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「木綿のハンカチーフ」の版間の差分

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[[Category:筒美京平が制作した楽曲]]
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[[Category:失恋を題材とした楽曲]]
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2020年7月8日 (水) 21:31時点における版

「木綿のハンカチーフ」
太田裕美シングル
初出アルバム『心が風邪をひいた日
B面 揺れる愛情
リリース
規格 シングルレコード
ジャンル J-POPアイドル歌謡曲
時間
レーベル CBS・ソニー
作詞・作曲 松本隆(作詞)
筒美京平(作曲)
チャート最高順位
  • 週間2位(オリコン
  • 1976年度年間4位(オリコン)
  • 週間1位(ミュージック・ラボ)
太田裕美 シングル 年表
夕焼け
(1975年)
木綿のハンカチーフ
(1975年)
赤いハイヒール
1976年
収録アルバム心が風邪をひいた日
木綿のハンカチーフ
(Album Version)
(1)
袋小路
(2)
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木綿のハンカチーフ」(もめんのハンカチーフ)は、太田裕美の楽曲で、4枚目のシングル1975年12月21日に発売された日本のヒット曲である[註釈 1][1]。発売元はCBS・ソニー。太田最大のヒット曲であり、累計売上枚数は、オリコンの統計では86.7万枚、ミュージック・リサーチ社の発表では150万枚以上。もっとも直後に史上最大のヒット曲「およげ!たいやきくん」が発売されたため、オリコンで1位を取ることはなかった。

解説

名目上は、1975年12月5日に発売された3枚目のアルバム心が風邪をひいた日』からのシングルカットであるが、実際にシングル盤では新たに録音し直された。これは、歌詞を一部変更し[2]萩田光雄単独の編曲によるアルバムバージョンに筒美京平が若干アレンジを加えた[3]ためである。

この楽曲は、完成するまではかなりの紆余曲折があった。作詞の松本隆は、都会(≒東京)に出た男性と故郷に残された女性との遠距離恋愛を対話形式で歌詞にしたが、こうした男言葉と女言葉が交互に切り替わるという構成は、当時の歌謡曲ではおよそ前例のない試みであり、新しい日本語ポップスを創造しようという松本の高い問題意識が現われている[4]。一方、作曲の筒美は「詞が長過ぎる」と松本に対して更に短くすることを望んだ。しかし、松本や担当ディレクター兼プロデューサーの白川隆三[5]と連絡が取れず[6]、仕方なくそのまま歌詞に合わせて曲を作った。実際に取り掛かるとすんなりと進み、「いや〜、いい曲が出来たよ」と喜色満面で提出したとのことである。

構成と歌詞がボブ・ディラン1964年の楽曲「スペイン革のブーツ」に酷似しているとされ[7][8]伊藤強ら、当時の音楽評論家から批判された[7]。「スペイン革のブーツ」が女性が旅立つのに対して「木綿のハンカチーフ」は男性が旅立つ逆の設定だが、恋人同士の手紙のやり取りが交互に切り替わる構成が同じで、遠く離れた恋人に贈り物をねだり、いや、送って欲しいものなど何もない、ただ君が傷つく前に帰って来て欲しいなど答える一部歌詞もよく似ているとされる[7][8]。「スペイン革のブーツ」は片桐ユズルの訳詞で、晶文社から1974年に発刊された『ボブ・ディラン全詩集』に収録されていた[7]。これが騒がれたため、松本が新聞紙上で「ボブ・ディランに似ているといわれるのは、むしろ光栄」と発言。伊藤から「ディランの作品に似た作品を書いてしまったということは、決して光栄なことではない。歌謡曲の歌詞に大事なものは発想とその展開であり、その発想を誰かが先にしていたということは、やはり"盗作してしまった"と思うべきものなのだ。松本氏は作詞家としての将来性は、大いに期待されている存在なだけに、今度の問題は、彼自身も十分に立場を釈明すべきだろう」などと迫られた[7]

また、作詞を担当した松本自身が2017年11月18日放送のTBS系サワコの朝で語ったところによれば、当時のディレクターの白川隆三が九州の炭鉱町で生まれ育った人物であり[1]、当人より「松本くんの歌はずっと東京で生まれ育った人の内容だから、地方の人にはうけない」[1]と指摘されたことを踏まえ、白川をテーマに書いたという[1]

主人公の「おとなしく耐えて待つ田舎の女の子」には、松本の理想の女性像が反映されている。一方それを歌う太田は言いたいことをハッキリ言うサバサバした性格であり、そうしたキャラクターのギャップが、太田の入れ込み過ぎない客観的な歌いぶりにつながり、リスナーに広く受け入れられ易くなったと平山雄一は論じている[4]

オリコンチャートでは最高2位だったが、ミュージック・ラボのチャートでは1週のみだが最高1位を記録した[9](前後の週の1位は、子門真人の「およげ!たいやきくん」とダニエル・ブーンの「ビューティフル・サンデー」)。

同1976年末、太田自身初出場となった『第27回NHK紅白歌合戦』の披露曲であり、1・3・4番を歌唱したが、紅白本番での「木綿のハンカチーフ」は、当時は放送時間の制約で1曲3分以内が原則であったこともあり、原曲よりも速いテンポで演奏されていた。

志村けんのだいじょうぶだぁ」の「イエイエおじさん」のコントで、当曲のフレーズが引用されたことがある[10]

収録曲

  • 作詞:松本隆 作曲:筒美京平
  1. 木綿のハンカチーフ
    • 編曲:筒美京平・萩田光雄
  2. 揺れる愛情
    • 編曲:萩田光雄

主なカバー

本作品は多くのアーティストによりカバーされている。

収録作品

脚注

註釈

  1. ^ この曲の作詞を担当した松本隆はヒットの最大の要因は「タイトルや歌詞に、敢えて「コットン」ではなく「木綿」という当時でさえ、既に死語であった言葉を用いたことにあったのではないか」と語っている[1]

出典

  1. ^ a b c d e 木綿のハンカチーフ モデルは九州から東京に出てきた人物、作詞家松本隆氏が明かす(デイリースポーツ 2017年11月18日) 2017年11月19日確認
  2. ^ 松本隆からの要請で手直しを行った(アルバムver.「君は素顔で」シングルver.「今も素顔で」)
  3. ^ ストリングス系を中心にアレンジを変更。
  4. ^ a b 平山雄一「温故知新 〜名曲ができるまで〜」『WHAT'S IN?』2007年1月号、エムオン・エンタテインメント、78頁。 
  5. ^ 「匠の記憶」第15回 太田裕美 ディレクター(デビュー当時) 白川隆三さん moraトピックス 2017年4月26日
  6. ^ 松本は、おそらく筒美から「曲を付けるのは難しいということで電話があるんじゃないか」と連絡が来るのを予想していたので、締切当日まで連絡の取れない場所に雲隠れしていたという。
  7. ^ a b c d e 「うわさ裏表 盗作でないにしても 作詞のオリジナリティーとは何か」『サンデー毎日』1976年5月9日号、38頁。
  8. ^ a b 「スペイン革のブーツ」と「木綿のハンカチーフ」 - TAP the POP
  9. ^ 「全国ディスクベスト10」『週刊朝日』1976年4月2日号、154頁。
  10. ^ 志村けんが扮する「イエイエおじさん」がクイズに回答するコントで、何を問われても「イエイエ」としか回答しないものの、全ての答えが「い」と「え」だけの発音だけで構成された単語であったため全問正解するというオチであった。そのクイズの中に当曲の途中までが流され、その続きの歌詞を問われる問題が存在した。
  11. ^ Disc 8(LIVE弾き語り 1996年2月14日 日本武道館)より。
  12. ^ Disc 8(1976年 ハード・フォーク・ライブ)より。
  13. ^ 映画『恋しくて』(2007年、中江裕司監督)の劇中に登場するバンド
  14. ^ アレンジ・キングとのコラボ
  15. ^ 真心ブラザーズ、聖子&明菜ら昭和の女性アイドルカバー「歌うの楽C」”. ORICON (2015年7月10日). 2015年7月10日閲覧。
  16. ^ May J.カバーアルバム第3弾で日本の名曲歌う”. 音楽ナタリー (2016年1月5日). 2016年1月5日閲覧。
  17. ^ ユニバーサルミュージック公式サイト
  18. ^ シンガー・ソングライター・デュオ“ひごさつま”が“恋人の日”に合わせてMVを公開”. CDJournal (2016年6月11日). 2016年6月11日閲覧。

関連項目

外部リンク