コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

「稲葉一通」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
Cewbot (会話 | 投稿記録)
34行目: 34行目:


== 系譜 ==
== 系譜 ==
一通のみならず、稲葉家は代々有名な戦国武将の娘を妻に迎えている。祖父・[[稲葉貞通|貞通]]は[[斎藤道三]]、父・典通は丹羽長秀、自身は細川忠興それぞれの娘が妻となっている。よって一通の子孫たちは彼らの子孫でもある。また昆孫の[[勧修寺ただ子|勧修寺婧子]]は仁孝天皇の生母であるため、一通の血筋は現在の皇室にも繋がっている([[稲葉知通#系譜]]を参照)。
一通のみならず、稲葉家は代々有名な戦国武将の娘を妻に迎えている。祖父・[[稲葉貞通|貞通]]は[[斎藤道三]]、父・典通は丹羽長秀、自身は細川忠興それぞれの娘が妻となっている。よって一通の子孫たちは彼らの子孫でもある。また昆孫の[[勧修寺婧子]]は仁孝天皇の生母であるため、一通の血筋は現在の皇室にも繋がっている([[稲葉知通#系譜]]を参照)。


{{臼杵藩主|3代|1627年 - 1641年}}
{{臼杵藩主|3代|1627年 - 1641年}}

2020年7月3日 (金) 06:16時点における版

 
稲葉一通
稲葉一通像(臼杵市・月桂寺所蔵)
時代 安土桃山時代 - 江戸時代前期
生誕 天正15年6月13日1587年7月18日
死没 寛永18年8月16日1641年9月20日
改名 亀(幼名)、一通
戒名 長江院殿一雲宗岫大居士
墓所 東京都港区高輪東禅寺
官位 従五位下民部少輔
幕府 江戸幕府
主君 徳川家光
豊後臼杵藩
氏族 稲葉氏
父母 父:稲葉典通 母:丹羽長秀
兄弟 一通本多貞虎室、諏訪忠恒正室、
吉田浄元
正室:細川忠興娘・多羅
継室:青山忠俊娘・寿松院
信通通綱通広通任溝口宣直正室、日根野雅行室、山崎俊家正室、
本多忠隆
テンプレートを表示

稲葉 一通(いなば かずみち)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将大名豊後国臼杵藩3代藩主。

略歴

天正15年(1587年)、2代藩主・稲葉典通の長男として誕生。寛永3年(1626年)、父が死去したため、翌年3月に家督を継いだ。熊本藩2代藩主・加藤忠広の改易の際、木下延俊と共に八代城の在番を務めている。島原の乱後、不穏な政情に備えて九州における国境警備を命じられた。藩政においては城下町の整備や開発、社寺の建設に尽力している。

寛永18年(1641年)8月16日、死去。享年55。跡を長男・信通が継いだ。

系譜

一通のみならず、稲葉家は代々有名な戦国武将の娘を妻に迎えている。祖父・貞通斎藤道三、父・典通は丹羽長秀、自身は細川忠興それぞれの娘が妻となっている。よって一通の子孫たちは彼らの子孫でもある。また昆孫の勧修寺婧子は仁孝天皇の生母であるため、一通の血筋は現在の皇室にも繋がっている(稲葉知通#系譜を参照)。