「加藤澤男」の版間の差分
編集の要約なし |
m Bot作業依頼: 「白鴎大学」→「白鷗大学」等の改名に伴うリンク修正・カテゴリ貼り替え依頼 (白鷗大学) - log |
||
38行目: | 38行目: | ||
{{MedalBronze|[[1968年メキシコシティーオリンピックの体操競技|1968]]|男子つり輪}} |
{{MedalBronze|[[1968年メキシコシティーオリンピックの体操競技|1968]]|男子つり輪}} |
||
}} |
}} |
||
'''加藤 澤男'''(かとう さわお, [[1946年]][[10月11日]] - )は、[[日本]]の[[体操競技|体操]]コーチ、元体操選手。前[[白 |
'''加藤 澤男'''(かとう さわお, [[1946年]][[10月11日]] - )は、[[日本]]の[[体操競技|体操]]コーチ、元体操選手。前[[白鷗大学]]教授。元[[筑波大学]]教授。[[1968年メキシコシティーオリンピック]]・[[1972年ミュンヘンオリンピック]]・[[1976年モントリオールオリンピック]]の体操競技に出場し8個の金メダルを含む計12個のメダルを獲得した。モントリオールオリンピックでは日本選手団主将を務めた。 |
||
== 経歴 == |
== 経歴 == |
||
52行目: | 52行目: | ||
[[1993年]]に[[国際体操連盟]]の男子体操技術委員に就任。[[2012年]][[12月]]の退任まで副委員長などを歴任しながら、採点規則の改定などに尽力する。 |
[[1993年]]に[[国際体操連盟]]の男子体操技術委員に就任。[[2012年]][[12月]]の退任まで副委員長などを歴任しながら、採点規則の改定などに尽力する。 |
||
国内では[[1999年]]から[[筑波大学]]の教授に就任し、体操競技部の顧問を務める。[[2010年]][[3月]]限りで筑波大を退職し、[[4月]]から[[白 |
国内では[[1999年]]から[[筑波大学]]の教授に就任し、体操競技部の顧問を務める。[[2010年]][[3月]]限りで筑波大を退職し、[[4月]]から[[白鷗大学]]教授に就任([[2017年]][[3月]]末まで)。[[2013年]]からは新公益財団法人としての[[日本体操協会]]の[[評議員]]を務める。(評議員の任期は[[2017年]][[3月]]末まで) |
||
[[1999年]]5月、国際スポーツ記者協会が選んだ「20世紀を代表する25選手」に日本人ではただ1人選出された。他には[[ペレ]](サッカー)や[[カール・ルイス]](陸上)、[[ナディア・コマネチ]](体操女子)などが選出されている。[[2001年]]に[[国際体操殿堂]]入り。 |
[[1999年]]5月、国際スポーツ記者協会が選んだ「20世紀を代表する25選手」に日本人ではただ1人選出された。他には[[ペレ]](サッカー)や[[カール・ルイス]](陸上)、[[ナディア・コマネチ]](体操女子)などが選出されている。[[2001年]]に[[国際体操殿堂]]入り。 |
2020年7月24日 (金) 07:47時点における版
| |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
国籍 | 日本 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
生年月日 | 1946年10月11日(78歳) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
生誕地 | 新潟県五泉市 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
種目 | 体操競技 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
学歴 | 新潟南高校→東京教育大学 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
引退 | 1977 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
加藤 澤男(かとう さわお, 1946年10月11日 - )は、日本の体操コーチ、元体操選手。前白鷗大学教授。元筑波大学教授。1968年メキシコシティーオリンピック・1972年ミュンヘンオリンピック・1976年モントリオールオリンピックの体操競技に出場し8個の金メダルを含む計12個のメダルを獲得した。モントリオールオリンピックでは日本選手団主将を務めた。
経歴
新潟県五泉市(旧中蒲原郡村松町)出身。新潟県立新潟南高等学校から東京教育大学(現筑波大学)に進学。大学4年生の1968年メキシコシティーオリンピック男子体操チームのメンバーに選ばれて以来、3大会連続でオリンピックに出場。1960年のローマオリンピックから1976年のモントリオールオリンピックまで続いた男子体操チームのオリンピック団体5連覇のうち、3大会でメンバーとして出場した。 1977年に引退、筑波大学コーチに就任。
自身がオリンピックで獲得した金メダルの数は8個に及び、これは日本選手としては最多の獲得数である。特に「個人総合」のオリンピック2連覇を達成した選手は、イタリアのアルベルト・ブラリア、ソビエト連邦のビクトル・チュカリン、日本の内村航平と加藤澤男の4人のみである。
後輩の塚原光男、笠松茂が難易度の高いオリジナル演技を自ら開発、演技するのに比べ、加藤の演技は美しさを追求するものである。モントリオール大会における平行棒の演技では、フィニッシュの2回宙返りの最中でも、足の爪先を伸ばしたままの姿勢を維持していた。これは「体操の教科書」となる演技と言われ、このような美しさを追求した演技が、後輩の選手達にも大きな影響を与えている。
2000年シドニーオリンピック時には、選手村内の道路の1つが「サワオ・カトー・ストリート」と名付けられた。選手名の冠がつけられたのはオーストラリアの27人と、その他の国から25人。アジア勢は加藤澤男ただ1人だった。
1993年に国際体操連盟の男子体操技術委員に就任。2012年12月の退任まで副委員長などを歴任しながら、採点規則の改定などに尽力する。
国内では1999年から筑波大学の教授に就任し、体操競技部の顧問を務める。2010年3月限りで筑波大を退職し、4月から白鷗大学教授に就任(2017年3月末まで)。2013年からは新公益財団法人としての日本体操協会の評議員を務める。(評議員の任期は2017年3月末まで)
1999年5月、国際スポーツ記者協会が選んだ「20世紀を代表する25選手」に日本人ではただ1人選出された。他にはペレ(サッカー)やカール・ルイス(陸上)、ナディア・コマネチ(体操女子)などが選出されている。2001年に国際体操殿堂入り。
成績
- ミュンヘンオリンピック(1972年)
- モントリオールオリンピック(1976年)
- 団体総合 優勝
- 個人総合 2位
- 個人種目別 床運動 5位
- 個人種目別 あん馬 5位
- 個人種目別 つり輪 6位
- 個人種目別 平行棒 優勝
- 1968年 NHK杯個人総合 優勝
- 1969年 全日本選手権 個人総合優勝
- 1971年 NHK杯個人総合 優勝
- 1972年 NHK杯個人総合 優勝
- 1974年 ヴァルナ世界選手権(ブルガリア)団体総合金メダル
著書
- 『中・高校 器械運動の授業づくり』(三木四郎、本村清人との共編著、大修館書店<最新体育授業シリーズ>、2006年)
脚注
- ^ 最後の演技である床運動で逆転勝利したが得点表示が出るまでの5分間、主審を務めたソ連のワレンチン・ムラトフによって他の審判員に再考が求められる中、ぎりぎり0.05点差で勝利した。【114の金物語(46)】体操・男子個人総合 加藤沢男 産経ニュース 2008年5月4日
関連項目
外部リンク
- 加藤澤男 - 国際体操連盟のプロフィール
- 加藤澤男 - バイオグラフィーとオリンピックでの成績(Sports Reference)
- 加藤澤男 - Olympic.org
- カトウ(平行棒の技)