「原良」の版間の差分
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2020年9月15日 (火) 12:06時点における版
原良 | |
---|---|
北緯31度35分48.4秒 東経130度31分24.7秒 / 北緯31.596778度 東経130.523528度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 鹿児島県 |
市町村 | 鹿児島市 |
地域 | 中央地域 |
地区 | 城西地区 |
人口 (2020年(令和2年)4月1日現在) | |
• 合計 | 5,468人 |
等時帯 | UTC+9 (JST) |
郵便番号 |
890-0026(原良一丁目から原良七丁目) 890-0025(原良町) |
原良(はらら Harara)は、鹿児島県鹿児島市の町名。旧鹿児島郡鹿児島近在原良村、鹿児島郡伊敷村大字永吉の一部。原良一丁目から原良七丁目及び原良町があり、原良一丁目から原良七丁目では住居表示を実施している。郵便番号は原良一丁目から原良七丁目までは890-0026、原良町は890-0025。人口は5,468人、世帯数は2,578世帯(2020年4月1日現在)[1]。
原良という地名は台地上に原野があったことに由来している[2]。また、鹿児島県の民謡である鹿児島おはら節は江戸期の原良村の郷士の間で歌い継がれたものが広がり、原良に小を冠称して「小原良節」と呼ばれるようになったとされ[3][4]、原良二丁目の原良第二公園に「おはら節発祥の地」の像が設置されている[5]。
地理
鹿児島市の中部、甲突川の中流域に位置し、シラス台地を浸食した原良谷と甲突川右岸の低地からなる。町域の北方には草牟田、永吉、南方には城西、東方には新照院町、西方には武岡、明和、常盤がそれぞれ接している。
町域の南部には鹿児島市立原良小学校が所在している。
河川
歴史
成り立ちから町村制施行まで
原良という地名は古くは室町期より見え、薩摩国鹿児島郡のうちであった。「西藩野史」や「応永記」によると応永20年12月に鹿児島清水城を落城した伊集院頼久は軍を分け、原良の地に構えたが、島津久豊は当地へ軍をすすめ、頼久の軍を討ちこの地を治めたとされている[2]。
江戸期には鹿児島郡鹿児島近在のうちであり、「天保郷帳」では839石余であった。1871年(明治4年)までは原良村であったが、同年永吉村に編入された[2]。
町村制施行以降
1889年(明治22年)に町村制が施行されたのに伴い、1871年に原良村が編入された永吉村の区域は伊敷村のうちとなり、原良の区域は伊敷村大字永吉の一部となった。1920年(大正9年)10月1日に伊敷村大字永吉の区域が伊敷村より鹿児島市に編入された際、永吉より分立し鹿児島市の町名「原良町」として設置された。
1976年(昭和51年)には原良町の一部が城西一丁目から城西三丁目に編入され、1979年(昭和54年)に原良団地として造成された区域にあたる原良町及び小野町、永吉町の各一部より明和一丁目から明和五丁目が設置された[2]。2007年(平成19年)2月5日には原良町の一部より原良一丁目から原良三丁目が設置され、原良町の一部が城西二丁目及び城西三丁目に編入された[6]。2011年(平成23年)11月7日に原良町の一部より原良四丁目から原良七丁目が設置された[7]。また、2015年(平成27年)11月9日には原良四丁目に原良町及び薬師二丁目の各一部が編入された[8]。
町域の変遷
実施後 | 実施年 | 実施前 |
---|---|---|
鹿児島郡鹿児島近在永吉村の一部 | 明治4年 | 鹿児島郡鹿児島近在原良村の全域 |
鹿児島市原良町 | 1920年(大正9年) | 伊敷村大字永吉の一部 |
城西一丁目から城西三丁目 | 1976年(昭和51年) | 原良町の一部 |
明和一丁目から明和五丁目 | 1979年(昭和54年) | |
原良一丁目から原良三丁目 | 2007年(平成19年) | |
城西二丁目・城西三丁目の各一部 | ||
原良四丁目から原良七丁目 | 2011年(平成23年)11月7日 | 原良町の一部 |
原良四丁目の一部 | 2015年(平成27年)11月9日 | 原良町・薬師二丁目の一部 |
施設
- 教育
-
- 鹿児島市立原良小学校
- 原良保育園
- 昭和幼稚園
- 郵便局
-
- 鹿児島原良郵便局
- 寺社
-
- 日枝神社
世帯数・人口
世帯数 | 人口 | |
---|---|---|
原良一丁目 | 397 | 808 |
原良二丁目 | 255 | 564 |
原良三丁目 | 303 | 710 |
原良四丁目 | 505 | 1,037 |
原良五丁目 | 238 | 581 |
原良六丁目 | 311 | 634 |
原良七丁目 | 539 | 1,057 |
原良町 | 30 | 77 |
計 | 2,578 | 5,468 |
小・中学校の学区
市立小・中学校に通う場合、学区(校区)は以下の通りとなる[9]。
町丁 | 番・番地 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|---|
原良町 | 一部 | 鹿児島市立武岡小学校 | 鹿児島市立武岡中学校 |
原良町 | 一部を除く | 鹿児島市立原良小学校 | 鹿児島市立城西中学校 |
原良一丁目 | 全域 | ||
原良二丁目 | 全域 | ||
原良三丁目 | 全域 | ||
原良四丁目 | 全域 | ||
原良五丁目 | 全域 | ||
原良六丁目 | 全域 | ||
原良七丁目 | 全域 |
脚注
- ^ a b “年齢(5歳階級)別・町丁別住民基本台帳人口(平成27~令和2年度)”. 鹿児島市 (2020年4月1日). 2020年5月8日閲覧。
- ^ a b c d 『角川日本地名大辞典 46 鹿児島県』角川書店 p.528
- ^ おはら節の由来は? - 鹿児島市 2012年6月25日閲覧。
- ^ 民謡の歴史と文化(九州・沖縄)#鹿児島 - 日本民謡協会 2012年6月25日閲覧。
- ^ 『南日本新聞』 2012年10月13日付 21面(お帰り おはら節像)
- ^ 原良第二地区住居表示実施
- ^ 原良西部地区住居表示実施 - 鹿児島市 2011年11月6日閲覧。
- ^ 81ー住居表示実施ー平成27年11月9日ー原良町・薬師2丁目→原良4丁目・薬師2丁目、田上町→広木2・3丁目 - 鹿児島市、2015年11月13日閲覧。
- ^ “小・中学校の校区表”. 鹿児島市役所. 2010年6月5日閲覧。
関連項目
座標: 北緯31度35分48.4秒 東経130度31分24.7秒 / 北緯31.596778度 東経130.523528度