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2020年9月15日 (火) 12:08時点における版
新屋敷町 | |
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北緯31度35分2.8秒 東経130度33分24.1秒 / 北緯31.584111度 東経130.556694度座標: 北緯31度35分2.8秒 東経130度33分24.1秒 / 北緯31.584111度 東経130.556694度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 鹿児島県 |
市町村 | 鹿児島市 |
地域 | 中央地域 |
地区 | 中央地区 |
人口 (2020年(令和2年)4月1日現在) | |
• 合計 | 3,569人 |
等時帯 | UTC+9 (JST) |
郵便番号 |
892-0838 |
新屋敷町(しんやしきちょう Shin'yashiki-Chō)は、鹿児島県鹿児島市の町名。旧鹿児島郡鹿児島府下新屋敷通町、鹿児島市新屋敷通町。郵便番号は892-0838。人口は3,569人、世帯数は2,439世帯(2020年4月1日現在)[1]。新屋敷町の全域で住居表示を実施している。
地理
鹿児島市の中央部、甲突川下流域の左岸に位置する。町域の北方には樋之口町、加治屋町、南方には下荒田、南方から西方にかけては高麗町、東方には甲突町、南林寺町にそれぞれ接している。
町域の西部には鹿児島県道20号鹿児島加世田線及び鹿児島市電が通っており、町域内には新屋敷電停が所在している。北端にはナポリ通りが東西に通っており、中央部を東西に城南大通りが通っている。
中央部には鹿児島県の筆頭警察署である鹿児島中央警察署が所在している。
河川
- 甲突川
- 清滝川
歴史
近世の新屋敷通町
町域内の船魂神社付近は幕末までは加子町と呼ばれており、薩摩藩水軍の基地が所在していた。明治になると水軍基地は下荒田に移転した[2]。
明治初期より鹿児島府下のうちの新屋敷通町であった。1877年(明治10年)の戸籍簿によると、戸数542のうち士族362、平民180とあり、士族が多く所在していた[3]。
市制施行以後
1889年(明治22年)には市制が施行されたのに伴い、鹿児島府下47町3村の区域より鹿児島市が成立。江戸期の新屋敷通町は鹿児島市の町名「新屋敷通町」となった。1899年(明治32年)には新屋敷通町から新屋敷町に改称された[3]。
1963年(昭和38年)9月には新屋敷町の全域で住居表示が実施された[4]。
施設
- 公共
-
- 鹿児島中央警察署
- 甲突川左岸緑地
- 寺社
-
- 船魂神社
新屋敷町出身の著名な人物
- 黒田清隆(第2代内閣総理大臣、第2次伊藤内閣内閣総理大臣臨時兼任、陸軍中将)
- 時任為基(元宮崎県・高知県・静岡県・愛知県・大阪府・宮城県知事、貴族院議員)
- 安藤照(彫刻家、鹿児島市城山町にある西郷隆盛像の作者)
小・中学校の学区
市立小・中学校の学区(校区)は以下の通りである[5]。
町丁 | 番・番地 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|---|
新屋敷町 | 25-28 | 鹿児島市立松原小学校 | 鹿児島市立甲東中学校 |
新屋敷町 | その他 | 鹿児島市立城南小学校 |
交通
道路
鉄道
脚注
- ^ “年齢(5歳階級)別・町丁別住民基本台帳人口(平成27~令和2年度)”. 鹿児島市 (2020年4月1日). 2020年5月8日閲覧。
- ^ 古地図に見る かごしまの町 p.104
- ^ a b 『角川日本地名大辞典 46 鹿児島県』角川書店 p.364
- ^ 『鹿児島市史 第三巻』 p.742 - 鹿児島市 1972年
- ^ “小・中学校の校区表”. 鹿児島市役所. 2010年7月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年6月20日閲覧。
参考文献
- 豊増哲雄『古地図に見る かごしまの町』春苑堂出版、1996年。ISBN 4-915-09337-9。
関連項目