「西俣町 (鹿児島市)」の版間の差分
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2020年9月15日 (火) 12:17時点における版
西俣町 | |
---|---|
北緯31度40分40.4秒 東経130度27分28.2秒 / 北緯31.677889度 東経130.457833度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 鹿児島県 |
市町村 | 鹿児島市 |
地域 | 郡山地域 |
人口 (2020年(令和2年)4月1日現在) | |
• 合計 | 495人 |
等時帯 | UTC+9 (JST) |
郵便番号 |
891-1106 |
西俣町(にしまたちょう Nishimata-Chō)は、鹿児島県鹿児島市の町名。旧日置郡郡山村大字西俣、日置郡郡山町西俣。郵便番号は891-1106。人口は495人、世帯数は258世帯(2020年4月1日現在)[1]。
地理
鹿児島市の北西部、神之川上流域に位置している[2]。町域の北方から西方にかけて郡山岳町、西方に有屋田町、南方に日置市伊集院町中川、東方に小山田町、郡山町にそれぞれ接している。
神之川に沿って南北に細長く延びる地域に集落が多く所在する。中央部には鹿児島県道40号伊集院蒲生溝辺線が東西に、北部には鹿児島県道36号川内郡山線が東西に通っている。
歴史
成り立ちから町村制施行まで
西俣という地名は鎌倉期より見え、薩摩国満家院のうちであった。西俣名とも称されていた。鎌倉期には何人かのものが権利を有していたようである。以後は比志島氏一族が治めていたようであるが、正平5年に伊集院忠国が郡山城を攻略し、満家院に勢力をのばし忠国の四男義久の次男である伊集院忠房は有屋田(現在の有屋田町)に有屋田氏を称し、隣接する西俣も伊集院氏に支配され、それまで当地を治めていた西俣氏は有屋田氏の家臣となったという。その後宝徳2年に伊集院氏が島津氏に追われ肥後に逃亡しその後当地も島津氏の支配地となった。
江戸期には薩摩国日置郡郡山郷のうちであった。村高は「天保郷帳」では746石余、「郡山郷土史」では明治初期には777石余であった。
町村制施行以降
1889年(明治22年)に町村制が施行されたのに伴い、江戸期の西俣村の区域は郡山村の大字「西俣」となった。1956年(昭和31年)には郡山村が町制施行し郡山町の大字となった[3]。その後2004年(平成16年)に郡山町が鹿児島市に編入され、鹿児島市の町名「西俣町」となった。
施設
- 神社
- 霧島神社
小・中学校の学区
市立小・中学校に通う場合、学区(校区)は以下の通りとなる[4]。
町丁 | 番・番地 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|---|
西俣町 | 全域 | 鹿児島市立郡山小学校 | 鹿児島市立郡山中学校 |
交通
道路
- 県道
脚注
関連項目
座標: 北緯31度40分40.4秒 東経130度27分28.2秒 / 北緯31.677889度 東経130.457833度