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== 行政 ==
== 行政 ==
[[天平時代]]には町内域の鳥取郷から[[あしぎぬ]]が、芋野郷からは[[赤米]]が献上された歴史のままに、絹織物と農業とを基幹産業としつつ、戦後の経済成長のなかで過疎化が進んだことから、福祉の町づくりを重視した<ref name="丹後の現況1992,5p"/>。
[[天平時代]]には町内域の鳥取郷から[[絁|あしぎぬ]]が、芋野郷からは[[赤米]]が献上された歴史のままに、絹織物と農業とを基幹産業としつつ、戦後の経済成長のなかで過疎化が進んだことから、福祉の町づくりを重視した<ref name="丹後の現況1992,5p"/>。


[[2005年]]、在職中の公共工事の指名競争入札をめぐり、予定価格を漏らしたとして元町長が競売入札妨害容疑で逮捕された<ref>https://blog.goo.ne.jp/yattane_2005/e/599d191fd6b98710593be696a443b7fb</ref>
[[2005年]]、在職中の公共工事の指名競争入札をめぐり、予定価格を漏らしたとして元町長が競売入札妨害容疑で逮捕された<ref>https://blog.goo.ne.jp/yattane_2005/e/599d191fd6b98710593be696a443b7fb</ref>

2020年8月27日 (木) 23:12時点における版

やさかちょう
弥栄町
廃止日 2004年4月1日
廃止理由 新設合併
大宮町峰山町網野町丹後町
弥栄町久美浜町 → 京丹後市
現在の自治体 京丹後市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 近畿地方
都道府県 京都府
竹野郡
市町村コード 26503-9
面積 80.38 km2
隣接自治体 丹後町、網野町、宮津市
中郡峰山町・大宮町
与謝郡伊根町
町の木 赤松
町の花 福寿草
弥栄町役場
所在地 627-01
京都府竹野郡弥栄町溝谷3450
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和田野の古与曾前から見る弥栄平野と金剛童子山

弥栄町(やさかちょう)は京都府北部、丹後地方にかつて存在した2004年4月1日の市町村合併で京丹後市となり、消滅した。

明智光秀の娘・細川ガラシャが一時期隠棲した味土野や、古くは平城京赤米を献上し、1981年に郷土史家・芦田行雄が岡山県総社市の神社から譲り受けた赤米の復活栽培に成功し[1]古代米が日本全国で一般化するに導いた日本古代稲研究会誕生につながったことでしられる[2]

象徴

弥栄町の町章

町章は、「ヤサカ」を図案化し、円は住民の和によって発展する町の将来を願い描かれた[3]

町の木は、赤松、町の花は福寿草である[3]。町の特産品としてチューリップかぶらサツマイモ赤米酒、スイス村せんべいがしられた[3]

地理

京都府の北西部丹後半島基部の内陸に位置し、西部は小さな盆地、東部は丹後半島の山々が控えた。総面積は80.38平方キロメートル[3]

隣接していた自治体

歴史

人口と世帯数

人口の変遷
1970年(昭和45年) 6,722人
1975年(昭和50年) 6,701人
1980年(昭和55年) 6,501人
1985年(昭和60年) 6,388人
1990年(平成2年) 6,275人
1995年(平成7年) 6,125人
2000年(平成12年) 6,132人
世帯数の変遷
1970年(昭和45年) 1,570戸
1975年(昭和50年) 1,630戸
1980年(昭和55年) 1,632戸
1985年(昭和60年) 1,665戸
1990年(平成2年) 1,677戸
1995年(平成7年) 1,710戸
2000年(平成12年) 1,779戸

行政

天平時代には町内域の鳥取郷からあしぎぬが、芋野郷からは赤米が献上された歴史のままに、絹織物と農業とを基幹産業としつつ、戦後の経済成長のなかで過疎化が進んだことから、福祉の町づくりを重視した[3]

2005年、在職中の公共工事の指名競争入札をめぐり、予定価格を漏らしたとして元町長が競売入札妨害容疑で逮捕された[6] [7]

名所・旧跡・観光スポット

名所

  • 溝谷神社 - 鎌倉時代後期の作である町指定文化財の燈籠がある[3]
  • 野間川 - 丹後半島で最大の淡水魚の生息地として知られ、太公望あこがれの川であるという[3]

旧跡

観光スポット

  • 丹後半島森林公園 - 自然環境のたたずまいから日本のスイス村と名付け、スポーツ・レクリエーションの場として整備した[3]
  • スイス村スキー場 - 標高683メートルの太鼓山の雪を利用し、丹後半島で唯一のスキー場として整備された[3]

脚注

  1. ^ 猪谷富雄「「古代米」から稲の世界へ」『日本醸造協会誌』第107巻第10号、日本醸造協会、2012年、719-732頁、doi:10.6013/jbrewsocjapan.107.7192020年6月30日閲覧 
  2. ^ 日本古代稲研究会とは”. 日本古代稲研究会. 2020年6月27日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g h i j 『丹後の現況 平成3年刊』丹後ブロック統計研究会、1992年、5頁。 
  4. ^ 『丹後の現況 平成3年刊』丹後ブロック統計研究会、1992年、7頁。 
  5. ^ 丹後ブロック統計研究会『丹後の現況 平成14年刊行』丹後ブロック統計研究会、2002年、7頁。 
  6. ^ https://blog.goo.ne.jp/yattane_2005/e/599d191fd6b98710593be696a443b7fb
  7. ^ https://blog.goo.ne.jp/lllllmmmlllll/e/43433d89e3d015a7a607b49275bee011

外部リンク