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|到職未遞国書<ref>中國社會科學院近代史研究所編,《顧維鈞回憶録》(1),中華書局1983年版,第323-326頁。</ref><br>1929年6月3日<br>向国民政府主席<br>[[蔣中正]]呈遞[[国書]]<ref>中華民国史事日志,1929年6月3日条。</ref> |
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==={{flag|Empire of Japan}}駐[[中華民国]]大使(1935年-1940年)=== |
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1935年5月17日,中日両国晋升為大使級外交関係,中国即以駐日公使[[ |
1935年5月17日,中日両国晋升為大使級外交関係,中国即以駐日公使[[蔣作賓]]為駐日大使,日本即以駐華公使[[有吉明]]為駐華大使。 |
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2020年9月15日 (火) 15:04時点における版
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駐台日本大使(ちゅうたいにほんたいし)は、日本政府が派遣した中華民国に駐在する特命全権大使である。1972年の日華国交断絶以降についても記す。
歴代の在中華民国日本大使
姓名 (中文) |
姓名 (日文) |
任命 | 着任 | 信任状捧呈 | 免職 | 離任日 | 外交等級 | 外交職務 | 備考 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
伊集院彦吉 | 伊集院彦吉 | 駐清公使から横滑り。 | 1913年6月22日[1] | 公使 | 特命全権公使 | |||||
山座圓次郎 | 山座円次郎 | 1913年6月22日[1] | 1913年7月[2] | 1913年11月17日[3] | (死亡) | 1914年5月28日[2] | 公使 | 特命全権公使 | 北京にて、在任中に逝去 | |
松平恒雄 | 松平恒雄 | 1914年5月28日[2] | 一等参賛 | 一等参賛 | 頭等参賛代辦館務 | |||||
小幡酉吉 | 小幡酉吉 | 1914年6月4日[2] | 1914年8月20日[2] | 臨時代理公使。 公使館一等書記官 | ||||||
日置益 | 日置益 | 1914年8月20日[2] (一説には8月19日到京[4]) |
1914年8月25日[5] | 1916年7月16日[2] | 公使 | 特命全権公使 | ||||
小幡酉吉 | 小幡酉吉 | 1916年7月16日[2] | 1916年8月14日[2] | 臨時代理公使。 公使館一等書記官 | ||||||
林権助 | 林権助 | 1916年8月14日[2] | 1916年8月19日[6] | 1918年12月5日[2] | 公使 | 特命全権公使 | ||||
芳澤謙吉 | 芳澤謙吉 | 1918年12月5日[2] | 1918年12月22日[2] | 臨時代理公使使館参事官 | ||||||
小幡酉吉 | 小幡酉吉 | 1918年12月5日[2] | 1918年12月27日[7] | 1923年[2] | 公使 | 特命全権公使 | ||||
吉田伊三郎 | 吉田伊三郎 | 1923年4月26日[2] | 1923年7月16日[2] | 臨時代理公使使館参事官 | ||||||
芳澤謙吉 | 芳澤謙吉 | 1923年5月31日[8][9] | 1923年7月16日[2] (一説には7月17日[10]) |
到職未遞国書[11] 1929年6月3日 向国民政府主席 蔣中正呈遞国書[12] |
1929年8月20日[2] | 公使 | 特命全権公使 | |||
堀義貴 | 堀義貴 | 1928年10月17日[2] | 1929年6月12日[2] | 臨時代理公使使館参事官 | ||||||
堀内謙介 | 堀内謙介 | 1929年8月20日[2] | 1929年10月27日[2](存疑) | 臨時代理公使使館参事官 | ||||||
佐分利貞男 | 佐分利貞男 | 1929年8月29日[13] | 1929年10月7日[14] | (死亡) | 1929年11月29日[15] | 公使 | 特命全権公使 | 1929年11月29日 箱根にて急死 | ||
堀内謙介 | 堀内謙介 | 1929年12月11日[2] | 臨時代理公使使館参事官 | |||||||
重光葵 | 重光葵 | 1931年6月6日[2] | 1931年8月6日[2] | 代辦使事 | ||||||
重光葵 | 重光葵 | 1931年8月6日[16] | 1931年8月6日[2] | 1931年9月14日[17] | 1932年6月17日[2] | 公使 | 特命全権公使 | |||
堀内干城 | 堀内干城 | 1932年6月17日[2] | 1932年8月11日[2] | 臨時代理公使 公使館一等書記官 | ||||||
矢野眞 | 矢野眞 | 1932年8月11日[2] | 1932年9月4日[2] | 臨時代理公使使館参事官 | ||||||
有吉明 | 有吉明 | 1932年7月26日[18] | 1932年9月4日[2] | 1932年9月28日[19] | 1935年5月17日[2] | 公使 | 特命全権公使 |
1935年5月17日,中日両国晋升為大使級外交関係,中国即以駐日公使蔣作賓為駐日大使,日本即以駐華公使有吉明為駐華大使。
姓名 (中文) |
姓名 (日文) |
任命 | 着任 | 信任状捧呈 | 免職 | 離任 | 外交等級 | 外交職務 | 備註 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
有吉明 | 有吉明 | 1935年5月17日[20] | 1935年5月17日[2] | 1935年6月14日[21] | 1936年2月7日[22] | 大使 | 特命全権大使 | |||
堀内干城 | 堀内干城 | 1935年5月17日[2] | 臨時代理大使。大使館一等書記官 | |||||||
若杉要 | 若杉要 | 1936年2月7日[2] | 1936年2月26日[2] | 臨時代理大使。大使館参次官 | ||||||
有田八郎 | 有田八郎 | 1936年2月7日[22] | 1936年2月26日[2] | 1936年3月6日[23] | 1936年3月24日[24] | 大使 | 特命全権大使 | |||
若杉要 | 若杉要 | 1936年3月30日[2] | 1936年6月22日[2] | 臨時代理大使。大使館参事官 | ||||||
川越茂 | 川越茂 | 1936年4月17日[25] | 1936年6月22日[2] | 1936年7月3日[26] | 1938年1月18日[27] | 1938年1月28日[27] | 大使 | 特命全権大使 | ||
日高信六郎 | 日高信六郎 | 1937年[2] | 1937年[2] | 臨時代理大使。大使館参事官 | ||||||
森島守人 | 森島守人 | 1938年1月18日[2] | 1940年1月25日[2] | 臨時代理大使。大使館参事官 | ||||||
藤井啓之助 | 藤井啓之助 | 1940年1月25日[2] | 1940年4月1日[2] | 臨時代理大使。大使館参事官 |
大日本帝国駐中華民国(汪兆銘政權)大使(1940年-1945年)
1940年3月30日に成立した汪兆銘政権の大使一覧。
姓名 (中文) |
姓名 (日文) |
任命 | 着任 | 信任状捧呈 | 免職 | 離任 | 外交等級 | 外交職務 | 備考 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
阿部信行 | 阿部信行 | 1940年4月1日[2][28] | 1940年4月23日[28] | 1940年 | 大使 | 特命全権大使 | ||||
本多熊太郎 | 本多熊太郎 | 1940年12月7日[29] | 大使 | 特命全権大使 | ||||||
谷正之 | 谷正之 | 1943年4月28日[30] | 1945年日本投降 | 大使 | 特命全権大使 |
姓名 (中文) |
姓名 (日文) |
任命 | 着任 | 信任状捧呈 | 免職 | 離任 | 外交等級 | 外交職務 | 備考 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
芳澤謙吉 | 芳澤 謙吉 | 1952年8月25日 | 1952年10月6日[31] | 1954年12月19日[32][33] | 大使 | 特命全権大使 | ||||
堀内謙介 | 堀内 謙介 | 1955年11月17日[34] | 1955年12月27日[35] | 1959年[36] | 大使 | 特命全権大使 | ||||
井口貞夫 | 井口 貞夫 | 1959年4月14日[37] | 1962年11月25日[38] | 大使 | 特命全権大使 | |||||
木村四郎七 | 木村 四郎七 | 1962年[39][40] | 1963年1月8日[40] | 1963年1月18日[41] | 1966年2月5日[42] | 大使 | 特命全権大使 | |||
原栄吉 | 原 栄吉 | 1966年 | 1966年[43] | 代辦 | ||||||
中田豊千代 | 中田 豊千代 | 1966年 | 1966年[44][45][46][47][48] | 公使 | 特命全権公使 | 代辦 | ||||
島津久大 | 島津 久大 | 1966年9月27日[49][50] | 1969年6月10日[51] | 大使 | 特命全権大使 | |||||
板垣修 | 板垣 修 | 1969年6月26日[52] | 1972年1月30日[53] | 大使 | 特命全権大使 | |||||
宇山厚 | 宇山 厚 | 1972年3月18日[54] | 1972年7月23日[55] | 大使 | 特命全権大使 |
国交断絶後の歴代駐台外交官
→詳細は「日本台湾交流協会」を参照
歴代台北事務所長(大使に相当)
- 伊藤博教(初代、1972年12月-1974年11月)--元駐南アフリカ大使
- 卜部敏男(1974年11月-1977年10月)--元駐フィリピン大使
- 西山昭(1977年11月-1980年3月)--元駐カナダ、韓国大使
- 人見宏(1980年4月-1983年3月)--元駐南ベトナム、タイ大使
- 原富士男(1983年4月-1990年7月)--元駐グアテマラ大使
- 梁井新一(1990年7月-1995年2月)--元駐韓国大使
- 後藤利雄(1995年3月-1998年3月)--元駐韓国大使
- 山下新太郎(1998年3月-2002年)--元駐西ドイツ、タイ、ポーランド、韓国大使
- 内田勝久(2002年2月-2005年5月)--元駐イスラエル、シンガポール、カナダ大使
- 退任後の著書(下記参照)で、「私は独断と偏見の謗りを甘んじて受けつつ、政治、経済、文化、人的交流その他あらゆる面で台湾が上記三カ国のいずれに較べても『大使』として、勤務しがいのある国であったことを断言したい」と述べている。
- 池田維(2005年5月-2008年7月)--元駐オランダ、ブラジル大使
- 齋藤正樹(2008年7月-2009年12月)--元駐カンボジア、ニュージーランド大使
- 今井正(2010年1月-2012年4月)--元駐イスラエル、マレーシア大使
- 樽井澄夫(2012年4月-2014年7月14日)--外務省中国課長、在中国日本国大使館公使、軍縮会議大使、沖縄担当大使などを歴任
- 沼田幹男(2014年7月15日-)--在香港日本国総領事館領事、外務省領事局長、在ミャンマー大使などを歴任
出典
関連項目
脚注
- ^ a b 中華民国史事日志,1913年6月22日条。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am an ao ap aq ar as at au av aw 各國駐華使節表(按國別區分) Archived 2011-11-15 at the Wayback Machine.,中央研究院近代史研究所,黄文徳提供。(PDF格式)
- ^ 中華民国史事日志,1913年11月17日条。
- ^ 中華民国史事日志,1914年8月19日条
- ^ 中華民国史事日志,1914年8月25日条
- ^ 中華民国史事日志,1916年8月19日条
- ^ 中華民国史事日志,1918年12月27日条
- ^ 中華民国史事日志,1923年5月31日条
- ^ 郭廷以 1979, p. 725.
- ^ 中華民国史事日志,1923年7月17日条。当日芳澤謙吉未遞正式國書(以其國書係致黎元洪者)。
- ^ 中國社會科學院近代史研究所編,《顧維鈞回憶録》(1),中華書局1983年版,第323-326頁。
- ^ 中華民国史事日志,1929年6月3日条。
- ^ 中華民国史事日志,1929年8月29日条
- ^ 中華民国史事日志,1929年10月7日条
- ^ 中華民国史事日志,1929年11月29日条
- ^ 中華民国史事日志,1931年8月6日条
- ^ 中華民国史事日志,1931年9月14日条
- ^ 中華民国史事日志,1932年7月26日条
- ^ 中華民国史事日志,1932年9月28日条。有吉明1932年9月7日到南京。
- ^ 中華民国史事日志,1935年5月17日条。
- ^ 中華民国史事日志,1935年6月14日条。
- ^ a b 中華民国史事日志,1936年2月7日条。
- ^ 中華民国史事日志,1936年3月6日条。有田八郎1936年2月25日到上海。
- ^ 中華民国史事日志,1936年3月24日条。1936年3月24日日本内閣任有田八郎為外務大臣,重光葵為駐華大使。
- ^ 中華民国史事日志,1936年4月17日条。以駐天津総領事川越茂為駐華大使
- ^ 中華民国史事日志,1936年7月3日条。川越茂1936年6月22日自東京到上海。
- ^ a b 中華民国史事日志,1938年1月18日条。1938年1月18日日本召回駐華大使川越茂,1月28日川越茂離上海返回日本。
- ^ a b 中華民国史事日志,1940年4月1日条。1940年4月1日日本任命阿部信行為駐南京大使,4月23日到任。
- ^ 中華民国史事日志,1940年12月7日条。1940年12月7日日本任命本多熊太郎為駐南京大使。
- ^ 中華民国史事日志,1943年4月28日条。1943年4月28日日本任命谷正之為駐南京大使。
- ^ 王世杰呈蔣中正日本大使芳澤謙吉呈遞國書時所致詞譯稿及代擬答詞稿各一份,中央日報十月七日關於芳澤謙吉覲見總統呈遞國書之報導剪報,蔣中正總統文物,典藏號 002080106065008
- ^ 總統蔣中正歡送日本駐華大使芳澤謙吉退休回國親授大綬景星勳章,蔣中正總統文物,典藏號 002050106003120
- ^ 日使芳澤謙吉奉召離台返國——昨晨飛港前曾表示將為反共繼續努力,正氣中華,1954年12月20日,第1版
- ^ 日駐華大使易人堀内謙介膺新命——昨接受日皇頒賜駐華大使國書董大使訪晤鳩山首相,更生報,1955年11月17日,第一版
- ^ 日本新任駐華大使,昨謁總統呈遞國書——兩國元首一致願望邦交日進,堀内祈祝我國早達復國傳業,臺灣民聲日報,1955年12月28日,第一版
- ^ 日本駐華大使堀内謙介惜別酒會,中央社,民國48年3月18日
- ^ 日駐華大使井口貞夫呈遞國書,中央社,民國48年4月14日
- ^ 日本駐華大使井口貞夫惜別酒會,中央社,民國51年11月17日。井口貞夫預定1962年11月25日離開臺灣。
- ^ 日本駐華大使井口貞夫惜別酒會,中央社,民國51年11月17日。井口貞夫預定1962年11月25日離開臺灣返回日本。
- ^ a b 新任日本駐華大使木村四郎七,中央社,民國51年12月24日。木村四郎七預定1963年1月8日抵達臺北。
- ^ 日本新任駐華大使木村四郎七呈遞到任國書,中國農村復興聯合委員會
- ^ 日本駐華大使木村四郎卸任返回日本,中央社,民國55年2月5日。木村四郎七于1966年2月5日離開臺灣返回日本。
- ^ 日本政府贈勳給張厲生先生,中央社,民國55年4月7日
- ^ 日本參議院議員大竹平八郎夫婦抵台,中央社,民國55年2月12日
- ^ 日本駐華大使館酒會慶祝日皇六五華誕,中央社,民國55年4月29日
- ^ 日本草繪藝術特展,中央社,民國55年9月13日
- ^ 外交部次長楊西崑贈勳日本公使中田豐千代,中央社,民國56年3月13日
- ^ 日本駐華大使館特命全權公使中田豐千代夫婦離台飛回日本,中央社,民國56年3月20日
- ^ 日本新任駐華大使島津久大向總統呈遞到任國書,中央社,民國55年9月27日
- ^ 日本大使島津久大呈遞國書,台視新聞,1966年9月27日
- ^ 日本駐華大使島津久大離華返日本,中央社,民國58年6月10日。島津久大于1969年6月10日離開臺灣返回日本。
- ^ 新任日本駐華大使板垣修晉見蔣中正總統並遞到任國書,中央社,民國58年6月26日
- ^ 日本駐華大使板垣修卸任返日,中央社,民國61年1月30日。板垣修于1972年1月30日離開臺灣返回日本。
- ^ 新任日本駐華大使宇山厚晉見總統呈遞到任國書,中央社,民國61年3月18日
- ^ 日本駐華大使宇山厚返日,中央社,民國61年7月23日。宇山厚于1972年7月23日離開臺灣返回日本。