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以後、文部大丞を任じられる。その後、教部大丞を任じられると、西南学区巡視に赴き9ヶ月近くかけて西日本の教育状況をつぶさに巡察して回る(大阪、京都、三重、奈良、滋賀、兵庫、広島、香川、愛媛、徳島、高知、島根、鳥取、山口、福岡、日田、佐賀、熊本、天草、長崎、鹿児島、日向、佐伯、府内(大分)、別府、高田)。以後、[[文部省]]学務局長、[[侍読]]、[[宮内省]]の文字御用掛などを歴任し、明治12年(1879年)46歳のとき、官を退いて文書画の道で余生を送った。 |
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明治13年(1880年)[[楊守敬]]の渡来により[[日下部鳴鶴]]、[[巖谷一六]]、[[松田雪柯]]を中心に[[日本の書道史#六朝書道|六朝書道]]の普及運動が盛んになったが、三洲は関心を示さず顔法に傾倒した。 |
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石碑の揮毫も手がけており現在全国に50基ほどを確認できる。<ref>[[林淳]]『近世・近代の著名書家による石碑集成-日下部鳴鶴・巌谷一六・金井金洞ら28名1500基-』収録「長三洲石碑一覧表」([[勝山城博物館]] 2017年)</ref> |
石碑の揮毫も手がけており現在全国に50基ほどを確認できる。<ref>[[林淳]]『近世・近代の著名書家による石碑集成-日下部鳴鶴・巌谷一六・金井金洞ら28名1500基-』収録「長三洲石碑一覧表」([[勝山城博物館]] 2017年)</ref> |
2020年7月3日 (金) 06:25時点における版
長 炗(三洲)(ちょう ひかる(さんしゅう)、天保4年9月23日(1833年11月3日) - 明治28年(1895年)3月13日)は、豊後国生まれの勤皇の志士、官僚、漢学者、書家、漢詩人。幼名富太郎、のち光太郎、太郎。字は世章。号、三洲、蝶生、韻華、秋史、紅雪、楂客など。
概説
勤皇の志士として倒幕運動に半生を捧げ、戊辰戦争を戦う。その後、山口藩の藩政改革に携わる。明治3年、上京し、太政官制度局の官僚となる。明治5年には文部官僚として、師の広瀬淡窓の咸宜園の学制を基礎に据え、日本の学制の礎を築いた。また、明治書家の第一人者で、近代学校制度の中に習字を位置づけた第一の功労者である。また漢学者、漢詩人としての名声高く、漢学の長三洲、洋学の福澤諭吉として明治前半期の教育界の双璧を成した。水墨画や篆刻の腕前も一流であった。
長男は西洋史学者の長寿吉。
略歴
天保4年(1833年)豊後国(大分県)日田郡馬原村の儒家、長梅外の第三子として生まれる。幼い頃から父梅外の薫陶を受け、15歳で広瀬淡窓の門に入り、後に淡窓の弟の広瀬旭荘の塾で塾生を教えた。詩・書・画・篆刻をよくし、詩と書は特に有名で、死後編纂された詩集『三洲居士集』は全11巻(約2000首)に及ぶが、これに掲載されていない作品も多数存在する。書は顔真卿の書法(顔法)を堅く守り、顔法の開拓者として名高い。明治10年(1877年)顔法で執筆した『小学校習字本』が発行された。
幕末の頃は尊王攘夷の志士と交わり、国事に奔走す。長州藩に身を寄せつつも、二豊(豊後、豊前)の倒幕運動の中心人物として暗躍。薩長同盟の立役者の一人でもある。 戊辰戦争においては、仁和寺ノ宮嘉彰親王の越後口征討軍の参謀として、西園寺公望、壬生基修、山県狂介等とともに従軍し、その後、長岡、会津を転戦。 戊辰戦争後は、山口藩議政局書記として明倫館御試仕法及び小学規則を制定の後、掌吏に昇格し、長州兵の兵制改革に携わるが、この改革により奇兵隊脱隊騒動が勃発。木戸孝允等とともにこれを鎮圧。毛利元徳の薩摩行に随行後上京。 明治3年10月、太政官権大史、制度局員となり、江藤新平とともに、月2回の御前会議(国法会議)に出席し諸制度を起草。また、「新聞雑誌」発刊に携わり、静妙子名で「新封建論」を発表し、廃藩置県を主唱。 明治5年、大学少丞に任じられ学制五編を起草、同年8月に頒布された明治学制の中心的な起草者となる。 以後、文部大丞を任じられる。その後、教部大丞を任じられると、西南学区巡視に赴き9ヶ月近くかけて西日本の教育状況をつぶさに巡察して回る(大阪、京都、三重、奈良、滋賀、兵庫、広島、香川、愛媛、徳島、高知、島根、鳥取、山口、福岡、日田、佐賀、熊本、天草、長崎、鹿児島、日向、佐伯、府内(大分)、別府、高田)。以後、文部省学務局長、侍読、宮内省の文字御用掛などを歴任し、明治12年(1879年)46歳のとき、官を退いて文書画の道で余生を送った。
明治13年(1880年)楊守敬の渡来により日下部鳴鶴、巖谷一六、松田雪柯を中心に六朝書道の普及運動が盛んになったが、三洲は関心を示さず顔法に傾倒した。
石碑の揮毫も手がけており現在全国に50基ほどを確認できる。[1]
天保4年 | 1833年 | 9月23日豊後国日田郡馬原村矢瀬に生まれる。 | |
嘉永元年 | 1848年 | 15歳 | 広瀬淡窓の咸宜園に入門。 |
嘉永6年 | 1853年 | 20歳 | 広瀬旭荘の塾で塾生を教える。 |
安政4年 | 1857年 | 24歳 | 旭荘のもとを辞し、国事に奔走する。 |
元治元年 | 1864年 | 32歳 | 奇兵隊に参加、英米蘭仏四国連合艦隊と交戦、前田砲台を守って後頭部を負傷。 |
慶応元年 | 1865年 | 33歳 | 大宰府で長州藩主の親書を西郷隆盛に手渡す。その後、幕府の追捕を逃れ、豊後各地を転々とする。 |
明治元年 | 1868年 | 35歳 | 奇兵隊に復帰、越後口征討軍の参謀として長岡、会津を転戦する。 |
明治3年 | 1870年 | 37歳 | 太政官権大史、制度局員となる。 |
明治4年 | 1871年 | 38歳 | 任大学少丞兼制度局。清国に赴く。 |
明治5年 | 1872年 | 39歳 | 文部少丞となり学制五編を起草、文部大丞となる。 |
明治6年 | 1873年 | 40歳 | 叙従五位。5月大学区巡視、6月任教部大丞、西南学区巡視に出立~明治7年3月まで。 |
明治7年 | 1874年 | 41歳 | 免文部大丞、侍読。任歴史課御用掛、宮内省御習書御用掛。 |
明治8年 | 1875年 | 42歳 | 6月、任補五等出仕地方官会議書記官。8月書記官免。9月免出仕。 |
明治9年 | 1876年 | 43歳 | 木戸孝允とともに明治天皇の大和京都行幸のお供。 |
明治10年 | 1877年 | 44歳 | 修史局第四局総指。修史局残務取調御用掛。三洲書『小学校習字本』が発行される。内業博覧会審査委員。 |
明治11年 | 1878年 | 45歳 | 任宮内省御用掛、文学御用掛。草行松菊帖を著す。 |
明治12年 | 1879年 | 46歳 | 官を退き、文書画に専念する。明治天皇、特旨をもって永久侍書侍読を沙汰。 |
明治13年 | 1880年 | 47歳 | 斯文学会を創立する。 |
明治23年 | 1890年 | 58歳 | 漢詩専門雑誌「咸宜園」発刊。 |
明治25年 | 1892年 | 60歳 | 「書論」出版。 |
明治28年 | 1895年 | 62歳 | 永眠。 |
門人
三洲の住所録「幽玄庵朋友故旧親戚門人宿処禄」(明治26年)が現存しており、その中に多数の門人の氏名・住所が記されている。 門人として記載されているのは、以下の各位[2]。
秋月新太郎(貴族院議員)、秋月昱蔵、荒木古童、跡見玉枝、安藤与総次郎、赤松連城、麻生忠造、池内宏、池辺棟三郎、井上菊夫、石黒忠悳、伊藤弥次郎、伊藤博文、岩越忠勝、瓜生寅、江口柳太郎、江間三吉、海老原介太郎、及川静時、岡沢藤介、岡田起作、小原勝五郎、小原謙冶、大石角次郎、大谷尊行、大野孝七郎、大野恒徳、大村三樹、奥豊彦、奥蘭田、太田元奇、何禮之、香坂雲山、笠原半九郎、金井之恭、金澤吉之丞、蕪城秋雪、亀谷行、蒲生重章、川井田平一、川邊森右衛門、河瀬秀治、河合千世、清浦奎吾、木戸孝正、木辺孝慈、金港堂(教科書出版社)、鳩居堂、岸田吟香、日下部鳴鶴(東作)、国重正文(富山県知事)、久保幾次郎、熊田勘太郎、黒川鼎、児玉少介[注 1]、古富来三郎、小西皆雲、小林誠義、小松翼宝、後藤敬臣、五神泰輔、権藤直、斎藤甲子郎、斎藤利和、佐本寿人、佐々木三辰、佐佐木信綱、佐藤信寛、佐野安、佐倉信武、桜井真須美、阪井弁、島地黙雷、宍戸璣、塩谷泰、滋野康彦、清水軌郷、清水王山、柴田忠恕、杉孫七郎、杉盛道、杉山孝敏、周布公平、澄川恭民、澄川徹、須原鉄二、須貝卯太郎、須川楯次郎、鈴木梅仙、鈴木進、末松謙澄、関口兵蔵、世良太一、薗広利、田口灌玉、田中佐金冶、田中光顕、高木寿頴、高島張輔、高瀬半兵衛、高橋快三、高橋喜七郎、高橋英夫、高柳快堂、棚橋一郎、谷干城、武田英一、武田豊吉、武村千佐、龍田富太郎、千原幸右衛門、千葉胤明、値賀晰、堤増蔵、辻棐、土田易、土屋平四郎、鶴見数馬、東光龍範、藤内敏親、鳥尾小弥太、鳥尾光、豊口弁司、長松幹、中島歌子、中島梅仙、中村岩槌、中村泰太郎、長野秋山、南摩綱紀(羽峰)、西島青浦、野口郁、野口小蘋、野口之布、野崎武吉郎、野村平太郎、野村素介(茨城県知事)、野村靖、萩原裕、橋本綱常、畠山爽、原田智、原田機一、東久世通禧、日高梅渓(日高秩父)、日野西家、平野捨三、平尾光、廣瀬進一、廣瀬貞文、久富順三、深江基太郎、福羽美静、福井繁太郎、藤光雲、藤井一虎、古川慎吾、本多実方、堀見煕助、前島静蘭、前田利嗣、槇村正直、増野助三、升本喜兵衛 (初代)、股野琢、松平康國、三島中洲(毅)、三島春洞、三好重臣、三好維堅、三井八郎次郎、宮本経吉、宮井義、毛利元徳、安川繁成、山縣有朋、山縣蔦蔵、山内昇、山尾庸三、山本房五郎、横井忠直、横田国臣、吉田倉三、吉田晩稼、吉田増蔵、吉田了暢、渡辺昇、和田屯
著作
- 静玅子「新封建論」(『新聞雑誌』第6号附録、日新堂、明治4年7月)
- 明治文化研究会編『幕末明治新聞全集 第6巻上』世界文庫、1961年。
- 田﨑公司監修『東京曙新聞 復刻版 明治4年〜5年』柏書房、2008年5月。ISBN 9784760133628
- 静妙子「復古原論」(『新聞雑誌』第40号附録、日新堂、明治5年4月)
- 明治文化研究会編『幕末明治新聞全集 第6巻下』世界文庫、1961年。
- 田﨑公司監修『東京曙新聞 復刻版 明治4年〜5年』 柏書房、2008年5月。ISBN 9784760133628
- 長炗著『三洲居士集』西東書房、1909年2月(全11巻・5冊)。
- 小山良昌校訂「長三洲筆記 奇兵隊戊辰役日載」(田中彰 監修『定本 奇兵隊日記 別冊付録』 マツノ書店 1998年3月に収録)
- 中島三夫編著『三洲長炗著作選集』中央公論事業出版、2003年12月。ISBN 9784895142168
脚注
注釈
出典
参考文献
- 小栗憲一 著『豊絵詩史 下巻』 1884年
- 江島茂逸 編『日子山義僧伝 : 維新史稿』 野史台 1897年5月(国立国会図書館)
- 山縣有朋 著『含雪山県公遺稿』 魯庵記念財団 1926年6月(国立国会図書館)
- 木戸公伝記編纂所 編『木戸孝允文書. 第四』 日本史籍協会 1929-1931年(国立国会図書館)
- 木戸公伝記編纂所 編『木戸孝允文書. 第五』 日本史籍協会 1929-1931年(国立国会図書館)
- 木戸公伝記編纂所 編『木戸孝允文書. 第六』 日本史籍協会 1929-1931年(国立国会図書館)
- 木戸公伝記編纂所 編『木戸孝允文書. 第七』 日本史籍協会 1929-1931年(国立国会図書館)
- 妻木忠太 編『木戸孝允日記. 第1』 早川良吉 1933-34年(国立国会図書館)
- 妻木忠太 編『木戸孝允日記. 第2』 早川良吉 1933-34年(国立国会図書館)
- 妻木忠太 編『木戸孝允日記. 第3』 早川良吉 1933-34年(国立国会図書館)
- 中島市三郎 著『教聖 廣瀬淡窓の研究』 第一出版協会 1935年11月
- 中島市三郎 著『廣瀬淡窓 咸宜園と日本文化』 第一出版協会 1942年8月
- 高千穂有英 著『幕末秘史英彦山殉難録』 英彦山殉難大祭委員会 1965年10月
- 帆足達雄・広瀬恒太著『日田御役所から日田縣へ』 帆足コウ 1969年5月
- 中島三夫 著『長三洲』中島三夫、1979年2月
- 下関市教育委員会 編『白石家文書』 国書刊行会 1981年6月
- 石川卓美・田中彰 編『奇兵隊反乱史料 脱退暴動一件紀事材料』 マツノ書店 1981年10月
- 『墨 臨時増刊 近代日本の書』 芸術新聞社、1981年10月。
- 田中彰 監修、田村哲夫校訂『定本 奇兵隊日記 上・中・下』 マツノ書店 1998年3月
- 山口県 編『山口県史 史料編 幕末維新6』 山口県 2001年6月
- 一坂太郎 編『奇兵隊文書』 東行庵 2001年11月
- 前掲、中島三夫編著『三洲長炗著作選集』 中央公論事業出版、2003年12月
- 木戸孝允関係文書研究会 編『木戸孝允関係文書 第4巻』 東京大学出版会 2009年5月
- 林淳 『近世・近代の著名書家による石碑集成-日下部鳴鶴・巌谷一六・金井金洞ら28名1500基-』勝山城博物館 2017年4月
関連文献
- 土屋忠雄『明治前期教育政策史の研究』 講談社 1962年5月
- 倉澤剛『小学校の歴史 Ⅰ』 ジャパンライブラリービューロー 1963年12月
- 高倉芳男 「長三洲雑話」(『大分県地方史』第52号、大分県地方史研究会、1968年12月、NAID 120002813682)
- 倉澤剛『学制の研究』 講談社 1973年3月
- 多田健次『日本近代学校成立史の研究』 玉川大学出版部 1988年2月
- 井上久雄『増補 学制論考』 風間書房 1991年9月
- 依田學海『學海日録』(全12巻) 岩波書店 1991年 - 1993年
- 内海崎貴子、安藤隆弘 「『学制一覧』に関する研究 : 書誌学的観点から」(『川村学園女子大学研究紀要』第14巻第1号、2003年3月、NAID 110000473298)
- 竹中暉雄 「「学制」前文(明治五年)の再検討」(『桃山学院大学人間科学』第40号、2011年3月、NAID 110008425530)
- 竹中暉雄著 『明治五年「学制」 : 通説の再検討』 ナカニシヤ出版、2013年1月、ISBN 9784779506680
- 関口直佑 「明治初頭における長三洲 : 学制発布前後を中心として」(『社学研論集』第18号、早稲田大学大学院社会科学研究科、2011年9月、NAID 40019058992)