要に応じて、小田急小田原線を「小田急線」、鉄道省・日本国有鉄道など、国が直接関与していた鉄道事業をまとめて「国鉄」、小田急3000形(初代)は「SSE車」、20000形は「RSE車」、60000形は「MSE車」、JR東海371系電車は「371系」と表記する。
片乗り入れという形ではあるがJR東海に直通運転をしているため、関東の大手私鉄の特急列車では唯一JR東日本以外のJRに乗り入れる列車である。
前史
小田急線と御殿場線を結ぶという発想は、第二次世界大戦中に国鉄東海道本線(特に根府川駅の近くにある白糸川橋梁など)が爆撃を受けた際に迂回路線として活用するという構想に遡る[8]。この構想は具体的なものとなり、松田駅付近では用地買収と橋脚の建設まで行なわれたが[9]、まもなく終戦となったために実現はしなかった[9]。終戦後の1946年には、東京急行電鉄(大東急)が策定した「鉄軌道復興3カ年計画」の中に、小田急線と御殿場線を直通させて新宿駅と沼津駅を結ぶ計画が含まれていた[10]。この計画は、御殿場線の電化は運輸省が行い[9]、直通列車の運行を大東急が行なうというもので[10]、東海道本線の混雑緩和と同時に富士山麓の観光開発にも対応させるものであった[11]。この案は実際に1947年3月に運輸省へ申請された[9]。しかし、投資額が大きく優先順位が後回しになると考えられたことから[12]、大東急による受託経営による電化案、蒸気機関車案、ディーゼル電動車案などが検討されたが[9]、1948年には大東急が解体されてしまった[12]。
しかし、分離独立した小田急の社内でも引き続き御殿場線への直通については検討が続けられていた。1947年9月には、駿豆鉄道が小田原から小涌谷までの路線バスの運行免許申請を行った[13]ものに対して、自社防衛の見地から箱根登山鉄道が反対の立場をとっていたなど[14]、バス路線の免許について争いが生じる事態になっていた[注釈 1]。こうした状況から、小田急ではこれまでの小田原や熱海から箱根への観光ルートだけではなく、御殿場からの観光ルートにも注目していた[8]。また、御殿場から山中湖を経て富士五湖への観光ルートも考えられた[8]。また、当時の御殿場線からの東京方面への直通列車は普通列車のみであったが[3]、沿線自治体からは東京方面への直通急行列車の運行を求める声もあった[3]。
1952年には国鉄に対して御殿場線への直通運転の申請を行った[8]。国鉄との調整を進めると同時に、20m級の全長でエンジンを2基搭載した御殿場線に直通するための気動車を実現するため[15]、東急車輛製造とともに開発を進めていた[16]。
乗り入れ開始
1955年8月16日に国鉄から直通運転が承認され[17]、同年9月7日には直通に関する契約と協定が締結された[17]。直通列車に使用する気動車であるキハ5000形も同年9月5日に完成し、同年10月1日から1日2往復の直通列車が運行開始となった[2]。小田急線内では特急扱いであるが、御殿場線内では準急列車として運行されることから、列車種別は「特別準急」となった[18]。座席定員制であるが、号車指定制で[2]、座席の指定は行なわれなかった[2]。この運転のために、新松田駅-松田駅間に連絡線が設けられた。
運行開始した1955年10月1日改正ダイヤの列車時刻は以下の通りである[19]。途中停車駅は松田駅のみであった[2]。列車番号については、次のダイヤ改正で2700番台に変更された[20]。
- 特別準急「銀嶺」
- 905列車 新宿7時30分発→御殿場9時13分着
- 906列車 御殿場10時35分発→新宿12時20分着
- 特別準急「芙蓉」
- 907列車 新宿13時25分発→御殿場15時11分着
- 908列車 御殿場17時40分発→新宿19時26分着
愛称の「銀嶺」「芙蓉」は、いずれも富士山にちなんだものである[2]。
特筆されるのは、通常の直通運転では事業者の境界駅で乗務員が交代するところを[21]、小田急の乗務員のうち国鉄の考査に合格した乗務員(運転士・車掌とも)が御殿場まで車両ごと乗り入れて運行を行なった[3]ことである。これは、当時の御殿場線の旅客列車はすべて蒸気機関車牽引の客車列車であり[3]、御殿場線に気動車の乗務員はいなかった[2]ため、交代しようがなかったのである[21](ちなみに御殿場線の普通列車にキハ51形が投入されるのは1957年以降)。通過駅での通票(タブレット)授受は車掌が担当していた[22]。
この直通列車は、季節波動はあったものの好評で[3]、当時は御殿場線唯一の優等列車とあって[23]、自衛隊や公務員が東京へ昇進異動する際にはよく利用された[23]が、その一方で座席の狭さには苦情が続出した[2]。次第に輸送力が不足してきた[3]ため、車両の増備が行われる一方[3]、谷峨駅に列車交換設備が完成したのを契機として[3]、1959年7月には1日4往復に増発された[3]。増備車では、不評だったシートピッチも改善され[20]、それまでの車両もシートピッチを拡大した[21]。
1959年7月2日改正ダイヤの列車時刻は以下の通りである[24]。
- 特別準急「銀嶺」
- 2701列車 新宿7時30分発→御殿場9時12分着
- 2702列車 御殿場10時43分発→新宿12時23分着
- 特別準急「朝霧」
- 2703列車 新宿8時45分発→御殿場10時40分着
- 2704列車 御殿場12時23分発→新宿14時08分着
- 特別準急「芙蓉」
- 2705列車 新宿13時30分発→御殿場15時18分着
- 2706列車 御殿場18時02分発→新宿19時42分着
- 特別準急「長尾」
- 2707列車 新宿14時43分発→御殿場16時35分着
- 2708列車 御殿場18時28分発→新宿20時08分着
愛称の「朝霧」は、富士山麓の朝霧高原にちなみ[25]、小田急が運営していたキャンプ場の宣伝も兼ねたもので[26]、「長尾」は御殿場から箱根に向かう途中の長尾峠にちなんだものである[5]。なお、この年の5月には九州で準急「あさぎり」の運行が開始されている[27][注釈 2]。
増発後は、予約状況に応じて、午前中の列車で御殿場到着後に一部車両を切り離した上で御殿場駅に留置し、夕方の列車に連結する運用をしばしば行っていた[28]。なお、1959年9月19日には当時皇太子であった明仁親王が御殿場市郊外の青年の家に向かう際の往路で直通列車を利用している[5]。その後、沿線自治体からの要望により[29]、一部列車の停車駅に山北駅・駿河小山駅が追加された[29]。1964年以降には、乗り入れ区間を沼津駅まで延長するという要望もあった[3]が、国鉄時代には進展をみなかった[3]。
御殿場線の電化
1968年には御殿場線の電化に伴い、直通列車を電車に置き換えることになったため、気動車による直通列車の運行は1968年6月30日限りで終了した[30][31]。
直通用の電車は5両連接車に改造した小田急のSSE車を充当することとなり[5]、1968年7月1日からSSE車による直通運転が開始された[5]。この時から、それまで列車別に設定されていた愛称は、4往復とも「あさぎり」に統一された[4]。号車指定制の座席定員制はそのままで、小田急乗務員が車両とともに御殿場まで乗り入れる仕組みもそのままであった[29]。
1968年7月1日改正ダイヤの列車時刻は以下の通りである[29][注釈 3]。途中停車駅は松田駅・山北駅・駿河小山駅で[29]、小田急線内は引き続き無停車だった。
- 特別準急「あさぎり」1号
- 2711M 新宿7時50分発→御殿場9時38分着
- 2712M 御殿場11時00分発→新宿12時38分着
- 特別準急「あさぎり」2号
- 2713M 新宿9時01分発→御殿場10時59分着
- 2714M 御殿場12時17分発→新宿13時48分着
- 特別準急「あさぎり」3号
- 2715M 新宿13時31分発→御殿場15時17分着
- 2716M 御殿場17時38分発→新宿19時17分着
- 特別準急「あさぎり」4号
- 2717M 新宿14時31分発→御殿場16時20分着
- 2718M 御殿場19時03分発→新宿20時30分着
ヨンサントオと呼ばれる1968年10月1日のダイヤ改正では、準急という列車種別は急行に統合される形で廃止となったため[5]、「あさぎり」も急行列車として運行されることになり[5]、小田急線内では「連絡急行」という新しい種別となった[5]。少し遡る1966年3月には九州を走る準急「あさぎり」が急行に格上げされており[27]、同名の国鉄定期列車が異なる地区で運行する状態になっていた[27]。
電車化により列車定員は気動車で運行していたときと比較すると一挙に3倍に増加した[5]ものの、乗客数がそれに追いつかず、乗車率が低い状態となっていた[5]。このため、1971年10月1日からは、小田急線内の停車駅に新原町田駅が追加された[5]。この当時、既に小田急線内では定期乗車券による特急乗車も認められていたが、「あさぎり」については定期乗車券での利用は出来なかった[32]。
ゴーサントオと呼ばれる1978年10月2日のダイヤ改正では、列車愛称番号の方式変更の方式変更に伴い、下り列車の号数は奇数に、上り列車の号数は偶数に変更された[5]。
1981年7月13日改正ダイヤの列車時刻は以下の通りである[33]。
- 下り
- 連絡急行「あさぎり」1号
- 2711M 新宿7時45分発→御殿場9時28分着
- 連絡急行「あさぎり」3号
- 2713M 新宿9時40分発→御殿場11時18分着
- 連絡急行「あさぎり」5号
- 2715M 新宿13時11分発→御殿場15時01分着
- 連絡急行「あさぎり」7号
- 2717M 新宿15時11分発→御殿場16時45分着
- 上り
- 連絡急行「あさぎり」2号
- 2712M 御殿場10時13分発→新宿12時02分着
- 連絡急行「あさぎり」4号
- 2714M 御殿場11時52分発→新宿13時32分着
- 連絡急行「あさぎり」6号
- 2716M 御殿場17時51分発→新宿19時34分着
- 連絡急行「あさぎり」8号
- 2718M 御殿場19時04分発→新宿20時42分着
1984年2月1日からは、全列車の停車駅に本厚木駅が追加された[34]ほか、「あさぎり」1・6号に限り谷峨駅にも停車するようになった[35]。多少のダイヤの変更はあったものの、「あさぎり」は基本的にはほぼ同様のダイヤパターンで運行された[34]。夏季多客時や団体利用時には、SSE車を2編成連結した「重連」での運行もあった[34]。
しかし、「あさぎり」に使用していたSSE車は、耐用年数を10年として設計された車両で[36]、1987年で車齢30年となるなど、老朽化が進んでいた[34]。新型車両に置き換える案もあった[34]ものの、当時の国鉄側の現場の反応などを考慮して[34]、仕方なく車体修理を行った上で継続使用していた[37]。
相互直通運転へ
あさぎり | |||||||||||||||||||||||||||||||||
← 沼津 新宿 →
| |||||||||||||||||||||||||||||||||
|
| ||||||||||||||||||||||||||||||||
|
国鉄分割民営化後の1988年7月、小田急はJR東海に対して、車齢30年を超えたSSE車の置き換えを申し入れた[39]。折りしも御殿場線では1989年に富士岡駅と岩波駅に行き違い施設が新設されたこと[40]、また御殿場線沿線から運転区間延長の要望が強くなっていた[40]ことから、小田急とJR東海の間で相互直通運転に関する協議が進められ[40]、1989年8月8日には、2社がそれぞれ新形車両のRSE車・371系を導入した上で相互直通運転に変更[6]、特急に格上げした上で運行区間も新宿駅 - 沼津駅間に延長するという[6]、基本的なプランについて2社間で合意した[41]。この運行区間延長により、中伊豆・西伊豆への新たな観光ルートが設定されることも期待された[40]。
こうして、SSE車による連絡急行「あさぎり」の運行は1991年3月15日限りで終了[42]、1991年3月16日からは特急「あさぎり」として相互直通運転が開始された[42]。この時から、小田急とJR東海の乗務員が松田で交代し、それぞれの自社区間のみを乗務する運行形態に改められた[42]。
1992年3月28日改正ダイヤの列車時刻は以下の通りである[43]。途中停車駅は、町田駅・本厚木駅・松田駅・駿河小山駅(1・3・6・8号のみ)・御殿場駅・裾野駅である[43]。
- 下り
- 特急「あさぎり1号」
- 0401M→1M 新宿7時45分発→沼津9時28分着
- 特急「あさぎり3号」
- 0403M→3M 新宿10時15分発→沼津12時16分着
- 特急「あさぎり5号」
- 0405M→5M 新宿13時40分発→沼津15時48分着
- 特急「あさぎり7号」
- 0407M→7M 新宿17時40分発→沼津19時39分着
- 上り
- 特急「あさぎり2号」
- 2M→0402M 沼津8時00分発→新宿9時59分着
- 特急「あさぎり4号」
- 4M→0404M 沼津10時30分発→新宿12時33分着
- 特急「あさぎり6号」
- 6M→0406M 沼津15時29分発→新宿17時26分着
- 特急「あさぎり8号」
- 8M→0408M 沼津17時40分発→新宿19時39分着
車両故障などの異常時は、小田急線内のみを小田急車で運行し、御殿場線内を運休することがあった[44]。
二次交通の整備
伊豆箱根鉄道では接続して伊豆長岡へ直通する「あやめ号」の運行を開始[45]、伊豆箱根鉄道と箱根登山鉄道では「あさぎり」に接続する沼津港への連絡バスを運行した[40]。東海自動車では、「あさぎり」に接続して中伊豆・西伊豆方面へ直通する特急バス「スーパーロマンス号」の運行を開始した[40]が、この特急バスの為に導入された車両は片側をRSE車、もう片側を371系と同じ塗装デザインにした車両であった[45]。
開業後1週間の実績では前年と比較して利用者数は2.5倍となり[40]、当時のバブル経済による好景気もあって、御殿場線沿線に点在するゴルフ場への旅客で満席になることも多かった[46]。東海道本線静岡駅発着の延長運転を求める声も出ていたが[40]、JR東海では「新宿駅と静岡駅では3時間程度の所要時間となり、新幹線との時間差が大きすぎる」として、考えられていなかった[40]。
景気低迷に伴う利用者層の変化
しかし、景気低迷とともに駿東地域でのリゾート開発は頓挫し[46]、ゴルフ場への旅客の減少やマイカーへの移行がみられた[46]。また、西伊豆への観光ルートとして周知される前に、観光地としての西伊豆自体の知名度が高くならなかった[46]。この要因として、東伊豆・中伊豆と異なり西伊豆には鉄道路線が通じておらず[46]、道路交通を含めても高速で移動できる手段に恵まれない状況もあるとみられている[46]。沼津から松崎への航路は廃止され[46]、「あさぎり」に接続して西伊豆方面へ直通する特急バスも削減された[46]。このような状況下、2010年ごろの主な利用者層は御殿場プレミアム・アウトレットへ向かう利用者とみられている[46]。
運行開始から2003年までは、JR線を走る特急であるにもかかわらず、座席番号は小田急のシステムにあわせた連番方式であったが[47]、2003年4月6日からはほかのJRの運行する特急と同様の方式(例:1A、1B・・・10C、10D)に変更された[48]。
再び片乗り入れへ
2012年3月17日改正をもって、RSE車と371系は運用から離脱すると発表され[49][50][51]、全列車がMSE車により運行されることになった[7]。これと同時に運行区間は新宿駅と御殿場駅の間に短縮された[52]。この結果、乗り入れ形態や運転区間は特別準急→連絡急行時代の御殿場発着、片乗り入れに戻ることとなった。さらに毎日運行の列車は3往復となり[52]、土休日に臨時1往復が設定され[52][53]、停車駅と運行時間帯も変更された[54]。
運行概況
ふじさん | ||||||||||||
← 御殿場 新宿 →
| ||||||||||||
| ||||||||||||
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2018年3月17日現在の運行概況は次の通り[55]。
新宿駅 - 御殿場駅間で平日ダイヤで3往復、土休日ダイヤで4往復運転+不定期便1往復が運行される。新宿駅 - 御殿場駅間を約1時間30分で結んでいる。
全列車がMSE車を使用した[7]6両編成である。普通車座席指定席のみで、グリーン車とJR区間にのみ1両設定されていた自由席は廃止された。
2018年3月17日のダイヤ改正で、12:50発の11号が8:40発に変更され駿河小山駅に停車、代替に12:40発の不定期運行列車31号になる。6・12号が御殿場駅での発車時刻を約50分繰り下げられた。また、上りでも10:48発の不定期運行列車32号が設定された[56]。
交通系ICカードについては、小田急線内はPASMOエリア、御殿場線内はTOICAエリアであり、両エリアに跨る利用はできないため、本列車を利用した小田急線秦野駅以遠と御殿場線東山北駅以遠の相互間でのICカード乗車はできない。ただし、エリア内完結での乗車(新宿駅 - 松田駅[注釈 5]・松田駅 - 御殿場駅)の際はICカードを利用できる。
大半の列車が終点の御殿場駅で沼津駅発着の普通列車に接続する。
停車駅
新宿駅 - 新百合ヶ丘駅 - 相模大野駅 - 本厚木駅 - 秦野駅 - 松田駅 - (駿河小山駅) - 御殿場駅
- 駿河小山駅は1・3・6・11・12号のみ停車。
車内サービス
1955年の運行開始当初は、単行運転であっても車内販売が行なわれており[57]、全区間で小田急サービスビューロー[注釈 6]の車内販売員が1名か2名乗務していた[58]。
1968年7月1日に直通列車がSSE車による運行に変わってからは、森永エンゼルによって小田急線内の特急ロマンスカーと同様の「走る喫茶室」のシートサービスが行なわれた[59][注釈 7]。
1991年3月16日に相互直通運転の形態に変わってからは、「あさぎり」1・4・5・8号では小田急レストランシステムが[60]、「あさぎり」2・3・6・7号ではジェイダイナー東海が車内販売を担当するようになった[61]。普通車では「走る喫茶室」のようなシートサービスではなく、ワゴンによる車内販売となったが[62][63]、グリーン車ではシートサービスを行なうため、座席にスチュワーデスコールボタンを設置した[63]。シートサービスのメニューは2社で異なり、特にジェイダイナー東海では、果物は車内でカットして盛り付けを行なっていた[61]。また、「あさぎり」2号のグリーン車に限り、和風・洋風のモーニングセットの販売が行なわれた[61]。小田急レストランシステムは1列車6名[60]、ジェイダイナー東海では1列車5名が乗務していた[61]。しかし、これらの車内販売は、2011年3月11日限りで終了となった[64]。
2012年3月17日から運用されるMSE車には、車内に清涼飲料水の自動販売機が設置されている[65]。
予約システム
特別準急・連絡急行時代は、座席はすべて小田急が管理していた。特急に格上げされてからもマルスには収容されず[66]、小田急の座席予約システム (SR) に収容され、「あさぎり」停車駅にSR端末を設置することで対処した[66]。
その後、JR東海で特急券を購入する場合はマルス端末の専用メニューから小田急にオンラインで問い合わせ、座席指定を確保するシステムとなった。JR東海以外のJR窓口は小田急とオンライン接続されていないため、まずいったんマルス端末で席なし特急券を発行し、その後静岡マルス指令に電話をし、座席の割り当てを受けることになる。また、JRと小田急の連絡運輸から外れる区域では、JR窓口ではJR線区間しか発売できないため、小田急線区間を含めて購入したい場合は、JR乗車券・特急券と小田急ロマンスカー特急券・小田急線乗車券の両方を取り扱う旅行会社でJR線区間(乗車券・席なし特急券をマルスで発券し、手書きの料金専用補充券による指定のみ券を添付するか、席なし特急券に座席番号を記入するかのいずれかで発券)と小田急線区間(乗車券・JR区間と同じ座席を指定した特急券を各旅行会社の船車券として発券)とを分割発券して組み合わせた特急券・乗車券を購入するしかない。この場合、旅行会社によっては手数料がかかる場合がある。
この煩雑さから、JR側は2009年3月14日出発分から、小田急線区間を含む指定券の発券を、JR東海の主な駅、西日本旅客鉄道(JR西日本)京阪神地区のみどりの窓口と、小田急ロマンスカー特急券取扱旅行会社[注釈 8]に限定したが[67]、小田急ロマンスカー特急券取扱旅行会社でも、契約の都合上、JR線区間まで購入可能な旅行会社および店舗は限られていた上、購入可能であっても小田急とJRの連絡運輸の範囲から外れる地域では前記の通り分割発券となった。
2013年3月からは一部の座席がマルスに収容され、連絡運輸適用外の地域でもJR区間のみの発売が容易になり、連絡運輸範囲内ではマルス端末設置旅行会社でも小田急線区間を含む区間の発券が可能になった。
一方で発売座席数が限定されている上、JR東海ではマルス端末から小田急のシステムにアクセスする機能が廃止されたため、御殿場駅ではMSR端末を別途配置し、小田急様式でJR地紋の指定のみ券を発券している。また2014年3月にJR西日本と小田急電鉄の連絡運輸が廃止され、小田急線を含む区間の同社みどりの窓口での販売を終了した。
-
小田急SR端末発行の連絡急行券の例。
-
マルス発行の特急券の例。
-
券売機発券の自由席特急券[注釈 9]。
-
ホームで駅員が発売する自由席特急券[注釈 9]。
-
運行開始当初の特急券[注釈 10]。
-
松田駅発行の特急券の例[注釈 11]。
-
松田駅発行の特急券の例[注釈 12]。
-
名鉄観光サービス発行の特急券の例。船車券での発券。
-
「ロマンスカー@クラブ」で購入した特急券の例。
運行車両の変遷
- 小田急キハ5000形
- 1955年10月1日から[2]1968年6月30日まで運用[30]。当初は座席定員94名であった[2]が、1956年以降は座席定員82名に改造された[21]。
- 小田急キハ5100形
- 1956年6月10日から[68]1968年6月30日まで運用[30]。当初より座席定員82名となった[20]。
- 小田急3000形SSE車
- 1968年7月1日から[5]1991年3月15日まで運用[69]。5両連接車で座席定員は222名で[70]、時には2編成を連結して運用された[71]。
- 小田急20000形RSE車
- 1991年3月16日から[72]2012年3月16日まで運用[49]。7両編成で普通席338名・特別席64名[73]、3号車と4号車は2階建て車両[74]。
- JR東海371系
- 1991年3月16日から[75]2012年3月16日まで運用[50]。7両編成で座席定員は408名(うちグリーン席64名)[76]、3号車と4号車は2階建て車両[77]。
- 小田急60000形MSE車
- 2012年3月17日から使用されている[7]。
年表
- 1955年(昭和30年)10月1日:小田急電鉄が箱根・富士方面への観光輸送を主目的として[8]、小田急新宿駅 - 御殿場線御殿場駅間に気動車準急列車「銀嶺」(ぎんれい)・「芙蓉」(ふよう)を1日各1往復ずつ運行開始[2]。
- 1959年(昭和34年)
- 1968年(昭和43年)
- 1971年(昭和46年)10月1日:新原町田駅(現在の町田駅)を停車駅に追加[5]。
- 1984年(昭和59年)2月1日:本厚木駅と谷峨駅にも停車するようになる[34]。ただし、谷峨駅については下りは1号、上りは6号のみの停車となる[35]。
- 1991年(平成3年)3月16日:小田急が保有するSSE車が経年による車両交代時期を迎え、JR東海と小田急電鉄が両社で新規に車両を製作し特別急行列車として相互直通運転する形態となる。これに伴い以下のように変更する。
- 2007年(平成19年)3月18日:全車両禁煙になる。
- 2011年(平成23年)
- 2012年(平成24年)3月17日:ダイヤ改正により、次のように変更[49][50]。
- 2018年(平成30年)
脚注
注釈
- ^ 後に箱根山戦争として知られるようになる、西武グループと小田急グループの対立の伏線でもある。
- ^ こちらは由布院の景観とされる朝霧にちなんだ命名である(『鉄道時刻表全百科』 p.43)。
- ^ 列車の号数が下り奇数・上り偶数になったのは1978年10月2日ダイヤ改正の時からで(『鉄道ピクトリアル』通巻546号 p.162)、それ以前は上下列車とも1号からの連番であった(『鉄道ピクトリアル』通巻546号 p.162)。
- ^ 運行開始当初は全区間とも全車指定席だった。
- ^ 同駅の改札機は利用できず、駅窓口にて小田急線新松田駅入出場としての処理を受ける必要がある。
- ^ 1957年に小田急商事に社名変更。
- ^ 1980年までは、SE車で「走る喫茶室」サービスを行なう全列車を森永エンゼルが担当していた(『鉄道ピクトリアル』通巻405号 p.166)。
- ^ 小田急トラベル・JTB、近畿日本ツーリスト、日本旅行、東武トップツアーズ、京王観光、京成トラベルサービス、農協観光、びゅうプラザ、富士急トラベル、伊豆急行、名鉄観光サービス、阪急交通社、南海国際旅行、西鉄旅行の各社(小田急ロマンスカー公式ホームページより)。
- ^ a b 沼津駅 - 御殿場駅間で発売されていた例。
- ^ JR東海の駅に設置された小田急SR端末からの発券で、地紋が異なる。
- ^ 小田急区間用の硬券特急券に、マルス端末から指定席券を発行した上で、同時に使用することで有効としている。
- ^ 小田急区間のみの利用であるにもかかわらず、料金補充券で発行し、さらにマルス端末から指定席券を発行した上で、同時に使用することで有効としている。
出典
- ^ 大内 学 (2018年3月1日). JTB時刻表. JTBパブリッシング
- ^ a b c d e f g h i j k l 『鉄道ピクトリアル』通巻546号 p.159
- ^ a b c d e f g h i j k l m 『鉄道ジャーナル』通巻297号 p.34
- ^ a b c 『鉄道ダイヤ情報』通巻145号 p.50
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 『鉄道ピクトリアル』通巻546号 p.162
- ^ a b c d 『小田急ロマンスカー総覧』 p.50
- ^ a b c d 『鉄道ジャーナル』通巻545号 pp.26-27
- ^ a b c d e 『小田急ロマンスカー物語』 p.66
- ^ a b c d e 『鉄道ピクトリアル』通巻546号 p.157
- ^ a b 『ゼロ戦から夢の超特急』 p.118
- ^ 『ゼロ戦から夢の超特急』 pp.118-119
- ^ a b 『小田急ロマンスカー物語』 p.67
- ^ 『鉄道ピクトリアル』通巻679号 p.99
- ^ 『バスジャパン・ハンドブックR・58』 p.27
- ^ 『鉄道ピクトリアル』通巻546号 p.158
- ^ 『鉄道ピクトリアル アーカイブス2』p.14
- ^ a b 『小田急ロマンスカー物語』 p.68
- ^ 『鉄道ピクトリアル』通巻679号 p.123
- ^ 『小田急ロマンスカー物語』 p.70
- ^ a b c d 『鉄道ピクトリアル』通巻546号 p.161
- ^ a b c d 『小田急ロマンスカー物語』 p.69
- ^ 『鉄道ピクトリアル』通巻679号 p.125
- ^ a b 『鉄道ピクトリアル』通巻679号 p.126
- ^ a b 『鉄道ピクトリアル アーカイブス1』p.46
- ^ 『鉄道時刻表全百科』 p.43
- ^ 『鉄道ピクトリアル』通巻829号 p.139
- ^ a b c d 『鉄道時刻表全百科』 p.42
- ^ 『鉄道ピクトリアル』通巻679号 p.127
- ^ a b c d e 『鉄道ピクトリアル アーカイブス2』p.95
- ^ a b c 『鉄道ピクトリアル』通巻679号 p.130
- ^ 同気動車は関東鉄道に譲渡され、キハ5000形は「キハ751形」、キハ5100形は「キハ753形」として、いずれもロングシート・3扉化された(「小田急キハ5000形気動車#関東鉄道へ譲渡後」を参照)。
- ^ 『鉄道ピクトリアル』通巻405号 p.22
- ^ 『交通公社の時刻表』1981年8月号 p.463
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- ^ a b 『小田急ロマンスカー物語』 p.141
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- ^ a b 『小田急時刻表』'92ダイヤ改正号 pp.14-15
- ^ “あさぎり”を「LSE」が代走 『鉄道ファン』交友社 railf.jp鉄道ニュース 2010年11月26日
- ^ a b 『鉄道ジャーナル』通巻297号 p.146
- ^ a b c d e f g h i 『鉄道ジャーナル』通巻521号 p.46
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- ^ a b c "2012年3月17日(土) ダイヤ改正を実施します。" (PDF) (Press release). 小田急電鉄. 16 December 2011. 2011年12月16日閲覧。
(3)JR東海御殿場線直通ロマンスカー「あさぎり」について
- ^ a b c "平成24年3月ダイヤ改正について" (PDF) (Press release). 東海旅客鉄道. 16 December 2011. 2011年12月16日閲覧。
7. 特急「あさぎり」の列車体系を見直します
- ^ その後両車共富士急行に譲渡され「フジサン特急」・「富士山ビュー特急」として運行されている。
- ^ a b c 『鉄道ジャーナル』通巻545号 p.26
- ^ これは御殿場線が終日共通ダイヤであるのに対し小田急線は平日と土休日が別のダイヤであるため。そのため、小田急線内のみ事実上は土休日ダイヤ定期列車扱いとなる。
- ^ 『鉄道ジャーナル』通巻545号 p.27
- ^ 『小田急時刻表』2018年、交通新聞社。
- ^ 小田急時刻表より
- ^ 『鉄道ピクトリアル アーカイブス2』p.15
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- ^ 『2012 小田急時刻表』 pp.12-15
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- ^ "新ダイヤでの運行開始日を決定!" (PDF) (Press release). 小田急電鉄. 15 December 2017. pp. 1–2. 2018年2月27日時点のオリジナル (PDF)よりアーカイブ。2018年12月5日閲覧。
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- ^ "2018年12月2日(日)に「メトロあさぎり号」を限定運行" (PDF) (Press release). 小田急電鉄. 2018/10/23. 2018-10-24時点のオリジナル (PDF)よりアーカイブ。2018年12月5日閲覧。
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参考文献
書籍
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- 岸上明彦「小田急電鉄現有車両プロフィール」『鉄道ピクトリアル』第829号、電気車研究会、2010年1月、241-295頁。
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- 鈴木文彦「Bus Corner」『鉄道ジャーナル』第297号、鉄道ジャーナル社、1991年7月、144-146頁。
- 東海旅客鉄道(株)車両部車両課「371系直流特急形電車」『鉄道ファン』第360号、交友社、1991年4月、27-34頁。
- 富田丈一「小田急ロマンスカー 走る喫茶室 よもやま話」『鉄道ピクトリアル』第405号、電気車研究会、1999年12月、166-168頁。
- 松本典久「あさぎり 二つの顔の新特急」『鉄道ジャーナル』第297号、鉄道ジャーナル社、1991年7月、22-33頁。
- 須田寬「新特急あさぎり 経緯と期待」『鉄道ジャーナル』第297号、鉄道ジャーナル社、1991年7月、34-35頁。
- M記者「お手並み拝見 小田急の……新宿-御殿場直通運転試乗記」『鉄道ピクトリアル アーカイブスセレクション』第1号、電気車研究会、2002年9月、108-111頁。
- 「小田急座談 (Part2) 輸送・運転編」『鉄道ピクトリアル アーカイブスセレクション』第2号、電気車研究会、2002年12月、6-20頁。
- 「Railway Topics 『小田急電鉄 新・特急ロマンスカーMSE公開』」『鉄道ジャーナル』第495号、鉄道ジャーナル社、2008年1月、100-103頁。
- 「新宿発直通特急のその後」『鉄道ジャーナル』第521号、鉄道ジャーナル社、2010年3月、36-47頁。
- 「2012年3月17日ダイヤ改正の概要」『鉄道ジャーナル』第545号、鉄道ジャーナル社、2012年3月、22-27頁。