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中学卒業後、キャディーとして[[宝塚ゴルフ倶楽部]]に入社<ref name="dendou">{{Cite web|url=http://www.lpga.or.jp/news/info/10555|title=大迫たつ子の日本プロゴルフ殿堂入りが発表|publisher=日本女子プロゴルフ協会|accessdate=2015-12-15}}</ref>。1971年、19歳の時にプロテストに合格し、翌年の1972年には賞金ランキングで20位に入った。 |
中学卒業後、キャディーとして[[宝塚ゴルフ倶楽部]]に入社<ref name="dendou">{{Cite web|url=http://www.lpga.or.jp/news/info/10555|title=大迫たつ子の日本プロゴルフ殿堂入りが発表|publisher=日本女子プロゴルフ協会|accessdate=2015-12-15}}</ref>。1971年、19歳の時にプロテストに合格し、翌年の1972年には賞金ランキングで20位に入った。 |
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1975年に初優勝、1977年は[[樋口久子]]の10連覇を阻止して初めての賞金女王に輝いた。1980年も樋口久子の3連覇を阻止して2度目の賞金女王に輝き、1987年は[[ |
1975年に初優勝、1977年は[[樋口久子]]の10連覇を阻止して初めての賞金女王に輝いた。1980年も樋口久子の3連覇を阻止して2度目の賞金女王に輝き、1987年は[[涂阿玉]]の6連覇を阻止して3度目の賞金女王に輝いた。1972年の[[日本女子プロゴルフ選手権大会|日本女子プロ選手権]]から1985年の[[東ハトレディスゴルフトーナメント|東鳩レディス]]までの278試合を連続予選通過した<ref name="dendou2">{{Cite web|url=http://mainichi.jp/articles/20151215/k00/00m/050/044000c|title=大迫たつ子氏が殿堂入り 橘田、杉本両氏と|publisher=毎日新聞|accessdate=2015-12-15}}</ref>。 |
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1988年まで常に賞金ランキングの上位争いに加わり、日本女子ツアーにおいて、通算45勝を挙げた。1994年に42歳で引退を表明。2015年、[[日本プロゴルフ殿堂]]入りした<ref name="dendou2" />。 |
1988年まで常に賞金ランキングの上位争いに加わり、日本女子ツアーにおいて、通算45勝を挙げた。1994年に42歳で引退を表明。2015年、[[日本プロゴルフ殿堂]]入りした<ref name="dendou2" />。 |
2020年8月14日 (金) 11:35時点における版
Tatsuko Ohsako | |
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基本情報 | |
名前 | 大迫たつ子 |
生年月日 | 1952年1月8日(72歳) |
出身地 | 宮崎県西諸県郡高原町 |
経歴 | |
成績 | |
優勝回数 | 日本女子:45勝 |
賞金ランク最高位 | 日本女子:1位(1977、1980、1987) |
殿堂表彰者 | |
選出年 | 2015年 |
選出部門 | プレーヤー |
大迫たつ子(おおさこ たつこ、1952年1月8日 - )は日本の女子プロゴルファー。有馬CC所属。宮崎県西諸県郡高原町出身。血液型O型。JLPGAの永久シード権を保持している。
来歴
中学卒業後、キャディーとして宝塚ゴルフ倶楽部に入社[1]。1971年、19歳の時にプロテストに合格し、翌年の1972年には賞金ランキングで20位に入った。
1975年に初優勝、1977年は樋口久子の10連覇を阻止して初めての賞金女王に輝いた。1980年も樋口久子の3連覇を阻止して2度目の賞金女王に輝き、1987年は涂阿玉の6連覇を阻止して3度目の賞金女王に輝いた。1972年の日本女子プロ選手権から1985年の東鳩レディスまでの278試合を連続予選通過した[2]。
1988年まで常に賞金ランキングの上位争いに加わり、日本女子ツアーにおいて、通算45勝を挙げた。1994年に42歳で引退を表明。2015年、日本プロゴルフ殿堂入りした[2]。
外部リンク
- 大迫たつ子(日本女子プロゴルフ協会のプロフィール)
脚注
- ^ “大迫たつ子の日本プロゴルフ殿堂入りが発表”. 日本女子プロゴルフ協会. 2015年12月15日閲覧。
- ^ a b “大迫たつ子氏が殿堂入り 橘田、杉本両氏と”. 毎日新聞. 2015年12月15日閲覧。