コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

チャールズ・レノックス (第3代リッチモンド公爵)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
第3代リッチモンド公爵
チャールズ・レノックス
Charles Lennox
3rd Duke of Richmond
3代リッチモンド公チャールズ・レノックス(ジョージ・ロムニー画)
生誕 1735年2月22日
死没 (1806-12-29) 1806年12月29日(71歳没)
所属組織 イギリス陸軍
軍歴 1752年 - 1806年
最終階級 陸軍元帥
テンプレートを表示

第3代リッチモンド公爵チャールズ・レノックス: Charles Lennox, 3rd Duke of Richmond, KG, PC, FRS1735年2月22日-1806年12月29日)は、イギリスの政治家、陸軍軍人、外交官、貴族。

第2代リッチモンド公爵チャールズ・レノックスの子。陸軍軍人として経歴を積んだのち、ホイッグ党ロッキンガム侯爵派に属する革新派の政治家として活躍した。後年にはトーリー党の政治家となり、小ピット内閣英語版に入閣していた。

軍人としての最終階級は陸軍元帥。爵位を継承する1750年まではマーチ伯爵(Earl of March)の儀礼称号で称された。

経歴

[編集]
1758年、ジョシュア・レノルズ

1735年2月22日に第2代リッチモンド公爵チャールズ・レノックスとその妻サラ英語版(初代カドガン伯爵ウィリアム・カドガンの娘)の間の三男として生まれた。兄二人は早世したため、嫡男としての出生だった[1][2]

ウェストミンスター・スクールライデン大学で学び、1750年8月には父の死により第3代リッチモンド公爵位を継承した[3][4]

1752年3月に第二歩兵連隊の少尉英語版として入隊[5]1753年6月18日には第20歩兵連隊英語版の大尉に昇進[6]1755年12月11日には王立協会フェローとなる[7]

1756年6月7日第33歩兵連隊英語版の中佐(lieutenant-colonel)に昇進[8]。弟のジョージ・レノックス卿英語版が第33歩兵連隊の指揮官を務めていた間、その第2大隊、ついでそれが改組された第72歩兵連隊英語版に所属した[9]1758年5月には第72連隊の名誉連隊長(colonel)に就任した[10]

1758年8月には七年戦争シェルブール上陸作戦英語版に参戦。フェルディナント・フォン・ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテルの副官(aide-de-camp)となり、1759年8月にはミンデンの戦いに参加した[4]1761年3月9日に少将(major-general)に昇進したが、1763年には七年戦争が終結し、第72歩兵連隊を解散させた[11]1763年10月18日にはサセックス統監英語版に任じられた[12]

1765年にパリに派遣され、駐フランス大使に就任するとともに枢密顧問官に列した。ついで1766年中にはロッキンガム・ホイッグ英語版の内閣に南部国務大臣として入閣した[4]

1770年4月30日には中将(lieutenant general)に昇進した[13]

ロッキンガム・ホイッグとして革新的思想の持ち主であった。アメリカ独立戦争をめぐってはアメリカ植民地側を強く支持し、特に1778年以降はイギリス軍をアメリカから撤兵させるべきと主張した[4]。またアイルランド問題でも「心の統一」を主張してアイルランドへの譲歩を主張した[14]1779年には王室費の無駄遣いを追及するとともにその削減を訴えて国王ジョージ3世から煙たがられた。さらに1780年には腐敗選挙区の削減を求める選挙法改正を主張した[15][4]

1782年3月から1783年4月にかけて第2次ロッキンガム侯爵内閣シェルバーン伯爵内閣補給庁長官英語版を務めた[4]。その間の1782年4月17日にはガーター勲章ナイトに叙され[16]、ついで1782年11月20日には大将(full general)に昇進した[17]

1784年1月には小ピット内閣英語版に再び補給庁長官として入閣した。以降トーリー的立場に転じ、背教者と批判された[4]トマス・ハーディ英語版ジョン・ホーン・トーク英語版がその政治改革の出版物によって反逆罪に問われた際の1795年2月に解任された[4]

1795年7月18日には王立近衛騎兵連隊英語版の名誉連隊長に就任[18]1796年7月30日には陸軍元帥に昇進した[19]

1806年12月29日グッドウッド・ハウス英語版で死去した[4]。男子がなかったため、爵位は甥にあたるチャールズ・レノックスが継承した[13]

栄典

[編集]

爵位

[編集]

1750年8月8日の父チャールズ・レノックスの死により以下の爵位を継承した[3]

勲章

[編集]

家族

[編集]

第3代アリスバーリー伯爵英語版・第4代エルギン伯爵チャールズ・ブルース英語版の娘メアリーと結婚し、彼女との間に娘を一人儲けた[3]

脚注

[編集]

注釈

[編集]

出典

[編集]
  1. ^ Lundy, Darryl. “General Charles Lennox, 2nd Duke of Richmond” (英語). thepeerage.com. 2016年10月22日閲覧。
  2. ^ Heraldic Media Limited. “Richmond, Duke of (E, 1675)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2015年9月28日閲覧。
  3. ^ a b c Lundy, Darryl. “Field Marshal Charles Lennox, 3rd Duke of Richmond” (英語). thepeerage.com. 2016年10月22日閲覧。
  4. ^ a b c d e f g h i Charles Lennox, 3rd Duke of Richmond”. Oxford Dictionary of National Biography. 2014年6月21日閲覧。
  5. ^ "No. 9147". The London Gazette (英語). 7 March 1752. p. 3. 2014年6月21日閲覧
  6. ^ "No. 9279". The London Gazette (英語). 23 June 1753. p. 2. 2014年6月21日閲覧
  7. ^ Lists of Royal Society Fellows”. Royal Society. 2014年6月21日閲覧。
  8. ^ "No. 9590". The London Gazette (英語). 8 June 1756. p. 2. 2014年6月21日閲覧
  9. ^ Heathcote 1999, p. 199.
  10. ^ "No. 9789". The London Gazette (英語). 6 May 1758. p. 2. 2014年6月21日閲覧
  11. ^ Brereton & Savoury, p. 41
  12. ^ "No. 10357". The London Gazette (英語). 15 October 1763. p. 1. 2014年6月21日閲覧
  13. ^ a b Heathcote 1999, p. 200.
  14. ^ Duke of Richmond”. Spartacus Educational. 2014年6月21日閲覧。
  15. ^ 森護 1987, p. 198-199.
  16. ^ a b "No. 12288". The London Gazette (英語). 16 January 1782. p. 1. 2014年6月21日閲覧
  17. ^ "No. 12391". The London Gazette (英語). 23 September 1782. p. 1. 2014年6月21日閲覧
  18. ^ "No. 13796". The London Gazette (英語). 14 July 1795. p. 741. 2014年6月21日閲覧
  19. ^ "No. 13918". The London Gazette (英語). 2 August 1796. p. 743. 2014年6月21日閲覧

参考文献

[編集]
軍職
新設連隊 第72歩兵連隊名誉連隊長
1758年–1763年
廃止
先代
第4代タウンゼンド子爵
補給長長官英語版
1782年–1783年
次代
第4代タウンゼンド子爵
先代
初代タウンゼンド公爵
補給長長官
1784年–1795年
次代
初代コーンウォリス侯爵
先代
ヘンリー・シーモア・コンウェイ
王立近衛騎兵連隊英語版名誉連隊長
1795年–1806年
次代
第2代ノーサンバランド公爵
外交職
先代
初代ハートフォード伯爵
在フランスイギリス大使
1765年–1766年
次代
第4代ロッチフォード伯爵英語版
公職
先代
ヘンリー・シーモア・コンウェイ
南部担当国務大臣
1766年
次代
第2代シェルバーン伯爵
名誉職
先代
第2代エグルモント伯爵
サセックス統監英語版
1763年–1806年
次代
第11代ノーフォーク公爵
イングランドの爵位
先代
チャールズ・レノックス
第3代リッチモンド公爵
第3期
1750年–1806年
次代
チャールズ・レノックス