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2020年6月18日 (木) 10:30時点における版
長與 稱吉(新字体:長与 称吉、ながよ しょうきち、慶応2年1月7日〈1866年2月21日〉 - 明治43年〈1910年〉9月5日)は、明治時代の医師。男爵。
略歴
内務省衛生局長:長與專齋の長男として、肥前国大村(現・長崎県大村市)に生まれる。東京帝国大学医科(現在の東京大学医学部)を経て、7年間ドイツのミュンヘン大学医学部に留学する[1]。このころ、現地の女性に子供を産ませるも、手切れ金を渡して解決する(その面倒を見たのが、衛生局で專齋の部下であり、ドイツ留学中の後藤新平だった)。
医学博士号を取得して1896年に帰国、東京日本橋や麹町に胃腸病院を設立する。1898年、胃腸病研究会を設立し、会長に就任する。
1910年7月20日、亡父の功績により男爵となる。同年9月5日、腹膜炎のため死去した[2]。
大日本私立衛生会会頭も務めた。
家族・親族
妻は後藤象二郎の娘・延子(延子の姉・早苗は三菱財閥創設者岩崎弥太郎の弟・岩崎弥之助に嫁いでおり、稱吉と弥之助は義兄弟の関係にある)。弟・長與程三は実業家で日本輸出絹連合会組長を務めた。同じく弟の長與又郎は病理学者で東京帝国大学総長、男爵。同じく弟の岩永裕吉は同盟通信社の初代社長。同じく弟・長與善郎は白樺派の小説家、劇作家。妹・保子は松方正義の長男・松方巌と結婚した。
長男に男爵を継いだ長與立吉。長女・美代子は駐米大使斎藤博と結婚した。次女・仲子は犬養毅の息子犬養健と結婚し、その長女が評論家犬養道子、長男が共同通信社社長を務めた犬養康彦である(道子・康彦兄弟の異母妹はエッセイストの安藤和津で、その夫は俳優で映画監督の奥田瑛二)。孫にあたる犬養康彦の義弟(康彦の妻・麗子の妹の嫁ぎ先)が日清製粉グループ本社元会長の正田英三郎の次男で現相談役の正田修(明仁上皇の義弟)である。なお大原姉妹の父はクラレ元会長で大原美術館先代オーナーの大原総一郎なので、長與家は犬養家・大原家・正田家を通して天皇家及び旧皇族の縁戚となった。また安藤・奥田夫妻の長女は映画監督の安藤桃子で、安藤・奥田の次女・安藤サクラ(桃子の妹)は柄本明の長男・柄本佑と結婚し、柄本明の次男・柄本時生(佑の弟)は女優・タレントの入来茉里と結婚し、長與家は犬養家・荻野家・安藤家を通して柄本家・入来家と親戚となった。
これ以外にも池田成彬・宇佐美洵・加藤武男・中村藤一・小林富次郎・安西正夫・水島三一郎・脇村春夫・濱口雄幸・森美秀・三木武夫・河本敏夫・鳩山一郎・鳩山由紀夫・佐藤栄作・安倍晋三・上原勇作・山本権兵衛・松崎昭雄・石橋正二郎・石橋幹一郎・團伊能・團遥香・斉藤斗志二・中曽根康弘・池田勇人・田中角栄・麻生太郎・吉田茂・橋本龍太郎・河野洋平・大平正芳・鈴木善幸・宮澤喜一・宮澤エマ・小川平吉・岸田文雄・5代目太田清蔵・太田誠一・山下亀三郎・濱口儀兵衛・櫻内義雄・福田赳夫・福田康夫・越智隆雄・千野志麻・久原房之助・鮎川義介・西園寺公望・住友吉左衛門・五島昇・石井光次郎・大隈重信・福澤諭吉・中上川彦次郎・清水満昭・豊田達郎・武藤絲治・芦田均・弘世現・久邇邦昭・佐治信忠・小林公平・三村景一などと縁戚関係にある。
脚注
- ^ 明治17年留学生のメンバーは森林太郎(鴎外)、片山国嘉、丹波敬三、長與稱吉、田中正平、宮崎道三郎、隈川宗雄、萩原三圭、穂積八束、飯盛挺造、の10名。鴎外がこの10名を「日東十客ノ歌」に書いている。
- ^ 服部敏良『事典有名人の死亡診断 近代編』(吉川弘文館、2010年)208頁
参考文献
関連項目
日本の爵位 | ||
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先代 叙爵 |
男爵 長與(稱吉)家初代 1910年 |
次代 長與立吉 |