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*古人にちなんだ例 |
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*その他関連性がある例 |
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**[[趙雲]](子龍)-龍は雲を呼ぶ、[[郭淮]](伯済)-淮水、済水は河名、[[岳飛]](鵬挙)-鵬が上れば飛ぶ |
**[[趙雲]](子龍)-龍は雲を呼ぶ、[[郭淮]](伯済)-淮水、済水は河名、[[岳飛]](鵬挙)-鵬が上れば飛ぶ |
2020年8月24日 (月) 08:58時点における版
字(あざな、拼音: )とは、中国など東アジアの漢字圏諸国で使われる人名の一要素である。 昔、中国で成人男子と女子が実名以外につけた名。日本でも学者・文人がこれをまねて用いた。
概要
歴史的に、中国人は個人に特有の名として姓(氏)と諱(名)と字の三つの要素を持った。『礼記』曲礼篇に「男子は二十歳で冠を着け字を持った」「女子は十五歳でかんざしを着け字を持った」とあり、成人した人間の呼び名としては原則として字が用いられた。日本では大抵の中国人は「姓-諱」の組み合わせで知られる。ただし例外的に「姓-字」の呼称が通用している人物もいる。閔子騫(諱は損)、伍子胥(諱は員)、項羽(諱は籍)、諸葛孔明(諱は亮)、司馬仲達(諱は懿)、蒋介石(諱は中正)など。
例えば「諸葛-亮」は「諸葛」が姓、「亮」が諱であり、字を「孔明」という。諱は軽々しく用いられることは忌避され(そのため日本に入って「忌み名」と訓じられた)、同時代人に対しては[1]、親や主君や年長者などの特定の目上の人物だけが諱を使用し、それ以外の人間が諱で呼びかけることは極めて無礼なこととされていた。逆に、そういった諱で呼びかけることができる立場にある者がわざわざ字で呼びかけることは、立場とは別に一定以上の敬意を示すことになる。諸葛亮を例に取れば、三国志演義の訳本において、劉備から「孔明」と呼ばせているものは一定以上見受けられるが、関羽、張飛をそれぞれ雲長、翼徳(益徳)と呼ばせているものはまずない。謙虚な態度として、とにかく本人は自分の諱で自称し、字を自称しない。
なお、その人物が官職に就いた場合は官職名で呼ぶことが優先された(諸葛亮なら「諸葛丞相」。丞相が官職名である)。その他、非常に多いケースとして、任地で呼ぶこともあった(柳宗元なら「柳柳州」。彼の役職は柳州刺史)。この場合、尊敬の呼び方は姓+公(張昭なら「張公」)である。この場合、親しい間柄以外は、字で呼ぶことは、諱ほどではないにしても少々無礼なこととされていた。
前述のとおり、字は諱を呼ばないために使うものであるので、相手に対して「劉-備-玄徳」のように姓・諱・字を連結して呼ぶことはない。しかし、一方で文書中において人物の情報を表示する場合に「籍貫・姓・諱・字」を並列する慣例があった。例えば『漢書』巻72では「琅邪に又紀逡王思有り、斉には則ち薛方子容、太原には則ち郇越臣仲……」の記述があり、師古注で「其人の本土及び姓、名、字を並列するものなり。」と、これが定まった記述法であることを説明している。他にも曹丕「典論論文」の「今の文人、魯国孔融文挙、広陵陳琳孔璋、山陽王粲仲宣……」や『三国志』「諸葛亮伝」の「博陵崔州平、潁川徐庶元直」などがあげられる。
類例
字に明確な法則はなく、多くの場合は二字であるが、陳勝(渉)、顔之推(介)など一字の例や尉遅迥(薄居羅)など三字の例もある。
一字目に敬称である「子」の字、あるいは輩行字、あるいは排行字を表す。排行字の例として、伯は長男または長女。仲は次男または次女。以下のようなパターンがある。
- 二兄弟(姉妹)の場合-「伯(孟・元・長)」「仲」
- 三兄弟(姉妹)の場合-「伯(孟・元・長)」「仲」「季(稚)」
- 四兄弟(姉妹)の場合-「伯(孟・元・長)」「仲」「叔」「季(稚)」
- 五兄弟(姉妹)の場合-「伯(孟・元・長)」「仲」「叔」「季」「幼(稚)」
- 八兄弟(姉妹)の場合--「伯(孟・元・長)」「仲」「叔」「季」「顕」「恵」「雅」「幼(稚)」
二字目または全文字に諱と関連した字を用いることも多く、以下のようなパターンがある。
- 諱と同義の字を用いた例
- 諱と対義の字を用いた例
- 経書に典拠を求めた例
- 古人にちなんだ例
- その他関連性がある例
また、杜牧(牧之)、胡適(適之)など諱と字に同字を用いることもあり、中には司馬徳文(徳文)、郭子儀(子儀)、司馬道子(道子)、孟浩然(浩然)のように諱と字が全く同じという例もある。その他変わった命名法としては、王維(摩詰)の諱と字をつなげると維摩詰(ヴィマラキールティ)という仏教経典上の人名になる。
女子の字は、時代によって苗字と字の順番は変化した。
- 先秦時代では、女性は字を先に、苗字を後に書く風習があった。名字の順序は「字・姓」となる
- 秦以降、名字の順序は「姓氏・名(字)」。しかし、女子の字と名は一般には関係ない
- 呂雉(娥姁)、班昭(恵班)、孫魯班(大虎)
中華人民共和国では、字の公用を廃止している。
越南人 | 姓‧名字 | 表字 | |
---|---|---|---|
1 | 士燮 | 士燮 | 威彦 |
2 | 梅黒帝 | 梅鳳 | 叔鸞 |
3 | 姜公輔 | 姜公輔 | 徳文 |
4 | 馮興 | 馮興 | 功奮 |
5 | 李太祖 | 李公蘊 | 兆衍 |
6 | 杜英武 | 杜英武 | 冠世 |
7 | 黎崱 | 黎崱 | 景高 |
8 | 張漢超 | 張漢超 | 升甫 |
9 | 陳裕宗 | 陳暭 | 日煃 |
10 | 黎括 | 黎括 | 伯适 |
11 | 范師孟 | 范師孟 | 義夫 |
12 | 胡季犛 | 黎季犛 | 理元 |
13 | 胡元澄 | 黎澄 | 孟源 |
14 | 黎聖宗 | 黎灝 | 思誠 |
15 | 阮堯咨 | 阮堯咨 | 君廚 |
16 | 甲海 | 甲海 | 潜夫 |
17 | 阮秉謙 | 阮秉謙 | 亨甫 |
18 | 馮克寛 | 馮克寛 | 弘夫 |
19 | 江文明 | 江文明 | 国華 |
20 | 阮貴徳 | 阮貴徳 | 体仁 |
21 | 阮輝瑩 | 阮輝瑩 | 経華 |
22 | 寧遜 | 寧遜 | 謙如 |
23 | 呉時仕 | 呉時仕 | 世禄 |
24 | 裴楊瓑 | 裴楊瓑 | 存成 |
25 | 范廷琥 | 范廷琥 | 秉直 |
26 | 阮世祖 | 阮福暎 | 嘉隆 |
27 | 李文馥 | 李文馥 | 鄰芝 |
28 | 阮公著 | 阮公著 | 存質 |
29 | 阮文超 | 阮文超 | 遜班 |
30 | 潘清簡 | 潘清簡 | 靖伯 |
31 | 梅庵公主 | 阮福貞慎 | 叔卿 |
32 | 阮忠直 | 阮真 | 忠直 |
33 | 阮光碧 | 呉光碧 | 咸徽 |
34 | 黄耀 | 黄耀 | 光遠 |
35 | 黄佐炎 | 黄佐炎 | 日長 |
36 | 阮景宗 | 阮福昪 | 膺禟 |
37 | 湯月英 | 阮氏奎 | 月英 |
38 | 潘佩珠 | 潘文珊 | 海秋 |
39 | 潘継炳 | 潘継炳 | 郵文 |
40 | 范維遜 | 范維遜 | 受安 |
41 | 阮文玉 | 阮文玉 | 温如 |
42 | 李東阿 | 阮有清 | 太易 |
43 | 黄雲内 | 黄雲内 | 閑鶴 |
44 | 陳仲洋 | 陳仲洋 | 拙拙 |
45 | 黎進達 | 黎進達 | 明成 |
46 | 陳光徳 | 陳光徳 | 施普 |
47 | 阮有史 | 阮有史 | 笑之 |
48 | 黎方維 | 黎方維 | 天維 |
49 | 阮瑞丹 | 阮瑞丹 | 越石 |
50 | 阮明顥 | 阮明顥 | 播曉 |
法字
禅僧は、出家後に法名の他に僧侶の字である「法字」を持つことがあった(ただし「法号」と称されることも多く、字と号の区別は明確でない)。この場合、法字・法名の順に連ねるという独特の表記が用いられた。例えば臨済義玄は「義玄」が法名で「臨済」が法字である。この風習は日本にも伝わり、宗純のように法字の「一休」の方がよく知られている僧もいる。
一方、日本において住職にある僧侶は、寺号や院号を苗字とすることが一般的であったため、苗字による呼称と法字による呼称は、禅宗の僧に関する限り並存することとなった。例えば「崇伝」という禅僧は、法字を用いて「以心崇伝」と呼ばれうるし、院号を用いて「金地院崇伝」とも呼ばれうる。
また、出家しても俗世の地位に留まっている人物は、俗人と同じく苗字を用い、名のみ法名を用いることがあったため、同様に苗字と法字の呼称が並存することになった。例えば、禅宗に帰依し「信玄」の法名を受けた人物は、法字を用いて「機山信玄」と呼ばれうるし、俗人としての苗字を用いて「武田信玄」とも呼ばれうる。