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「洪州宗」の版間の差分

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'''洪州宗'''(こうしゅうしゅう)とは、[[唐]]代の[[禅宗]]の一派を指す。禅宗史において、六祖[[慧能]]の[[南宗]]禅の系統の中で、[[南嶽懐譲]]の後継である[[馬祖道一]]に始まる系譜を、その活動拠点である[[江西省|洪州]]によって、洪州宗と呼ぶ。後世、その系統から[[イ山霊祐|潙山霊祐]]や[[臨済義玄]]が出て、[[潙仰宗]]と[[臨済宗]]として、[[禅#五家七宗|五家七宗]]の一翼を担うこととなる。
'''洪州宗'''(こうしゅうしゅう)とは、[[唐]]代の[[禅宗]]の一派を指す。禅宗史において、六祖[[慧能]]の[[南宗]]禅の系統の中で、[[南嶽懐譲]]の後継である[[馬祖道一]]に始まる系譜を、その活動拠点である[[江西省|洪州]]によって、洪州宗と呼ぶ。後世、その系統から[[潙山霊祐]]や[[臨済義玄]]が出て、[[潙仰宗]]と[[臨済宗]]として、[[禅#五家七宗|五家七宗]]の一翼を担うこととなる。


その系譜は、馬祖道一に始まり、『[[百丈清規]]』によって禅院の規律を制定した[[百丈懐海]]によって、禅宗独自の教団制度を確立した。百丈の下から、潙山霊祐と[[黄檗希運]]([[黄檗宗]])が出て、黄檗希運の門下より臨済義玄が出て、その系統が、潙仰宗と臨済宗に受け継がれることとなる。
その系譜は、馬祖道一に始まり、『[[百丈清規]]』によって禅院の規律を制定した[[百丈懐海]]によって、禅宗独自の教団制度を確立した。百丈の下から、潙山霊祐と[[黄檗希運]]([[黄檗宗]])が出て、黄檗希運の門下より臨済義玄が出て、その系統が、潙仰宗と臨済宗に受け継がれることとなる。

2020年8月25日 (火) 00:28時点における版

洪州宗(こうしゅうしゅう)とは、代の禅宗の一派を指す。禅宗史において、六祖慧能南宗禅の系統の中で、南嶽懐譲の後継である馬祖道一に始まる系譜を、その活動拠点である洪州によって、洪州宗と呼ぶ。後世、その系統から潙山霊祐臨済義玄が出て、潙仰宗臨済宗として、五家七宗の一翼を担うこととなる。

その系譜は、馬祖道一に始まり、『百丈清規』によって禅院の規律を制定した百丈懐海によって、禅宗独自の教団制度を確立した。百丈の下から、潙山霊祐と黄檗希運黄檗宗)が出て、黄檗希運の門下より臨済義玄が出て、その系統が、潙仰宗と臨済宗に受け継がれることとなる。