「油須木町」の版間の差分
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2020年9月15日 (火) 12:17時点における版
油須木町 | |
---|---|
北緯31度40分55.4秒 東経130度29分2.1秒 / 北緯31.682056度 東経130.483917度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 鹿児島県 |
市町村 | 鹿児島市 |
地域 | 郡山地域 |
人口 (2020年(令和2年)4月1日現在) | |
• 合計 | 650人 |
等時帯 | UTC+9 (JST) |
郵便番号 |
891-1104 |
油須木町(ゆすきちょう Yusuki-Chō)は、鹿児島県鹿児島市の町名。旧日置郡郡山郷油須木村、日置郡郡山村大字油須木、日置郡郡山町油須木。郵便番号は891-1104。人口は650人、世帯数は314世帯(2020年4月1日現在)[1]。
地理
鹿児島市北西部、甲突川支流油須木川流域に位置し、八重山に連なる丘陵に囲まれた小盆地に水田が広がる農業地域である[2]。町域の北方には花尾町、南方には小山田町、東方には東俣町、西方には郡山町にそれぞれ接している。
町域の中央を南北に国道328号が通っており、南方には鹿児島県道40号伊集院蒲生溝辺線が東西に通っている。
河川
- 甲突川水系油須木川
歴史
成立から町村制施行まで
油須木という地名は鎌倉期より見え、薩摩国満家院のうちであった。鎌倉期は税所氏の支配地であったとされる。南北朝期になると守護島津家の力が強まり建武4年に比志島彦一に「満家院内 油須木四町」が与えられた。
南北朝期ののちに満家院は島津家の支配下に入り、近世初頭に比志島氏が移封されるまでは比志島氏の支配に属していた。比志島氏が移封されたのちは島津氏の直轄領となった。文明17年には町域の北部にある上ノ原にて島津忠廉が寡兵をもって村田肥前守経安の軍を破った古戦場がある。
江戸期には薩摩国日置郡郡山郷(外城)のうちであり、村高は「旧高旧領」では431石余、「郡山郷土史」では明治初年は433石余であったとされる。
町村制施行以降
1889年(明治22年)に町村制が施行されたのに伴い、江戸期の油須木村は郡山村の大字「油須木」となった。1956年(昭和31年)には郡山村が町制施行し郡山町の大字となった[3]。2004年(平成16年)に郡山町が鹿児島市に編入され、鹿児島市の町名「油須木町」となった。
施設
- 住宅
- ストリームタウンつもりあい
小・中学校の学区
市立小・中学校の学区(校区)は以下の通りである[4]。
町丁 | 番・番地 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|---|
油須木町 | 947-974 | 鹿児島市立花尾小学校 | 鹿児島市立郡山中学校 |
油須木町 | 975-1012 | 未設定区域 | |
油須木町 | 上記を除く全域 | 鹿児島市立郡山小学校 |
交通
道路
- 国道
- 県道
参考資料
関連項目
座標: 北緯31度40分55.4秒 東経130度29分2.1秒 / 北緯31.682056度 東経130.483917度