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* 同じシアトルに本社を置く関係から、[[任天堂]]の米国法人 (Nintendo of America, NOA) の首脳陣と交友がある。中でもNOA初代社長の[[荒川實]]とは[[ゴルフ]]友達で、かつては同じ町に住んでいたこともある<ref name="nhk">{{Harvnb|相田|1997|p=202}}</ref>。
* 同じシアトルに本社を置く関係から、[[任天堂]]の米国法人 (Nintendo of America, NOA) の首脳陣と交友がある。中でもNOA初代社長の[[荒川實]]とは[[ゴルフ]]友達で、かつては同じ町に住んでいたこともある<ref name="nhk">{{Harvnb|相田|1997|p=202}}</ref>。
* 競合他社でもある、[[アップル (企業)|Apple]]創業者の[[スティーブ・ジョブズ]]とは、ライバル同士でありながらも、お互いに尊敬し合っており、テレビでの公開対談もしていた。
* 競合他社でもある、[[アップル (企業)|Apple]]創業者の[[スティーブ・ジョブズ]]とは、ライバル同士でありながらも、お互いに尊敬し合っており、テレビでの公開対談もしていた。
* [[Android]]のスマートフォンを使っている<ref>{{Cite news|title=ビル・ゲイツ、Androidスマホを手にする。iPhoneは依然使わず|newspaper=[[ギズモード]]|date=2017-09-28|url=https://www.gizmodo.jp/2017/09/bill-gates-android.html|accessdate=2018-01-23}}</ref>。
* [[Android (オペレーティングシステム)|Android]]のスマートフォンを使っている<ref>{{Cite news|title=ビル・ゲイツ、Androidスマホを手にする。iPhoneは依然使わず|newspaper=[[ギズモード]]|date=2017-09-28|url=https://www.gizmodo.jp/2017/09/bill-gates-android.html|accessdate=2018-01-23}}</ref>。
* 2017年11月13日、自身のブログで、[[アルツハイマー病]]の治療法開発を支援するために、[[認知症]]研究基金『Dementia Discovery Fund<ref group="注釈">政府や慈善団体や製薬会社から資金援助を受けてアルツハイマー病の治療法開発に取り組んでいる、[[ロンドン]]に拠点を置く民間基金。</ref>』に5000万ドル(約57億円)を提供することを明らかにした。なお、資金提供は個人的なもので、[[ビル&メリンダ・ゲイツ財団]]を通じたものではないと説明している。ゲイツは、「アルツハイマー病の治療が実現するには10年以上かかる可能性があり、恐らく最初は費用も極めて高額になるだろう」との見通しを示しており、治療法が確立したあかつきには、貧困国の患者にも治療を提供できるように、ビル&メリンダ・ゲイツ財団で取り組みを進める可能性についても言及している<ref>{{Cite news|title=ビル・ゲイツ氏がアルツハイマー病の治療法開発に57億円|newspaper=[[ITmedia]]|date=2017-11-14|url=http://www.itmedia.co.jp/news/spv/1711/14/news079.html|accessdate=2018-01-25}}</ref>。
* 2017年11月13日、自身のブログで、[[アルツハイマー病]]の治療法開発を支援するために、[[認知症]]研究基金『Dementia Discovery Fund<ref group="注釈">政府や慈善団体や製薬会社から資金援助を受けてアルツハイマー病の治療法開発に取り組んでいる、[[ロンドン]]に拠点を置く民間基金。</ref>』に5000万ドル(約57億円)を提供することを明らかにした。なお、資金提供は個人的なもので、[[ビル&メリンダ・ゲイツ財団]]を通じたものではないと説明している。ゲイツは、「アルツハイマー病の治療が実現するには10年以上かかる可能性があり、恐らく最初は費用も極めて高額になるだろう」との見通しを示しており、治療法が確立したあかつきには、貧困国の患者にも治療を提供できるように、ビル&メリンダ・ゲイツ財団で取り組みを進める可能性についても言及している<ref>{{Cite news|title=ビル・ゲイツ氏がアルツハイマー病の治療法開発に57億円|newspaper=[[ITmedia]]|date=2017-11-14|url=http://www.itmedia.co.jp/news/spv/1711/14/news079.html|accessdate=2018-01-25}}</ref>。



2020年8月5日 (水) 09:36時点における版

ビル・ゲイツ

Bill Gates
ビル・ゲイツ(2015年6月)
生誕 William Henry Gates III
(1955-10-28) 1955年10月28日(69歳)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国ワシントン州シアトル
住居 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国ワシントン州メディナ
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
民族 ドイツ系アメリカ人
教育 レイクサイド校
出身校 ハーバード大学
職業 実業家
慈善活動家
技術者
プログラマ
作家
教育者
活動期間 1975年 - 現在
純資産 増加 900億ドル(2018年)[1]
身長 178 cm (5 ft 10 in)
肩書き
取締役会
配偶者 メリンダ・ゲイツ(1994 - )
子供 3人
栄誉 名誉大英勲章ナイト・コマンダー
立教大学名誉博士
早稲田大学名誉博士
シルバー・バッファロー章
アメリカ国家技術賞
メアリー・ウッダード・ラスカー公益事業賞
en:Jefferson Awards for Public Service
en:The Tech Awards
大統領自由勲章
旭日大綬章
公式サイト www.gatesnotes.com
署名
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ウィリアム・ヘンリー・"ビル"・ゲイツ3世(William Henry "Bill" Gates III、1955年10月28日 - )は、アメリカ合衆国実業家慈善活動家技術者プログラマ作家教育者

マイクロソフト共同創業者元会長顧問ビル&メリンダ・ゲイツ財団共同創業者共同会長カスケード・インベストメント共同創業者会長コービス共同創業者会長bgC3共同創業者会長マイクロソフトリサーチ共同創業者会長テラパワー共同会長ResearchGate共同創業者名誉理事長

称号イギリス女王より名誉騎士(名誉大英勲章ナイト・コマンダー)、旭日大綬章立教大学及び早稲田大学より名誉博士を贈られている。シルバー・バッファロー章アメリカ国家技術賞メアリー・ウッダード・ラスカー公益事業賞en:Jefferson Awards for Public Serviceen:The Tech Awards大統領自由勲章も贈られている。掃除機集めが趣味

身長は178センチメートル[2]

経歴

幼少時代

ゲイツは、1955年10月28日にシアトルウィリアム・ヘンリー・ゲイツ・シニア(1925年 - )とメアリー・マクスウェル・ゲイツとの間に生まれた[3][4]。裕福な家庭だったが、自分のことには一切お金を使おうとしなかった。

そして会衆派教会日曜学校に通い、聖歌隊で歌い、ボーイスカウトにも入っていた。また、エドガー・ライス・バローズターザン物や火星人物を読みあさる一方、フランクリン・D・ルーズベルトナポレオン、偉大な発明家などの伝記を耽読した[5]。彼は小学校を優秀な成績で卒業した。IQは160[6]

学生時代

1967年、シアトルの私立レイクサイド中学・高校に入学した[7]。1968年秋、レイクサイド校はゼネラル・エレクトリック社のGE-635に接続されたテレタイプ端末を導入した[8]。これを通じてコンピュータに興味を持つようになった。このころ、ワシントン大学の近くにコンピュータ・センター・コーポレーション(CCC)という会社が設立され[9][10]DECPDP-10への接続サービスを開始する予定であった。正式運用の前に負荷耐性テストを行う必要があったCCCは、1968年11月にゲイツらに夜間と週末にコンピュータを無料で使用させた[9][11]。この経験を通じてゲイツはDECのPDP-10に詳しくなった。

CCCは、1970年2月に不渡手形を出し、実質的に倒産する[12]。これにより、ゲイツはコンピュータに触れる機会を失う。1970年11月オレゴン州ポートランドにあったインフォメーション・サイエンス・インク(ISI)という会社から、COBOLでの給与計算システムの作成を請け負い、開発費の代わりとして無料でPDP-10を使う権利を手に入れた[13]が、COBOLに習熟していなかったため、この作成は難航した[14]

高校在学当時、先輩でありワシントン州立大学の学生であったポール・アレンとともに、トラフォデータ英語版という名称で[15]、交通量計測システムを作成しようとした。アレンによると、このトラフォデータは私的につけられたチーム名にすぎず[16]、法人として設立されてはいないため、トラフォデータ社とは言えない。最終的に、このビジネスはゲイツが大学生になっても続けられたが、大きな利益をあげることはできなかった[17]

このころのゲイツに関して、以下のような逸話があるが、いずれも当事者が否定しているか、確認が取れない状況である。これらは、はじめは冗談で言われていた作り話が、徐々に尾ひれがついて大きくなったもので、事実ではないと思われる[18]

  • 副大統領候補のバッジを買い占め、後にプレミアム商品として高く売りつけた。
  • ワシントン大学に潜入して不正なプログラムを動かし、ネットワークを止めた。
  • CCCの会計ファイルを改ざんし、自身への請求額を減らした。
  • 大学生のとき、デモに失敗し、近くにいた母親に加勢を求めて、「ママ、この人たちに昨日は確かに動いたって言ってあげてよ」と叫んだ。

1973年に、ハーバード大学に入学した[19]。ハーバード大学では、応用数学を専攻したが、成績は必ずしも良くなかった[20]。1974年に2年生になると、ポーカーゲームに熱中することが多くなった[21]。このころ同じ寮に住んでいた学生に、後にゲイツの後任としてマイクロソフトのCEOになるスティーブ・バルマーがいた[22]

BASICの移植

1977年にニューメキシコ州アルバカーキで交通違反を犯したときのマグショット

1974年12月、ゲイツはアレンから、ポピュラーエレクトロニクス誌にアルテア8800の記事が載っているのを教えられた。これを読んだゲイツとアレンはアルテア8800用にBASICインタプリタを作成することを考えた。ゲイツは、アレンの名前を騙って、アルテア8800を販売していたハードメーカーMITSに電話をかけ、実際には未だ何も作成していないBASICインタプリタについて「現在開発中であり、間もなく完成する。御社に伺ってお見せしましょうか。」と言って鎌をかけた。電話に応対したMITS社長エド・ロバーツは、「動作するBASICを最初に持ってきたものと契約する。」と答えた。これを受けて、彼らはBASICインタプリタの開発を開始した[23]

彼らはアルテア8800の実物を持っていなかった。そこで、アレンはハーバード大学にあったPDP-10上でアルテア8800をエミュレートするプログラムを作成し、これを用いてBASICインタプリタを作成した[24]

8週間後、ゲイツとアレンの寝食を忘れたプログラミングの結果、BASICインタプリタが完成した[25]。1975年3月、デモのため、アレンがニューメキシコアルバカーキにあるMITSへ向かった。この際、アレンがBASICのブートローダの開発を忘れていたことに気がつき、移動中の飛行機中で完成させた。こうして作られたBASICはMITSでのデモに成功し動作した(このときゲイツはボストンの大学寮でアレンの帰りを待っており、同席はしていない)。ゲイツらが作ったBASICインタプリタは、Altair BASICとして販売された。

1975年4月、アレンはMITSの社員となった[26]

一方ゲイツはハーバード大学の学生のままであり、学期が終わって夏休みになるとアルバカーキにやってきてBASICインタプリタの改良を手伝った[27]。その後、9月になるとゲイツはハーバード大学に帰っていった[28]。以降、1976年の春期、1976年の秋期、のいずれもゲイツはハーバード大学におり[29][30]、大学が休みの間にアルバカーキにやって来るという状態を続けていた。1977年2月に至って(日本でいえば大学4年生の前期終了時に相当)、ゲイツはハーバード大学を休学し、以降は大学に戻ることはなかった。

このとき(1977年2月)、ゲイツとアレンの間で、パートナーシップに関する合意書がかわされた[31][32]

BASICインタプリタ事業が開始された1975年4月をもってマイクロソフト社の創業とされることがあるが、上記のように、実際には1975年4月時点ではマイクロソフトという法人は存在せず、そもそもマイクロソフトという名称自体も存在していない。また、上述のように、BASICインタプリタ事業が始まってからも、ゲイツはその後の約2年間は、実質的にもハーバード大学の学生であり続けている。パートナーシップ形成に関してゲイツとアレンの間で合意書が交わされ、パートナーシップによる経営としてマイクロソフトが正式にスタートするのは、1977年2月である。(ただし、この時点でもパートナーシップによる経営であるので、正確には、マイクロソフト「社」ではない。)

マイクロソフトという名前自体は、1975年7月にアレンが考え出した[33]。アレンによると、その時点では、マイクロソフトという名前は、ゲイツとアレンの活動を表す私的なチーム名に過ぎなかった[33]。なお、チーム名という形にせよ、文書でマイクロソフトの名前が確認できるのは、1975年10月にMITSの社長であったエド・ロバーツが書いた記事が初出である[34]。このころはMicro-softとハイフンを含む名前であった。

1976年、ホビイストたちの多くが自社のBASICを違法にコピーして使っていたことを非難する『ホビイストたちへの公開状』を書いた。

MS-DOSの開発

1980年IBMは、Apple IIの成功を見て、パーソナルコンピュータ市場への本格参入をはかることにし、IBM PCの開発に乗り出した。短期に開発することを目指していたため、OSについては自社開発をあきらめ、既存のOSを採用・改良することにした。当時、多くのパーソナルコンピュータのOSとして普及していたのは、ゲイリー・キルドールによって創業されたデジタルリサーチ (Digital Research) が開発したCP/Mだったが、OS採用をめぐるIBMとデジタルリサーチとの交渉は不調に終わった。

そこで、IBMはマイクロソフトにOSの開発を要請した。その際に、当時OSの開発を行なっていなかったマイクロソフトは、シアトル・コンピュータ・プロダクツ (SCP) から$75,000で[35]手に入れたCP/M互換OS、86-DOSIBM PC用に改良、PC-DOSとして納入、このPC-DOSをさらにMS-DOSという名前で他のパーソナルコンピュータにもライセンスで供給することにより、現在の基礎を作った。$75,000の価格については、破格の条件でありタダ同然の価格でだまし討ちであったと言われ、後に92.5万ドルを支払っている[36]

Windowsの開発

MS-DOSの普及に尽力する一方、GUIを導入する必要性も理解していた。1982年の秋、COMDEXでビジコープ社のVisiOnがMS-DOS上でGUIを実現するデモを見て焦りを感じたゲイツは[37]、インタフェース・マネジャーという名称で、同様の機能を持つソフトウェアを発売する予定であると発表した[38]。しかし、実際には何も開発しておらず、その後の開発も難航し、製品発売予定は守られずに何度も延期された。

実現の見通しがないままで製品発売のアナウンスを行ったことは、同時期にGUIを実現するパソコンを実際に開発中であったApple社を無用に刺激することになった。[注釈 1]

結局、紆余曲折を経たうえでWindowsという名称に変更されて最初の製品が発売されたときには1985年になっていた。この時期には、既にGUIを有するMacintoshが販売されており、機能的にWindowsはMacintoshに大きく見劣りするものであった。 Windowsが現実的に使えるシステムになるのは、1990年のWindows 3.0の時である。1995年にマイクロソフト社の開発したMicrosoft Windows 95に至って、ようやくMacintoshと比肩しうるレベルに達した。

2000年以降の活躍

ビル・ゲイツ(右)とスティーブ・ジョブズ(左)

2000年1月にCEO職をバルマーに譲る。

2006年6月15日、2008年7月にゲイツは第一線から身を退き、ビル・アンド・メリンダ・ゲイツ財団での活動を重視すると発表、CSA(Chief Software Architect、主席ソフトウェア設計者)職をレイ・オジーに移譲した。そしてその発表通り、2008年6月30日をもって会長職にはとどまるものの、フルタイムの仕事からは引退、2014年2月4日、会長職から退いて「技術担当アドバイザー」となり、後任にはジョン・トンプソンが就任した[40][41]

2016年、大統領自由勲章を妻とともに受章[42]

2017年5月19日 自身出身のシアトルとの姉妹都市・神戸市栄誉市民の称号を獲得。ビデオメッセージを送った。

2020年3月13日、マイクロソフト取締役を退任。長年取り組んできた途上国などの教育問題や気候変動対策に充てる時間を増やすことを退任の理由に挙げている。役員を退任後も、マイクロソフトのサティア・ナデラCEOなどへの技術担当のアドバイザーを続ける[43]

2020年4月、旭日大綬章受章[44]

世界長者番付

アメリカの雑誌フォーブス世界長者番付で、1994年から2006年まで13年連続の世界一となった。2006年の個人資産は推定530億ドル(日本円で約6兆2000億円)で、2007年、ビル・ゲイツの資産は、さらに50億ドル膨らんで資産総額580億ドルとなったが、推定資産620億ドルの著名投資家のウォーレン・バフェット、推定資産600億ドルの中南米の携帯電話会社América Móvilなどを所有するメキシコの「通信王」カルロス・スリムの後塵を拝し、ゲイツは3位に転落した。

2008年、推定資産400億ドルと世界的な金融危機で各々の総資産が減少する中、ゲイツの資産総額も前年度より180億ドル減少したが、結果的に再び第1位に返り咲いた。2014年現在の推定資産810億ドルで、世界1位である。長らくマイクロソフトの個人筆頭株主でありかつては資産の大半を同社株が占めていたが、定期的に売却を続けた影響で2014年には保有株数でスティーブ・バルマーに抜かれることとなった。

現在の同氏の資産は個人投資会社であるカスケード・インベストメント社の投資成果によるものであり、マイクロソフト株も同社を通じて保有している。同社の投資資産としてはフォーシーズンズホテルリパブリック・サービシズエコラボカナディアン・ナショナル鉄道バークシャー・ハサウェイなどがある。

フォーブスの世界長者番付2017で推定資産860億ドルで1年間で資産を90億ドル以上増やし、4年連続の首位に立った。過去23年間では18回首位に輝いている。[45]

家族

一緒にいるのは妻のメリンダ・ゲイツ(2009年)

テキサス州ダラス市出身のメリンダ・アン・フレンチ(旧姓)と1994年1月1日に結婚した。子供は3人いる[46]。シアトル郊外、キング郡マダイナに在住。

エピソード

研究家

倹約家

  • 資産家であると同時に、倹約家としても知られている。仕事のため世界中を飛び回っているが、一般旅客機に乗る時には、極力エコノミークラスに座るようにしている。来日した際に、日本法人のスタッフからファーストクラス航空券を渡されると「日本のマイクロソフトはこんな無駄遣いをする会社なのか。何だこのファーストクラスの搭乗券ってのは。1時間ちょっとのフライトに、何故そんな無駄に会社の金を使うんだ!」と激怒したという(なお、このチケットは空席があったためファーストクラスに自動的にアップグレードされたものであった)。マスコミのインタビューで、エコノミークラスを好む理由を質問された際には「会社の金でも個人の金でも、無駄なことに金を使うことは理解できない。ファーストクラスの料金に(エコノミークラスの)何倍もお金を払ってみたところで、到着する時間は同じなのだから」と答えた[48]
  • 自家用ジェット機も所有しているが、使用する際には、燃料代や整備費は会社側に一切請求せず、かかった経費は全て自前で支払っている[48]
  • ホテルに泊まる際も、部下がどこのホテルで、どのような部屋を用意しても「こんな大きな部屋はもったいない、寝る場所があり、インターネットにアクセスできればそれで良いのだから」と、たしなめる事が多かった[48]
  • 小食として知られ、食事はファーストフードが好物で、食生活はマクドナルドが中心だという[49]

その他

  • ハーバード大学を休学し、2007年名誉学位号が授与された[50]立教大学から名誉博士号を授与されたときには、「大学を出ていない私が大学からこのような学位を得られて嬉しい」と語っている。
  • ベルギーを拠点に活動している「パイ投げスナイパー」と呼ばれる集団にパイを顔面にぶつけられたことがある(1998年2月)。
  • 地元のMLB球団シアトル・マリナーズのファンである。T-モバイル・パークの年間指定席を購入しており、時折観戦に訪れる。
  • 中華人民共和国の歴代首脳陣と強い繋がりを持ち[51][52]習近平とは2度会見している[53][54]中国共産党機関紙の人民日報にもしばしば寄稿し[55]、中国政府の金融政策や検閲政策に肯定的な姿勢を見せており[56][57][58]中国工程院の外国人会員にも選ばれている[59]
  • 同じシアトルに本社を置く関係から、任天堂の米国法人 (Nintendo of America, NOA) の首脳陣と交友がある。中でもNOA初代社長の荒川實とはゴルフ友達で、かつては同じ町に住んでいたこともある[60]
  • 競合他社でもある、Apple創業者のスティーブ・ジョブズとは、ライバル同士でありながらも、お互いに尊敬し合っており、テレビでの公開対談もしていた。
  • Androidのスマートフォンを使っている[61]
  • 2017年11月13日、自身のブログで、アルツハイマー病の治療法開発を支援するために、認知症研究基金『Dementia Discovery Fund[注釈 2]』に5000万ドル(約57億円)を提供することを明らかにした。なお、資金提供は個人的なもので、ビル&メリンダ・ゲイツ財団を通じたものではないと説明している。ゲイツは、「アルツハイマー病の治療が実現するには10年以上かかる可能性があり、恐らく最初は費用も極めて高額になるだろう」との見通しを示しており、治療法が確立したあかつきには、貧困国の患者にも治療を提供できるように、ビル&メリンダ・ゲイツ財団で取り組みを進める可能性についても言及している[62]

ビル&メリンダ・ゲイツ財団

2008年、世界経済フォーラムでのビルゲイツ(右からU2ボノ、ビル・ゲイツ、ヨルダンのラーニア王妃)、イギリスのゴードン・ブラウン首相、ナイジェリアのウマル・ヤラドゥア大統領、潘基文(パン・ギムン)国連事務総長

ビル・ゲイツが彼の妻メリンダ・ゲイツ、父親のウィリアム(ビル)・ゲイツ・シニアとともに作った慈善団体。2005年には国際団体「ワクチンと予防接種のための世界同盟」に、民間としては最大規模の7億5000万ドルの寄付を発表した。

財産管理は主にメリンダが行っており、寄付をする際の検査は、厳格に調査していると公表している。

なお、2006年6月15日の記者会見にて、2008年7月にマイクロソフトの経営とソフト開発の第一線から退き、「ビル&メリンダ・ゲイツ財団 (B&MGF)」の活動に専念すると発表した。

2006年12月1日には、夫妻の死後50年以内に財団の資産を使い切って活動を終えると発表した。同基金は「我々が取り組んでいる問題を今世紀中にめざましく進展させるため」と、存続期間を限定した理由を説明している。

同基金は、途上国のエイズマラリア結核の根絶や教育貧困保健介護識字子育て疲労無戸籍者認知症の水準の改善などに尽力しており、今後は更に寄付を拡大する方針も明らかにもしている。

同財団は東京にも事務所を置いている。

著作

  • 『世界は考える ぼくたちの未来をつくるコンセプト集』ジョージ・ソロス、黒田東彦 ほかとの共著、野中邦子 訳、土曜社、2013年3月5日。ISBN 978-4-9905587-7-2
  • 『世界論 世界20名の要人に聞く、今年の論点』安倍晋三、朴槿恵 ほかとの共著、プロジェクトシンジケート叢書編集部 訳、土曜社、2014年1月17日。ISBN 978-4-907511-05-0

脚注

注釈

  1. ^ Macintosh開発舞台裏を追った『レボリューション・イン・ザ・バレー』によると、Windowsの発表を知ったジョブズは激怒しゲイツをアップルへ呼びつけた。現れたゲイツは落ち着き払った態度で臨み、「僕たちにはParcというお金持ちのお隣さんがいて、僕が盗みに入ろうと思ったら先に君が盗み出していたようなものじゃないかな」と言い放ったという[39]
  2. ^ 政府や慈善団体や製薬会社から資金援助を受けてアルツハイマー病の治療法開発に取り組んでいる、ロンドンに拠点を置く民間基金。

出典

  1. ^ 2018年版フォーブス世界長者番付トップ20』 2018年3月8日 Onebox News
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  5. ^ Ichbiah & Knepper 1992
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  8. ^ ポール・アレン『ぼくとビル・ゲイツとマイクロソフト』講談社、2013年、47頁。 
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  11. ^ 『ぼくとビル・ゲイツとマイクロソフト』、57頁。 
  12. ^ 『帝王の誕生』、53頁。 
  13. ^ 『帝王の誕生』、58頁。 
  14. ^ 『帝王の誕生』、59頁。 
  15. ^ 『帝王の誕生』、72頁。 
  16. ^ 『ぼくとビル・ゲイツとマイクロソフト』、93頁。 
  17. ^ 『帝王の誕生』、83頁。 
  18. ^ 『帝王の誕生』、68頁。 
  19. ^ ビル・ゲイツ初期の経歴を再検証 --- Part.35”. 2017年11月16日閲覧。
  20. ^ 『帝王の誕生』、80頁。 
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  24. ^ 『帝王の誕生』、93頁。 
  25. ^ 『ぼくとビル・ゲイツとマイクロソフト』、125頁。 
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  27. ^ 『ぼくとビル・ゲイツとマイクロソフト』、141頁。 
  28. ^ 『ぼくとビル・ゲイツとマイクロソフト』、148頁。 
  29. ^ 『帝王の誕生』、124頁。 
  30. ^ 『帝王の誕生』、135頁。 
  31. ^ 『帝王の誕生』、137頁。 
  32. ^ 『ぼくとビル・ゲイツとマイクロソフト』、165頁。 
  33. ^ a b 『ぼくとビル・ゲイツとマイクロソフト』、146頁。 
  34. ^ 『帝王の誕生』、115頁。 
  35. ^ 『帝王の誕生』、225頁。 
  36. ^ 『帝王の誕生』、400頁。 
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参考文献

  • 相田洋新・電子立国』 第4巻 (ビデオゲーム・巨富の攻防)、日本放送出版協会NHKスペシャル〉、1997年1月。ISBN 978-4-14-080274-8 
  • スティーヴン・メインズ、ポール・アンドルーズ、1995、『帝王の誕生』、三田出版会
  • デーヴィッド・マーシャル『世界を変えた6人の企業家』 第1巻 (マイクロソフト ビル・ゲイツ)、常盤新平 訳、岩崎書店、1997年4月。ISBN 978-4-265-05021-5  - 原タイトル:Bill Gates and Microsoft.
  • ポール・アレン、2013、『ぼくとビル・ゲイツとマイクロソフト アイデア・マンの軌跡と夢』、講談社
  • Andy Hertzfeld『レボリューション・イン・ザ・バレー 開発者が語るMacintosh誕生の舞台裏柴田文彦 訳、オライリー・ジャパン (出版) オーム社 (発売)、2005年9月。ISBN 978-4-87311-245-9https://www.oreilly.co.jp/books/4873112451/  - 原タイトル:Revolution in the Valley.
  • Daniel Ichbiah、Susan L. Knepper『マイクロソフト ソフトウェア帝国誕生の奇跡』椋田直子 訳、アスキー〈ASCII books〉、1992年7月。ISBN 978-4-7561-0118-1  - 原タイトル:The making of Microsoft.

関連項目

外部リンク

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