柳沢裕一
信濃グランセローズ 監督 #88 | |
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楽天コーチ時代 (2016年3月4日、さいたま市営浦和球場にて) | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 長野県松本市 |
生年月日 | 1971年8月2日(53歳) |
身長 体重 |
180 cm 75 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 捕手 |
プロ入り | 1993年 ドラフト2位(逆指名) |
初出場 | 1995年4月14日 |
最終出場 | 2005年8月20日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
選手歴 | |
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監督・コーチ歴 | |
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この表について
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柳沢 裕一(やなぎさわ ゆういち、1971年8月2日 - )は、長野県松本市出身の元プロ野球選手(捕手、右投右打)・コーチ。現在はベースボール・チャレンジ・リーグの信濃グランセローズで監督を務める。
来歴
[編集]プロ入り前
[編集]松商学園高等学校では1989年春季北信越大会決勝に進出するが星稜高等学校に敗れる。同年夏は県予選で敗退し甲子園には出場できなかった。
卒業後は明治大学に進学。東京六大学野球リーグでは佐々木善丈(三菱自動車川崎)とバッテリーを組み、1992年春季リーグで優勝。同年の日米大学野球選手権大会日本代表に選出される。リーグ通算55試合出場、198打数60安打、打率.303、7本塁打、30打点。ベストナイン3回。同期に鳥越裕介がいる。
強肩で鳴らし、3年春のリーグ戦で1試合3本塁打を記録した実績も買われて、1993年のドラフト2位で読売ジャイアンツに入団。
プロ入り後
[編集]即戦力捕手として期待され、1997年には村田真一らと定位置を争い、41試合に先発マスクを被る。しかし打撃が伸び悩んだことや、家庭のトラブルもあり、1999年シーズン中に伊藤隆偉との交換トレードでオリックス・ブルーウェーブへ移籍。2001年には巨人時代のチームメイトだった吉原孝介[1]との交換トレードで中日ドラゴンズへ移籍した。
年間で最もヒットを打ったシーズンは1997年の26本であるが、打点は0であった。通算打点0のまま巨人を去り(この時点での通算安打数は28)、オリックスでは打点どころかヒットも1本も打てずに中日に移籍した。その後、中日で2番手捕手の座を固めていくうちに、プロ入り初本塁打・初打点も記録した。
中日へ移籍してから最初の2年間は出場機会は少なかった。その一方で、投手の調子を見抜く能力を高く評価され、オリックスや中日ではブルペンを固める裏方として、2002年までは半ばコーチのような存在であった。
2003年は野口茂樹が先発する際に先発マスクを被る機会が多く、中日時代では最多の45試合に出場した。また、平松一宏ともバッテリーを組んだ際にはテレビ中継などで実況から「元巨人バッテリー」と紹介された。
2004年は、2番手捕手として谷繁元信の故障時の穴を埋め、「スーパーサブ」として高い評価を受けた。対巨人戦でタイムリーを放ち、ヒーローインタビューで「僕はジャイアンツを出された人間ですから…何とか今日まで活躍できたことが…すごいうれしかったです。」と涙を浮かべながら言った[2]。また、7月28日の阪神戦では、現役生活で唯一の本塁打も放った。
2005年オフの契約更改で「もうスーパーサブではない」と言われ大減俸を受ける[3]。さらに追い打ちをかけるように、野口茂樹が巨人にFA移籍した代わりに補償によって獲得した小田幸平が2番手捕手争いに参戦したことにより、2006年シーズンは一軍での出場機会が0試合となる。シーズン終了後、戦力外通告を受け退団。
2007年2月、福岡ソフトバンクホークスの春季キャンプにテスト生として参加したが、不合格に終わった。
引退後
[編集]イチローのマネージメント会社に入ってサポート役をする傍ら[4][5]、元中日捕手の新宅洋志が主宰する「ドラゴンズOB少年野球教室」の講師や「楽天イーグルス ベースボール・スクール」の指導者を務めた。
2015年10月13日に2016年から東北楽天ゴールデンイーグルス二軍バッテリーコーチに就任することが発表された[6]。
2018年10月5日に来季の契約をしないことを通知された[7]。11月6日、ベースボール・チャレンジ・リーグの信濃グランセローズ監督に就任することが発表された[8]。
信濃では就任初年度となる2019年に前期と後期を連覇した(チームとして前後期連覇は初)[9]。しかし、リーグチャンピオンシップでは栃木ゴールデンブレーブスに敗れた[10]。2022年にチームとして5年ぶりとなるリーグ総合優勝を達成[11]。チーム初の「独立リーグ日本一」を賭けたグランドチャンピオンシップは決勝に進出したが、九州アジアリーグの火の国サラマンダーズに敗退した[12]。
人物
[編集]温厚な人柄であり、オリックスではイチローと仲が良く、自主トレーニングのパートナーだった[13]。イチローがメジャー移籍を果たした後も、時々自主トレを一緒に行い、イチローが心を許せる数少ないプロ野球関係者である。
詳細情報
[編集]年度別打撃成績
[編集]年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
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1995 | 巨人 | 4 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | .000 | .000 | .000 | .000 |
1997 | 57 | 135 | 121 | 3 | 26 | 1 | 0 | 0 | 27 | 0 | 0 | 1 | 5 | 0 | 9 | 4 | 0 | 18 | 4 | .215 | .269 | .223 | .492 | |
1998 | 8 | 12 | 11 | 2 | 2 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 4 | 0 | .182 | .250 | .182 | .432 | |
1999 | 1 | 2 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | .000 | .000 | .000 | .000 | |
オリックス | 4 | 2 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | .000 | .000 | .000 | .000 | |
'99計 | 5 | 4 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | .000 | .000 | .000 | .000 | |
2000 | 9 | 3 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | .000 | .000 | .000 | .000 | |
2001 | 中日 | 18 | 23 | 19 | 0 | 5 | 1 | 0 | 0 | 6 | 3 | 0 | 0 | 2 | 0 | 1 | 0 | 1 | 4 | 1 | .263 | .333 | .316 | .649 |
2002 | 6 | 5 | 5 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | .000 | .000 | .000 | .000 | |
2003 | 45 | 87 | 77 | 7 | 17 | 1 | 0 | 0 | 18 | 4 | 1 | 1 | 4 | 0 | 3 | 1 | 3 | 22 | 1 | .221 | .277 | .234 | .511 | |
2004 | 38 | 72 | 62 | 7 | 15 | 3 | 0 | 1 | 21 | 10 | 1 | 0 | 2 | 0 | 6 | 0 | 2 | 24 | 2 | .242 | .329 | .339 | .667 | |
2005 | 14 | 18 | 18 | 2 | 2 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 8 | 0 | .111 | .111 | .111 | .222 | |
通算:10年 | 204 | 360 | 320 | 21 | 67 | 6 | 0 | 1 | 76 | 17 | 3 | 2 | 14 | 0 | 19 | 5 | 7 | 86 | 8 | .209 | .269 | .238 | .507 |
年度別守備成績
[編集]この節の加筆が望まれています。 |
年 度 |
球 団 |
捕手 | ||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
試 合 |
刺 殺 |
補 殺 |
失 策 |
併 殺 |
守 備 率 |
捕 逸 |
企 図 数 |
許 盗 塁 |
盗 塁 刺 |
阻 止 率 | ||
1995 | 巨人 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | - | |||||
1997 | 53 | 2 | 38 | 21 | 17 | .447 | ||||||
1998 | 8 | 0 | 2 | 1 | 1 | .500 | ||||||
1999 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | .--- | ||||||
オリックス | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | .--- | ||||||
'99計 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | .--- | ||||||
2000 | 7 | 0 | 4 | 4 | 0 | .000 | ||||||
2001 | 中日 | 16 | 3 | 6 | 3 | 3 | .500 | |||||
2002 | 5 | 0 | 3 | 3 | 0 | .000 | ||||||
2003 | 43 | 3 | 22 | 20 | 2 | .091 | ||||||
2004 | 35 | 0 | 11 | 7 | 4 | .364 | ||||||
2005 | 14 | 58 | 8 | 0 | 0 | 1.000 | 1 | 4 | 3 | 1 | .250 | |
通算 | 187 | 8 | 90 | 62 | 28 | .311 |
記録
[編集]- 初出場:1995年4月14日、対阪神タイガース1回戦(東京ドーム)、8回表に捕手として出場
- 初安打:1997年4月29日、対阪神タイガース4回戦(東京ドーム)、9回裏に三澤興一の代打で出場、田村勤から中前安打
- 初先発出場:1997年5月5日、対横浜ベイスターズ5回戦(横浜スタジアム)、8番・捕手として先発出場
- 初盗塁:1998年9月29日、対阪神タイガース27回戦(阪神甲子園球場)、5回表に二盗(投手:ダレル・メイ、捕手:矢野輝弘)
- 初打点:2001年6月30日、対横浜ベイスターズ15回戦(横浜スタジアム)、8回表に斎藤隆から左中間へ適時二塁打
- 初本塁打:2004年7月28日、対阪神タイガース19回戦(阪神甲子園球場)、9回表にロドニー・マイヤーズから左越ソロ
背番号
[編集]- 23 (1994年 - 1999年途中)
- 32 (1999年途中 - 2000年)
- 00 (2001年 - 2003年、2006年)
- 22 (2004年 - 2005年)
- 81 (2016年 - 2018年)
- 88 (2019年 - )
脚注
[編集]- ^ なお、両者とも1999年シーズン途中で巨人を放出されている。
- ^ “英智節”、“ODA劇場”へタイムトラベル サンドラ的竜戦士ヒーローインタビュー傑作集
- ^ 中日・柳沢にオレ流非情査定…「もうスーパーサブじゃない」
- ^ 【High-STYLE 2007年9月号 特別対談
- ^ 株式会社バウ企画
- ^ 新任コーチに関して 楽天公式サイト2015年10月13日配信
- ^ 来季のコーチ契約に関して 東北楽天ゴールデンイーグルス公式サイト(2018年10月5日配信)2018年10月5日閲覧。
- ^ 柳沢裕一監督就任のお知らせ - 信濃グランセローズ(リーグウェブサイト、2018年11月6日)
- ^ “BC信濃が初の前後期制覇 西地区 後期2年ぶりV”. 信濃毎日新聞. (2019年9月1日) 2019年9月1日閲覧。
- ^ 2019SEASON CHAMPIONSHIP SERIES - ベースボール・チャレンジ・リーグ(2022年10月1日閲覧)
- ^ 信濃グランセローズ ルートインBCリーグ優勝決定のお知らせ - ベースボール・チャレンジ・リーグ(2022年9月23日)2022年10月1日閲覧。
- ^ “信濃グランセローズ 独立リーグ日本一ならず”. 信濃毎日新聞. (2022年10月1日) 2022年10月1日閲覧。
- ^ “イチロー投手本気!147キロにフォークも - MLBニュース”. nikkansports.com. 2022年1月18日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 個人年度別成績 柳沢裕一 - NPB.jp 日本野球機構
- 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)