「天保山町 (鹿児島市)」の版間の差分
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2020年9月14日 (月) 22:34時点における版
天保山町 | |
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天保山公園内にある共月亭 | |
北緯31度34分22秒 東経130度33分40.4秒 / 北緯31.57278度 東経130.561222度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 鹿児島県 |
市町村 | 鹿児島市 |
地域 | 中央地域 |
地区 | 鴨池地区 |
人口 (2020年(令和2年)4月1日現在) | |
• 合計 | 2,098人 |
等時帯 | UTC+9 (JST) |
郵便番号 |
890-0061 |
天保山町(てんぽざんちょう Tenpozan-Chō)は、鹿児島県鹿児島市の町名。旧鹿児島郡西武田村大字武の一部(飛地)。郵便番号は890-0061。人口は2,098人、世帯数は1,056世帯(2020年4月1日現在)[1]。天保山町の全域で住居表示を実施している。
「天保山」という地名は天保年間に甲突川をさらい、その砂を揚げた地であることに由来している[2]。
地理
鹿児島市中部、甲突川河口部に位置し、東側は鹿児島湾(錦江湾)に面している。町域の北方は甲突川を境として錦江町、南方は与次郎、西方は国道225号を境として下荒田に接している。
1935年から2006年までは町域内にはNHK鹿児島放送局の局舎があったが、2006年に本港新町に移転した。
歴史
天保山には島津斉興によって砲台が備えつけられ、後に島津斉彬によって改修された。1863年天保山に備えられた11門の砲台からイギリス艦隊に対して砲撃を行ったのが薩英戦争の始まりになった[3][4]。
1911年(明治44年)に西武田村の大字武(現在の武)の一部(飛地)より分割、それと同時に天保山の区域が鹿児島市に編入され鹿児島市の町名「天保山町」となった。1973年(昭和48年)には町域の一部を下荒田一丁目から四丁目に分割した。
町域の変遷
実施後 | 実施年 | 実施前 |
---|---|---|
鹿児島市天保山町 | 1911年(明治44年) | 西武田村大字武(飛地) |
下荒田一丁目から下荒田四丁目 | 1973年(昭和48年) | 天保山町の一部 |
施設
- 公共施設
- 医療機関
- JA鹿児島厚生連病院
- 寺社
- 西大宣寺
小・中学校の学区
市立小・中学校の学区(校区)は以下の通りである[5]。
町・町 | 番地 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|---|
天保山町 | 全域 | 鹿児島市立八幡小学校 | 鹿児島市立天保山中学校 |
脚注
関連項目
- 鹿児島市
- 天保山町 (今治市) - 愛媛県今治市の町名。同じく「天保期に山のようにみえる構造物が建築されたこと」を由来とする。
- 天保山 - 大阪市の山。同じく「天保期に成立した築山」を由来とする。
座標: 北緯31度34分22秒 東経130度33分40.4秒 / 北緯31.57278度 東経130.561222度