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[[1712年]]、朝鮮政府は[[清]]の[[康熙帝]]の要求に応じて、鴨緑江・豆満江の共通の源流である天池のある白頭山の境界を明らかにするために穆克登を派遣して調査を行い、白頭山から南東に4kmほど下った地点の分水嶺上に「大清烏喇総管穆克登奉旨査辺、至此審視、西為鴨綠東為土門、故於分水嶺上勒石為記」(大清烏喇の総管・穆克登は、辺境の調査の勅旨を奉じて、この地に至ってよく観察を行い、西の国境を鴨緑とし、東の国境を土門とするので、分水嶺上において記録のために石に刻む)と記された石碑を立てた。これにより、天池や白頭山の山頂は全て清の領土に含まれた。 |
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[[1885年]]9月から11月にかけて、清朝両国は「乙酉勘界」と呼ばれる第1次勘界(国境調査と交渉)を実施した。朝鮮側は、石碑に記された「土門」とは豆満江の北にある「土門江」(豆満江の支流・[[ |
[[1885年]]9月から11月にかけて、清朝両国は「乙酉勘界」と呼ばれる第1次勘界(国境調査と交渉)を実施した。朝鮮側は、石碑に記された「土門」とは豆満江の北にある「土門江」(豆満江の支流・[[嘎呀河]]水系の海蘭江に流れる川)のことであるとし、その間にある[[間島]]の領有を主張した。清は、自然な国境は豆満江であるとして譲らず、合意に至らなかった<ref name=joins091203>[http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=123530&servcode=A00§code=A30 【その時の今日】朝鮮・清の国境会談が決裂], 中央日報, 2009.12.03.</ref>。[[1887年]]4月から5月にかけて「丁亥勘界」と呼ばれる第2次勘界が行われた。両国は、いわゆる「土門江」と「豆満江」が「図們江」と同音であり、同一の河川であることに全会一致で合意したが、豆満江の源流がどこであるかで意見が相違した。朝鮮側は豆満江の最北端の支流の紅土水、清は最南端の支流の石乙水が源流と主張したため、またも合意に至らなかった<ref name=joins091203/><ref name=mori2009>[[森雅雄]] [http://www.jiu.ac.jp/books/bulletin/2008/human/03_mori.pdf 「韓国ドラマの歴史認識」], [[城西国際大学]]紀要, 17(2) (2009.3), p. 13.</ref><ref name=neagando />。 |
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2020年8月10日 (月) 10:36時点における版
中朝国境 | |
---|---|
特徴 | |
対象 | 中国 北朝鮮 |
延長 | 1,420 km |
歴史 | |
制定 | 1712年 |
最終変更 | 1962年10月12日 |
中朝国境条約調印 | |
条約 |
日清協約 中朝国境条約 |
中朝国境(ちゅうちょうこっきょう)は、中華人民共和国(中国)と朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)との間の国境である。国境線の総延長は約1,420 kmであり[1]、そのうち河川による自然国境が93 %を占める。
地理
中朝国境は鴨緑江[2]、白頭山(長白山)および豆満江(図們江)から形成される[3]。中朝国境のうち鴨緑江が795 kmを占め、全長の56 %に相当する。豆満江が国境全長の37 %を占めるほか、白頭山が107 km(全長の7 %)を占める。豆満江の河口から約17 kmの地点(中露朝三国国境)が中朝国境の北東側の終点であり、中露国境と露朝国境の起点を形成する。
国境に接する最大の都市は中国の遼寧省丹東市である[4]。対岸には北朝鮮の平安北道新義州市がある。2つの都市は国境西端の黄海に面した鴨緑江デルタ上にあり、中朝友誼橋で結ばれている。
鴨緑江には205の島(中州)がある。北朝鮮と中国との間の1962年の国境条約により、それぞれの島に住んでいる民族によって所属国を分けた。北朝鮮は127、中国は78の島を有している。この分割基準により、黄金坪などの一部の島は、川の中国側に位置しているが北朝鮮に属している。両国とも、デルタ地帯を含む鴨緑江の航行権を有している。
鴨緑江の源流は白頭山の天池であり、ここは満州民族と朝鮮族の発祥の地であるとされる。この湖は、国境の東側を形成する豆満江の源流でもある。
中国の東北地方、特に国境に面した延辺朝鮮族自治州には、数多くの朝鮮族が住んでいる。
歴史
朝鮮半島初の統一国家である新羅の領土は大同江下流域までであったが、高麗の全盛時になると北西部の領土は鴨緑江の下流部にまで広がった。その後李氏朝鮮の全盛時には、北の境界は鴨緑江・豆満江に達した。明は豆満江の両岸に地方行政機関を設置し、朝鮮に隣接する豆満江の南岸に会寧、富寧、鐘城、隠城、慶源、慶興の6つの町を設立した。
1712年、朝鮮政府は清の康熙帝の要求に応じて、鴨緑江・豆満江の共通の源流である天池のある白頭山の境界を明らかにするために穆克登を派遣して調査を行い、白頭山から南東に4kmほど下った地点の分水嶺上に「大清烏喇総管穆克登奉旨査辺、至此審視、西為鴨綠東為土門、故於分水嶺上勒石為記」(大清烏喇の総管・穆克登は、辺境の調査の勅旨を奉じて、この地に至ってよく観察を行い、西の国境を鴨緑とし、東の国境を土門とするので、分水嶺上において記録のために石に刻む)と記された石碑を立てた。これにより、天池や白頭山の山頂は全て清の領土に含まれた。
1885年9月から11月にかけて、清朝両国は「乙酉勘界」と呼ばれる第1次勘界(国境調査と交渉)を実施した。朝鮮側は、石碑に記された「土門」とは豆満江の北にある「土門江」(豆満江の支流・嘎呀河水系の海蘭江に流れる川)のことであるとし、その間にある間島の領有を主張した。清は、自然な国境は豆満江であるとして譲らず、合意に至らなかった[5]。1887年4月から5月にかけて「丁亥勘界」と呼ばれる第2次勘界が行われた。両国は、いわゆる「土門江」と「豆満江」が「図們江」と同音であり、同一の河川であることに全会一致で合意したが、豆満江の源流がどこであるかで意見が相違した。朝鮮側は豆満江の最北端の支流の紅土水、清は最南端の支流の石乙水が源流と主張したため、またも合意に至らなかった[5][6][7]。
日清戦争で清が日本に敗れ、清は朝鮮に対する宗主国としての地位を放棄して1897年に大韓帝国が成立した。大韓帝国を保護国とした日本は、当初は朝鮮の主張を継承して間島は朝鮮領として扱った。さらに、1907年の調査によって「土門」は松花江に流入する現在の五道白河であることも確かめた[6]。しかし、1909年9月4日に結ばれた日清協約では、日本は清における他の権益を譲歩させるため、清の間島領有を認めた。1910年に日本は大韓帝国を併合し、中朝国境は日中国境となった。1932年に満州国が成立し、国境の両側が日本の勢力圏となった。1945年の日本の敗戦により、日本は朝鮮から撤退、満州国は崩壊した。
1948年に朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)が成立した後、中華人民共和国は白頭山と天池の一部を北朝鮮に割譲するよう北朝鮮からたびたび依頼された。1962年、周恩来中国国務院総理・陳毅中国外交部長官・朴成哲北朝鮮外務相が「中朝国境条約」に調印した。この条約により、中朝国境は鴨緑江・豆満江として間島は中国領とすることで確定し[5][7]、白頭山上の天池をほぼ二等分(54.5%が北朝鮮領、45.5%が中国領)するように国境線が引かれた[8][9]。
貿易と交流
中朝国境は北朝鮮の「外の世界への生命線」と言われている[1]。中朝間の貿易の多くは丹東港で行われている[2]。
中国の携帯電話サービスは北朝鮮側の国境から10キロメートルの地点まで使用できることが知られており、国境地域で中国の携帯電話の闇取引が行われている。北朝鮮では国際電話が厳しく禁止されており、使用者は危険を犯して携帯電話を入手している[10]。
丹東の旅行者は、高速船に乗って鴨緑江の北朝鮮側の河岸やその支流に入ることができる[11]。
交差する交通路
丹東市、集安市、図們市で、鉄道が国境を通っている。中国の丹東市と北朝鮮の新義州市を結ぶ中朝友誼橋は、国境を通る3つの鉄道の中で最も利用されている。吉林省集安市は四平市から400 km離れた鴨緑江上流にあり、北朝鮮の慈江道満浦市に接続している。吉林省図們市は長春市から東に527 kmの所にあり、豆満江を挟んで咸鏡北道南陽労働者区に面している。
硬座車と軟座車を連結した北京から平壌までの旅客列車が週4便、モスクワからのウラジオストク列車に連結するハルビン・瀋陽・丹東経由の貨物列車が週1便ある[12]。
中朝国境を渡る橋は以下の通りである。
- 丹東-新義州
- 上河口-清水[13]
- 上河口国門鉄道橋(鉄道橋(使用中止中))
- 集安-満浦
- 集安鴨緑江国境鉄道大橋(鉄道橋(梅集線・満浦線))
- 長白-恵山
- 臨江-中江
- 琿春-恩徳
- 図們江大橋
- 新図們江大橋
- 図們-南陽
国境警備
1,420キロメートルの中朝国境は「穴だらけ」(porous)と形容される[1]。多くの脱北者が中朝国境を超えて中国に入る。
2003年、中国政府は国境管理の責任を警察から軍に移管した[14]。中国当局は2003年に鴨緑江沿いの主要な脱出ルートにワイヤフェンスを建設し始めた[15]。
中国は、2006年9月から[15]丹東近郊の鴨緑江デルタの川岸が低く幅が狭い箇所に20キロメートルにわたる柵を建設した[2]。コンクリートと有刺鉄線による柵の高さは約2メートルから5メートルであった[15]。
2007年、米国の当局者は、中国が重要な国境の前哨基地にさらに柵と施設を建設していると述べた[16]。 同年、北朝鮮は鴨緑江に沿って10キロメートルの柵を建設し始め、またその地域を守るための道路を建設したという報告があった[17][18]。
2011年、中国により丹東近くに高さ4メートル、長さ13キロメートルの新しい柵が建設されたと報告された。また、中国はパトロールを強化しており、新しい警備拠点は、広い視野を確保するために、より高い場所に建設されていると報告された。この地域の居住者は「このような強固な国境の柵がここに建設されたのは初めてで、北朝鮮の不安定な状況に関係しているようだ」と語った。その住民はまた、以前の柵が有刺鉄線のない3メートルの高さしかなかったので、「誰でも本当にやろうと思えば越えられた」と付け加えた[19][20]。
2014年に丹東を訪問したジャーナリストは、警備体制が低いレベルであると報告した[21]。2015年、柵の建設されているのは一部の例外であると報告された[22]。2015年、国境の中国側を旅行したフォトジャーナリストは、柵が建設されているのは稀であり、鴨緑江が凍結している時ならば、そこを通過するのは簡単だろうとコメントしている。同じ報告では、国境の両側にいる人々の間の友好的交流が指摘されている[23]。2018年、あるフォトジャーナリストが国境に沿って運転し、「どこまで行っても誰にも守られていない」(mile after mile of nothing, guarded by no-one)と表現した[24]。
2015年、1人の北朝鮮兵が、中朝国境に沿って住んでいた朝鮮族4人を殺害した[25]。
朝鮮半島の緊張が高まっている時には、国境での中国軍動員の噂が頻繁に出回っている。Adam Cathcartによると、これらの噂は具体化するのが難しく、解釈が難しい[26]。
伝えられるところでは、2017年12月7日に中国のソーシャルメディアにウイルス感染したことで中国移動通信の文書が流出し、中国政府が長白朝鮮族自治県と吉林省で中朝国境に沿って5つの難民定住拠点を作る計画が暴露された[27]。これは明らかに、金正恩政権がアメリカ合衆国との潜在的な紛争で崩壊した場合の、大量の北朝鮮難民の流入に備えたものである。『ガーディアン』は次のように文書を引用した。「国境を越えた緊張のために……(共産)党委員会と長白朝鮮族自治県政府は県内に5つの難民キャンプを設立することを提案した。」[28]
関連項目
脚注
- ^ a b c Tension, Desperation: The China-North Korean Border
- ^ a b c Kanto, Dick K. and Mark E. Manyin. China-North Korea Relations, Congressional Research Service (December 28, 2010).
- ^ Kanto, Dick K. and Mark E. Manyin. China-North Korea Relations. DIANE Publishing. 2010年12月28日. 10.Google Books. 2012年10月23日查閱. ISBN 1437985114, 9781437985115.
- ^ Rogers, Jenny. "New group reaches out to China." Gold Coast Bulletin. October 2, 2012. Retrieved on October 23, 2012.
- ^ a b c 【その時の今日】朝鮮・清の国境会談が決裂, 中央日報, 2009.12.03.
- ^ a b 森雅雄 「韓国ドラマの歴史認識」, 城西国際大学紀要, 17(2) (2009.3), p. 13.
- ^ a b 韓中関係 近代 2. 間島問題, 東北アジア歴史財団
- ^ 中朝邊界爭議的解決 (1950-1964年) Archived 2013-10-29 at the Wayback Machine.
- ^ http://www.360doc.com/content/10/0718/17/1633103_39876255.shtml
- ^ North Korea: On the net in world's most secretive nation (BBC)
- ^ “A trip to the North Korea-China border, in photos”. NK News. (29 May 2015)
- ^ "Trans-Siberian Railway Tours" Accessed 2014-05-25
- ^ “幻の国際鉄橋”. 国際協力機構. 2018年11月22日閲覧。
- ^ Foley, James. “China Steps Up Security on North Korean Border”, Jane's Intelligence Review, 1 November 2003.
- ^ a b c Ng Gan Guan, China Erects Fence Along N. Korea Border, Associated Press (October 16, 2006).
- ^ www.dailynk.com "China Troops Increase at North Korean Border"
- ^ www.edmontonsun.com "North Korea building fence on China border"
- ^ “Report: N. Korea building fence to keep people in”. Houston Chronicle. オリジナルの1 May 2011時点におけるアーカイブ。 4 July 2009閲覧。
- ^ Foster, Peter and agencies, Beijing. "China builds higher fences over fears of instability in North Korea." The Daily Telegraph. March 30, 2011. Retrieved on October 26, 2012.
- ^ "China boosts North Korea border fence." The China Post. Thursday March 31, 2011. Retrieved on October 26, 2012.
- ^ Comment: The absurdities faced by North Korean refugees in China
- ^ Rob York (25 February 2015). “The myth of a sealed China-N. Korea border”. NK News
- ^ “A trip to the North Korea-China border, in photos”. NK News. (29 May 2015)
- ^ Sagolj, Damir (15 April 2018). “A road trip on the edge of North Korea”. Reuters
- ^ https://www.yahoo.com/news/runaway-n-korean-soldier-kill-four-chinese-reports-060526414.html?bcmt=1420505551797-974622bd-2486-431b-8e29-2290873790fc&ref=gs https://www.yahoo.com/news/china-village-defenceless-against-north-korean-intruders-055043942.html?ref=gs
- ^ Cathcart, Adam (20 October 2017). “Tigers in the Haze: Chinese Troops on the Border with North Korea in the 'April Crisis'”. China Brief, Jamestown University. 2018年11月20日閲覧。
- ^ Perlez, Jane (2017年12月11日). “Fearing the Worst, China Plans Refugee Camps on North Korean Border” (英語). The New York Times. ISSN 0362-4331 2017年12月13日閲覧。
- ^ Phillips, Tom (2017年12月12日). “China building network of refugee camps along border with North Korea” (英語). The Guardian. ISSN 0261-3077 2017年12月13日閲覧。
外部リンク
- The Tumen River Documentation Project at Sino-NK