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====DeNAでの現役時代(第2次)==== |
====DeNAでの現役時代(第2次)==== |
2020年10月29日 (木) 03:39時点における版
横浜DeNAベイスターズ #67 | |
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2012年11月23日、横浜スタジアムにて | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 神奈川県平塚市 |
生年月日 | 1993年10月20日(31歳) |
身長 体重 |
180 cm 80 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 左投左打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 2011年 ドラフト8位 |
年俸 | 570万円(2020年)[1] |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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古村 徹(こむら とおる、1993年10月20日 - )は、NPBの横浜DeNAベイスターズに所属する神奈川県平塚市出身のプロ野球選手(投手)。
DeNAには2012年から2015年までの期間にも在籍していた。2014年の戦力外通告を経て、2015年に打撃投手へ転身し、2016年に四国アイランドリーグplus(四国IL)の愛媛マンダリンパイレーツで現役に復帰。2017年まで愛媛に所属後、ベースボール・チャレンジ・リーグ(BCリーグ)の富山GRNサンダーバーズを経て2019年にDeNAへ復帰するという、異色の経歴を持つ。
経歴
プロ入り前
小学校2年の時に野球を始めると、平塚市立中原中学校で軟式野球部に所属。エースとして活躍した。
高校進学時には強豪の桐蔭学園高校からも誘われたが、まだ野球だけに打ち込むかどうか決めかね、茅ヶ崎西浜高校に進学した[2]。
当初は野球部にも仮入部だったが、選ばれて練習試合に登板した際に野球の楽しさを改めて実感し、正式に入部した。2年時にはエースとなり、春季県大会では選抜帰りの東海大相模高校を相手に5回まで1安打無失点と好投した。最終的に同校はこの年、春・夏・秋と県大会ベスト16まで進み、その大きな原動力となった。3年夏には県大会4回戦で桐蔭学園高校に2-3で敗退したが、3回戦の三浦学苑高校戦では2-3と1点を追う9回裏2死満塁、大会史上初の逆転サヨナラ満塁ホームランを放った[2]。
2011年10月27日のNPBドラフト会議で、地元の横浜ベイスターズから8巡目で指名[2]。契約金1,500万円、年俸450万円(年俸は推定)という条件で入団した。入団当初の背番号は64。会議直後の同年11月4日に球団の経営権がTBSホールディングスからディー・エヌ・エー(DeNA)に譲渡された[3]ため、横浜DeNAベイスターズとしての1期生にも当たる。
プロ入り後
横浜・DeNAでの現役時代(第1次)
2012年には、高校3年時の夏から左肩を痛めていた影響で、一・二軍とも公式戦への登板機会がなかった[4]。シーズン終了後の11月1日には、育成契約へ移行することを前提に、NPBから自由契約選手として公示。しかし実際には「支配下登録選手が同じ球団で育成選手契約を結ぶためには、契約の締結前にいったん自由契約選手として公示しなければならない」というNPBの規約を球団の幹部が失念していたため、契約更改の席で古村に翌2013年の統一契約書へ署名させた後に公示の手続きを進めてしまった。このような球団の不手際によって、公示後は他球団と契約することが可能な状況にあったが、11月9日にDeNA球団との間で育成選手契約を正式に締結[5]。背番号も113へ変更した。
2013年には、フューチャーズ(イースタン・リーグに加盟する7球団の若手選手による混成チーム)の一員として、イースタン・リーグ チャレンジ・マッチで実戦にデビュー[4]。イースタン・リーグにも、DeNAの投手として1試合に登板したが、1イニングを三者凡退に抑えただけでシーズンを終えた。育成選手に関するNPBの規約に沿って、10月31日にNPBから自由契約選手として再び公示[6]。前年のような不手際に見舞われることなく、育成選手としての再契約へ至った。
2014年には、イースタン・リーグ公式戦でも登板機会がなく[7]、10月3日に球団から戦力外通告を受けた[8]。10月31日にNPBから自由契約選手として公示された[9]後に、いったん現役を引退。
DeNA打撃投手時代
DeNAの球団幹部から人柄や野球へ取り組む姿勢を高く評価されていたため、2015年シーズンには打撃投手として球団と契約。しかし、当時横浜に在籍していた渡辺雄貴の自主トレーニング中にキャッチボールの相手を務めたところ、現役時代から悩まされてきた左肩の痛みが癒えていたことに気付いたという。この出来事を境に、現役への復帰を模索。シーズン中は打撃投手としての活動に専念したが、球団からマネジャーへの転身を示唆されたことを機に、2015年限りで退団した[4]。
四国IL・愛媛で現役に復帰
2016年1月25日に、四国アイランドリーグplusの愛媛マンダリンパイレーツが古村の獲得を発表[10]。独立リーグながら、2年振りに現役へ復帰した。背番号は14で、リーグ戦では、26試合に登板して1勝1敗1セーブをマーク。リーグの最終規定投球回に達しなかったものの、防御率を0.80にとどめた。愛媛が群馬ダイヤモンドペガサスと対戦したグランドチャンピオンシップでは、第1戦と第5戦に登板、うち第1戦では勝利を挙げている[11][12]。その一方で、シーズン終了後の11月12日には、NPB球団への復帰を目指して12球団合同トライアウト(阪神甲子園球場)に参加。シートバッティング形式の対戦で、打者3人を相手に、2奪三振1与四球という結果を残した[13]。しかしNPB球団から獲得のオファーを受けるまでには至らず、愛媛へ残留した。
2017年には、リーグ戦14試合に登板。シーズン途中に投球フォームをオーバースローからサイドスローへ変更したが、0勝4敗、防御率7.43と振るわず[14]、自身の意向でシーズン終了後に退団した[15]。
BCリーグ・富山時代
2017年12月4日に、ベースボール・チャレンジ・リーグの富山GRNサンダーバーズへ入団することが発表された[16]。背番号は24[17]。
2018年には、 リーグ戦33試合に登板。シーズン途中からセットアッパーへ転向する[18]とともに、1勝1敗1セーブ、防御率2.60を記録した。シーズン終了後には、BCリーグ選抜チームの一員として、オリックス・バファローズとの交流戦にクローザーとして登板。この年のNPBドラフト会議での指名候補以外の選手から唯一の抜擢であったが、DeNAでの同期だった髙城俊人から空振りで三振を奪って試合を締めくくった[18]。
DeNAでの現役時代(第2次)
2018年9月29日に、富山でのチームメイトで、自身と同じNPB出身の左投手・乾真大と共に古巣・DeNAの入団テストを受験[19]。その結果、同年11月20日に支配下登録選手としてDeNAへ復帰することが発表された[20]。現役投手としての復帰は5シーズン振り、支配下登録選手としての契約は7シーズン振りである。推定年俸は600万円で、背番号は67[21]。なお入団に際してメディカルチェックを受けた際、肘に「ネズミ(関節遊離体)」があるが問題ないと診断されていた[22]。
2019年には、1月30日付でDeNAの支配下登録選手としてNPBから公示[23]。さらに前述した第1期では経験できなかった春季キャンプでの一軍スタートも果たした[24]。オープン戦の途中から二軍へ回ったものの、3月16日には、東京ヤクルトスワローズとのイースタン・リーグ開幕戦(ヤクルト戸田球場)でNPB公式戦への登板を6年振りに経験。支配下登録選手としては初めての登板だった。しかし3月22日の登板後、肘に水がたまったように腫れ上がり、以降の登板を回避することとなる[22]。保存療法を続けてきたが4月中旬に再び肘が腫れ上がったため[22]、5月13日に左肘のクリーニング手術を受けた[25]。更にクリーニング手術だけでなく、軟骨に代わる組織の形成を促す骨穿孔術(ドリリング)も受けている[22]。8月下旬に、イースタン・リーグの公式戦で実戦に復帰。しかし、同月末の立正大学との練習試合で上腕二頭筋の神経障害を発症。この神経障害は投球フォームに因るもので、コーチの大家友和や川村丈夫の提案やチームメイトの藤岡好明の助言を基に投球フォームを根本から見直し、痛みから脱した[22]。一軍公式戦へのデビューには至らなかったものの、シーズン終了後の10月20日に、推定年俸570万円という条件で契約を更改した[26]。
2020年には、春季キャンプのスタート(2月1日)を二軍で迎えることが内定していたが、インフルエンザへ感染していることが1月30日に判明した。このため、スタート時点では二軍キャンプ地の嘉手納町(沖縄県)へ入らず、自宅での静養を余儀なくされた[27]。2月5日から春季キャンプに合流している[28]。
選手としての特徴・人物
ストレートに加えて、キレの良いスライダー、カーブ、チェンジアップを投げる[29]。
投球フォームについては、学生時代から愛媛時代の2017年4月まで、オーバースローで投げていた。しかし、2017年シーズンの序盤に乱調が続いたため、監督の河原純一(元・読売ジャイアンツおよび中日ドラゴンズ投手)の勧め[4]でサイドスローに転向[30]。富山へ移籍した2018年シーズン当初もサイドスローを続けていた[4]が、後述する球速の上昇を背景に、シーズン途中からオーバースローに戻している[31]。
ストレートの球速については、高校時代に140km/hを計測。DeNAでの第1期には、左肩を痛めていた影響で、最速でも138km/hにとどまっていた。しかし、独立リーグでの現役復帰後に、サイドスローへの転向を経て球速が向上。富山時代の2018年8月以降は、BCリーグの公式戦で、150km/hを何度も記録するようになった[18]。このように、独立リーグで速球派の左腕投手に変貌したことを、古巣のDeNA球団でも高く評価。古村の退団後に左腕の救援要員が不足していたチーム事情も背景に、NPBでは異例に当たる同一球団への5シーズン振りの復帰に漕ぎ着けた[32]。
詳細情報
年度別投手成績
- 一軍公式戦出場なし
独立リーグでの投手成績
数値は、四国アイランドリーグplus公式ウェブサイトによる[33]。
年 度 |
球 団 |
防 御 率 |
登 板 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
投 球 回 |
打 者 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
奪 三 振 |
与 四 球 |
与 死 球 |
失 点 |
自 責 点 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2016 | 愛媛 | 0.80 | 26 | 1 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 33.2 | 135 | 21 | 0 | 24 | 16 | 3 | 5 | 3 | 1 | 0 |
2017 | 7.43 | 14 | 0 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 23.0 | 118 | 30 | 0 | 16 | 24 | 2 | 21 | 19 | 1 | 1 | |
2018 | 富山 | 2.60 | 33 | 1 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 34.2 | 143 | 26 | 4 | 36 | 20 | 1 | 12 | 10 | 4 | 0 |
IL:2年 | 3.52 | 40 | 1 | 5 | 1 | 0 | 0 | 0 | 56.2 | 253 | 51 | 0 | 40 | 40 | 5 | 26 | 22 | 2 | 1 | |
BCL:1年 | 2.60 | 33 | 1 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 34.2 | 143 | 26 | 4 | 36 | 20 | 1 | 12 | 10 | 4 | 0 |
背番号
- 64 (2012年)
- 113 (2013年 - 2015年)
- 14 (2016年 - 2017年)
- 24 (2018年)
- 67 (2019年 - )
脚注
- ^ DeNA - 契約更改 - プロ野球. サンスポ. 2019年10月21日閲覧。
- ^ a b c 新たな野球人生 古村徹『週刊ベースボール』2011年12月5日号、ベースボール・マガジン社、2011年、雑誌20442-12/5, 40-41頁。
- ^ “TBS、DeNAに横浜球団株66%譲渡を発表 総額65億円”. 日本経済新聞 (2011年11月4日). 2018年11月17日閲覧。
- ^ a b c d e “戦力外から裏方、そして再びプロ野球選手へ―150キロ左腕・古村徹(元DeNA)の復活と進化【前編】”. Yahoo!ニュース (2018年11月11日). 2018年11月17日閲覧。
- ^ “DeNA初の契約更改交渉で大失態”. サンケイスポーツ (2012年11月2日). 2012年11月2日閲覧。
- ^ 2013年度 自由契約選手(育成選手) 日本野球機構オフィシャルサイト 2013年11月3日閲覧。
- ^ “ファーム 投手成績”. 横浜DeNAベイスターズ公式サイト (2014年9月27日). 2014年10月8日閲覧。
- ^ “2015年度選手契約について”. 横浜DeNAベイスターズ公式サイト (2014年10月3日). 2014年10月8日閲覧。
- ^ 2014年度 自由契約選手(育成選手) 日本野球機構オフィシャルサイト 2014年11月7日閲覧。
- ^ “新入団選手のお知らせ【チームからのお知らせ】”. 愛媛マンダリンパイレーツ公式サイト (2015--01-25). 2015年1月25日閲覧。
- ^ 愛媛マンダリンパイレーツ VS 群馬ダイヤモンドペガサス(2016年10月1日) - 四国アイランドリーグplus
- ^ 群馬ダイヤモンドペガサス vs 愛媛マンダリンパイレーツ(2016年10月10日) - 四国アイランドリーグplus
- ^ “65人が参加/12球団合同トライアウト詳細”. 日刊スポーツ. (2016年11月12日) 2016年11月13日閲覧。
- ^ 選手成績 愛媛マンダリンパイレーツ - 四国アイランドリーグplus(2017年11月6日閲覧)
- ^ 愛媛MP 退団選手のお知らせ - 四国アイランドリーグplus(2017年11月6日)
- ^ 新入団選手のお知らせ - 富山GRNサンダーバーズ(2017年12月4日)
- ^ “入団7選手「王座を」 野球・富山GRNサンダーバーズ会見”. 富山新聞. (2018年1月9日) 2018年1月16日閲覧。
- ^ a b c “戦力外から裏方、そして再びプロ野球選手へ―150キロ左腕・古村徹(元DeNA)の復活と進化【後編】”. Yahoo!ニュース (2018年11月12日). 2018年11月17日閲覧。
- ^ “【DeNA】150キロ左腕・古村を再獲得へ…14年オフ戦力外もBC富山で実力開花”. スポーツ報知. (2018年9月29日) 2018年1月16日閲覧。
- ^ “古村徹選手 獲得のお知らせ”. 横浜DeNAベイスターズ. (2018年11月20日) 2018年11月20日閲覧。
- ^ “古村がDeNA再入団会見「チームのために貢献したい」年俸600万円、背番号「67」” (日本語). Full-count. (2018年11月26日). 2018-11-26 2018年12月4日閲覧。
- ^ a b c d e “「9割の辛、1割の幸」困難を乗り越えたDeNA・古村徹に射し込む光”. BASEBALL KING. (2020年1月26日) 2020年2月20日閲覧。
- ^ 2019年度横浜DeNAベイスターズ 支配下選手一覧NPB日本野球機構
- ^ “DeNA上茶谷ら一軍、東は二軍/キャンプ振り分け” (日本語). 日刊スポーツ. (2019-01-26 2018-11-26). 2018-11-26 2019年2月3日閲覧。
- ^ “DeNA 三上が右肘、古村が左肘のクリーニング手術” (日本語). スポーツニッポン. (2019年5月13日). 2019-05-14 2019年2月3日閲覧。
- ^ “DeNA・飯塚 280万減の1120万円で更改 今季1軍登板5試合のみ” (日本語). スポーツニッポン. (2019年10月20日). 2019-10-20 2019年10月20日閲覧。
- ^ “DeNA・古村がインフル感染 沖縄入り見送り自宅静養” (日本語). スポーツニッポン. (2019-10-20 2020-01-31). 2020-01-31 2020年1月31日閲覧。
- ^ “茅ヶ崎コンビが開幕へ前進 DeNA倉本選手、古村投手”. タウンニュース. (2020年2月14日) 2020年2月20日閲覧。
- ^ “南原在住古村徹さん 横浜が指名”. タウンニュース (2010年11月3日). 2012年5月24日閲覧。
- ^ 高田博史 (2017年7月31日). “愛媛・古村 サイドスロー転向でスライダーが打者の脅威に”. デイリースポーツ 2017年9月3日閲覧。
- ^ “ありえぬ努力経て異例復帰のDeNA古村「次こそ」”. 日刊スポーツ. (201 9-01-12) 2019年1月12日閲覧。
- ^ “DeNA 古村を再獲得 引退、BCリーグを経て異例の復帰”. デイリースポーツ. (2017年11月20日) 2018年11月20日閲覧。
- ^ 選手成績愛媛 - 四国アイランドリーグplus
関連項目
外部リンク
- 個人年度別成績 古村徹 - NPB.jp 日本野球機構
- 古村 徹 (@comtankuppa) - X(旧Twitter)
- 古村徹 (@comtankuppa) - Instagram