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2020年7月24日 (金) 08:20時点における版

加藤澤男
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1946-10-11) 1946年10月11日(78歳)
生誕地 新潟県五泉市
種目 体操競技
学歴 新潟南高校東京教育大学
引退 1977
獲得メダル
体操競技
オリンピック
1968 男子床運動
1968 男子個人総合
1968 男子団体総合
1972 男子平行棒
1972 男子個人総合
1972 男子団体総合
1976 男子平行棒
1976 男子団体総合
1972 男子あん馬
1972 男子鉄棒
1976 男子個人総合
1968 男子つり輪
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加藤 澤男(かとう さわお, 1946年10月11日 - )は、日本体操コーチ、元体操選手。前白鷗大学教授。元筑波大学教授。1968年メキシコシティーオリンピック1972年ミュンヘンオリンピック1976年モントリオールオリンピックの体操競技に出場し8個の金メダルを含む計12個のメダルを獲得した。モントリオールオリンピックでは日本選手団主将を務めた。

経歴

新潟県五泉市(旧中蒲原郡村松町)出身。新潟県立新潟南高等学校から東京教育大学(現筑波大学)に進学。大学4年生の1968年メキシコシティーオリンピック男子体操チームのメンバーに選ばれて以来、3大会連続でオリンピックに出場。1960年のローマオリンピックから1976年のモントリオールオリンピックまで続いた男子体操チームのオリンピック団体5連覇のうち、3大会でメンバーとして出場した。 1977年に引退、筑波大学コーチに就任。

自身がオリンピックで獲得した金メダルの数は8個に及び、これは日本選手としては最多の獲得数である。特に「個人総合」のオリンピック2連覇を達成した選手は、イタリアアルベルト・ブラリアソビエト連邦ビクトル・チュカリン、日本の内村航平と加藤澤男の4人のみである。

後輩の塚原光男笠松茂が難易度の高いオリジナル演技を自ら開発、演技するのに比べ、加藤の演技は美しさを追求するものである。モントリオール大会における平行棒の演技では、フィニッシュの2回宙返りの最中でも、足の爪先を伸ばしたままの姿勢を維持していた。これは「体操の教科書」となる演技と言われ、このような美しさを追求した演技が、後輩の選手達にも大きな影響を与えている。

2000年シドニーオリンピック時には、選手村内の道路の1つが「サワオ・カトー・ストリート」と名付けられた。選手名の冠がつけられたのはオーストラリアの27人と、その他の国から25人。アジア勢は加藤澤男ただ1人だった。

1993年国際体操連盟の男子体操技術委員に就任。2012年12月の退任まで副委員長などを歴任しながら、採点規則の改定などに尽力する。

国内では1999年から筑波大学の教授に就任し、体操競技部の顧問を務める。2010年3月限りで筑波大を退職し、4月から白鷗大学教授に就任(2017年3月末まで)。2013年からは新公益財団法人としての日本体操協会評議員を務める。(評議員の任期は2017年3月末まで)

1999年5月、国際スポーツ記者協会が選んだ「20世紀を代表する25選手」に日本人ではただ1人選出された。他にはペレ(サッカー)やカール・ルイス(陸上)、ナディア・コマネチ(体操女子)などが選出されている。2001年国際体操殿堂入り。

成績

加藤澤男の獲得した金メダル
左が1972 ミュンヘン、右が1976 モントリオール
  • メキシコシティーオリンピック(1968年)
    • 団体総合 優勝
    • 個人総合 優勝[1]
    • 個人種目別 床運動 優勝
    • 個人種目別 つり輪 3位
  • ミュンヘンオリンピック(1972年)
    • 団体総合 優勝
    • 個人総合 優勝
    • 個人種目別 床運動 6位
    • 個人種目別 あん馬 2位
    • 個人種目別 つり輪 4位
    • 個人種目別 跳馬  4位
    • 個人種目別 平行棒 優勝
    • 個人種目別 鉄棒  2位
  • モントリオールオリンピック(1976年)
    • 団体総合 優勝
    • 個人総合 2位
    • 個人種目別 床運動 5位
    • 個人種目別 あん馬 5位
    • 個人種目別 つり輪 6位
    • 個人種目別 平行棒 優勝

著書

脚注

  1. ^ 最後の演技である床運動で逆転勝利したが得点表示が出るまでの5分間、主審を務めたソ連のワレンチン・ムラトフによって他の審判員に再考が求められる中、ぎりぎり0.05点差で勝利した。【114の金物語(46)】体操・男子個人総合 加藤沢男 産経ニュース 2008年5月4日

関連項目

外部リンク