「東佐多町」の版間の差分
令和2年4月1日現在の人口情報を反映 |
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2020年9月14日 (月) 22:33時点における版
東佐多町 | |
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鹿児島県道25号鹿児島蒲生線(蒲生方面) | |
北緯31度43分56.7秒 東経130度34分54.6秒 / 北緯31.732417度 東経130.581833度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 鹿児島県 |
市町村 | 鹿児島市 |
地域 | 吉田地域 |
人口 (2020年(令和2年)4月1日現在) | |
• 合計 | 692人 |
等時帯 | UTC+9 (JST) |
郵便番号 |
891-1302 |
東佐多町(ひがしさたちょう Higashisata-Chō)は、鹿児島県鹿児島市の町名。旧鹿児島郡吉田郷東佐多浦村、鹿児島郡吉田村大字東佐多浦、鹿児島郡吉田町東佐多浦。郵便番号は891-1302。人口は692人、世帯数は360世帯(2020年4月1日現在)[1]。
地理
鹿児島市北部(吉田地域)に所在し、北部には150m程度の丘陵があり、中央部を思川が流れ、姶良市との境を本名川が流れている。町域の北方に姶良市蒲生町下久徳、南方から東方かけてに姶良市平松、西方に西佐多町、本城町が接している。
町域を南北に鹿児島県道25号鹿児島蒲生線が、東西には鹿児島県道57号麓重富停車場線が通り、南端をかすめるように九州自動車道が通り、付近の姶良市平松には姶良インターチェンジがある。
古くは西佐多浦(現在の西佐多町)とともに吉田の中心として栄えていた。東麓、東下、城内、五反田などの集落からなる農業地域である[2]。
河川
- 思川
- 本名川
歴史
成立から町村制施行まで
東佐多浦という地名は江戸期より見え、薩摩国鹿児島郡吉田郷(外城)のうちであった。江戸初期には西佐多浦(現在の西佐多町)とともに佐多浦村と称していたとされている。村高は「旧高旧領」では1,085石余であった。
町村制施行以後
1889年(明治22年)に町村制が施行されたのに伴い、江戸期の東佐多浦村は吉田村の大字「東佐多浦」となり、1972年(昭和47年)に吉田村が町制施行し吉田町の大字となった[3]。その後2004年(平成16年)に吉田町が鹿児島市に編入され鹿児島市の町名「東佐多町」に改称した[4]。
人口の変遷
東佐多町(東佐多浦)の人口の変遷を以下に示す[5]。
年 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
1884年(明治17年) | 162 | 724 |
1925年(大正14年) | 345 | 1,117 |
1931年(昭和6年) | 552 | 1,211 |
1980年(昭和55年) | 303 | 974 |
1990年(平成2年) | 320 | 939 |
施設
- 公共
- 城内公民館
- 教育
- 吉田ルンビニー幼稚園
小・中学校の学区
市立小・中学校に通う場合、学区(校区)は以下の通りとなる[6]。
町丁 | 番・番地 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|---|
東佐多町 | 全域 | 鹿児島市立吉田小学校 | 鹿児島市立吉田北中学校 |
交通
道路
- 県道
脚注
関連項目
座標: 北緯31度43分56.7秒 東経130度34分54.6秒 / 北緯31.732417度 東経130.581833度