「如意宝珠」の版間の差分
Kasakasa719 (会話 | 投稿記録) m 仏教から神道へ取り込まれた例と図柄の起源について追記。 |
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チンターマニは通常、[[仏塔]]の[[相輪]]の最上部に取り付けられる。そのほかには仏堂の頂上に置かれることがある。<br>[[擬宝珠]](橋の欄干など寺院以外の建造物の装飾)は、チンターマニを模したものとする説がある。 |
チンターマニは通常、[[仏塔]]の[[相輪]]の最上部に取り付けられる。そのほかには仏堂の頂上に置かれることがある。<br>[[擬宝珠]](橋の欄干など寺院以外の建造物の装飾)は、チンターマニを模したものとする説がある。 |
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'''如意宝珠'''の概念は天台智顗([[智 |
'''如意宝珠'''の概念は天台智顗([[智顗]])の[[摩訶止観]]とともに日本に伝わった<ref>{{Cite web|url=http://monnbutuji.la.coocan.jp/yougo/6/663a.html|title=如意宝珠とは|accessdate=2020/5/2|publisher=日蓮正宗 真光寺}}</ref>。平安時代には神道にもとりこまれ、稲を持った豊穣の女神[[ウカノミタマ]]が、富裕の神として'''如意宝珠'''を持った姿で描かれるようになった<ref>{{Cite web|url=https://ameblo.jp/bluedeloi/entry-11881820796.html|title=稲荷神の概要|accessdate=2020/5/2|publisher=徒然草子}}</ref>。[[ウカノミタマ]]とともに信仰されてきた'''如意宝珠'''の図柄は、[[熊野本宮大社]]の牛玉宝印や[[伏見稲荷大社]]のご朱印として押印され続け、現代でも信仰の対象として使用されている<ref>{{Cite book|title=「熊野詣」五来重|date=2004/12/10|year=2004|publisher=講談社学術文庫|last=|author=五来重|page=49}}</ref><ref>{{Cite web|url=https://xn----h36a23lx0pugj6v2avtnvol.jinja-tera-gosyuin-meguri.com/category/%E4%BA%AC%E9%83%BD%E3%83%BB%E4%BC%8F%E8%A6%8B%E7%A8%B2%E8%8D%B7%E5%A4%A7%E7%A4%BE%E3%81%AE%E3%81%8A%E5%AE%88%E3%82%8A%E3%81%AE%E3%80%8C%E7%A8%AE%E9%A1%9E%E3%83%BB%E5%80%A4%E6%AE%B5%E3%83%BB%E8%B3%BC|title=ご朱印|accessdate=2020/5/2|publisher=伏見稲荷大社}}</ref>。なお宝珠印の原型と見られる炎を放つ液滴の図柄は、日本に仏教が伝わる前の6世紀頃、[[高句麗]]の高山洞1号墳北壁の[[玄武]]壁画の中央にすでに描かれている<ref>{{Cite book|title=早乙女雅博監修「高句麗壁画古墳報道写真展」|date=2012/10/6|year=2012|publisher=共同通信社|author=|page=|pages=8, 23, 29}}</ref>。 |
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== 脚注 == |
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2020年8月16日 (日) 12:40時点における版
如意宝珠(にょいほうじゅ、梵: चिन्तामणि (チンターマニ)、 英: Cintāmaṇi)とは、仏教において霊験を表すとされる宝の珠のこと。サンスクリット語でチンターとは「思考」、マニは「珠」を指す言葉で、「意のままに願いをかなえる宝」と解釈できる。如意宝、如意珠、または宝珠(ほうじゅ、ほうしゅ)と呼ばれる。
チンターマニの形状は、日本では一般的に下部が球形、上部が山なりに湾曲して尖っている。一方、チベット仏教の宗教画、建造物では下部が円柱として伸びており、上部が山なりに湾曲して尖っている。
一つの種類として、3つのチンターマニが積み重なり(一般的には下に2個横に並び、その上に1個乗った形)一つの火炎に包まれたものがあり、これは三弁宝珠と呼ばれる。
チンターマニは仏や仏の教えの象徴と考えられる。地蔵菩薩、虚空蔵菩薩、如意輪観音などの持物、三昧耶形とされる。チンターマニは無限の価値を持つものと伝えられており、祈りの対象となる。
チンターマニは通常、仏塔の相輪の最上部に取り付けられる。そのほかには仏堂の頂上に置かれることがある。
擬宝珠(橋の欄干など寺院以外の建造物の装飾)は、チンターマニを模したものとする説がある。
如意宝珠の概念は天台智顗(智顗)の摩訶止観とともに日本に伝わった[1]。平安時代には神道にもとりこまれ、稲を持った豊穣の女神ウカノミタマが、富裕の神として如意宝珠を持った姿で描かれるようになった[2]。ウカノミタマとともに信仰されてきた如意宝珠の図柄は、熊野本宮大社の牛玉宝印や伏見稲荷大社のご朱印として押印され続け、現代でも信仰の対象として使用されている[3][4]。なお宝珠印の原型と見られる炎を放つ液滴の図柄は、日本に仏教が伝わる前の6世紀頃、高句麗の高山洞1号墳北壁の玄武壁画の中央にすでに描かれている[5]。
脚注
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参考文献
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関連項目