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== 人物 ==
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* 甥弟子<ref>[[村山聖]]の師匠は、滝の弟弟子である[[森信雄]]。</ref>にあたる[[村山聖]]が順位戦A級に昇進し東京で一人暮らしをしていた時期(1995年頃)には村山の面倒をよく見ていたという。[[囲碁将棋チャンネル]]・村山聖没後10年特別番組「まっすぐに生きて」によると、村山に洒落っ気が著しく欠如していることに業を煮やし、派手なデザインの[[アロハシャツ]]を無理やり購入させたことがあるという。
* 甥弟子<ref>[[村山聖]]の師匠は、滝の弟弟子である[[森信雄]]。</ref>にあたる[[村山聖]]が順位戦A級に昇進し東京で一人暮らしをしていた時期(1995年頃)には村山の面倒をよく見ていたという。[[囲碁将棋チャンネル]]・村山聖没後10年特別番組「まっすぐに生きて」によると、村山に洒落っ気が著しく欠如していることに業を煮やし、派手なデザインの[[アロハシャツ]]を無理やり購入させたことがあるという。
*東京12チャンネル~[[テレビ東京]]で長く放送された『[[テレビ将棋対局]]』の放送第一回目の対局者である(対局相手は[[森けい二|森雞二]]六段=当時)<ref>{{Cite web|url=https://shogipenclublog.com/blog/2017/11/15/morigoda/|title=「森雞二九段のプロ棋士五十周年を祝う会」に参加する|accessdate=2020-06-06|publisher=将棋ペンクラブログ}}</ref>。
*東京12チャンネル~[[テレビ東京]]で長く放送された『[[テレビ将棋対局]]』の放送第一回目の対局者である(対局相手は[[森雞二]]六段=当時)<ref>{{Cite web|url=https://shogipenclublog.com/blog/2017/11/15/morigoda/|title=「森雞二九段のプロ棋士五十周年を祝う会」に参加する|accessdate=2020-06-06|publisher=将棋ペンクラブログ}}</ref>。
*[[日本将棋連盟]]専務理事を務めていた2002年1月の第28期[[女流名人位戦]]第二局において不適切な発言をした<ref>対局中ではなく、対局後の出来事とされている。</ref>とのことで、厳重注意及び減俸2割一ヶ月の処分を受けた。<ref>同時期に理事を務めていた[[大野八一雄]]はなぜかこの煽りを受け、関係者へ謝罪した上に、理事職を辞任する破目になった。</ref>
*[[日本将棋連盟]]専務理事を務めていた2002年1月の第28期[[女流名人位戦]]第二局において不適切な発言をした<ref>対局中ではなく、対局後の出来事とされている。</ref>とのことで、厳重注意及び減俸2割一ヶ月の処分を受けた。<ref>同時期に理事を務めていた[[大野八一雄]]はなぜかこの煽りを受け、関係者へ謝罪した上に、理事職を辞任する破目になった。</ref>
* 2008年6月2日の[[棋聖戦 (将棋)|棋聖戦]]一次予選2回戦・[[中田功]]との対局における昼食休憩の際、同じ日に[[棋王戦 (将棋)|棋王戦]]本戦1回戦で[[北浜健介]]を相手に対局していた[[中川大輔 (棋士)|中川大輔]]が昼食に注文した五目焼きそばの'''大盛り'''を、自身が注文した五目焼きそばの'''並盛り'''と間違えて食べてしまうハプニングを起こした。<ref>滝のうっかりの"被害者"となった中川は、「よくあることですよ。」と寛大に対処し、昼食休憩から約2時間後に[[菓子パン]]で空腹を補ったという。</ref>
* 2008年6月2日の[[棋聖戦 (将棋)|棋聖戦]]一次予選2回戦・[[中田功]]との対局における昼食休憩の際、同じ日に[[棋王戦 (将棋)|棋王戦]]本戦1回戦で[[北浜健介]]を相手に対局していた[[中川大輔 (棋士)|中川大輔]]が昼食に注文した五目焼きそばの'''大盛り'''を、自身が注文した五目焼きそばの'''並盛り'''と間違えて食べてしまうハプニングを起こした。<ref>滝のうっかりの"被害者"となった中川は、「よくあることですよ。」と寛大に対処し、昼食休憩から約2時間後に[[菓子パン]]で空腹を補ったという。</ref>

2020年7月16日 (木) 23:08時点における版

 滝 誠一郎 八段
名前 滝 誠一郎
生年月日 (1948-12-03) 1948年12月3日(75歳)
プロ入り年月日 1968年10月1日(19歳)
棋士番号 101
出身地 大阪府大阪市
師匠 南口繁一九段
段位 八段
棋士DB 滝 誠一郎
戦績
通算成績 486勝643敗(0.4305)
2016年10月23日現在
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滝 誠一郎(たき せいいちろう、1948年12月3日 - )は、将棋棋士、八段。棋士番号101。大阪府大阪市出身。南口繁一門下。

人物

  • 甥弟子[1]にあたる村山聖が順位戦A級に昇進し東京で一人暮らしをしていた時期(1995年頃)には村山の面倒をよく見ていたという。囲碁将棋チャンネル・村山聖没後10年特別番組「まっすぐに生きて」によると、村山に洒落っ気が著しく欠如していることに業を煮やし、派手なデザインのアロハシャツを無理やり購入させたことがあるという。
  • 東京12チャンネル~テレビ東京で長く放送された『テレビ将棋対局』の放送第一回目の対局者である(対局相手は森雞二六段=当時)[2]
  • 日本将棋連盟専務理事を務めていた2002年1月の第28期女流名人位戦第二局において不適切な発言をした[3]とのことで、厳重注意及び減俸2割一ヶ月の処分を受けた。[4]
  • 2008年6月2日の棋聖戦一次予選2回戦・中田功との対局における昼食休憩の際、同じ日に棋王戦本戦1回戦で北浜健介を相手に対局していた中川大輔が昼食に注文した五目焼きそばの大盛りを、自身が注文した五目焼きそばの並盛りと間違えて食べてしまうハプニングを起こした。[5]
  • 弟子に阿久津主税女流棋士高群佐知子がいる。
  • 口癖は「元気はあっても現金がないです」
  • 1980年代に長く新進棋士奨励会幹事を務めており、当時は奨励会員の兄貴分として将棋からプライベートまで幅広く面倒を見ていた。特に先崎学とは共に麻雀をすることが多かった模様(先崎のエッセイに何度となく登場する)。2013年の引退時に仲間内で開かれた慰労会には、幹事時代に奨励会員だった羽生善治佐藤康光森内俊之郷田真隆らが顔を揃え[6]、その豪華メンバーぶりが話題となった[7]

棋歴

  • 若手時代から中堅時代に亘り、主に順位戦において活躍した。C級2組在位4期目で迎えた第27期(1972年度)では、8勝2敗の成績(17人中1位)でC級1組に昇級、C級1組在位14期目で迎えた第46期(1987年度)では、9勝1敗の成績(24人中1位)でB級2組に昇級、以後8期に亘りB級2組に在位した。
  • 小学5年生でアマ四段だった羽生善治を二枚落ちで破ったことがある[8]。それから間もなく羽生は奨励会に入会したが、その時の奨励会の幹事も滝であった。
  • 第56期(1997年度)のC級1組順位戦で2個目の降級点を喫したのを最後にフリークラスに転出。65歳の定年を迎える2013年度の最終対局日(2014年3月31日時点で勝ち残っている対局を全て消化した日)まで現役棋士を続ける権利があったものの、滝本人が1年早く引退する意思を示したことが、日本将棋連盟の公式サイトにおいて公表された[9]。2013年8月16日、出場権を残していた第26期竜王戦昇級者決定戦3回戦・阿部光瑠戦で敗れ引退となった[10]

昇段履歴

昇段規定は、将棋の段級 を参照。

  • 1963年 6級 = 奨励会入会
  • 1965年 初段
  • 1968年10月1日 四段 = プロ入り(東西決戦優勝)
  • 1973年4月1日 五段(順位戦規定:C級1組昇級)
  • 1981年11月17日 六段(贈六段:将棋の日表彰)
  • 1991年11月22日 七段(勝数規定)
  • 2013年4月1日 八段(フリークラス規定)[11]
  • 2013年8月16日 引退

主な成績

通算1129戦 486勝643敗(0.430)

  • 順位戦 最高位B級2組
  • 竜王戦 最高位4組

棋戦本戦出場

将棋大賞

  • 第41回(2013年度) 東京将棋記者会賞[13]

表彰

  • 1993年 現役勤続25年
  • 2008年 現役勤続40年

脚注

  1. ^ 村山聖の師匠は、滝の弟弟子である森信雄
  2. ^ 「森雞二九段のプロ棋士五十周年を祝う会」に参加する”. 将棋ペンクラブログ. 2020年6月6日閲覧。
  3. ^ 対局中ではなく、対局後の出来事とされている。
  4. ^ 同時期に理事を務めていた大野八一雄はなぜかこの煽りを受け、関係者へ謝罪した上に、理事職を辞任する破目になった。
  5. ^ 滝のうっかりの"被害者"となった中川は、「よくあることですよ。」と寛大に対処し、昼食休憩から約2時間後に菓子パンで空腹を補ったという。
  6. ^ 兄弟子の引退慰労会 7.14 - 森信雄の日々あれこれ日記・2013年7月14日
  7. ^ 滝八段引退慰労会のメンバーが豪華すぎる - 2ch名人・2013年7月18日
  8. ^ 本来、アマ四段ならプロ相手にも飛車落ちが適正なハンデである。
  9. ^ 引退棋士のお知らせ|将棋ニュース|日本将棋連盟”. 日本将棋連盟. 2017年8月25日閲覧。
  10. ^ 滝誠一郎八段が引退|将棋ニュース|日本将棋連盟”. 日本将棋連盟. 2017年8月25日閲覧。
  11. ^ 2013年4月1日付昇級・昇段者|将棋ニュース|日本将棋連盟”. 日本将棋連盟. 2017年8月25日閲覧。
  12. ^ 当時(1976年度)の王座戦は一般棋戦であった。
  13. ^ 第41回将棋大賞が決まる!|将棋ニュース|日本将棋連盟”. 日本将棋連盟. 2017年8月25日閲覧。

関連項目

外部リンク