「仰山慧寂」の版間の差分
表示
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし |
m Bot作業依頼: 「イ山郷」→「潙山郷」等の改名に伴うリンク修正依頼 (潙仰宗) - log |
||
8行目: | 8行目: | ||
|画像= |
|画像= |
||
|説明文= |
|説明文= |
||
|宗派=[[ |
|宗派=[[潙仰宗]] |
||
|寺院= |
|寺院= |
||
|師=[[イ山霊祐|潙山霊祐]] |
|師=[[イ山霊祐|潙山霊祐]] |
||
19行目: | 19行目: | ||
17歳の時に出家し、各地を遊方した。耽源に会って大悟した。その後、[[イ山霊祐|潙山霊祐]]に出会い、15年前後の間、霊祐に師事した。後に、仰山([[江西省]][[宜春市]][[袁州区]])に住したので、その名となった。以後、その地で、高僧や名僧たちとともに修行に励んだ。 |
17歳の時に出家し、各地を遊方した。耽源に会って大悟した。その後、[[イ山霊祐|潙山霊祐]]に出会い、15年前後の間、霊祐に師事した。後に、仰山([[江西省]][[宜春市]][[袁州区]])に住したので、その名となった。以後、その地で、高僧や名僧たちとともに修行に励んだ。 |
||
師の住した潙山と合わせて、その系統を[[ |
師の住した潙山と合わせて、その系統を[[潙仰宗]]と呼んでいる。 |
||
== 伝記資料 == |
== 伝記資料 == |
||
25行目: | 25行目: | ||
* 『[[景徳傳燈録]]』巻12 |
* 『[[景徳傳燈録]]』巻12 |
||
{{-}}<center><table border = 1><tr><td width = 30% align = center>師:[[イ山霊祐|潙山霊祐]]<td width = 40% align = center>[[ |
{{-}}<center><table border = 1><tr><td width = 30% align = center>師:[[イ山霊祐|潙山霊祐]]<td width = 40% align = center>[[潙仰宗]]<td width = 30% align = center>弟子:</table></center> |
||
{{Buddhism-stub}} |
{{Buddhism-stub}} |
||
{{禅}} |
{{禅}} |
2020年8月25日 (火) 00:27時点における版
仰山慧寂 | |
---|---|
804年 - 890年 | |
諡号 | 智通禅師 |
生地 | 韶州湞陽県(広東省韶関市曲江区) |
宗派 | 潙仰宗 |
師 | 潙山霊祐 |
仰山慧寂(ぎょうざん えじゃく、804年(貞元20年) - 890年(大順元年))は、中国の唐代の禅僧。諡は智通禅師。俗姓は葉。韶州湞陽県(広東省韶関市曲江区)の出身。
生涯
17歳の時に出家し、各地を遊方した。耽源に会って大悟した。その後、潙山霊祐に出会い、15年前後の間、霊祐に師事した。後に、仰山(江西省宜春市袁州区)に住したので、その名となった。以後、その地で、高僧や名僧たちとともに修行に励んだ。
師の住した潙山と合わせて、その系統を潙仰宗と呼んでいる。
伝記資料
師:潙山霊祐 | 潙仰宗 | 弟子: |