「上之園町」の版間の差分
令和2年4月1日現在の人口情報を反映 |
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2020年9月14日 (月) 22:23時点における版
上之園町 | |
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北緯31度34分51.6秒 東経130度32分51.7秒 / 北緯31.581000度 東経130.547694度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 鹿児島県 |
市町村 | 鹿児島市 |
地域 | 中央地域 |
地区 | 中央地区 |
人口 (2020年(令和2年)4月1日現在) | |
• 合計 | 3,529人 |
等時帯 | UTC+9 (JST) |
郵便番号 |
890-0052 |
上之園町(うえのそのちょう Uenosono-Chō)は、鹿児島県鹿児島市の町名。旧鹿児島府下上之園通町、鹿児島市上之園通町。郵便番号は890-0052。人口は3,529人、世帯数は2,188世帯(2020年4月1日現在)[1]。上之園町の全域で住居表示を実施している。
地理
鹿児島市の中央部、甲突川下流域に位置している。町域の北方には甲突町、南方には上荒田町、西方には中央町、東方には高麗町、荒田が接している。
町域の北部をナポリ通り、中央部を甲南通り、南部を中洲通りがそれぞれ東西に通っており、東部を高麗本通りが南北に通っている。北部には甲突川が東西に流れており、それに沿って公園が設置されている。南端に鹿児島県立甲南高等学校、西端に鹿児島市立中洲小学校が所在している。
北東端には甲突川五石橋のうちの一つであった高麗橋が所在していたが、平成5年8月豪雨の水害に伴う河川改修工事のため撤去され、現在は石橋記念公園内に移設されている[2]。
歴史
江戸期には高麗町と連続し、下級武士が多く居住していた[3]。
明治初期より鹿児島府下のうちで上之園通町と称していた。1889年(明治22年)に市制が施行されたのに伴い鹿児島府下47町3村の区域より鹿児島市が成立し、それまでの上之園通町は鹿児島市の町名「上之園通町」となった。
1899年(明治32年)に上之園通町から「上之園町」に改称した。1970年(昭和45年)には町域の一部が分割され、中央町の一部となった[4]。
町域の変遷
分割後 | 分割年 | 分割前 |
---|---|---|
中央町の一部 | 1970年(昭和45年) | 上之園町の一部 |
施設
- 郵便局
-
- 鹿児島上之園郵便局
- 宗教施設
-
- 生教大安寺
- 日本キリスト教団鹿児島教会
小・中学校の学区
市立小・中学校に通う場合、学区(校区)は以下の通りとなる[5]。
町丁 | 番・番地 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|---|
上之園町 | 全域 | 鹿児島市立中洲小学校 | 鹿児島市立甲南中学校 |
著名な出身者
- 中原猶介(蘭学者、科学者) - 地番整理前は上荒田町の一部。
- 高島鞆之助(陸軍大臣、拓殖務大臣、枢密顧問官) - 出生時は高麗町の一部。
- 長澤鼎(薩摩藩士、カリフォルニアのワイン王)
- 西郷寅太郎(東京俘虜収容所長、習志野俘虜収容所長・貴族院議員)
- 三島彌太郎(第8代日本銀行総裁)
脚注
- ^ “年齢(5歳階級)別・町丁別住民基本台帳人口(平成27~令和2年度)”. 鹿児島市 (2020年4月1日). 2020年5月8日閲覧。
- ^ 高麗橋 - 鹿児島市ホームページ 2010年10月30日閲覧。
- ^ 『古地図に見る かごしまの町』 p.110 - 豊増哲雄、春苑堂出版 ISBN 4-915093-37-9
- ^ 『角川日本地名大辞典 46 鹿児島県』角川書店 p.127
- ^ “小・中学校の校区表”. 鹿児島市役所. 2010年6月10日閲覧。
関連項目
座標: 北緯31度34分51.6秒 東経130度32分51.7秒 / 北緯31.581000度 東経130.547694度