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*[[諏訪春雄]]「朝鮮で高句麗や百済を建国した夫余族はツングース系の遊牧民族([http://s04.megalodon.jp/2008-1107-1735-41/www-cc.gakushuin.ac.jp/~ori-www/suwa-f06/suwa50.htm 学習院大学教授 諏訪春雄通信])」 |
*[[諏訪春雄]]「朝鮮で高句麗や百済を建国した夫余族はツングース系の遊牧民族([http://s04.megalodon.jp/2008-1107-1735-41/www-cc.gakushuin.ac.jp/~ori-www/suwa-f06/suwa50.htm 学習院大学教授 諏訪春雄通信])」 |
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*[[黄文雄 (評論家)|黄文雄]]「[[遼東]]や北満の地は、かつて高句麗人、渤海人などの(中略)ツングース系諸民族が活躍した地である(黄文雄『韓国は日本人がつくった』)」「高句麗の主要民族は満州族の一種(中略)高句麗人と共に渤海建国の民族である靺鞨はツングース系で、現在の中国の少数民族の一つ、満州族の祖先である(黄文雄『満州国は日本の植民地ではなかった』)」 |
*[[黄文雄 (評論家)|黄文雄]]「[[遼東]]や北満の地は、かつて高句麗人、渤海人などの(中略)ツングース系諸民族が活躍した地である(黄文雄『韓国は日本人がつくった』)」「高句麗の主要民族は満州族の一種(中略)高句麗人と共に渤海建国の民族である靺鞨はツングース系で、現在の中国の少数民族の一つ、満州族の祖先である(黄文雄『満州国は日本の植民地ではなかった』)」 |
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*[[鳥越憲三郎]]「高句麗は紀元前1世紀末、ツングース系の[[ |
*[[鳥越憲三郎]]「高句麗は紀元前1世紀末、ツングース系の[[濊|濊族]]によって建国(鳥越憲三郎『古代朝鮮と倭族』)」 |
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*[[護雅夫]]「高句麗は東北アジア、満州にいたツングース系民族であり、4世紀から6世紀の初めにかけての最盛期には朝鮮半島の大半と南満州とを勢力圏に収めた(Yahoo!百科事典)」 |
*[[護雅夫]]「高句麗は東北アジア、満州にいたツングース系民族であり、4世紀から6世紀の初めにかけての最盛期には朝鮮半島の大半と南満州とを勢力圏に収めた(Yahoo!百科事典)」 |
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*[[広辞苑]]「【高句麗】紀元前後、ツングース族の扶余の朱蒙の建国という」 |
*[[広辞苑]]「【高句麗】紀元前後、ツングース族の扶余の朱蒙の建国という」 |
2020年8月11日 (火) 04:37時点における版
朝鮮の歴史 | ||||||||||
考古学 | 朝鮮の旧石器時代 櫛目文土器時代 8000 BC-1500 BC 無文土器時代 1500 BC-300 BC | |||||||||
伝説 | 檀君朝鮮 | |||||||||
古朝鮮 | 箕子朝鮮 | |||||||||
燕 | ||||||||||
辰国 | 衛氏朝鮮 | |||||||||
原三国 | 辰韓 | 弁韓 | 漢四郡 | |||||||
馬韓 | 帯方郡 | 楽浪郡 | 濊 貊 |
沃 沮 | ||||||
三国 | 伽耶 42- 562 |
百済 |
高句麗 | |||||||
新羅 | ||||||||||
南北国 | 唐熊津都督府・安東都護府 | |||||||||
統一新羅 鶏林州都督府 676-892 |
安東都護府 668-756 |
渤海 698-926 | ||||||||
後三国 | 新羅 -935 |
後 百済 892 -936 |
後高句麗 901-918 |
遼 | 女真 | |||||
統一 王朝 |
高麗 918- | 金 | ||||||||
元遼陽行省 (東寧・双城・耽羅) | ||||||||||
元朝 | ||||||||||
高麗 1356-1392 | ||||||||||
李氏朝鮮 1392-1897 | ||||||||||
大韓帝国 1897-1910 | ||||||||||
近代 | 日本統治時代の朝鮮 1910-1945 | |||||||||
現代 | 朝鮮人民共和国 1945 連合軍軍政期 1945-1948 | |||||||||
アメリカ占領区 | ソビエト占領区 | |||||||||
北朝鮮人民委員会 | ||||||||||
大韓民国 1948- |
朝鮮民主主義 人民共和国 1948- | |||||||||
Portal:朝鮮 |
朝鮮の君主一覧(ちようせんのくんしゅいちらん)は、古代の朝鮮半島(一部現在の中国東北部を含む・民族は中国系朝鮮系等特定の民族を指したものではない)で出来た国々の王、皇帝などを扱う。
神話・古朝鮮
檀君朝鮮
→「檀君朝鮮」を参照
箕子朝鮮
衛氏朝鮮
肖像 | 君主名 | 漢字名 | 朝鮮語名 | 在位期間 |
---|---|---|---|---|
衛満 | 衛満 | 위만 | 紀元前194年-紀元前161年 | |
氏名不詳 | 氏名不詳 | 氏名不詳 | 紀元前161年-紀元前129年 | |
衛右渠 | 衛右渠 | 위우거 | 紀元前129年-紀元前108年 |
三韓
馬韓
辰韓
弁韓
楽浪国
北帯方(帯方国)
- 張氏(国王)
北帯方(帯方州)
- 劉仁軌(太守)
南帯方(帯方郡)
夫余系・ 濊貊系
東扶餘
北扶餘
(↑↓この間、不詳)
後扶餘
蓋馬国
句荼国
伽耶
駕洛(本加耶・金官伽倻)
0. 加耶世主正見母主
1. 首露王(太祖・悩窒青裔・正見母主三子)
2. 居登王(道王)
3. 麻品王(成王)
4. 居叱弥王(徳王)
5. 伊尸品王(明王)
6. 坐知王(神王)
7. 吹希王(恵王)
8. 銍知王(荘王)
9. 鉗知王(粛王)
10. 仇衡王(譲王、世宗)
大加耶(高霊伽耶)
0. 加耶世主正見母主(ko:정견모주)
1. 加耶阿豉今悩窒朱日(内珍朱智・伊珍阿豉・正見母主次子)
2. 加耶君阿修
3. 加耶女主毗可(阿修妻・金官駕洛主居登妹)
4. 加耶女君美理神
5. 加耶女君河理
‐‐‐. (錦林王?)
‐‐‐. 己本旱岐
‐‐‐. 嘉悉王(賀室王・荷知王)
9. 異脳王
10. (月光太子)
16. 道設智王(月光太子と同人か)
阿羅伽耶
古寧伽耶
星山伽耶
小伽耶(固城)
- 末露王
- 大阿王
- 味雛王
- 小干王
- 阿島王
- 叱駑王
- 車阿王
- 達拏王
- 而衡王
高句麗
- 東明聖王(ツングース民族[1]、在位紀元前37-紀元前19年)
- 瑠璃明王(紀元前19-紀元18年)
- 大武神王(18-44)
- 閔中王(44-48)
- 慕本王(48-53)
- 太祖大王(53-146)
- 次大王(146-165)
- 新大王(165-179)
- 故国川王(179-197)
- 山上王(197-227)
- 東川王(227-248)
- 中川王(248-270)
- 西川王(270-292)
- 烽上王(292-300)
- 美川王(300-331)
- 故国原王(331-371)
- 小獣林王(371-384)
- 故国壌王(384-391)
- 広開土王(好太王、391-413)
- 長寿王(413-491)
- 文咨明王(491-519)
- 安臧王(519-531)
- 安原王(531-545)
- 陽原王(545-559)
- 平原王(559-590)
- 嬰陽王(590-618)
- 栄留王(618-642)
- 宝蔵王(642-668)
報徳国
- 安勝(670-683)
小高句麗
後高句麗
- 弓裔(901-918)
渤海
粟末靺鞨
黒水靺鞨
渤海
- 高王 大祚栄
- 武王 大武芸
- 文王 大欽茂
- 廃王 大元義
- 成王 大華璵
- 康王 大嵩璘
- 定王 大元瑜
- 僖王 大言義
- 簡王 大明忠
- 宣王 大仁秀
- 和王 大彝震
- 安王 大虔晃
- 景王 大玄錫
- 大瑋瑎
- 哀王 大諲譔
後渤海
- 大光顕(930年?-934年)
定安
兀惹
- 烏昭慶(995年-996年)
興遼
- 大延琳(天慶、1029年-1030年)
大渤海(大元)
- 高永昌(隆基、1116年1月-6月)
新羅
- 赫居世居西干
- 南解次次雄
- 儒理尼師今
- 脱解尼師今
- 婆娑尼師今
- 祇摩尼師今
- 逸聖尼師今
- 阿達羅尼師今
- 伐休尼師今
- 奈解尼師今
- 助賁尼師今
- 沾解尼師今
- 味鄒尼師今
- 儒礼尼師今
- 基臨尼師今
- 訖解尼師今
- 奈勿尼師今
- 実聖尼師今
- 訥祇麻立干
- 慈悲麻立干
- 炤知麻立干
- 智証麻立干
- 法興王(514-540)
- 真興王(540-576)
- 真智王(576-579)
- 真平王(579-632)
- 善徳女王(632-647)
- 真徳女王(647-654)
- 武烈王(654-661)
- 文武王(661-681)
- 神文王(681-692)
- 孝昭王(692-702)
- 聖徳王(702-737)
- 孝成王(737-742)
- 景徳王(742-765)
- 恵恭王(765-780)
- 宣徳王(780-785)
- 元聖王(785-798)
- 昭聖王(798-800)
- 哀荘王(800-809)
- 憲徳王(809-826)
- 興徳王(826-836)
- 僖康王(836-838)
- 閔哀王(838-839)
- 神武王(839)
- 文聖王(839-857)
- 憲安王(857-861)
- 景文王(861-875)
- 憲康王(875-886)
- 定康王(886-887)
- 真聖女王(887-897)
- 孝恭王(897-912)
- 神徳王(912-917)
- 景明王(917-924)
- 景哀王(924-927)
- 敬順王(927-935)
長安
百済
- 温祚王(在位18-28年)
- 多婁王(28-77)
- 己婁王(77-128)
- 蓋婁王(128-166)
- 肖古王(166-214)
- 仇首王(214-234)
- 沙伴王(234)
- 古尓王(234-286)
- 責稽王(286-298)
- 汾西王(298-304)
- 比流王(304-344)
- 契王(344-346)
- 近肖古王(346-375)
- 近仇首王(375-384)
- 枕流王(384-385)
- 辰斯王(385-392)
- 阿莘王(392-405)
- 腆支王(405-420)
- 久尓辛王(420-427)
- 毗有王(427-455)
- 蓋鹵王(455-475)
- 文周王(475-477)
- 三斤王(477-479)
- 東城王(479-501)
- 武寧王(501-523)
- 聖王(523-554)
- 威徳王(554-598)
- 恵王(598-599)
- 法王(599-600)
- 武王(600-641)
- 義慈王(641-660)
小百済
後百済
後沙伐
- 朴彦昌(927-929)
耽羅国
- 高乙那王(紀元前2337年-紀元前2206年)
- 建王(紀元前2206年-紀元前1767年)
- 三継王(紀元前1767年-紀元前1123年)
- 日望王(紀元前1123年-紀元前935年)
- 島済王(紀元前935年-紀元前771年)
- 彦卿王(紀元前771年-紀元前619年)
- 宝明王(紀元前619年-紀元前520年)
- 幸天王(紀元前520年-紀元前426年)
- 歓王(紀元前426年-紀元前315年)
- 湜王(紀元前315年-紀元前247年)
- 煜王(紀元前247年-紀元前207年)
- 煌王(紀元前207年-紀元前157年)
- 偉王(紀元前157年-紀元前105年)
- 栄王(紀元前105年-紀元前58年)
- 厚王(紀元前58年-紀元前7年)
- 斗明王(紀元前7年-43年)
- 善主王(43年-93年)
- 知南王(93年-144年)
- 聖邦王(144年-195年)
- 文星王(195年-243年)
- 翼王(243年-293年)
- 之孝王(293年-343年)
- 淑王(343年-393年)
- 賢方王(393年-423年)
- 琪王(423年-453年)
- 冉王(453年-483年)
- 指雲王(483年-508年)
- 瑞王(508年-533年)
- 多鳴王(533年-558年)
- 談王(558年-583年)
- 体参王(583年-608年)
- 声振王(608年-633年)
- 鴻王(633年-658年)
- 処良王(658年-683年)
- 遠王(683年-708年)
- 表倫王(708年-733年)
- 迥王(733年-758年)
- 致道王(758年-783年)
- 勗王(783年-808年)
- 天元王(808年-833年)
- 好恭王(833年-858年)
- 昭王(858年-883年)
- 敬直王(883年-908年)
- 岷王(908年-933年)
- 自堅王(933年-938年)
高麗
- 太祖(918-943)
- 恵宗(943-945)
- 定宗(945-949)
- 光宗(949-975)
- 景宗(975-981)
- 成宗(981-997)
- 穆宗(997-1009)
- 顕宗(1009-1031)
- 徳宗(1031-1034)
- 靖宗(1034-1046)
- 文宗(1046-1083)
- 順宗(1083)
- 宣宗(1083-1094)
- 献宗(1094-1095)
- 粛宗(1095-1105)
- 睿宗(1105-1122)
- 仁宗(1122-1146)
- 毅宗(1146-1170)
- 明宗(1170-1197)
- 神宗(1197-1204)
- 熙宗(1204-1211)
- 康宗(1211-1213)
- 高宗(1213-1259)
- 元宗(忠敬王、1259-1274)
- 忠烈王(1274-1308)
- 忠宣王(1308-1313)
- 忠粛王(1313-1339)
- 忠恵王(1339-1344)
- 忠穆王(1344-1348)
- 忠定王(1348-1351)
- 恭愍王(1351-1374)
- 禑王(前廃王、1374-1388)
- 昌王(後廃王、1388-1389)
- 恭譲王(1389-1392)
大為国
- 妙清(天開、1135年)
李氏朝鮮
- 太祖(李成桂、1393-1398)
- 定宗(李曔、1399-1400)
- 太宗(李芳遠、1401-1418)
- 世宗(李祹、1418年-1450)
- 文宗(李珦、1450-1452)
- 端宗(李弘暐、1452-1455)
- 世祖(李瑈、1455-1468)
- 睿宗(李晄、1468-1469)
- 成宗(李娎、1469-1494)
- 燕山君(李㦕、1494-1506)
- 中宗(李懌、1506-1545)
- 仁宗(李峼、1545-1545)
- 明宗(李峘、1545-1567)
- 宣祖(李昖、1567-1608)
- 光海君(李琿、1608-1623)
- 仁祖(李倧、1623-1649)
- 孝宗(李淏、1649-1659)
- 顕宗(李棩、1659-1674)
- 粛宗(李焞、1674-1720)
- 景宗(李昀、1720-1724)
- 英祖(李昑、1724-1776)
- 正祖(李祘、1776-1800)
- 純祖(李玜、1800-1834)
- 憲宗(李烉、1834-1849)
- 哲宗(李昪、1849-1863)
- 高宗(李㷩、1863-1897)
大韓帝国
大金
- 李澄玉(1453年)
脚注
- ^
- Searchina「三国史記によれば、高句麗の始祖は朱蒙。ツングース系の一部族である扶余族(2008年2月24日serchina)」
- 濱田耕策「夫余、高句麗、沃沮を構成したツングース系の諸族(Yahoo!百科事典)」「高句麗族はツングース系の扶余族の別種(木村誠 趙景達 吉田光男 馬淵貞利編『朝鮮人物事典』)」
- 諏訪春雄「朝鮮で高句麗や百済を建国した夫余族はツングース系の遊牧民族(学習院大学教授 諏訪春雄通信)」
- 黄文雄「遼東や北満の地は、かつて高句麗人、渤海人などの(中略)ツングース系諸民族が活躍した地である(黄文雄『韓国は日本人がつくった』)」「高句麗の主要民族は満州族の一種(中略)高句麗人と共に渤海建国の民族である靺鞨はツングース系で、現在の中国の少数民族の一つ、満州族の祖先である(黄文雄『満州国は日本の植民地ではなかった』)」
- 鳥越憲三郎「高句麗は紀元前1世紀末、ツングース系の濊族によって建国(鳥越憲三郎『古代朝鮮と倭族』)」
- 護雅夫「高句麗は東北アジア、満州にいたツングース系民族であり、4世紀から6世紀の初めにかけての最盛期には朝鮮半島の大半と南満州とを勢力圏に収めた(Yahoo!百科事典)」
- 広辞苑「【高句麗】紀元前後、ツングース族の扶余の朱蒙の建国という」
- 大辞泉「【高句麗】紀元前後にツングース系の扶余族の朱蒙が建国」