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2020年9月15日 (火) 12:05時点における版
樋之口町 | |
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北緯31度35分11秒 東経130度33分18秒 / 北緯31.58639度 東経130.55500度座標: 北緯31度35分11秒 東経130度33分18秒 / 北緯31.58639度 東経130.55500度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 鹿児島県 |
市町村 | 鹿児島市 |
地域 | 中央地域 |
地区 | 中央地区 |
人口 (2020年(令和2年)4月1日現在) | |
• 合計 | 1,261人 |
等時帯 | UTC+9 (JST) |
郵便番号 |
892-0845 |
樋之口町(てのくちちょう Tenokuchi-Chō)は鹿児島県鹿児島市の町名。旧鹿児島郡鹿児島城下樋之口通町、鹿児島市樋之口通町。郵便番号は892-0845。人口は1,261人、世帯数は914世帯(2020年4月1日現在)[1]。樋之口町の全域で住居表示を実施している。
樋之口町を「たいのくちちょう」と読むことはあるが、「ひのくちちょう」とは読まない。
地理
鹿児島市の中央部、甲突川の下流域に位置している。江戸期は鹿児島城下の士屋敷が多く所在していた。住宅街の中に店舗が混在しており、アパートや駐車場が多くある[2]。町域の北方に山之口町、南方に新屋敷町、東方に松原町、千日町、西方に加治屋町がそれぞれ接している。
町域の西端を南北に鹿児島県道20号鹿児島加世田線が通っており、南端を東西にパース通りが、北西部には樋之口本通りが北東に通っている。南西端に鹿児島市立甲東中学校が所在している。
河川
- 清滝川
歴史
明治初期より樋之口通町という町名が見え、鹿児島府下のうちであった。1889年(明治22年)に市制が施行されたのに伴い、鹿児島市が成立。江戸期の樋之口通町は鹿児島市の町名「樋之口通町」となり、1899年(明治32年)には樋之口通町から樋之口町に改称した[3]。
1963年(昭和38年)には樋之口町の全域で住居表示が実施された[4]。
人口の変遷
統計年次〔年〕 | 世帯数〔世帯〕 | 総人口〔人〕 | 出典 |
明治10年代 | 713 | [3] | |
1908(明治41年) | 427 | 2,010 | [3] |
1922(大正11年) | 861 | 3,753 | [3] |
1935(昭和10年) | 981 | 4,617 | [3] |
施設
- 教育
- 商業
-
- パレスイン鹿児島
樋之口町出身の著名な人物
小・中学校の学区
市立小・中学校に通う場合、学区(校区)は以下の通りとなる[5]。
町丁 | 番地 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|---|
樋之口町 | 全域 | 鹿児島市立松原小学校 | 鹿児島市立甲東中学校 |
交通
道路
- 市道
-
- パース通り
鉄道
脚注
関連項目
- 樋之口町(曖昧さ回避)
- 九州地方の難読地名一覧