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[[鹿児島]]生まれ。伯爵・[[川村純義]]の長男。東上し[[慶應義塾幼稚舎]]に学ぶ。[[横浜]]に赴き[[英語]]を研究。1886年(明治19年)、[[イギリス]]に赴き[[ケンブリッジ]]のリース学校に学び、[[ロンドン]]の理化学院に学ぶ。1897年(明治30年)[[日本勧業銀行]]に入り勘定役となる。のちに辞して皇孫(後の[[昭和天皇]])の御用となる。1905年(明治38年)襲爵する。1907年(明治40年)から1939年(昭和14年)まで貴族院議員を務めた。 |
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妻は[[大久保春野]]の娘・安。長女は[[阪本釤之助]]の子・[[阪本瑞男|瑞男]]に、二女は[[柳原白蓮]]の異母兄・[[柳原義光]]に、三女はバロン西こと[[西竹一]]にそれぞれ嫁いだ。三男の純之助は大久保春野の養子となり、[[大久保光野]]と改名した。[[小松揮世久]]<!-- 誤情報につき要削除 や[[西正典]]-->は曾孫。 |
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2020年7月14日 (火) 06:23時点における版
川村 鉄太郎(かわむら てつたろう、1870年6月22日(明治3年5月24日) - 1945年(昭和20年)4月23日)は、日本の官僚、伯爵、貴族院議員。正二位勲三等。
経歴
鹿児島生まれ。伯爵・川村純義の長男。東上し慶應義塾幼稚舎に学ぶ。横浜に赴き英語を研究。1886年(明治19年)、イギリスに赴きケンブリッジのリース学校に学び、ロンドンの理化学院に学ぶ。1897年(明治30年)日本勧業銀行に入り勘定役となる。のちに辞して皇孫(後の昭和天皇)の御用となる。1905年(明治38年)襲爵する。1907年(明治40年)から1939年(昭和14年)まで貴族院議員を務めた。
妻は大久保春野の娘・安。長女は阪本釤之助の子・瑞男に、二女は柳原白蓮の異母兄・柳原義光に、三女はバロン西こと西竹一にそれぞれ嫁いだ。三男の純之助は大久保春野の養子となり、大久保光野と改名した。小松揮世久は曾孫。
栄典
- 位階
- 勲章等
脚注
参考文献
- 三田商業研究会編 編『慶應義塾出身名流列伝』実業之世界社、1909年(明治42年)6月、269-270頁 。(近代デジタルライブラリー)
日本の爵位 | ||
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先代 川村純義 |
伯爵 川村(純義)家第2代 1905年 - 1945年 |
次代 川村雅彦 |