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2020年7月19日 (日) 14:58時点における版
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2004年~
書いている途中で倒れられるとは思いもよらなかった。一日も早い快復を祈ります。tai_i 16:16 2004年3月4日 (UTC)
僕としても常に勝負どころでドラマを見せた長嶋らしさで快方に向かうことを祈りつつ、野球界だけでなく各種スポーツ界とのパイプをより強くしてもらえるように全力してほしいと思います。それとまだ長嶋さんは国民栄誉賞を獲得していないんですね。日本のスポーツ界の最大の貢献者には国民栄誉賞はもちろん、人間国宝に指定してもいいのではと思います。
- 毎日のように病状が発表されるのはやはり「日本プロ野球の象徴」だからでしょうか^-^; 二宮清純だったか、「長嶋はプロ・アマ統合の象徴だ」とコメントしていましたっけ。
- 国民栄誉賞ですか...うーん、どうでしょう(←長嶋風)。第1号の王貞治のように、卓越した記録が残っていればまた別なのでしょうが、代表チームが金メダルでも取らない限り、難しいかもしれませんね。しかし今の長嶋に「金を取れ」というのはちと酷なような気がします「うーん、銅でしょう」って(寒)。
- さらには「人間国宝」、ですかぁ。たしかに「国宝のような人」ではありますが、重要無形文化財保持者、と正式名称で言うとなると、これはまた話が違ってきますよね。なにが長嶋の保持する「重要無形文化財」なのか、と。やっぱ長嶋語ですかね?日本のプロ野球は長嶋が創ったと同じですからね。13年の受賞は当然でしょう。日本人の認識ではスポーツとは先進鍛錬の場ソレを商売とするプロ選手の地位はとてつもなく低かった。そんな中長嶋が神宮球場を埋め尽くした満員の観客と共に巨人に入団した日本のプロ野球の興業はここから始まった何て文があったぐらいです。
- 「長嶋語」という項目を立ててみましたが、けっこういい加減な記述になってしまいました。「定本 長嶋茂雄」の中で作家・清水義範が、「いわゆるひとつのトータル的な長嶋節」というタイトルで書いたことがあります(清水は憲法前文を長嶋語で書く、という力技を見せたこともありますね)。エンタテインメントとしては傑作だと思いますが、もちろん学問的ではありませんでした。言語学的に、というと仰々しくなりますが、「長嶋語」を分析的に記述できる方がどなたかいらっしゃらないかなぁ、と、ひそかに期待しています。Tai_i 12:13 2004年3月8日 (UTC)
新人の年、盗塁2位だったのに、太字になっていますよ?
オリンピック関係の長嶋の進退については私は批判的です。代理監督が絶対間に合わない時期まで進退の表明を延ばしたこと自体がおかしい。金メダルを逃したA級戦犯といってもいい。国民栄誉賞の資格も数字上はないと思います。長嶋がもらえるのなら野球だけでも金田正一・野村克也・張本勲、他のスポーツで大鵬に古橋広之進にいずれは朝青龍と、もっと実績上(人気は別。人気が絡むのならスマップにやればいい)ふさわしい人がいます。批判ばかりするのもなんなので私が見た長嶋語録。解説者時代1964年のシーズンに話が及んで「この年はあの有名な東京オリンピックがはじめて日本にやってきた年ですね」。でも、二回目を誘致するとか言ってるからこのネタが面白いのも今のうちかもしれない。—以上の署名の無いコメントは、210.141.166.21(会話/Whois)さんが 2006年1月14日 (土) 11:11 (UTC) に投稿したものです。書き忘れてましたが、2001年巨人の「終身名誉教授」に就任と書いてますが、終身名誉監督ですよね。--以上の署名のないコメントは、210.141.171.188(会話/Whois)さんが 2006年1月14日 (土) 16:08 (UTC) に投稿したものです。
人間国宝というより天然記念物ではないでしょうか?--222.150.22.212 2006年1月21日 (土) 01:20 (UTC)
なんで金メダルを逃したA級戦犯になるんでしょうかね。スポーツほど確実性がないものなどないのに。あなたの言い分だと長嶋なら金メダルが確実に取れるととれます。自分の勝手な発想は結構ですが、A級戦犯まであなたに言われる筋合いはありません。志半ばで倒れた人間にそういった言葉投げかけられるのが不思議ですね。
- 人に対して使う言葉ではありません。Atsu 2006年1月21日 (土) 04:12 (UTC)
×馬場が ジャイアンツに入団して初めてキャッチボールをした相手も長嶋である。
○長嶋が ジャイアンツに入団して初めてキャッチボールをした相手は馬場である。
勝敗の責任は監督に行くものです。プロで監督をやった経験のない人間が1ヶ月前に代理監督に決まって、しかも後任のヘッドコーチは来ない。これで勝てますか。そんな事態を招いたのは「ひょっとしたら出られるかも」とぎりぎりまで態度表明しなかった監督です。「さっさと態度決めなさい」と長嶋に言える著名人がいないのはわかりきってるんですから。なお、オリンピックの野球については「大リーグオールスターが出ないのなら日本オールスターは金銀で当然4位以下なら恥さらし、勝っても大したメリットはない、野球やサッカーなんかやるぐらいならもっと「オリンピック」という下駄を履かせないと見て貰えない面白い競技があるだろう」と考えています。だいたいそんなに出て欲しいなら冬にオリンピックやれ。それが嫌なら公式戦優先。--202.231.175.61 2007年6月24日 (日) 17:24 (UTC)
追記。米田哲也は選手として堀内恒夫よりよほど上です。そう見えない人は「巨人」という高下駄を履かせて見ているのです。長嶋も、野村克也や山本浩二との比較において相当高い「巨人」という下駄を履いているので、選手として評価するときには脱がせないといけません。まして百科事典なのですから。あと、馬場正平が巨人の選手だったのは1959年までです。1960年から大洋に移籍するもシーズン前に負傷して引退しプロレス入門、1960年9月30日実戦デビューしています。--202.231.137.239 2007年6月25日 (月) 12:03 (UTC)
長嶋が野村や山本と同じくらいの選手であるという意見はどうなんでしょうね。前人未到のV9を支えた選手としては成績以上にすごいことなんですよ。野球ファンに多いんですけど、野球に限らずスポーツ選手の成績は数字だけじゃないんですよ。チームの成績も伴わないといくら打ったて優勝したチームの中心選手よりは下なんです。--211.14.213.622007年7月2日 (月) 9:22 (UTC)
- 確かに集団競技としてチームへの貢献って面は評価項目の一つでしょう。しかしそれはせいぜい付け足しか決選投票にするのが公平なところじゃないでしょうか。堀内恒夫と平松政次、柴田勲と松原誠なら、その計算で堀内・柴田が上でいいでしょう。でも例えば野村が私らの目の前に出て来て「ワシの何が長嶋より下なんや」と聞いてきた場合、「顔が」とか「入ったチームが」とか「ポジションが」とか、とても面と向かっては言えないようなことしか長嶋が上になるポイントはないと思います。あ、「嫁が」てのがありましたか(笑)。あと監督時代の評価ですが、ナベツネの強引なやり方を諫めもせずに黙ってくっついて行ってた、部数減が怖くて解任されないのに甘えてコーチをトカゲのしっぽ切りにして監督で居続けた、主力選手の名前をろくに覚えなかったというのは、ONでもない限り相当に非難されることのはずではないでしょうか。--202.231.175.165 2007年7月10日 (火) 15:45 (UTC)
- 結局あなたは数字でしか野球を見れてないんですよ。長嶋がなぜ王の後を打っていたかというと、ここぞという場面で打っていたからですよ。野球はいくら打ったかではなく、どのような場面で打ったかなんですよ。それに活躍期間が長い選手=ピーク時の能力がすごいという訳じゃないでしょう。私なら野村に「ワシの何が長嶋より下なんや」と聞かれれば、来た球を打てない、3拍子そろってない、チームを日本一に導けなかったことといいます。最も、当の本人も「巨人軍論」で長嶋は来た球を打てる天才と称していますけどね。加えて、その血を吐くような練習量がチームに与える多大な影響力を考えて4番に据えられていたのです。野村がなぜヤクルト時代に広沢を4番に据えたのは、その真摯な練習態度からです。野球はチームスポーツです。チームが勝たなきゃ意味がないんでよ。だいたい何で堀内と平松を比べるんですか?比べるなら江夏でしょ。活躍期間は明らかに江夏の方が長いですけど、前世紀はほぼ互角だったと聞いています。218.223.187.1872007年7月14日 (土) 11:20
(UTC)
- 長嶋茂雄氏が選手として日本プロ野球に残した実績は偉大なものでしょう。数字のみにおいては上を行く選手も多くいますが長嶋の偉大さを語るのならば「野球選手としての部分+その独特の人間性、スター性」これらの要素をまとめてみているヒトが非常に多いと思います。確かに野球選手としてだけでなくあらゆるものを総合的に見たら長嶋が野村や赤ヘル山本より「上」の選手でしょう。しかし野球においてのみ純粋に考察すれば長嶋が上とははっきり言って言い切れません。そこで上に上げられた議論についてですが、
-長嶋も、野村克也や山本浩二との比較において相当高い「巨人」という下駄を履いているので、選手として評価するときには脱がせないといけません。
そのとおりだと思います。どうも巨人の選手というのは客観的な見方がされない傾向にあります。山本浩二については、長嶋に匹敵する打撃項目におけるタイトルの獲得や通算本塁打数、オールスターの通算最多本塁打数、また浩二コールや鳴り物の始まりなど色々な要素からみて実績は野球選手としては決して長嶋に劣るものではないです。上といっても過言ではありません。野村は、はっきり言ってしまえば長嶋より上です。野球選手として純粋に評価すれば、実績、勝負強さ、長嶋より選手としては上です。詳しくは書きませんがこんなのは当たり前のことだと思います。
-野球に限らずスポーツ選手の成績は数字だけじゃないんですよ。チームの成績も伴わないといくら打ったって優勝したチームの中心選手よりは下なんです。
ありえません。巨人のV9が達成されたのは長嶋、王を始めとした総合的なチーム力が単純に他のチームより勝っていただけの事です。打線においても、キャッチャーの森、ショートの黒江、柴田や高田ら脇役がきっちり働いたことや、エースのジョー、堀内に、押さえには8時半の男宮田ら磐石なチーム力で勝っていたということです。その中で最もスポットが当たって、もてはやされたのが長嶋に過ぎないということです。 長嶋が当時の南海や広島に入団しても絶対に優勝はさせられなかったと思います。 数字というのは、最も客観的に見れるものだと思います。だけとは言いませんがどう見ても80%は数字で決まると思います。チームの成績が伴わなければいくら打ったって優勝したチームの中心選手よりは下だなんて暴論です。先ほども言ったように、チームが勝つのはあくまで、総合力です。野村が三冠王を取ったって他の選手たちの働きがよくなければ絶対に南海はチームとしては勝てません。逆に2005年のロッテのように、突出した成績を残す選手がいなくても、投手力、守備力を総合して高い水準にあれば優勝できます。選手がだす数字というのがそもそもどのくらいチームに貢献しているのかというものをあらわすものですから、「チームの成績も伴わないといくら打ったって優勝したチームの中心選手よりは下」なんてことは絶対にありえません。一人の怪物によるワンマンで勝てるのはせいぜい高校野球までです。
-私なら野村に「ワシの何が長嶋より下なんや」と聞かれれば、来た球を打てない、3拍子そろってない、チームを日本一に導けなかったことといいます。
突っ込みどころが多すぎて困るのですが、まず、
"来た球を打てない"
野球というスポーツのルールを知っていますか?野球というのは来た球を打つスポーツではありません。一回の打席で投手が投げてくる球を"3つのストライクを取られてアウトになる前に打つ"ことができるスポーツです。よって長嶋のように天性のカンで打つものもいれば、山本や野村のように読みで打つものもいます。野村は来た球をうつのを自分にはできないとは言っていますが、自分のほうが劣っているとは一回も言ったことはありません。そして実際に野村のほうが打撃成績は上です。
"3拍子そろってない"
これについてはそのとおりだと思います。野村は足も速くなければ肩もさほど強くないです。守備においてはキャッチャーとして優れていると思いますが。長嶋もさほど守備は優れた選手ではないです。ジーターとかと同じで華があって目立つために過大評価される傾向にありますね。俊足であることは、認めざるをえない事実だと思います。
"チームを日本一に導けなかったこと"
さっきも言ったとおりです。
総合的にまとめると野球選手としてのみ純粋に考察すれば野村が長嶋より下ということはありえないし、山本浩二においても長嶋より下とはいいきれません。 巨人至上主義、長嶋絶対主義は偏見の塊だと思います。(それほど長嶋にスター性があるということですが) また、長嶋より野球において上の選手はNPBの歴史にはたくさんいると思います。--61.26.27.2272007年7月15日 (日) 16:29(UTC)
野球の数字なんて正直2の次ですよ。ロッテの選手を見ていればわかります。数字を残す選手が優秀なのではなく、自分の仕事を全うできる選手が一番すごいのです。歴史を見ても、もし自己中心的なバッティングをしていればもっと打率を残せた選手もいるかもしれません。それに、強いチームはどうしてもマークされる傾向があり、数字がマークの緩いチームの選手に劣るということもよくあります。帳尻合わせで3割に載せたりする選手もいるでしょう。清原は西武時代に40本以上打つことができませんでしたが、それでも3年連続日本一を2回達成しています。彼のホームランは5割強が1点差以内のゲームで出ています。5点差以上のゲームでの10本のホームランより、1点差ゲームでのホームラン1本の方が価値が大きいと思います。ちなみに、3冠3度の落合は5割もいってません。なんにせよ、ただ数字だけで強豪チームの選手を過大評価されているの一言だけでかたずけるのはおかしいと思う。ジーターもそう。3年連続でワールドシリーズを制したチームのキャプテンですよ。数字が優秀な選手選手が単純に野球選手として優れているのであれば、なぜ゙巨人は集めた選手が機能しないことが多かったのか?マークが厳しかったから?プレッシャーがあったから?何にせよ弱いチームでプレーしていた選手のすべてが強いチームで数字を残せるわけではないということも証明されています。だから2006年のロッテの選手は、自分たちの役割を全うしたということで突出していたのでは?-- 218.45.94.1112007年7月17日 (日) 10:41(UTC)
流れをぶった斬るノートを書き込んで申し訳ないのですが、略歴で自らの結婚や子供の誕生がないのに孫の誕生の記載があるのは妙です。
何度も言ってますがチームの勝敗が決まるのは総合力つまり究極的に言ってしまえば得点と失点のバランスです。選手が数字を残すことでそれが他のチームより勝っていれば勝つ、それだけのことです。数字なんて正直2の次?なかなか面白い意見ですね。だけどこのような見方にも野球の面白さはあると思うのでそれはそれでいいと思います。まあ真面目に本題に入ると、2005年のロッテは試合にでる選手が自分の仕事を全うした結果数字を残すことが多かったから勝ったのでしょう。自分の仕事を全うすればある程度の数字は残ります。単純にリーグトップのチーム打率.282、チーム打点713も2位のソフトバンクに100近く差をつけてダントツのリーグトップです。そして次に投手。チーム防御率は3.21で2位に0.2の大差を付けてトップ、もちろん失点の479もリーグトップです。要するにこの年のロッテは突出した成績を残すものはいなかったが、他球団に比べて安定して高い水準の数字を残した選手が多かった、結果としてチーム成績が突出した、つまり優勝したということです。誤解のないように言っておきますが、この年のロッテの選手は優秀でした。が、さらに選手一人一人を比較してしまえばさらに優れた選手は他球団にいるということです。こういう風に攻守のバランスがシーズン戦った結果安定してが取れてるチームが勝つんですよ。特にプロ野球の場合試合数が多いからなおさら数字の意味は増してきます。試行が多いほど確率、数字の信頼性というものは上がるってのは常識ですからね。数字が野球の100年をゆうに超える野球の歴史において残り続けているのは単純にチームの勝敗に最もかかわるものであることを如実に語っているからです。そして近代ではなお選手の指標をあらわす新しい数字が考案され続けています。ゾーンレイティングやOPSなどは結構有名ですね。そして、長嶋やジーターについても同じことです。巨人のV9やヤンキース黄金時代は彼らを筆頭としたチーム力が高かった、だから達成されたものです。長嶋やジーターが非常に人気実力の伴った優秀な選手であることは誰もが満場一致で認めることです。プロフェッショナルベースボールという文化においては最高といっても過言ではないでしょう。しかし、野球の競技能力というもののみを純粋に他の選手と比較した場合彼らより優秀な選手はたくさんいるということです。マークがどうとかいってましたが、チームの強さなんかが占める割合はないといってもいいでしょう。マークというものは、選手の実力でほとんど決まります。巨人に移籍したFA選手は働かないといわれますが、きちんと試合に出て規定打席に達した選手はやはりそれなりの成績を残してます。そうじゃないのは単純にロートル入ってるのがほとんどです。いい選手が入ってもそれでもチームが勝てないのは一番最初に言ったバランスが悪いから。巨人についても単純にバランスが悪かったといった感じの数値がおそらく出てると思います。清原の一点差ホームランがどうとかいってましたが、試行の少ない確率ほどあてになりません。優勝した当時はそうだったかもしれませんが、毎年のように決まって残せないということ、それすなわち何がその要素においてウェイトを占めているかといえば、運です。その場面でたまたま打てたに過ぎないんですよ。その年だけ、だとか少ない打席数とかだとね。勝負強さというのは近代野球においてそんな能力はない、といわれています。そんなものは本人の実力と関係なくそこで自分の打てる確率が回ってくるか、という運の部分が大きいからです。大舞台に必ず打つ、とか毎年特点圏打率.100とか極端な例を除いてそうだといわれています。まぁ私個人としては人間のやるスポーツですから少なからず勝負強さの差は出るとは思います。それにしても落合と清原を比べて投票やるなんて言い出す阿呆はいないと思いますが。結論をまとめてしまえば、優勝チームの選手はもちろん優秀である。なぜならチームが勝つにはチームとしてバランスの取れた数字を残さなく手はならないからである。しかし、選手個人個人で見た場合においては、必ずしも優勝チームの主力より優れた選手はいないとはいいきれない、つまりどっかしらにいるということです。2007年7月17日 (火) 15:31 61.26.27.227
-勝負強さというのは近代野球においてそんな能力はない、といわれていま
これはあなたの個人の意見じゃないですか?スポーツは人間がやるものです。状況によって精神状態も変わってきます。チャンスでよく打った選手をただ運が良かっただけのひとつで片づけるのはのはあまりにもひどいんじゃないですか?ゾーンレイティングやOPSが提案されているように、得点圏打率も、近年当たり前の数字になってきてますけど?
-巨人に移籍したFA選手は働かないといわれますが、きちんと試合に出て規定打席に達した選手はやはりそれなりの成績を残してます
本当ですか?広沢や清原は前チームと比較した時にかなり劣る数字になってますけど?
-野球の競技能力というもののみを純粋に他の選手と比較した場合彼らより優秀な選手はたくさんいるということです。
だからなんで優秀と決めつけられるのでしょうか?野球は個人技じゃないんですよ。強いチームと弱いチームだと対戦する投手の質や、投手に対するマークの厳しさも変わってきます。チームバランスを保つには、選手の個人の役割分担とそれを全うできる能力が必要です。打って走って守るだけが野球の競技能力ですか?ノムさんのささやき戦術は競技能力じゃないんですか?ノムさんが仁志や清水に、もう少し相手の投手のクセやパターンを教えて打たせればもう少し打率が残せるともいっています。つまりチームによって情報量の差もあるということですよね。何にせよ、チームにも差はあるわけだし、様々な要素がある中で、優秀な選手どうしを比べる時に、数字だけで比べるのは不公平です。2007年7月18日 (水)218.45.94.111
-広沢や清原は前チームと比較した時にかなり劣る数字になってますけど?
劣っているものがあるならば単純に怪我や年齢からくるものでしょう。あとは、決して他球団のように「選手を鍛えて地力のあるチーム」を作ろうとせず、目先の勝利にとらわれて金にものを言わせた無駄ともいえる同ポジションの補強ならぬ補充(清原、広沢、落合、石井、ペタジーニ、あと江藤、小久保などなど)ばっかするチームでモチベーションに影響したか、くらいなものでしょう。それにしてもきちんと見てください。広沢や清原を始めとして規定打席に達した年やほとんどそうだった年は別になんら不思議じゃない成績を残してますね。試合数や打席数の少ないもののことを言ってるなら次のとこを読んで下さい。
-ゾーンレイティングやOPSが提案されているように、得点圏打率も、近年当たり前の数字になってきてますけど?
これらを一緒にしてる時点でセイバーメトリクスというものを分かってません。近年当たり前??まさか日本のスポーツ新聞だけ見てそんなこといってませんよね?メジャーリーグの選手の「得点圏打率」なんてどこにも見つけられやしませんよ??理由はカンタン、大して重要じゃないから。そもそもセイバーメトリクスというものは野球を統計学(いわゆる確率論)に基づいて客観的に分析したものです。ゾーンレイティングやOPSと得点圏打率はまったく次元の違う数値です。まず、得点圏打率についてはあなたも知っていると思います。二塁以降を得点圏として二塁三塁のいずれか、または両方にランナーがいる、その時の打率のことですね。これは単なる確率であって応用が利きません(詳しくは後述します)。対して、ゾーンレイティングやOPSはセイバーメトリクスによって考案されたまったく新しい指標です。セイバーメトリクスを用いて考案される数字の特徴は単純明快です。試合の勝敗に最も関わる、他の要素に左右されない選手個人の能力を表すものです。そしてこれは必然的に信頼性のあるものになってきます。要するに確率に基づいている以上、数字のばらつきが少ないものでなくてはなりません。「1打席1打数1安打で打率1.000」の首位打者はいませんよね。規定打席というのがある理由がこれです。ここでさっきの得点圏打率の話に戻ります。例を挙げながら説明すると、たとえばイチローの場合。彼の得点圏打率は首位打者になった2001年と2004年はともにシーズンの打率.351と.372にたいして、.442と.372とともにリーグトップの数値でした。それが、2005年と2006年はシーズン打率の.303と.322に対して.298と.228といったように同じ選手とは思えないほど数字がばらついています。そして、はたまた今季は.393(7月現在)とシーズン打率の.350前後と比較しても高い数値が出ています。これだけ激しくばらついてしまっては、同じ選手の能力、つまり「勝負強さ」を表す指標としては信頼性に欠けます。得点圏打率が信頼性を欠く数字であることにはわけがあります。ひとつは、試行(打数)が少ないことです。規定打席の話と同じです。打数が少ないことによって事象(安打)の値のちょっとした変化で数字(得点圏打率)にばらつきがでます。 そして、イチローの試行が少ない理由は色々考えられます。監督が彼を1番打者として起用していること、そして他の選手の成績などによっても彼に得点圏で打席が回ってくる回数は変わりますね。そして、この要素はイチロー本人の力ではどうしようもないということです。彼がオーダーを組んだりはしませんよね。このように選手個人の力よりもむしろ他の要素の変化によって数値に大きなばらつきが出るものは信頼性にかけるためセイバーメトリクスにおいては重要視されません。対して、OPSやゾーンレイティングはセイバーメトリクスの視点から、つまり何度も言いますが試合の勝敗に最も関わる、他の要素に左右されない選手個人の能力 として指標を作ります。そして、それは今まで説明したように数字のばらつきが少なく、信頼性のあるものにならざるをえません。そしてさらに勘違いしないでほしいのは、
-勝負強さというのは近代野球においてそんな能力はない、といわれています。
これは上記のセイバーメトリクスによる分析の結果出た結論から それにおいての主流な意見であって、私の意見じゃあありません。 私の意見はこっちです。
-まぁ私個人としては人間のやるスポーツですから少なからず勝負強さの差は出るとは思います。
ちゃんと文章読んでください。
-だからなんで優秀と決めつけられるのでしょうか?
だから私は決め付けてませんよ。
-優勝チームの選手はもちろん優秀である。なぜならチームが勝つにはチームとしてバランスの取れた数字を残さなく手はならないからである。しかし、選手個人個人で見た場合においては、必ずしも優勝チームの主力より優れた選手はいないとはいいきれない、つまりどっかしらにいるということです
こう言ってるじゃないですか。
-チームの成績も伴わないといくら打ったて優勝したチームの中心選手よりは下なんです
決め付けてるのはそっちですよ。こんなこと言っちゃって。
-野球は個人技じゃないんですよ。
はっきりいいますが、野球の本質がもしそうだった場合、レッドソックスの4番バッターが年俸24億もお金はもらえないですよ。スプリングトレーニングはクラシックカーのオークションに出たいがために無断でサボるわ、味方の中継プレーの邪魔をして2ベースをランニングホームランににしちゃうわ、観客と一緒になってウェーブして打球は追わないわ、シーズン中に天敵のピンストライプを着たいなんて言い出すわ、チームプレーどころじゃないですよねこのスラッガーは。だけどお金をもらってるんですよ。なんでお金をもらえるかって??まずチームワークを考えるより個人技を高めるほうが野球に限らずどんなスポーツでも大事だからに決まってるでしょう。そうじゃないとチームワークなんて生まれるわけないよ。仲良し草野球とか学校の野球愛好会はどうか知りませんが。チームワークチームワークなんて言ってられるのはマンガの世界だけ。
-強いチームと弱いチームだと対戦する投手の質や、投手に対するマークの厳しさも変わってきます。 チームバランスを保つには、選手の個人の役割分担とそれを全うできる能力が必要です。 打って走って守るだけが野球の競技能力ですか?ノムさんのささやき戦術は競技能力じゃないんですか? ノムさんが仁志や清水に、もう少し相手の投手のクセやパターンを教えて打たせればもう少し打率が残せるともいっています。 つまりチームによって情報量の差もあるということですよね。 何にせよ、チームにも差はあるわけだし、様々な要素がある中で、優秀な選手どうしを比べる時に、数字だけで比べるのは不公平です。
そういうもの全てひっくるめた人間同士の勝負の中で出たものが数字でしょう。そんな細かいことまで言い出してたらキリがないですよ。だったら契約更改で「俺はあのチームの指導者の方が合っているからうちのチームの監督の下じゃいい結果は出せない。俺の本来の力はこんなもんじゃない・・・」なんてことがまかり通るじゃないですか。甘いですよ。いい選手はいい選手、そんなのはどのチームにいったって評価はきちっと定まりますよ。成績変動要素なんて挙げようと思えばキリがない、決着がつかないから客観的な数字が重要なんでしょう。それともうひとつ言っておきますが、人間というのは100%物事を客観的に見るのは不可能です。よって、セイバーメトリクスによってはじき出された結果は事実ではあるものの、野球が人間のやるスポーツである以上それがしめるウェイトは必ずしも100%ではないということです。最初もいったはずです。100%とはいわないが80%ほどだと。それでもなぜ80かというと、数字は最も物事を客観的に語るからです。本来なら事実である数字を100%と言わざるをえないものが、なぜ80にまで減るのか、それは、あなたも言っているとおり人間がやってるからですよ。ノムさんのささやき戦術に、長嶋の超自然的な野球カン、松井の東京ドーム最終戦50号を打った時の実況のセリフ「不可能を可能に変える男松井秀喜」なんてまさにそう。「なんの立証もない、数字じゃ表せない、だけど・・・」そういうものが100を100としない所以でしょう。だからこそ私だってあなただってたかがこんなネット上の会話(?)に過ぎず顔も見えないのにこんなに熱く時間を使って語っている、それほどに野球に魅了されているでしょう?「人間」、つまり主観そのものともいえるものが残す「数字」が最も客観的なものだというのも面白い話ですが。そして、客観的で事実を語る数字だからこそ信頼性が重視される、その結果生まれたのがセイバーメトリクスだと。そういうことだと思います。(ほら主観入っちゃったでしょ??笑) 2007年7月19日 (木)20:32 61.26.27.227
関連項目の整理
長嶋茂雄の関連項目の節ですが、関連性の明確でないものを削除し、整理を行いました。削除した関連項目はこの文章の下に転記してあります。以下のうち、強い関連性を示せるものはイチロー#関連項目のように説明を横につけて本文に復帰させてください。この編集はWikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト 野球選手#関連項目について(2)での議論にもとづいて行われていますので、そちらも参照してください。
--チェアドア 2007年9月4日 (火) 09:54 (UTC)
エピソードについて
「大学入学試験時の英和辞典」エピソードについてですが、「シコふんじゃった」でも触れているのは、『和英辞典』だと思います。日本語から引けるその辞典を見て長嶋さんは「こんなに便利な本が有るのか」と感激した、とのエピソードが広く知られていると思います。。--利用者:210.194.128.177 2008年8月28日 (木) 05:04 (UTC)
-監督として、若手の育成は決してうまいとは言えず、野村克也著「巨人軍論」の中で「長嶋は監督としては失格。若手を育てられない」と書かれている。
この記述についてですが、これはあくまで野村克也による評価であり、それだけを以って若手の育成が旨くないとするのは不公正かと思い、修正しました。実際、第一次政権では、湿性肋膜炎でプロの評価がガタ落ちだった篠塚和典を始め、脱臼癖があってプロ入りを諦めていた松本匡史らをタイトルホルダーにまで育てています。他にも、中畑清、西本聖、角光男、新浦寿夫、山倉和博らも長嶋時代に育った選手たちです。--Passion2004 2008年2月10日 (日) 17:04 (UTC)
現役時代の逸話がマンガになっているものがかなりあったと思います。金田投手との対決を読んだ記憶があります。どなたか出典付きで書ける方よろしく。--125.53.203.103 2011年12月2日 (金) 07:30 (UTC)
久々に見たら
いろいろコメントアウトされててむなしくなった。--神頼みより安上がり(会話) 2013年5月23日 (木) 09:42 (UTC) 川上との確執が残ってて大沢啓二との確執が消えてるってコメントアウトした人の基準がさっぱりわからない。--神頼みより安上がり(会話) 2013年5月23日 (木) 09:44 (UTC)
記事名
現役時代と監督時代の半分は「長島」表記であり、現在は本名や国民栄誉賞の表記も「長島」なのだから、記事名は「長島英雄」とすべきではないでしょうか?メディアでは2度目の監督就任以降の表記が定着してますが、百科事典では歴史的観点で妥当な表記であるべきと思います。参考 http://members.jcom.home.ne.jp/darakyu/nagashimaka.htm--220.8.222.14 2013年5月28日 (火) 11:21 (UTC)
長嶋さんのバット
ルイビルスラッガー(ルイスビル)以外に、国産なども使用なさっていたのでしょうか。ご存知の方いらっしゃいましたら加筆のほど宜しくお願いいたします。--Benzoyl(会話) 2014年7月2日 (水) 12:17 (UTC)
冒頭の記述について
現在は修正されています以下のテキストに関して、「(主観に基づかない)出典の明示」「冒頭の記述として適切であるという判断の明示」に関する意見をお願いします。--砂手紙(会話) 2019年4月10日 (水) 12:47 (UTC)
「無類の勝負強さと闘志溢れるプレイで長きにわたり巨人の4番打者として活躍し多くの国民を熱狂させた、昭和を代表するプロ野球選手の一人。「ON砲」として並び称された王貞治とともに巨人のV9に貢献した。」
- 引き続き「無類の勝負強さと闘志溢れるプレイ」云々という冒頭の記述が追記されており、ノート欄での意見が特になかったので、引き続き削除しました。--砂手紙(会話) 2020年2月1日 (土) 13:39 (UTC)