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2008年、[[第49回世界卓球選手権団体戦|世界選手権団体戦]]で日本代表チームの一員として銅メダルを獲得。続く[[2008年北京オリンピックの卓球競技|北京オリンピック]]にも日本代表と出場し、シングルスで1勝、団体戦で5位入賞。その後、2009年より所属チームをブレーメンから名門のBorussia Düsseldorfに移籍し、2009-2010シーズンにおいて好成績を残すものの、チームの育成方針から退団が発表された。 |
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2009年 横浜で開かれた世界卓球選手権において、[[水谷隼]]とのダブルスで銅メダルを獲得。卓球個人種目では男子で97年大会の[[松下浩二]]・[[渋谷浩]]組以来12年ぶりのメダルである。また、同年10月のイングランドオープンでは格上である[[陳衛星]]、[[ |
2009年 横浜で開かれた世界卓球選手権において、[[水谷隼]]とのダブルスで銅メダルを獲得。卓球個人種目では男子で97年大会の[[松下浩二]]・[[渋谷浩]]組以来12年ぶりのメダルである。また、同年10月のイングランドオープンでは格上である[[陳衛星]]、[[陳玘]]、[[ティモ・ボル]]を破りベスト4入りを果たした。 |
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2009年のアジア選手権団体決勝の中国戦にて3番手で出場し、当時世界ランク2位の[[馬龍]]をストレートで下す大金星をあげた。しかし、チームは2-3で惜敗した。 |
2009年のアジア選手権団体決勝の中国戦にて3番手で出場し、当時世界ランク2位の[[馬龍]]をストレートで下す大金星をあげた。しかし、チームは2-3で惜敗した。 |
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2020年8月12日 (水) 00:38時点における版
岸川聖也 |
獲得メダル |
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岸川 聖也(きしかわ・せいや, 1987年5月21日- )は、日本の卓球選手。168cm、68kg。ITTF世界ランキング最高位は16位。段級位は6段。北京オリンピック、ロンドンオリンピックの卓球日本代表(シングルス、団体)。
経歴
福岡県北九州市八幡西区出身。幼い時から地元の石田卓球クラブで研鑚を積む。
北九州市立引野中学校を卒業後故郷を離れ東北にスポーツ留学し、2006年仙台育英学園高等学校卒業。在学中日本人として初めて夏のインターハイの男子シングルスで3連覇を達成した。日本人以外を含めてもインターハイのシングルス3連覇を達成したのは岸川と宋海偉(1997-1999年の3連覇。現吉田海偉)と石川佳純(2008-2010の3連覇)だけである。
高校卒業後は大学には進学せずドイツに渡り、ブンデスリーガ1部に参戦し、卓球のプロ選手として活躍。
2008年、世界選手権団体戦で日本代表チームの一員として銅メダルを獲得。続く北京オリンピックにも日本代表と出場し、シングルスで1勝、団体戦で5位入賞。その後、2009年より所属チームをブレーメンから名門のBorussia Düsseldorfに移籍し、2009-2010シーズンにおいて好成績を残すものの、チームの育成方針から退団が発表された。
2009年 横浜で開かれた世界卓球選手権において、水谷隼とのダブルスで銅メダルを獲得。卓球個人種目では男子で97年大会の松下浩二・渋谷浩組以来12年ぶりのメダルである。また、同年10月のイングランドオープンでは格上である陳衛星、陳玘、ティモ・ボルを破りベスト4入りを果たした。 2009年のアジア選手権団体決勝の中国戦にて3番手で出場し、当時世界ランク2位の馬龍をストレートで下す大金星をあげた。しかし、チームは2-3で惜敗した。
2011年 ロッテルダムで開かれた世界卓球選手権において、福原愛との混合ダブルスで銅メダルを獲得。同年のジャパンオープンでは、荘智淵をフルゲームの末に下すと、準決勝で丹羽孝希を、決勝で水谷をそれぞれ圧倒し、優勝を飾っている。これが、岸川のプロツアー初制覇となる。
2012年ロンドンオリンピック男子シングルスに第12シードとして3回戦から登場し、パナギオティス・ギオニス(ギリシャ)を4-3で下すと、4回戦で第7シードの呉尚垠を4-1で下して準々決勝に進出し、第2シードの王皓に0-4で敗れたものの日本の男子選手では史上初のシングルス5位入賞。
2017年 パナウル王国(与論島)観光大使に就任。
2019年8月からナショナルチームのコーチとしてもワールドツアーに帯同している、2020年の全日本選手権を最後に本格的に指導者の道を歩むことを発表。
2020年1月 全日本卓球選手権大会引退。
プレースタイル
ドライブ主戦型。特に、バックハンドの技術は非常に高く、日本の男子卓球選手に影響を与えたほどである。
また、ダブルスでは男子、混合共に実績を残しており、水谷とは長くダブルスを組んでいるためか、非常に相性が良い。
在籍チーム経歴
- SV Werder Bremen(ヴェルダー・ブレーメン)~2009
- Borussia Düsseldorf(ボルシア・デュッセルドルフ)2009~2010
- TTF LIEBHERR Ochsenhausen(オクセンハオゼン)2010~2011
- Ruhrstadt Herne(ルーアシュタット・ヘルネ)2011~
戦績
- 2003年
- インターハイ:男子シングルス優勝
- 世界ジュニア卓球選手権男子:ダブルス優勝(村守実ペア)
- 2004年
- インターハイ:男子シングルス優勝(2連覇)
- 世界ジュニアサーキットファイナル:シングルス優勝
- 世界ジュニア卓球選手権男子:ダブルス優勝(水谷隼ペア)
- 2005年
- 全日本卓球選手権大会:男子シングルス ベスト4(高校生として52年ぶり)
- インターハイ:男子シングルス優勝(3連覇)
- 2007年
- 全日本卓球選手権大会:男子ダブルス優勝(水谷隼ペア)
- 第18回アジア卓球選手権大会:団体戦2位
- 2008年
- 全日本卓球選手権大会:男子ダブルス優勝(2連覇)(水谷隼ペア)
- 第49回世界卓球選手権団体戦(広州):3位
- 北京オリンピック:シングルス2回戦、団体5位
- 2009年
- 全日本卓球選手権大会 男子ダブルス優勝:(3連覇)(水谷隼ペア)
- 大林カップ第14回会長杯ジャパントップ12:優勝
- 第50回世界卓球選手権個人戦:男子ダブルス3位(水谷隼ペア)
- ITTFプロツアーチャイナオープン:男子ダブルス優勝(水谷隼ペア)
- ITTFプロツアージャパンオープン(荻村杯):男子ダブルス優勝(水谷隼ペア)
- 第19回アジア卓球選手権大会:団体戦2位・混合ダブルス3位(福原愛ペア)
- 第5回東アジア競技大会:団体戦2位・ダブルス3位(水谷隼ペア)・混合ダブルス3位(石川佳純ペア)
- ドイツカップ2009/10(DTTBファイナル4 2009):優勝=ボルシア・デュッセルドルフとして
- 2010年
- 全日本卓球選手権大会:男子ダブルス優勝(4連覇)(水谷隼ペア)
- 第50回世界卓球選手権団体戦:(モスクワ)3位
- 第16回アジア競技大会(広州):団体3位、混合ダブルス3位(福原愛ペア)
- 2011年
- 第51回世界卓球選手権個人戦(ロッテルダム):混合ダブルス3位(福原愛ペア)、シングルス3回戦、男子ダブルス3回戦(水谷隼ペア)
- ITTFプロツアージャパンオープン(荻村杯):男子シングルス優勝
- 第66回国民体育大会『おいでませ山口国体』卓球競技会:成年男子優勝 山口県(吉田・岸川・平野)
- 2012年
- 全日本卓球選手権大会:男子ダブルス優勝(水谷隼ペア)
- 第51回世界卓球選手権団体戦(ドルトムント):3位
- ロンドンオリンピック:男子シングルスベスト8
- ITTFワールドツアーグランドファイナル:男子ダブルス準優勝(丹羽孝希ペア)
- 2013年
- 第52回世界卓球選手権個人戦:男子ダブルス3位(水谷隼ペア)
- 2014年
- 第52回世界卓球選手権団体戦(東京):3位
テレビ出演
- 古田敦也のスポーツ・トライアングル 「勝利へのバックハンド 卓球 岸川聖也」(NHKBS-1、2012年7月22日)