「池之上町」の版間の差分
令和2年4月1日現在の人口情報を反映 |
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2020年9月14日 (月) 22:26時点における版
池之上町 | |
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北緯31度36分31秒 東経130度33分45.6秒 / 北緯31.60861度 東経130.562667度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 鹿児島県 |
市町村 | 鹿児島市 |
地域 | 中央地域 |
地区 | 上町地区 |
人口 (2020年(令和2年)4月1日現在) | |
• 合計 | 1,174人 |
等時帯 | UTC+9 (JST) |
郵便番号 |
892-0806 |
池之上町(いけのうえちょう Ikenoue-Chō)は、鹿児島県鹿児島市の町名。郵便番号は892-0806。人口は1,174人、世帯数は624世帯(2020年4月1日現在)[1]。池之上町の全域で住居表示を実施している。
町名は町域内にあった福昌寺の前に池があり、その上方に街が広がったことに由来している[2]。
地理
鹿児島市の中央部、稲荷川中流域に位置している。町域の北方には坂元町、東方には皷川町、稲荷町、清水町、南方には春日町、大竜町、西方には上竜尾町に接している。
清水町との境界上を稲荷川が流れており、大竜町との境界上を家鴨馬場通りが通る[3]。
町域の北部には鹿児島市立鹿児島玉龍中学校・高等学校があり、その北方に島津家墓地がある。また玉龍中学校・高等学校の敷地には島津元久が菩提寺として建立した福昌寺があり[3]、九州や中国・四国地方に2000もの末寺があったとされるが[2]、明治期の廃仏毀釈により廃寺となった。
歴史
江戸期の池之上町
池之上町は江戸期頃より見え、鹿児島城下のうちであり北西部には福昌寺、寺の東部には士屋敷が広がり福昌寺郷中や家鴨馬場郷中があった。士屋敷には持高399石余の新納家屋敷や給知高500石余の島津靭負屋敷などがあった[4]。
市制施行以後
明治初期には鹿児島府下のうちであった。1889年(明治22年)には市制が施行されたのに伴い、江戸期の池之上町は鹿児島市の町名「池之上町」となった[5]。
1967年(昭和42年)には池之上町の一部が大竜町に分割された[5]。翌年の1968年(昭和43年)に池之上町の全域で住居表示が実施された[6]。
町域の変遷
実施後 | 実施年 | 実施前 |
---|---|---|
大竜町の一部 | 1967年(昭和42年) | 池之上町の一部 |
施設
- 郵便局
-
- 鹿児島池之上郵便局
- 史跡
-
- 島津家墓地
- 寺院
-
- 深固院龍源寺
- 發照寺
- 若宮神社
小・中学校の学区
市立小・中学校の学区(校区)は以下の通りである[7]。
町丁 | 番・番地 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|---|
池之上町 | 全域 | 鹿児島市立清水小学校 | 鹿児島市立清水中学校 |
出身の著名人
脚注
- ^ “年齢(5歳階級)別・町丁別住民基本台帳人口(平成27~令和2年度)”. 鹿児島市 (2020年4月1日). 2020年5月8日閲覧。
- ^ a b 『南日本新聞』 2012年5月8日付 14面(373ワイドタウン池之上町新聞)
- ^ a b 『角川日本地名大辞典 46 鹿児島県』 p.679-680 角川書店
- ^ 『日本歴史地名体系 47 鹿児島県の地名』平凡社、1998年、149頁。ISBN 4-582-49047-6。
- ^ a b 『角川日本地名大辞典 46 鹿児島県』 p.87 角川書店
- ^ 『鹿児島市史 第三巻』 p.742 - 鹿児島市 1972年
- ^ “小・中学校の校区表”. 鹿児島市役所. 2010年7月2日閲覧。
関連項目
座標: 北緯31度36分31秒 東経130度33分45.6秒 / 北緯31.60861度 東経130.562667度