「喜入前之浜町」の版間の差分
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2020年9月15日 (火) 12:16時点における版
喜入前之浜町 | |
---|---|
前之浜駅 | |
北緯31度20分38.6秒 東経130度33分20.6秒 / 北緯31.344056度 東経130.555722度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 鹿児島県 |
市町村 | 鹿児島市 |
地域 | 喜入地域 |
面積 | |
• 合計 | 12.36 km2 |
人口 (2020年(令和2年)4月1日現在) | |
• 合計 | 1,099人 |
• 密度 | 118.37人/km2 |
等時帯 | UTC+9 (JST) |
郵便番号 |
891-0205 |
喜入前之浜町(きいれまえのはまちょう Kiire maenohama-Chō)は、鹿児島県鹿児島市の町名。旧薩摩国給黎郡喜入郷下村の一部、薩摩国給黎郡喜入郷前之浜村、揖宿郡喜入村大字前之浜、喜入郡喜入町前之浜。郵便番号は891-0205。人口は1,099人、世帯数は578世帯(2020年4月1日現在)[1]。面積は12.36Km2である[2]。
地理
鹿児島市の南部に位置しており、町域内を貝底川が流れている。町域の北方には鹿児島市喜入町、南方には鹿児島市喜入生見町、西方には鹿児島市喜入一倉町、南九州市頴娃町上別府、南九州市頴娃町牧之内にそれぞれ隣接しており、東方には鹿児島湾に面している。
海岸沿いには国道226号及び指宿枕崎線が並行して通っている。
河川
- 貝底川
歴史
前之浜村の成立
江戸期は薩摩国給黎郡喜入郷(外城)のうちの下村に含まれたが、1村として把握される場合があり、庄屋もおかれた。1878年(明治11年)に下村が前之浜村と生見村に分割され、前之浜村として成立した[3]。
町村制施行以後
1889年(明治22年)に町村制が施行されたのに伴い、江戸期の喜入郷の区域より喜入村が成立し、それまでの前之浜村は喜入村の大字「前之浜」となった。1956年(昭和31年)には喜入村が町制施行し喜入町となった[3]。
また、1988年(昭和63年)までは現在の喜入一倉町及び喜入町の各一部の区域も前之浜のうちであったが、1988年(昭和63年)1月1日に前之浜及び中名の区域より大字一倉及び大字喜入が設置された[4]。分割された理由として、「喜入町郷土誌」には『地区名(小学校区)と大字名の違いから生活に不便や不都合が生じた為』とある[2]。
2004年(平成16年)には喜入町が鹿児島市に編入され、大字前之浜は鹿児島市の町名「喜入前之浜町」となった。
区域の変遷
実施後 | 実施年 | 実施前 |
---|---|---|
藩政村時代 | ||
給黎郡喜入郷前之浜村 | 1878年(明治11年) | 給黎郡喜入郷下村の一部 |
町村制施行以後 | ||
喜入町大字一倉(一部) | 1988年(昭和63年) | 喜入町大字前之浜 |
喜入町大字喜入(一部) |
施設
- 教育
-
- 鹿児島市立前之浜小学校
- 前之浜保育園
- 寺社
-
- 鈴神社
小・中学校の学区
市立小・中学校に通う場合、学区(校区)は以下の通りとなる[5]。
町丁 | 番・番地 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|---|
喜入前之浜町 | 全域 | 鹿児島市立前之浜小学校 | 鹿児島市立喜入中学校 |
交通
道路
- 国道
鉄道
出身人物
脚注
参考文献
関連項目
座標: 北緯31度20分38.6秒 東経130度33分20.6秒 / 北緯31.344056度 東経130.555722度