「レノックス公爵」の版間の差分
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最初にレノックス公爵に叙せられた[[エズメ・ステュワート (初代レノックス公爵)|エズメ・ステュワート]]<small>(1542-1583)</small>は、第4代{{仮リンク|レノックス伯|en|Earl of Lennox}}[[マシュー・ステュアート (第4代レノックス伯)|マシュー・ステュワート]]<small>(1516-1571)</small>の甥であり、したがってスコットランド女王[[メアリー (スコットランド女王)|メアリー]]の[[王配]]ダーンリー卿[[ヘンリー・ステュアート (ダーンリー卿)|ヘンリー・ステュワート]]<small>(1545-1567)</small>の従兄弟にあたる。彼は[[カトリック]]として[[プロテスタント]]の摂政第4代[[モートン伯爵]][[ジェイムズ・ダグラス (第4代モートン伯)|ジェイムズ・ダグラス]]を攻撃して[[1581年]]に失脚・処刑に追いやり、スコットランド国政を一時的に牛耳ったが、翌[[1582年]]にはプロテスタント貴族が起こした{{仮リンク|リヴェン拉致事件|en|Raid of Ruthven}}で失脚した{{sfn|松村赳|富田虎男|2000| p=414-415}}。彼は失脚前の[[1580年]][[3月5日]]に'''レノックス伯爵'''<small>(Earl of Lennox)</small>と'''ダーンリー=オウビニー=ダルキース卿'''<small>(Lord Darnley, Aubigny and Dalkeith)</small>、ついで[[1581年]][[8月5日]]に'''レノックス公爵'''<small>(Duke of Lennox)</small>、'''[[ダーンリー伯爵]]'''<small>(Earl of Darnley)</small>、'''オウビニー=ダルキース=トーボルトン=アバーダー卿'''<small>(Lord Aubigny, Dalkeith, Torboltoun and Aberdou)</small>に叙せられた。いずれも継承者を男系男子に限るとの規定が付けられた[[スコットランド貴族]]爵位である<ref name="CP DL">{{Cite web |url=http://www.cracroftspeerage.co.uk |
最初にレノックス公爵に叙せられた[[エズメ・ステュワート (初代レノックス公爵)|エズメ・ステュワート]]<small>(1542-1583)</small>は、第4代{{仮リンク|レノックス伯|en|Earl of Lennox}}[[マシュー・ステュアート (第4代レノックス伯)|マシュー・ステュワート]]<small>(1516-1571)</small>の甥であり、したがってスコットランド女王[[メアリー (スコットランド女王)|メアリー]]の[[王配]]ダーンリー卿[[ヘンリー・ステュアート (ダーンリー卿)|ヘンリー・ステュワート]]<small>(1545-1567)</small>の従兄弟にあたる。彼は[[カトリック]]として[[プロテスタント]]の摂政第4代[[モートン伯爵]][[ジェイムズ・ダグラス (第4代モートン伯)|ジェイムズ・ダグラス]]を攻撃して[[1581年]]に失脚・処刑に追いやり、スコットランド国政を一時的に牛耳ったが、翌[[1582年]]にはプロテスタント貴族が起こした{{仮リンク|リヴェン拉致事件|en|Raid of Ruthven}}で失脚した{{sfn|松村赳|富田虎男|2000| p=414-415}}。彼は失脚前の[[1580年]][[3月5日]]に'''レノックス伯爵'''<small>(Earl of Lennox)</small>と'''ダーンリー=オウビニー=ダルキース卿'''<small>(Lord Darnley, Aubigny and Dalkeith)</small>、ついで[[1581年]][[8月5日]]に'''レノックス公爵'''<small>(Duke of Lennox)</small>、'''[[ダーンリー伯爵]]'''<small>(Earl of Darnley)</small>、'''オウビニー=ダルキース=トーボルトン=アバーダー卿'''<small>(Lord Aubigny, Dalkeith, Torboltoun and Aberdou)</small>に叙せられた。いずれも継承者を男系男子に限るとの規定が付けられた[[スコットランド貴族]]爵位である<ref name="CP DL">{{Cite web |url=http://www.cracroftspeerage.co.uk/lennox1581.htm|title=Lennox, Duke of (S, 1581 - 1672)|accessdate= 2016-01-19 |last= Heraldic Media Limited |work= [http://www.cracroftspeerage.co.uk/introduction.htm Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage] |language= 英語 }}</ref>。 |
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その長男である2代レノックス公{{仮リンク|ルドヴィック・ステュワート (第2代レノックス公爵)|label=ルドヴィック・ステュワート|en|Ludovic Stewart, 2nd Duke of Lennox}}<small>(1574-1624)</small>は、スコットランドとイングランドが[[同君連合]]になる[[1603年]]をまたいで、[[海軍卿 (スコットランド)|スコットランド海軍卿]](在職1591-1624)、[[駐フランスイギリス大使|駐フランス大使]](在職1604-1605、1613)、{{仮リンク|スコットランド議会国王代理官|en|Lord High Commissioner to the Parliament of Scotland}}(在職1607)、[[軍務伯]]代理(在職1614)、{{仮リンク|王室家政長官|en|Lord Steward}}(在職1615-1624)などスコットランドとイングランドの官職を歴任し、[[1613年]][[10月6日]]には'''[[リッチモンド伯爵]]'''<small>(Earl of Richmond)</small>と'''ヨーク州におけるセトリントンのセトリントン男爵'''<small>(Baron Settrington, of Settrington in the County of York)</small>、[[1623年]][[5月17日]]には'''[[リッチモンド公爵]]'''<small>(Duke of Richmond)</small>と'''{{仮リンク|ニューカッスル伯爵|label=ニューカッスル=アポン=タイン伯|en|Earl of Newcastle}}'''<small>(Earl of Newcastle-upon-Tyne)</small>に叙せられた。いずれも[[イングランド貴族]]爵位である。しかし彼は子供を残さなかったのでこれらの爵位は彼一代で廃絶した<ref name="CP DL" />。 |
その長男である2代レノックス公{{仮リンク|ルドヴィック・ステュワート (第2代レノックス公爵)|label=ルドヴィック・ステュワート|en|Ludovic Stewart, 2nd Duke of Lennox}}<small>(1574-1624)</small>は、スコットランドとイングランドが[[同君連合]]になる[[1603年]]をまたいで、[[海軍卿 (スコットランド)|スコットランド海軍卿]](在職1591-1624)、[[駐フランスイギリス大使|駐フランス大使]](在職1604-1605、1613)、{{仮リンク|スコットランド議会国王代理官|en|Lord High Commissioner to the Parliament of Scotland}}(在職1607)、[[軍務伯]]代理(在職1614)、{{仮リンク|王室家政長官|en|Lord Steward}}(在職1615-1624)などスコットランドとイングランドの官職を歴任し、[[1613年]][[10月6日]]には'''[[リッチモンド伯爵]]'''<small>(Earl of Richmond)</small>と'''ヨーク州におけるセトリントンのセトリントン男爵'''<small>(Baron Settrington, of Settrington in the County of York)</small>、[[1623年]][[5月17日]]には'''[[リッチモンド公爵]]'''<small>(Duke of Richmond)</small>と'''{{仮リンク|ニューカッスル伯爵|label=ニューカッスル=アポン=タイン伯|en|Earl of Newcastle}}'''<small>(Earl of Newcastle-upon-Tyne)</small>に叙せられた。いずれも[[イングランド貴族]]爵位である。しかし彼は子供を残さなかったのでこれらの爵位は彼一代で廃絶した<ref name="CP DL" />。 |
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=== 第2期 レノックス家 === |
=== 第2期 レノックス家 === |
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{{main|リッチモンド公爵#4期レノックス家}} |
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イングランド王・スコットランド王[[チャールズ2世 (イングランド王)|チャールズ2世]]の私生児[[チャールズ・レノックス (初代リッチモンド公)|チャールズ・レノックス]]<small>(1672-1723)</small>は、[[1675年]][[8月9日]]に'''リッチモンド公爵'''<small>(Duke of Richmond)</small>、'''マーチ伯爵'''<small>(Earl of March)</small>、'''ヨーク州におけるセトリントンのセトリントン男爵'''<small>(Baron Settrington, of Settrington in the County of York)</small>の3つのイングランド貴族爵位に叙せられ、ついで同年9月9日に'''レノックス公爵'''(Duke of Lennox)、'''ダーンリー伯爵'''(Earl of Darnley)、'''トーボルトン卿'''(Lord Torbolton)の3つのスコットランド貴族爵位に叙せられた。これが現存する2期目のレノックス公爵位の創設である<ref name="CP DR">{{Cite web |url=http://www.cracroftspeerage.co.uk |
イングランド王・スコットランド王[[チャールズ2世 (イングランド王)|チャールズ2世]]の私生児[[チャールズ・レノックス (初代リッチモンド公)|チャールズ・レノックス]]<small>(1672-1723)</small>は、[[1675年]][[8月9日]]に'''リッチモンド公爵'''<small>(Duke of Richmond)</small>、'''マーチ伯爵'''<small>(Earl of March)</small>、'''ヨーク州におけるセトリントンのセトリントン男爵'''<small>(Baron Settrington, of Settrington in the County of York)</small>の3つのイングランド貴族爵位に叙せられ、ついで同年9月9日に'''レノックス公爵'''(Duke of Lennox)、'''ダーンリー伯爵'''(Earl of Darnley)、'''トーボルトン卿'''(Lord Torbolton)の3つのスコットランド貴族爵位に叙せられた。これが現存する2期目のレノックス公爵位の創設である<ref name="CP DR">{{Cite web |url=http://www.cracroftspeerage.co.uk/richmond1675.htm|title=Richmond, Duke of (E, 1675)|accessdate= 2016-01-19 |last= Heraldic Media Limited |work= [http://www.cracroftspeerage.co.uk/introduction.htm Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage] |language= 英語 }}</ref>。チャールズは母[[ルイーズ・ケルアイユ]]からフランス貴族爵位{{仮リンク|オウビーニュイ公爵|fr|Duché d'Aubigny}}も受け継いでいる。 |
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4代公[[チャールズ・レノックス (第4代リッチモンド公爵)|チャールズ・レノックス]]<small>(1764-1819)</small>の夫人{{仮リンク|シャーロット・レノックス (リッチモンド公爵夫人)|label=シャーロット|en|Charlotte Lennox, Duchess of Richmond}}<small>(1768-1842)</small>は、[[ゴードン公爵]]ゴードン家の財産を継承したため、レノックス家は「ゴードン=レノックス家」に改姓した{{sfn|森護|1987|p=202}}。その孫である6代公[[チャールズ・ゴードン=レノックス (第6代リッチモンド公爵)|チャールズ・ゴードン=レノックス]]<small>(1818–1903)</small>は、[[ヴィクトリア (イギリス女王)|ヴィクトリア女王]]の寵愛を受けて[[1876年]][[1月13日]]に2期目のゴードン公爵位([[連合王国貴族]]爵位)を与えられている。これによりゴードン=レノックス家は、イングランド貴族[[リッチモンド公爵]]位、スコットランド貴族レノックス公爵位、連合王国貴族[[ゴードン公爵]]位、フランス貴族爵位{{仮リンク|オウビーニュイ公爵|fr|Duché d'Aubigny}}位を併せ持つ家柄となる{{sfn|森護|1987|p=203}}。 |
4代公[[チャールズ・レノックス (第4代リッチモンド公爵)|チャールズ・レノックス]]<small>(1764-1819)</small>の夫人{{仮リンク|シャーロット・レノックス (リッチモンド公爵夫人)|label=シャーロット|en|Charlotte Lennox, Duchess of Richmond}}<small>(1768-1842)</small>は、[[ゴードン公爵]]ゴードン家の財産を継承したため、レノックス家は「ゴードン=レノックス家」に改姓した{{sfn|森護|1987|p=202}}。その孫である6代公[[チャールズ・ゴードン=レノックス (第6代リッチモンド公爵)|チャールズ・ゴードン=レノックス]]<small>(1818–1903)</small>は、[[ヴィクトリア (イギリス女王)|ヴィクトリア女王]]の寵愛を受けて[[1876年]][[1月13日]]に2期目のゴードン公爵位([[連合王国貴族]]爵位)を与えられている。これによりゴードン=レノックス家は、イングランド貴族[[リッチモンド公爵]]位、スコットランド貴族レノックス公爵位、連合王国貴族[[ゴードン公爵]]位、フランス貴族爵位{{仮リンク|オウビーニュイ公爵|fr|Duché d'Aubigny}}位を併せ持つ家柄となる{{sfn|森護|1987|p=203}}。 |
2020年12月4日 (金) 05:16時点における版
レノックス公爵(英語: Duke of Lennox)は、スコットランド貴族の公爵位。
過去に2回創設されており、1期目はスコットランド王ジェイムズ6世(後のイングランド王ジェイムズ1世)の従兄弟叔父エズメ・ステュワートが1581年に叙されたのに始まる。2代公と4代公はイングランド貴族リッチモンド公爵にも叙されているが、1672年の6代公の死去で廃絶した。現存する2期目はイングランド王・スコットランド王チャールズ2世の私生児チャールズ・レノックスが1675年にイングランド貴族リッチモンド公爵位とともに叙されたのに始まる。6代公の代の1876年には連合王国貴族爵位ゴードン公爵にも叙されており、以降ゴードン=レノックス家はリッチモンド公爵、レノックス公爵、ゴードン公爵、オウビーニュイ公爵を併せ持っている。
歴史
第1期 ステュワート家
最初にレノックス公爵に叙せられたエズメ・ステュワート(1542-1583)は、第4代レノックス伯マシュー・ステュワート(1516-1571)の甥であり、したがってスコットランド女王メアリーの王配ダーンリー卿ヘンリー・ステュワート(1545-1567)の従兄弟にあたる。彼はカトリックとしてプロテスタントの摂政第4代モートン伯爵ジェイムズ・ダグラスを攻撃して1581年に失脚・処刑に追いやり、スコットランド国政を一時的に牛耳ったが、翌1582年にはプロテスタント貴族が起こしたリヴェン拉致事件で失脚した[1]。彼は失脚前の1580年3月5日にレノックス伯爵(Earl of Lennox)とダーンリー=オウビニー=ダルキース卿(Lord Darnley, Aubigny and Dalkeith)、ついで1581年8月5日にレノックス公爵(Duke of Lennox)、ダーンリー伯爵(Earl of Darnley)、オウビニー=ダルキース=トーボルトン=アバーダー卿(Lord Aubigny, Dalkeith, Torboltoun and Aberdou)に叙せられた。いずれも継承者を男系男子に限るとの規定が付けられたスコットランド貴族爵位である[2]。
その長男である2代レノックス公ルドヴィック・ステュワート(1574-1624)は、スコットランドとイングランドが同君連合になる1603年をまたいで、スコットランド海軍卿(在職1591-1624)、駐フランス大使(在職1604-1605、1613)、スコットランド議会国王代理官(在職1607)、軍務伯代理(在職1614)、王室家政長官(在職1615-1624)などスコットランドとイングランドの官職を歴任し、1613年10月6日にはリッチモンド伯爵(Earl of Richmond)とヨーク州におけるセトリントンのセトリントン男爵(Baron Settrington, of Settrington in the County of York)、1623年5月17日にはリッチモンド公爵(Duke of Richmond)とニューカッスル=アポン=タイン伯(Earl of Newcastle-upon-Tyne)に叙せられた。いずれもイングランド貴族爵位である。しかし彼は子供を残さなかったのでこれらの爵位は彼一代で廃絶した[2]。
初代公の次男である3代レノックス公エズメ・ステュワート(1579-1624)は、レノックス公位襲爵前の1619年6月7日にイングランド貴族爵位のマーチ伯(Earl of March)とハンティンドン州におけるレイトン・ブロムスウォルドのレイトン・ブロムスウォルドのステュアート男爵 (Baron Stuart of Leighton Bromswold, of Leighton Bromswold in the County of Huntingdon)に叙せられていた。1624年2月の兄の死により3代レノックス公爵位を継承するも同年7月に死去している[2]。
3代公と2代クリフトン女男爵キャサリン・クリフトンの間の長男であるジェイムズ・ステュワート(1612-1655)が4代レノックス公爵位を継承した。彼は1637年8月21日に母からクリフトン男爵位も継承している(この爵位は議会招集令状によるイングランド貴族爵位であるため、男子なき場合に姉妹間に優劣のない女系継承が可能)。ピューリタン革命期には王党派として行動したため、1641年8月8日に2期目のリッチモンド公爵に叙せられている。このイングランド貴族爵位は自身の男系男子の他、弟ジョージへの特別継承権を認めていた[2]。
4代公の唯一の男子である5代レノックス公・2代リッチモンド公エズメ・ステュワート(1649-1660)は、幼くして死去した。この際にクリフトン男爵位は彼の妹メアリー・バトラー(1651-1668)に継承され、それ以外の爵位は4代公の弟ジョージの子チャールズ・ステュワート(1639-1672)に継承された(6代レノックス公・3代リッチモンド公)。彼はレノックス公爵位襲爵前の1645年12月10日にイングランド貴族爵位のリッチフィールド伯(Earl of Lichfield)とバークシャー州におけるニューベリーのニューベリーのステュアート男爵(Baron Stuart of Newbury, of Newbury in the County of Berkshire)に叙せられていた。また1668年にはメアリーが子供無く死去したため、第6代クリフトン男爵位も継承している[2]。彼はその後、スコットランド海軍卿(在職1672)などの官職を務めたが、子供はなく、1672年12月12日の彼の死去によってクリフトン男爵位を除く全保有爵位が消滅した(クリフトン男爵位は彼の妹キャサリン・オブライエンが継承した)[2]。
第2期 レノックス家
イングランド王・スコットランド王チャールズ2世の私生児チャールズ・レノックス(1672-1723)は、1675年8月9日にリッチモンド公爵(Duke of Richmond)、マーチ伯爵(Earl of March)、ヨーク州におけるセトリントンのセトリントン男爵(Baron Settrington, of Settrington in the County of York)の3つのイングランド貴族爵位に叙せられ、ついで同年9月9日にレノックス公爵(Duke of Lennox)、ダーンリー伯爵(Earl of Darnley)、トーボルトン卿(Lord Torbolton)の3つのスコットランド貴族爵位に叙せられた。これが現存する2期目のレノックス公爵位の創設である[3]。チャールズは母ルイーズ・ケルアイユからフランス貴族爵位オウビーニュイ公爵も受け継いでいる。
4代公チャールズ・レノックス(1764-1819)の夫人シャーロット(1768-1842)は、ゴードン公爵ゴードン家の財産を継承したため、レノックス家は「ゴードン=レノックス家」に改姓した[4]。その孫である6代公チャールズ・ゴードン=レノックス(1818–1903)は、ヴィクトリア女王の寵愛を受けて1876年1月13日に2期目のゴードン公爵位(連合王国貴族爵位)を与えられている。これによりゴードン=レノックス家は、イングランド貴族リッチモンド公爵位、スコットランド貴族レノックス公爵位、連合王国貴族ゴードン公爵位、フランス貴族爵位オウビーニュイ公爵位を併せ持つ家柄となる[5]。
2017年現在の爵位保有者はチャールズ・ゴードン=レノックス(1955-)(第11代レノックス公爵・第11代リッチモンド公爵・第6代ゴードン公爵・第11代オウビーニュイ公爵)である[3]。
一覧
レノックス公 第1期 (1581年)
- 初代レノックス公エズメ・ステュワート (1542-1583)
- 2代レノックス公・初代リッチモンド公ルドヴィック・ステュワート (1574-1624)
- 3代レノックス公エズメ・ステュワート (1579-1624)
- 4代レノックス公・初代リッチモンド公ジェイムズ・ステュワート (1612-1655)
- 5代レノックス公・2代リッチモンド公エズメ・ステュワート (1649-1660)
- 6代レノックス公・3代リッチモンド公チャールズ・ステュワート (1639-1672)
レノックス公 第2期 (1675年)
- 初代レノックス公・初代リッチモンド公チャールズ・レノックス (1672-1723)
- 2代レノックス公・2代リッチモンド公チャールズ・レノックス (1701-1750)
- 3代レノックス公・3代リッチモンド公チャールズ・レノックス (1735-1806)
- 4代レノックス公・4代リッチモンド公チャールズ・レノックス (1764-1819)
- 5代レノックス公・5代リッチモンド公チャールズ・ゴードン=レノックス (1791-1860)
- 6代レノックス公・6代リッチモンド公・初代ゴードン公チャールズ・ヘンリー・ゴードン=レノックス (1818-1903)
- 7代レノックス公・7代リッチモンド公・2代ゴードン公チャールズ・ヘンリー・ゴードン=レノックス (1845-1928)
- 8代レノックス公・8代リッチモンド公・3代ゴードン公チャールズ・ヘンリー・ゴードン=レノックス (1870-1935)
- 9代レノックス公・9代リッチモンド公・4代ゴードン公フレデリック・チャールズ・ゴードン=レノックス (1904-1989)
- 10代レノックス公・10代リッチモンド公・5代ゴードン公チャールズ・ヘンリー・ゴードン=レノックス (1929-2017)
- 11代レノックス公・11代リッチモンド公・6代ゴードン公チャールズ・ヘンリー・ゴードン=レノックス (1955-)
系図
脚注
出典
- ^ 松村赳 & 富田虎男 2000, p. 414-415.
- ^ a b c d e f Heraldic Media Limited. “Lennox, Duke of (S, 1581 - 1672)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2016年1月19日閲覧。
- ^ a b Heraldic Media Limited. “Richmond, Duke of (E, 1675)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2016年1月19日閲覧。
- ^ 森護 1987, p. 202.
- ^ 森護 1987, p. 203.
参考文献
- 松村赳、富田虎男『英米史辞典』研究社、2000年。ISBN 978-4767430478。
- 森護『英国の貴族 遅れてきた公爵』大修館書店、1987年。ISBN 978-4469240979。