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2020年8月16日 (日) 15:20時点における版
ヴィガラス作戦[1] (Operation Vigorous) は、第二次世界大戦中1942年6月に連合国軍により行われたハイファとポートサイドからマルタへの補給船団(MW11船団)を無事送り届ける作戦のひとつ。この作戦は失敗に終わった。
背景
1942年に入ってマルタへの空襲は激化し、枢軸国側の北アフリカへの補給をほとんど妨害できなくなった。そのため、イギリスは6月にマルタへの大規模な救援作戦を決行することにした。輸送船団はアレキサンドリアとジブラルタルから同時に出発し、マルタへ向かった。アレキサンドリアからの作戦はヴィガラス、ジブラルタルからの作戦はハープーンと命名された。
経過
この作戦のため、イギリスの地中海艦隊はインド洋から増援を受けた。4隻のオーストラリア駆逐艦ノーマン、ネイピア、ネスター、ニザムなどの艦艇が船団護衛のためにケニヤのキリンディニからハイファへ送られた。
11隻の船からなるヴィガラス作戦の船団とその護衛は6月12日にハイファとポートサイドから出航し、6月13日にトブルク沖でフィリップ・ヴァイアン (Philip Vian) 少将が率いる軽巡洋艦7隻と駆逐艦17隻からなるA部隊と合流した。
護衛部隊は合計で軽巡洋艦8隻、駆逐艦22隻とコルベットや掃海艇、そして旧式戦艦センチュリオンであった。戦間期に武装が撤去されていたセンチュリオンには、対空砲が搭載されていた。1941年12月にアレクサンドリア港で戦艦2隻が撃破されていたため、地中海艦隊には船団護衛に使える戦艦が無かった。そこで、センチュリオンは現役の戦艦のように見せかけられた。
船団のアレクサンドリア出航直後から枢軸国軍による攻撃が始まった。12日の空襲で商船1隻が損傷しトブルクへ向かった。さらに機関の故障でトブルクに向かった商船が空襲で沈められた。
14日までに空襲によって2隻が失われ2隻が損傷していた。その日の夕方、ヴァイアンは戦艦2隻、重巡洋艦2隻、軽巡洋艦2隻を中心とするイタリア艦隊がターラントから船団攻撃に出撃したことを知った。
作戦中五度の反転が行われたが、15日朝早くにその1回目が行われ、船団は東に向かっていた。リビアから出撃したドイツのSボートによる攻撃がおこなわれ、軽巡洋艦ニューカッスルがS56の攻撃で損傷し、駆逐艦ヘイスティがS55に撃沈された。7時ごろ、船団は再び針路をマルタに向けた。この時イタリア艦隊は北西200マイルの場所にあった。
6月15日朝、マルタから出撃したイギリス空軍機がイタリア艦隊を攻撃し、重巡洋艦トレントを撃破した。イタリア艦隊はトレントを残して船団に向かった。トレントものちにイギリスの潜水艦アンブラの雷撃により沈没した。
15日の9時40分と正午に3度目と4度目の反転が行われた。午後、クレタ島南方で空襲を受け、軽巡洋艦バーミンガムが損傷、護衛駆逐艦エアデールが失われた。
6月15日18時頃には船団の船は6隻まで減少していた。この時船団はクレタ島の南西沖を航行していた。ここで、駆逐艦ネスターが至近弾で航行不能となった。ネスターは駆逐艦ジャヴェリンに曳航されたが、翌朝処分された。
15日夕方、作戦中止が決定され、船団はアレクサンドリアへ引き返した。その途中、16日に軽巡洋艦ハーマイオニーがクレタ島南方でドイツの潜水艦U-205の雷撃によって撃沈された。
また、マルタのイギリス空軍機が帰投途中のイタリア艦隊を攻撃し、戦艦リットリオを損傷させた。
結果
ヴィガラス作戦では商船は1隻もマルタには到達できなかった。そして、軽巡洋艦1隻、駆逐艦3隻、商船2隻が失われた。さらに、巡洋艦3隻、駆逐艦1隻、コルベット1隻が損傷した。
一方、イタリア側も巡洋艦1隻を失い、戦艦リットリオが損傷したが船団のマルタ到着は阻止することが出来た。
脚注
- ^ 福田誠、光栄出版部 編集『第二次大戦海戦事典 W.W.II SEA BATTLE FILE 1939~45』、光栄、1998年、ISBN 4-87719-606-4、274ページ