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===引退後===
===引退後===
{{by|2009年}}限りで現役を引退し、一軍守備作戦コーチに転身した<ref>[http://www.dailian.co.kr/news/news_view.htm?id=173171&sc=naver&kind=menu_code&keys=7 한화, 한대화 감독과 3년 간 8억 원 계약] - 데일리안</ref>。2009年シーズン終了時、通算試合出場数2111は韓国プロ野球史上最多記録であったが、2010年[[梁ジュン赫|梁埈赫]]に最多記録を更新され2位となった。
{{by|2009年}}限りで現役を引退し、一軍守備作戦コーチに転身した<ref>[http://www.dailian.co.kr/news/news_view.htm?id=173171&sc=naver&kind=menu_code&keys=7 한화, 한대화 감독과 3년 간 8억 원 계약] - 데일리안</ref>。2009年シーズン終了時、通算試合出場数2111は韓国プロ野球史上最多記録であったが、2010年[[梁埈赫]]に最多記録を更新され2位となった。


2012年シーズン終了後ハンファを退団。2013年は[[斗山ベアーズ]]のコーチ、{{by|2014年}}から{{by|2016年}}までは[[KTウィズ]]のコーチ、{{by|2017年}}からはロッテ・ジャイアンツのコーチ、2019年より斗山のコーチを歴任している。
2012年シーズン終了後ハンファを退団。2013年は[[斗山ベアーズ]]のコーチ、{{by|2014年}}から{{by|2016年}}までは[[KTウィズ]]のコーチ、{{by|2017年}}からはロッテ・ジャイアンツのコーチ、2019年より斗山のコーチを歴任している。

2020年8月13日 (木) 02:39時点における版

金 敏宰
Kim Min-jae
斗山ベアーズ コーチ #79
基本情報
国籍 大韓民国の旗 大韓民国
出身地 釜山広域市
生年月日 (1973-01-03) 1973年1月3日(51歳)
身長
体重
181 cm
82 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 遊撃手二塁手
プロ入り 1990年 KBO一次ドラフト
初出場 1991年8月18日
最終出場 2009年9月25日 
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴
  • ハンファ・イーグルス (2010 - 2012)
  • 斗山ベアーズ (2013)
  • KTウィズ (2014 - 2016)
  • ロッテ・ジャイアンツ (2017 - 2018)
  • 斗山ベアーズ (2019 - )
国際大会
代表チーム 大韓民国の旗大韓民国
五輪 2008年
WBC 2006年
オリンピック
男子 野球
2008 野球

金 敏宰キム・ミンジェハングル김민재1973年1月3日 - )は、大韓民国釜山広域市出身の元プロ野球選手内野手)、野球指導者。右投げ右打ち。

経歴

ロッテ時代

1991年ロッテ・ジャイアンツに入団する[1]

1993年に主戦二塁手である朴正泰が負傷で離脱したため堅実な内野守備で二塁手のレギュラーの座を獲得。さらに翌年には主戦遊撃手の朴啓源が軍服務でチームに離れたため一気に主戦内野手へと昇格をした。

SK時代

2002年FAでSKワイバーンズに移籍[2]

2004年には9打席連続安打という記録を立てた。ただしこれは2013年に李柄奎が10打席連続安打を放ったため更新された。

韓華時代

2006年に再びFASKワイバーンズよりハンファ・イーグルスに移籍。韓国プロ野球でFAの権利取得を通して2度の移籍をした最初の選手であり、2度のFAで合計3チームに在籍した最初の選手でもある(洪性炘もFAで2度移籍しているが、2度目の移籍はロッテから古巣の斗山への復帰であった)。

移籍後はファーストの金泰均、セカンドの韓尚勳、サードの李杋浩と合わせて鉄壁内野陣を形成した。

第1回WBC韓国代表にも選ばれ、韓国屈指の守備力を誇る内野手。

2008年北京オリンピック野球韓国代表にも選ばれたが、自分のポジションである二塁は若手の高永民の台頭もあり、二遊間コンビのバックアップと一塁コーチの役割を務めた。また韓国プロ野球史上3人目となる2000試合出場も達成した。

引退後

2009年限りで現役を引退し、一軍守備作戦コーチに転身した[3]。2009年シーズン終了時、通算試合出場数2111は韓国プロ野球史上最多記録であったが、2010年梁埈赫に最多記録を更新され2位となった。

2012年シーズン終了後ハンファを退団。2013年は斗山ベアーズのコーチ、2014年から2016年まではKTウィズのコーチ、2017年からはロッテ・ジャイアンツのコーチ、2019年より斗山のコーチを歴任している。

プレースタイル・人物

打率は高くないがチームバッティングが得意であり、さらに守備が堅実で内野はどこでも守ることができるのが最大の長所である。ただし失策数は合計264個であり、これはKBO最多記録である。

また早打ちであり四球は多くないが、ファールで粘れる打者である。

通算記録

















































O
P
S
1991 ロッテ 16 19 15 0 2 0 0 0 2 1 0 0 1 0 0 0 0 4 0 .133 .133 .133 .267
1992 82 100 96 11 17 2 1 0 21 3 0 1 1 0 2 0 1 18 1 .177 .202 .219 .421
1993 104 286 253 30 66 5 4 3 88 22 2 2 8 2 20 0 3 33 1 .251 .320 .348 .668
1994 98 283 248 27 61 9 3 3 85 30 7 4 6 4 20 0 5 35 7 .246 .310 .343 .653
1995 122 283 325 37 70 14 4 1 95 32 5 3 12 5 36 0 5 53 3 .215 .299 .292 .591
1996 115 350 302 33 73 11 3 4 102 31 6 6 14 3 27 2 4 41 3 .242 .310 .338 .647
1997 114 316 289 21 67 16 1 2 91 21 11 8 7 0 16 1 3 48 6 .232 .279 .315 .594
1998 120 367 323 36 77 16 2 5 112 43 13 10 7 0 24 2 9 51 7 .238 .309 .347 .656
1999 130 447 389 54 106 20 1 6 146 53 18 6 17 6 25 0 10 46 9 .272 .328 .375 .703
2000 132 437 382 47 95 10 3 3 120 33 14 9 11 2 36 2 6 50 8 .249 .322 .314 .637
2001 105 374 335 48 101 14 1 2 123 37 6 6 8 3 23 0 5 28 5 .301 .352 .367 .720
2002 SK 131 548 488 51 126 21 3 12 189 50 15 10 19 5 26 0 11 45 13 .258 .308 .387 .695
2003 129 452 369 43 78 16 1 4 108 36 14 7 30 4 44 0 4 42 13 .211 .299 .293 .592
2004 129 489 435 57 113 13 1 4 140 40 11 3 22 5 23 0 4 42 11 .260 .300 .322 .622
2005 125 508 440 58 122 19 0 2 147 37 20 5 16 4 39 0 9 48 14 .277 .346 .334 .680
2006 ハンファ 121 428 375 41 79 17 0 5 111 27 11 3 17 2 31 0 4 54 18 .211 .277 .296 .574
2007 118 451 395 43 108 17 0 6 143 47 7 3 20 1 29 0 6 36 9 .273 .332 .362 .694
2008 114 397 357 26 86 13 0 5 114 35 13 3 7 1 30 1 2 37 6 .241 .303 .319 .622
2009 105 308 272 33 56 11 1 4 81 29 1 1 6 2 22 0 6 28 11 .206 .278 .298 .576
通算:19年 2111 6940 6088 696 1503 244 29 71 2018 607 174 90 229 49 473 8 97 739 145 .247 .309 .331 .640
  • 各年度の太字はリーグ最高

脚注

関連項目

外部リンク