「喜入中名町」の版間の差分
令和2年4月1日現在の人口情報を反映 |
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2020年9月14日 (月) 22:31時点における版
喜入中名町 | |
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中名駅 | |
北緯31度23分30.2秒 東経130度32分4.8秒 / 北緯31.391722度 東経130.534667度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 鹿児島県 |
市町村 | 鹿児島市 |
地域 | 喜入地域 |
面積 | |
• 合計 | 10.48 km2 |
人口 (2020年(令和2年)4月1日現在) | |
• 合計 | 2,006人 |
• 密度 | 198.19人/km2 |
等時帯 | UTC+9 (JST) |
郵便番号 |
891-0202 |
喜入中名町(きいれなかみょうちょう Kiire Nakamyo-Chō)は、鹿児島県鹿児島市の町名。旧給黎郡喜入郷上村の一部、給黎郡喜入村大字中名、揖宿郡喜入町中名。郵便番号は891-0202。人口は2,006人、世帯数は942世帯(2020年4月1日現在)[1]。面積は10.48Km2である[2]。
地理
鹿児島市の南部に位置している。町域の北方には喜入瀬々串町、南方には喜入町、西方には南九州市知覧町永里がそれぞれ接しており、東方には鹿児島湾に面している。
海岸部には国道226号と指宿枕崎線が通り、南九州市に接する山肌に指宿スカイライン(鹿児島県道17号指宿鹿児島インター線)が通る。中央部には鹿児島市立中名小学校が所在している。集落は海岸線沿いに多く所在しており、一部が山間部や台地に散在している。
この地は沿岸漁業が盛んで、海岸は1.5kmで平均水深2mの遠浅になっており、この地形を利用し地先海面の埋め立てにより南部にはJX喜入石油基地が設置されている[3]。
歴史
中名村の成立
1878年(明治11年)に給黎郡喜入郷上村が、瀬々串村(現在の喜入瀬々串町)と中名村に分村し、中名村として成立した[4]。
町村制施行以後
1889年(明治22年)には町村制が施行されたのに伴い、喜入郷の区域より喜入村が成立し、明治期からの中名村は喜入村の大字「中名」となった。1960年(昭和35年)に喜入村が町制施行し喜入町の大字となった[4]。
また、1988年(昭和63年)までは現在の喜入町及び喜入一倉町の各一部の区域も中名のうちであったが、1988年(昭和63年)1月1日に中名及び前之浜の一部より大字喜入及び大字一倉が設置された[5]。分割された理由として、「喜入町郷土誌」には『地区名(小学校区)と大字名の違いから生活に不便や不都合が生じた為』とある[2]。
2004年(平成16年)には喜入町が鹿児島市に編入され、大字中名は鹿児島市の町名「喜入中名町」となった[6]。
区域の変遷
実施後 | 実施年 | 実施前 |
---|---|---|
藩政村時代 | ||
給黎郡喜入郷中名村 | 1878年(明治11年) | 給黎郡喜入郷上村の一部 |
町村制施行以後 | ||
喜入町大字喜入(一部) | 1988年(昭和63年) | 喜入町大字中名の一部 |
喜入町大字一倉(一部) |
施設
- 公共
-
- 中名校区公民館
- 喜入港湾合同庁舎
- 教育
- 郵便局
-
- 中名簡易郵便局
- 寺社
-
- 塞神社
- その他
小・中学校の学区
市立小・中学校に通う場合、学区(校区)は以下の通りとなる[7]。
町丁 | 番・番地 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|---|
喜入中名町 | 全域 | 鹿児島市立中名小学校 | 鹿児島市立喜入中学校 |
交通
道路
- 国道
- 県道
鉄道
脚注
参考文献
関連項目
座標: 北緯31度23分30.2秒 東経130度32分4.8秒 / 北緯31.391722度 東経130.534667度