「犬迫町」の版間の差分
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2020年9月15日 (火) 12:05時点における版
犬迫町 | |
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北緯31度37分48秒 東経130度29分54.9秒 / 北緯31.63000度 東経130.498583度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 鹿児島県 |
市町村 | 鹿児島市 |
地域 | 伊敷地域 |
人口 (2020年(令和2年)4月1日現在) | |
• 合計 | 2,097人 |
等時帯 | UTC+9 (JST) |
郵便番号 |
891-1205 |
犬迫町(いぬざこちょう Inuzako-Chō)は鹿児島県鹿児島市の町名。旧鹿児島郡鹿児島近在犬迫村、鹿児島郡伊敷村大字犬迫。郵便番号は891-1205。人口は2,097人、世帯数は1,190世帯(2020年4月1日現在)[1]。
「犬迫」という地名は、犬が迷い込んで出られなくなるほど山が深く谷が複雑であることに由来している[2]。
地理
鹿児島市の北西部、甲突川の中流域に位置している。町域の北方に小山田町、南方に小野町、西別府町、東方に伊敷町、皆与志町、東方に石谷町、日置市伊集院町竹之山がそれぞれ接している。
町域のほぼ中心に鹿児島市立犬迫小学校が位置し、犬迫小の前で鹿児島県道210号小山田谷山線と鹿児島県道206号徳重横井鹿児島線と交差する。東部には国道3号とそれに沿って甲突川が流れる。また、鹿児島市立河頭中学校が位置する。甲突川の対岸は皆与志町となる。河頭附近の丘の上にはかごしま健康の森公園が所在する。西部には鹿児島市北部などの塵芥処理をおこなう鹿児島市北部清掃工場がある。
歴史
成立から町村制施行まで
犬迫という地名は室町期より見え、薩摩国鹿児島郡のうちであった。寛正6年の鹿児島諏訪社祭次第には「七番 <辛卯年> <上伊敷 犬迫>」とあり、この頃より見える。文明5年には「鹿児嶋犬迫三十町」「鹿児嶋犬迫之内ゆるさノ門一町二反」と見え、地内に田代氏の所領があったことがわかる。
江戸期には薩摩国鹿児島近在のうちであり、村高は「天保郷帳」では1,919石余、「旧高旧領」では1,532石余であった。村内の横井には薩摩街道が通っており、鹿児島近在のうちで唯一野町が形成されていた。街道沿いには茶屋が多くあり、幕末から明治初期にかけて繁栄した。
町村制施行以降
1889年(明治22年)に町村制が施行されたのに伴い、江戸期の犬迫村の区域は伊敷村の大字「犬迫」となった。1950年(昭和25年)に伊敷村が鹿児島市に編入されたのに伴い、鹿児島市の町名「犬迫町」となった[2]。
施設
- 公共
-
- 鹿児島市水道局河頭浄水場
- 鹿児島市北部清掃工場
- 鹿児島市都市農業センター
- 公園
- 児童施設
-
- 明星学園
- 医療機関
-
- 三州病院
- パールランド病院
- その他
-
- 鹿児島高等学校犬迫運動場野球場
交通
道路
- 県道
- 鹿児島県道206号徳重横井鹿児島線(旧薩摩街道出水・西目筋の一部)
- 鹿児島県道210号小山田谷山線
小・中学校の学区
市立小・中学校に通う場合、学区(校区)は以下の通りとなる[3]。
町丁 | 番地 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|---|
犬迫町 | 河頭 | 鹿児島市立伊敷小学校 | 鹿児島市立河頭中学校 |
犬迫町 | 河頭を除く全域 | 鹿児島市立犬迫小学校 |
脚注
関連項目
座標: 北緯31度37分48秒 東経130度29分54.9秒 / 北緯31.63000度 東経130.498583度