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「大黒町 (鹿児島市)」の版間の差分

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2020年9月15日 (火) 12:11時点における版

日本 > 鹿児島県 > 鹿児島市 > 大黒町
大黒町
大黒町を南北に通る大門口通り
大黒町を南北に通る大門口通り
大黒町の位置(鹿児島市中心部内)
大黒町
大黒町
大黒町の位置(鹿児島市内)
大黒町
大黒町
大黒町の位置(鹿児島県内)
大黒町
大黒町
北緯31度35分26秒 東経130度33分29.3秒 / 北緯31.59056度 東経130.558139度 / 31.59056; 130.558139座標: 北緯31度35分26秒 東経130度33分29.3秒 / 北緯31.59056度 東経130.558139度 / 31.59056; 130.558139
日本
都道府県 鹿児島県
市町村 鹿児島市
地域 中央地域
地区 中央地区
人口
2020年(令和2年)4月1日現在)
 • 合計 308人
等時帯 UTC+9 (JST)
郵便番号
892-0825

大黒町(だいこくちょう[1])は、鹿児島県鹿児島市[2]。旧薩摩国鹿児島郡鹿児島城下下町大黒町、鹿児島府下下町大黒町郵便番号は892-0825。人口は308人、世帯数は241世帯(2020年4月1日現在)[3]。大黒町の全域で住居表示を実施している[4]

江戸時代には下町を管轄する下町会所が置かれ、城下三町(上町、下町、西田町)を管轄する三町惣年寄が任じされており城下三町の中心となっていた[5]

地理

鹿児島市の中央部に位置する。町域の北方に金生町、南方に新町、西方に呉服町、東方に堀江町がそれぞれ接している。

町域の中央を南北に大門口通りが通っている。

歴史

鹿児島城下としての大黒町

江戸期は鹿児島城下下町のうちであった[2]松原通町にかつて存在していた曹洞宗寺院である南林寺の門前であったため、多くの市があり賑わったとされる[2]。大黒町の町名は「天保城下絵図」に見え、東は海であったと記載されている[5]。大黒町の起源について大道寺友山によって著された「落穂集」によると城下の用地が不足したため、前之浜(鹿児島城下付近の浜)に築地を設ける工事が元禄年間より行われていたが、工事が未完成ながら人が住み着いたため、大黒町として町を設置されたとされている[5]

また、町内には下町会所と火見櫓が置かれ、下町会所には町政の筆頭である三町惣年寄が任じられており、城下三町(上町・下町・西田町)の中心となっていた[5]

明治5年に鹿児島では初めてとなる郵便取扱所が大黒町内に設置された[6]。この郵便取扱所は鹿児島に設置された官庁としては初めてのものであり、1875年(明治8年)には鹿児島郵便局となった[7]。のちに山下町に移転しており、中央町にある鹿児島中央郵便局の前身にあたる[8]

市制施行以降

1889年(明治22年)には市制が施行されたのに伴い、鹿児島城下47町と近在3村より鹿児島市が成立。これに伴い、江戸期の大黒町は鹿児島市の町名「大黒町」となった[2]

1914年(大正3年)に金生町で創業した鹿児島勤倹銀行が1921年(大正10年)に大黒町に移転している[9]。その後1941年(昭和16年)に鹿児島勤倹銀行は鹿児島銀行に買収された[10]1914年(大正3年)時点で大黒町には30余りの商店があったという[11]

1962年(昭和37年)に住居表示に関する法律が施行されたのに伴い、鹿児島市は鹿児島市街地域の住居表示に着手した[12]1963年昭和38年)には甲突川北部地域に対して住居表示法に基づく住居表示が一斉に行われ、大黒町の全域でも住居表示が実施された[12][13]

人口

下記の人口データは『角川日本地名大辞典』記載のものである[2]

統計年次〔年〕 世帯数〔世帯〕 総人口〔人〕 備考
1908年(明治41年) 184 816 [2]
1922年(大正11年) 195 1,122 [2]
1935年(昭和10年) 179 1,010 [2]

施設

公共

  • 大黒町公民館

金融

商業

  • スーパーハルタいづろ店

小・中学校の学区

市立小・中学校に通う場合、学区(校区)は以下の通りとなる[14]

町丁 番・番地 小学校 中学校
大黒町 全域 鹿児島市立名山小学校 鹿児島市立長田中学校

交通

道路

市道
  • いづろ通り
  • 大門口通り

著名な出身人物

脚注

  1. ^ 鹿児島市の町名”. 鹿児島市. 2020年7月30日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h 角川日本地名辞典 p.386
  3. ^ 年齢(5歳階級)別・町丁別住民基本台帳人口(平成27~令和2年度)”. 鹿児島市 (2020年4月1日). 2020年5月8日閲覧。
  4. ^ 住居表示実施区域町名一覧表”. 鹿児島市 (2020年2月3日). 2020年6月11日閲覧。
  5. ^ a b c d 鹿児島県の地名 p.165
  6. ^ 鹿児島市史第二巻 p.592
  7. ^ 鹿児島市史第一巻 p.631
  8. ^ 鹿児島市史第4巻 p.631
  9. ^ 鹿児島市史第二巻 pp.520-521
  10. ^ 九州FGは地域金融の中核となるか|ご当地銀行の合従連衡史”. M&AOnline (2018年9月14日). 2020年6月11日閲覧。
  11. ^ 鹿児島市史第二巻 p.320
  12. ^ a b 鹿児島市史第二巻 p.742
  13. ^ 永井隆治 (1963年9月5日). “市政だより”. 鹿児島市. 2020年8月5日閲覧。
  14. ^ 小・中学校の校区表”. 鹿児島市役所. 2010年7月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年7月2日閲覧。
  15. ^ 20世紀日本人名事典. “川崎 正蔵”. コトバンク. 2020年6月11日閲覧。
  16. ^ 佐藤忠男(編)、2007年、『日本の映画人:日本映画の創造者たち』、日外アソシエーツ p. 603p

参考文献

  • 鹿児島市史編さん委員会『鹿児島市史 第一巻』鹿児島市長 末吉利雄、1969年。 
  • 鹿児島市史編さん委員会『鹿児島市史 第二巻』鹿児島市長 末吉利雄、1970年。 
  • 南日本新聞『鹿児島市史 第四巻』鹿児島市長 赤崎義則、1990年。 
  • 角川日本地名大辞典編纂委員会『角川日本地名大辞典 46 鹿児島県』角川書店、1983年。ISBN 978-4040014609 
  • 『日本歴史地名体系 47 鹿児島県の地名』平凡社、1998年。ISBN 4-582-49047-6 

関連項目