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「三法印」の版間の差分

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== 三法印と大乗仏教 ==
== 三法印と大乗仏教 ==
[[中村元]]は、三法印は部派仏教のものであり、それに対して、[[大乗仏教]]は[[諸法実相|諸法の実相]]を説く「実相印」を標幟とするとしている<ref name="hajime">中村元 『広説佛教語大辞典』 中巻 東京書籍、2001年6月、701頁「實相」。</ref>。大乗仏教では部派仏教の三法印とは別に、諸法実相の「一法印」がよく説かれるとされる<ref name="大辞林 第三版" /><ref>[http://www.360doc.com/content/08/0108/16/2311_955507.shtml 《三法印》与《一法印》] - 个人图书馆。</ref>。中村は実相印を第四の印としている<ref name="hajime" />。なお、諸法実相が意味する内容は諸宗派の教学によって異なる<ref name="hajime" />。中村は、龍樹(ナーガールジュナ)は三法印のほかに別の法印を立てなかったとしている<ref>中村元 『広説佛教語大辞典』 中巻 東京書籍、2001年6月、927頁「諸法實相印」。</ref>。袴谷憲昭はエジャートンの『{{en|Buddhist Hybrid Sanskrit Dictionary}}』には“{{lang|sa|dharmamudrā}}”の用例が三つしか挙げられておらず、すべて梵文の[[法華経]]によるものであると指摘している{{Sfn|袴谷|1979|p=60}}。また袴谷は、坂本幸男による「小乗教は三法印、大乗は諸法実相印。」という言明について、[[天台宗]]の[[智ギ|智顗]]の所説に依っていることを推測している{{Sfn|袴谷|1979|p=62}}。
[[中村元]]は、三法印は部派仏教のものであり、それに対して、[[大乗仏教]]は[[諸法実相|諸法の実相]]を説く「実相印」を標幟とするとしている<ref name="hajime">中村元 『広説佛教語大辞典』 中巻 東京書籍、2001年6月、701頁「實相」。</ref>。大乗仏教では部派仏教の三法印とは別に、諸法実相の「一法印」がよく説かれるとされる<ref name="大辞林 第三版" /><ref>[http://www.360doc.com/content/08/0108/16/2311_955507.shtml 《三法印》与《一法印》] - 个人图书馆。</ref>。中村は実相印を第四の印としている<ref name="hajime" />。なお、諸法実相が意味する内容は諸宗派の教学によって異なる<ref name="hajime" />。中村は、龍樹(ナーガールジュナ)は三法印のほかに別の法印を立てなかったとしている<ref>中村元 『広説佛教語大辞典』 中巻 東京書籍、2001年6月、927頁「諸法實相印」。</ref>。袴谷憲昭はエジャートンの『{{en|Buddhist Hybrid Sanskrit Dictionary}}』には“{{lang|sa|dharmamudrā}}”の用例が三つしか挙げられておらず、すべて梵文の[[法華経]]によるものであると指摘している{{Sfn|袴谷|1979|p=60}}。また袴谷は、坂本幸男による「小乗教は三法印、大乗は諸法実相印。」という言明について、[[天台宗]]の[[智顗]]の所説に依っていることを推測している{{Sfn|袴谷|1979|p=62}}。


== 脚注 ==
== 脚注 ==

2020年8月16日 (日) 12:09時点における版

三法印(さんぼういん)は、仏教において三つの根本的な理念を示す仏教用語である[1]

  1. 諸行無常印(: anityāṃ sarvasaṃskārāṃ[2])-「すべての現象(形成されたもの)は、無常(不変ならざるもの)である」
  2. 諸法無我印(: sarvadharmā anātmānaḥ[2])-「すべてのものごと(法)は、自己ならざるものである」
  3. 涅槃寂静印(: śāntaṃ nirvāṇaṃ[2])-「ニルヴァーナは、安らぎである」

法印(ほういん、: dharmoddāna[3][4])とは、仏教と他の教え(バラモン教ヒンドゥー教六師外道)との区別を明らかにする用語[5]と一般に言われるが、パーリ仏典には、このような術語はみられない。[6][1]

龍樹の著作といわれる『大智度論』巻十五では、まだ煩悩を十分に絶つことができないで、有漏道(うろどう)にあって無漏道を得ていない人々が「三種法印」を信ずべきである、として「一切有為生法無常等印」・「一切法無我印」・「涅槃実法印」の三法印を示している。また巻三十二では「一切有為法無常印」「一切法無我印」「涅槃寂滅印」とよんでいる。[要出典]

仏教詩人マートリチェータの説

2世紀ごろの仏教詩人マートリチェータは自作中において"dharmamudrã trilakṣaṇā"という表現で三つの教えを表した。それは以下の通り。[7]

  1. Sarva-dharmā anātmanaḥ[7] - 一切の法は無我である。
  2. Kṣaṇikaṃ sarva-saṃskṛtam[7] - 一切の作られたものは刹那(滅)である。
  3. Śāntaṃ nirvāṇam[7] - 涅槃は寂静である。

マートリチェータはこれらを「eṣa dharmamudrã trilakṣaṇā」(これが『三法印』である)としている。[注 1][7]

三法印と大乗仏教

中村元は、三法印は部派仏教のものであり、それに対して、大乗仏教諸法の実相を説く「実相印」を標幟とするとしている[8]。大乗仏教では部派仏教の三法印とは別に、諸法実相の「一法印」がよく説かれるとされる[5][9]。中村は実相印を第四の印としている[8]。なお、諸法実相が意味する内容は諸宗派の教学によって異なる[8]。中村は、龍樹(ナーガールジュナ)は三法印のほかに別の法印を立てなかったとしている[10]。袴谷憲昭はエジャートンの『Buddhist Hybrid Sanskrit Dictionary』には“dharmamudrā”の用例が三つしか挙げられておらず、すべて梵文の法華経によるものであると指摘している[6]。また袴谷は、坂本幸男による「小乗教は三法印、大乗は諸法実相印。」という言明について、天台宗智顗の所説に依っていることを推測している[11]

脚注

注釈

  1. ^ dharmamudrã trilakṣaṇā”に対する「三法印」という訳は室寺(2013)による。

出典

  1. ^ a b 三枝充悳、「三法印」 - 日本大百科全書(ニッポニカ)、小学館。
  2. ^ a b c 室寺 2013, p. 442.
  3. ^ 袴谷 1979, pp. 60–66.
  4. ^ 室寺 2013, p. 431.
  5. ^ a b ほういん【法印】 - コトバンク 大辞林 第三版の解説。
  6. ^ a b 袴谷 1979, p. 60.
  7. ^ a b c d e 室寺 2013, p. 434-433.
  8. ^ a b c 中村元 『広説佛教語大辞典』 中巻 東京書籍、2001年6月、701頁「實相」。
  9. ^ 《三法印》与《一法印》 - 个人图书馆。
  10. ^ 中村元 『広説佛教語大辞典』 中巻 東京書籍、2001年6月、927頁「諸法實相印」。
  11. ^ 袴谷 1979, p. 62.

参考文献

  • 袴谷, 憲昭「<法印>覚え書]」『駒澤大學佛教學部研究紀要』第37号、駒澤大学、1979年、60-81頁、NAID 110007014220 
  • 室寺, 義仁「三法印(dharmamudra trilaksana) : 古典インドにおける三句の發端と展開の諸様相」『東方学報』第88巻、京都大學人文科學研究所、2013年、442-423頁、doi:10.14989/180561 

関連項目