「興福寺 (長崎市)」の版間の差分
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2020年8月2日 (日) 22:06時点における版
興福寺 | |
---|---|
本堂(大雄宝殿) | |
所在地 | 長崎県長崎市寺町4-32 |
位置 | 北緯32度44分52.3秒 東経129度53分2.0秒 / 北緯32.747861度 東経129.883889度座標: 北緯32度44分52.3秒 東経129度53分2.0秒 / 北緯32.747861度 東経129.883889度 |
山号 | 東明山 |
宗派 | 黄檗宗 |
本尊 | 釈迦如来 |
創建年 | 1624年(寛永元年) |
開基 | 真円 |
別称 | あか寺、南京寺 |
文化財 |
大雄宝殿、旧唐人屋敷門(重要文化財) 山門、媽姐堂、鐘鼓楼ほか(県文化財) 境内(県史跡) |
法人番号 | 2310005000342 |
興福寺(こうふくじ)は、長崎市寺町(てらまち)にある、日本最古の黄檗宗の寺院である。山号は東明山。山門が朱塗りであるため、あか寺とも呼ばれる。
概要
1624年(寛永元年)に中国僧の真円により創建された日本最初の唐寺である。崇福寺・福済寺とともに長崎三福寺の一つに数えられる。本寺には、福建省・浙江省・江蘇省出身の信徒が多いため、媽祖堂も置かれていて[1]、南京寺とも称せられた。黄檗宗の開祖隠元隆琦ゆかりの寺院で、本堂にあたる大雄宝殿は国の重要文化財に指定されている。
歴代住持
- :
- 第9代 - 竺庵浄印(じくあんじょういん)
文化財
重要文化財(国指定)
- 大雄宝殿 寛永9年(1632年)に2代如定が建立した最初の堂は大火で焼失し元禄2年(1689年)に再建された。慶応元年(1865年)暴風で大破し明治16年(1883年)に修復された。
- 旧唐人屋敷門(長崎市の所有)
県指定有形文化財
市指定有形文化財
県指定史跡
- 境内[7]
脚注
- ^ 文化財:媽祖(まそ・ぼさ)
- ^ 長崎市(県指定有形文化財)
- ^ 長崎市(県指定有形文化財)
- ^ 長崎市(県指定有形文化財)
- ^ 長崎市(市指定有形文化財)
- ^ 長崎市(市指定有形文化財)
- ^ 長崎市(県指定史跡)