「ノート:京都アニメーション放火殺人事件」の版間の差分
→「経歴」欄の是非・要否について: 議論外のことは結構。個人攻撃はやめましょう。 |
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ただし、現在事実に違いないこと(逮捕された、公判が開始された、鑑定留置されている等)については、記載してもかまわないという認識です。何も無理なことは言ってないと思うのですがねぇ。<br> |
ただし、現在事実に違いないこと(逮捕された、公判が開始された、鑑定留置されている等)については、記載してもかまわないという認識です。何も無理なことは言ってないと思うのですがねぇ。<br> |
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で、それを削除依頼でしろ、二度手間だという人もいますが、それならなおさらここでの議論で削除範囲を決めた方がよろしいかという認識です。今のままでいいという点は同意できませんし、私が同意するとかどうとかいうことではなく、人権侵害が続いている状態と言わざるを得ません。wikipediaの運営方針がどうかということ以前に、公器を用いて個人を晒すというような法律や憲法に違反することは書いてはいけません。こんなことは自明では無いですか。--[[特別:投稿記録/126.36.108.217|126.36.108.217]] 2020年6月11日 (木) 07:34 (UTC) |
で、それを削除依頼でしろ、二度手間だという人もいますが、それならなおさらここでの議論で削除範囲を決めた方がよろしいかという認識です。今のままでいいという点は同意できませんし、私が同意するとかどうとかいうことではなく、人権侵害が続いている状態と言わざるを得ません。wikipediaの運営方針がどうかということ以前に、公器を用いて個人を晒すというような法律や憲法に違反することは書いてはいけません。こんなことは自明では無いですか。--[[特別:投稿記録/126.36.108.217|126.36.108.217]] 2020年6月11日 (木) 07:34 (UTC) |
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: {{コメント}} 記述の削除範囲をお考えになるのは結構ですが、現状ではそれについて私は126〜氏と議論するつもりはありません。Wikipediaは方針を理解し遵守する利用者が歓迎される場所なので、今になっても「自身に関する指摘は関係のない話題だから記述の事を議論させろ」と仰る方とは話し合えることはないです。126〜氏にまず自身に寄せられた指摘についてきちんとお応えいただき、参加姿勢について改めるべきことは改めていただく。その上で記述についての議論を続ける、こうあるべきでしょう。ステップをスルーして話したいことだけ話させろというのは道理が通らないです。--[[特別:投稿記録/122.217.149.83|122.217.149.83]] 2020年6月11日 (木) 10:12 (UTC) |
2020年6月12日 (金) 13:50時点における版
過去ログ一覧 |
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被害者の名前記載について
本文上で告知テンプレートに張りました。提案がある方は、他の節で行われている議論も参考に、この節に書いていただけたらと。--Keys(会話) 2019年8月3日 (土) 05:14 (UTC)
- すぐ上の議論と重複しておりますが・・・。--切干大根(会話) 2019年8月3日 (土) 05:15 (UTC)
- 返信 告知テンプレートを貼る際にジャンプ先のカテゴリを指定できるのですが、上のカテゴリでは誤解を招くと考え、新しく節を起こしました。--Keys(会話) 2019年8月3日 (土) 05:22 (UTC)
- 末尾の議論はもう「京都アニメーションの意向に沿わない方法の取材に基づく記載」についてのものではありませんし。--Keys(会話) 2019年8月3日 (土) 05:23 (UTC)
- 保留 すでに立項済みのお二方については、言及しないのは逆に不自然だと思います。その一方で、表記の仕方で編集合戦になる可能性があるのかなあと思うとまだ早いかもしれない、とも思います。お二方の記事の保護が外れたタイミングでもいいのかな、とも。なので私はちょっと様子見で。--Keys(会話) 2019年8月3日 (土) 05:22 (UTC)
- どのような誤解が起きるのでしょうか?複数名が絡んだとしても内容を良くする為に行われる編集は編集合戦とは言わないかと思いますが。載せることが不適切と主張する方が現れて削除を行われるなら本ノートに誘導すれば良いだけでそれすら無視されるなら対話拒否や合意に沿わない編集としてその方のブロック依頼を行うだけよろしいと--リゲイン和尚(会話) 2019年8月3日 (土) 07:11 (UTC)
- 返信 「被害者の名前を記載する」ことを議論している、という告知テンプレートのリンク先の名前が「京都アニメーションの意向に沿わない方法の取材に基づく記載」だとしたら余計な誤解を招くと思いませんか? --Keys(会話) 2019年8月3日 (土) 11:39 (UTC)
- 返信 文章をよく見ていただきたいのですが、記載するのは賛成です。ただ記載にあたって多くの人が「(自分が考える)良い書き方」を譲らない結果が編集合戦になるので、記載の方法を考えたいところですね、という主張です。--Keys(会話) 2019年8月3日 (土) 11:39 (UTC)
- どのような誤解が起きるのでしょうか?複数名が絡んだとしても内容を良くする為に行われる編集は編集合戦とは言わないかと思いますが。載せることが不適切と主張する方が現れて削除を行われるなら本ノートに誘導すれば良いだけでそれすら無視されるなら対話拒否や合意に沿わない編集としてその方のブロック依頼を行うだけよろしいと--リゲイン和尚(会話) 2019年8月3日 (土) 07:11 (UTC)
- (コメント)まず、WP:Nを満たさないスタッフの方々についてはウィキペディアは名鑑ではありませんに照らして議論の余地無く記載は不要。現時点において立項済みの京アニ関係者記事19本のうち、今回お名前が明らかにされた中に含まれる3名についてはその人物の特筆性を鑑みて、記載に問題はなかろうと考えます。
- 私は以前に秋葉原通り魔事件を立項し、これには被害者の一覧が記載されていますが、当然のごとく被害者のお名前は出ていません(書かれたことはありますが当該の版は削除されています)。もし被害者の中に著名な人物が居たとしたらその人物については当然書かれたと思いますが、他の人たちについては「名前を載せなければならない理由」がありません。本件についても同様であろうと。もし被害者の一覧などを載せる場合でも年齢など限定的な情報のみに絞るべきです。--KAMUI(会話) 2019年8月3日 (土) 10:55 (UTC)
- 確かに議論として標題を正すべきでした。そしてこちらの項目でも表明しますが著名人のみ記載しその他はWikipediaには乗せるべきではないと考えます。著名人となると様々な解釈が生まれますが書いたとしてもTemplate:京都アニメーションに含まれる作品の監督まで限度でしょう--リゲイン和尚(会話) 2019年8月3日 (土) 14:36 (UTC)
- ノート:西屋太志#保護解除の合意形成依頼でも指摘しましたけど。どういう形で記載すべきかという合意がはっきりと形成されていないうちから、「載せることが不適切と主張する方が現れて削除を行われるなら~」という、問題利用者=載せるなと言っている側という点のみを強調されるリゲイン和尚さんの主張は中立的でない部分がみられます。もし対話せず編集を強行した場合はどちら側であろうと問題があるでしょう現時点では。それに余計な装飾や蛇足を行いたがる利用者もいるという意味ではどっちもどっちです。『内容を良くする為に行われる編集は編集合戦とは言わない』とのことですが、Wikipedia:善意にとるをお読みください。除去を考える側だって内容を良くしようと考えているかもしれないのです。あきらかな荒らしや目的外利用者でないうちは、考えの異なる側を一方的に否定するのではなく、穏当な表現をこころがけてください。対抗策はそれでも駄目だった際に検討すればよいのです。--Aiwokusai(会話) 2019年8月3日 (土) 19:57 (UTC)
コメント(リゲイン和尚さん宛)Template:京都アニメーションを確認しましたが非常に多くのタイトルが記載されており、全て書くのは多少オーバーな気がします。個人的には個人名で記事が存在する3名について言及する程度で良いのではないでしょうか?--Kinseikani(会話) 2019年8月4日 (日) 02:48 (UTC)
- 限度と書いておりますので不要であれば書かなければよいだけですその点についてはお間違いなきようお願いします。考えが異なるユーザーとの合意を得ようとしているのが本ノートでの議論と思っていましたが異なるのでしょうか?現時点では被害者について書く方向で大筋はまとまり後は内容と時期について合意を得るための議論を交わしている認識でした。議論がまとまっていない現時点ではほぼ全員編集は控えていますし本ノートでの議論を無視して削除を繰り返すのであれば問題編集としか言えないと思いますが--リゲイン和尚(会話) 2019年8月4日 (日) 04:15 (UTC)
- 合意形成に向けて進んでいる段階です。今すぐ仮に議論を無視して加筆するのであればそれも同じく問題編集でしょう(Wikipedia:合意形成)というか、記載範囲が決まっておらず被害者について記載されていない現状では削除しようがありません。少なくとも、議論の初期中期の段階で荒らしだとか可能な限り早急な記載を行うべき、虚偽記載(30日時点での発言)、ブロック依頼といった文言を使用されたりそれに賛意をしめされている方はいらっしゃらないと思われます。大筋とのことですが、慎重におこなうべき事案であるからこそこうしてどの程度の範囲かを確認しているところなのですから、なおさら投稿ブロックにまで言及する必要はないでしょう。昨日の時点で早いかもというご意見もあるようが意見をすり合わせて合意形成をはかっていただきたいと思います。--Aiwokusai(会話) 2019年8月4日 (日) 07:00 (UTC)
- 本ノートの上の話題に記載されていますが既に他の方が著名人のみ名前を記載されましたが取り消された上に削除対応が必要か?といった議論まで行われているので書いても再び削除され編集合戦に陥る可能性が高いと考え記載していないだけです。早急に記載を行うべきという意見は取り下げませんし早急に記載するため本議論に参加しております。まだ合意が結ばれた訳ではありませんが合意後にそれに反した削除行為を繰り返される方が現れたと仮定したら対話を求め応じないのであればブロック依頼を行うのはWikipediaの通常通りの流れではないでしょうか--リゲイン和尚(会話) 2019年8月4日 (日) 09:02 (UTC)
- 少なくともそういった問題が起きていてなおかつ合意がない以上は記載・削除いずれが正しいかは結論は出ていません。つまり記載しないという合意が出た場合は(そうはならないとは思いますが)それに反する記載行為を繰り返した方がそういったブロック対象になる可能性もあることになります。つまり今から片方の視点で結論があるかのような前提でブロック等を示唆したお話するというのは中立的ではないということです(わざわざ言わなくても対話拒否を貫かれる利用者はブロックとなるでしょう)。ごぞんじでかとは思いますが私は記載に賛成の立場であり、その方向で合意していただきたいと考えていますが、その中でもう少しニュアンスに気をつけていただきたいというお話をしているにすぎませんのでご理解いただければと思います。--Aiwokusai(会話) 2019年8月4日 (日) 09:15 (UTC)
- 元々の流れは京都アニメーションより取材を控えろという要望があり「従わない報道機関の報道は取り扱うな。取り扱うのは報道機関と同じである」というなかなか過激な主張が発端でこのような流れになっておりそもそも被害者の名前の記載が適切か不適切かという話ですら無かったと思われます。その段階でWikipediaは報道機関ではないと結論が出ているにも関わらず未だに記載が行われず被害者らの記事が全保護されている時点で異質極まりないと考えます。ニュアンスについては以前にも記載しましたが私の発言について誤った解釈が発生しないように意図的に強い言葉を選んでおります--リゲイン和尚(会話) 2019年8月4日 (日) 09:25 (UTC)
- 「異質極まりない」、それはリゲイン和尚さん個人の見解であって、記事の保護理由は編集合戦でしょう。どうしても不本意であれば全保護をかけられた㭍月例祭さんなど管理者個人にお尋ねすべきではないかと思います。誤った解釈が発生しないよう心がけるのに、あえて強い言葉を選ぶ必要があるのでしょうか。--Aiwokusai(会話) 2019年8月4日 (日) 09:32 (UTC)
- 元々の流れは京都アニメーションより取材を控えろという要望があり「従わない報道機関の報道は取り扱うな。取り扱うのは報道機関と同じである」というなかなか過激な主張が発端でこのような流れになっておりそもそも被害者の名前の記載が適切か不適切かという話ですら無かったと思われます。その段階でWikipediaは報道機関ではないと結論が出ているにも関わらず未だに記載が行われず被害者らの記事が全保護されている時点で異質極まりないと考えます。ニュアンスについては以前にも記載しましたが私の発言について誤った解釈が発生しないように意図的に強い言葉を選んでおります--リゲイン和尚(会話) 2019年8月4日 (日) 09:25 (UTC)
- 編集合戦に至った主張そのものが通るはずもない過激な意見であり本来はこのように合意を得る以前の問題と考えます。現在の全保護は正直なところ臭い物に蓋をして沈静化を計っているようにしか見えません--リゲイン和尚(会話) 2019年8月4日 (日) 09:41 (UTC)
- 記載賛成の立場からいえば、記載という形に合意が形成されさえすれば文句はないですし、緊急性のある事案とは考えていませんので「合意を得る以前の問題」とおかんがえであればそういう主張は他で提起していただけないでしょうか。意見が合わないのでノートで合意を図る、それでよいのではないでしょうか。そんな攻撃的姿勢を鮮明に出す必要はないとおもいます。幸いなところおそらく一部を記載する形で合意がえられそうですし。--Aiwokusai(会話) 2019年8月4日 (日) 09:47 (UTC)
- 合意を得る以前の問題と言うのは上の話題で既に議論が持たれているのでこれ以上不要でしょう。こちらとしても合意があれば良いわけでそれ以上は言うつもりはありませんし多少強く言いましたが攻撃的にでているわけではありませんのでご了承お願いします--リゲイン和尚(会話) 2019年8月4日 (日) 10:29 (UTC)
- 記載賛成の立場からいえば、記載という形に合意が形成されさえすれば文句はないですし、緊急性のある事案とは考えていませんので「合意を得る以前の問題」とおかんがえであればそういう主張は他で提起していただけないでしょうか。意見が合わないのでノートで合意を図る、それでよいのではないでしょうか。そんな攻撃的姿勢を鮮明に出す必要はないとおもいます。幸いなところおそらく一部を記載する形で合意がえられそうですし。--Aiwokusai(会話) 2019年8月4日 (日) 09:47 (UTC)
- 編集合戦に至った主張そのものが通るはずもない過激な意見であり本来はこのように合意を得る以前の問題と考えます。現在の全保護は正直なところ臭い物に蓋をして沈静化を計っているようにしか見えません--リゲイン和尚(会話) 2019年8月4日 (日) 09:41 (UTC)
コメント武本康弘氏のページに続き西屋太志氏のノートの保護が解除されました。現時点では記載の草案も作れておらず私からの編集は控えておりますが、本記事においても著名人について記載して問題ないと思われる状況となりましたのでご報告です。--Kinseikani(会話) 2019年8月4日 (日) 20:49 (UTC)
コメントWikipedia日本語版に単独記事を立てられる基準を満たす特筆性のある被害者の名前を本記事に記載することには何の問題もないでしょう。それらの記事において死因が本事件によるものであることを記載されているのに、本記事にその名前を記載してはならない合理的理由を見出すことは難しいかと。ミッドランドライダー(会話) 2019年8月5日 (月) 12:36 (UTC)
コメント 日本語版に単独記事のある(特筆性を有する)被害者の方でしたら記載しても構わないかと考えます。--利用者:要塞騎士(会話 / 投稿記録 / 記録) 2019年8月6日 (火) 12:50 (UTC)
被害者にもプライバシーがあり、ウィキメディア財団もそのことを尊重してきたと存じます。特筆性のある被害者の方であってもウィキのページに掲載されるのをご遺族の方が良しとするか、私にははなはだ疑問です。別の方も追悼目的の名簿・名鑑は不要だとしている意見を、私は支持します。独立した人物の記事があっても、せいぜい当該人物のページに書くに留め、犠牲者の一覧記事はもちろん、京都アニメーション放火事件のページにも犠牲者名一覧は載せるべきではありません。確か信楽高原鐵道列車衝突事故の関連メディアである犠牲者の慰霊碑には犠牲者の名前が一名一名彫り込んでありますが、コモンズの写真はその部分にぼかし加工がされています。この加工も暗黙のルールのもとにぼかし加工をしたと注意書きされていたはずです。--Licsak(会話) 2019年8月6日 (火) 18:11 (UTC)
- もちろんプライバシーは守らなければならないものだと思いますし、独立記事のない方については記載しない、ということについては合意が取れているように思います。ただ独立した記事がある方については、そちらの記事には書いてこの記事には書かない、という分け方には疑問を感じます。そうすることでプライバシーの保護具合にどれほど違いが出るのでしょうか。 --Keys(会話) 2019年8月11日 (日) 01:05 (UTC)
コメント 京都府警発表の10名(匿名変更希望を勘案すると9名)については被害者遺族の同意を経ての被害者名公表であり、「遺族の方が良しとするか」は基本的に良しで問題ないでしょう。指摘されている「ウィキペディアはブログ、ウェブスペース、ソーシャルネットワーク、追悼サイトではありません」の要旨は「ウィキペディアはSNSじゃないから私的利用するな」と言う話で、被害者名をただ単に記載するなという話ではありません。その後に続く「ウィキペディアは名鑑ではありません」についても「この条項は、ウィキペディア内の情報を整理したり、特筆すべき主題を記述するために作成されている、ウィキペディア内の記事へのリンク一覧は対象としていません」とあり、独立記事がある人物の記載・リンクを除外する理由にはなりません。また「ケース B-2:プライバシー問題に関して」の「ウィキペディア日本語版内で、削除されず、伝統的に認められている例」にも「重大な事件・事故によって被害を受けた著名人」とあり、単独記事がある方は基本的に削除対象ではありません。以上から独立記事がある人物(現時点では3名)は記載し、それ以外の人物は記載しないという意見に同意します。--Haetenai(会話) 2019年8月6日 (火) 21:35 (UTC)
- 一部 賛成 単独記事化されている者および死後何らかの形で特筆性が認められて単独記事化された人物のみ、当該人物記事への内部リンクをつけて掲載することは問題ないかと思います。--海ボチャン(会話) 2019年8月11日 (日) 07:57 (UTC)
- 賛成 上の議論にも言及されていますが、特筆性のある人物は記載することにより検索の可能性と利便性が向上します。名鑑や一覧のような形でないならば言及すること自体は問題ないと考えます。言及する人物については独立記事がある人物という基準を支持します。--Gazafanids(会話) 2019年8月16日 (金) 07:53 (UTC)
一週間以上、被害者の名前の公表にあたって、独立した記事のある方のお名前を記載することに反対の方からのご意見がないようなので、そろそろ反映させても問題ないのではないか、と思っています。反対の方は、お手数ですが再度おっしゃっていただけますでしょうか。 --Keys(会話)
記載する場合、反映先は「京都アニメーション放火事件>被害状況>従業員、役員など」のところにある、
33人の死亡が現場で確認されたほか、病院に搬送された負傷者の1人が事件翌日の7月19日夜に死亡した[47][48]。その後、7月27日[7]に負傷者の1人が死亡し、7月29日時点で死者は35人となった[1]。
の直後で、記載内容は、テンプレートに掲載されている名前順で “なかには「○○」で○○を務めた木上益治、「らき☆すた」などで監督を務めた武本康弘、「氷菓」などでキャラクター原案・デザインを手がけた西屋太志も含まれていた。” でどうでしょうか。 代表作については客観的に選択したつもりですがご意見ありましたらぜひ。木上益治さんについては詳しく存じ上げないので代表作と役割について教えていただければ幸いです。--Keys(会話) 2019年8月17日 (土) 14:37 (UTC)
- それでいいかと思います。なおその後に上記以外の著名で特筆性が高い人物の死が明らかになれば、その人物の記事作成後および既にある人物記事の追加記載も必要になるかもわかりませんが、その場合は改めて当該人物の追加掲載の是非を提案されてもいいかと思います。--海ボチャン(会話) 2019年8月22日 (木) 04:34 (UTC)
コメント現状では上記の記載に賛成します。被害者の名前に役職をつけるかどうか、別途の報道で監督や取締役等の重要な役職の方の名前が改めて出てきた際には別途検討で良いかと思います。--Kinseikani(会話) 2019年8月26日 (月) 11:24 (UTC)- コメント上記にてコメントさせていただいた直後ですが、被害者の方全員の名前が公表されました。「「京アニ」 死亡した25人の名前公表 京都府警」公表された方の中に個別で記事が存在する池田晶子 (アニメーター)氏(同社取締役)も含まれており既に該当記事には追記がされている模様ですので記載が必要と思われます。--Kinseikani(会話) 2019年8月27日 (火) 08:41 (UTC)
- 同氏の追記に賛成します。--海ボチャン(会話) 2019年8月31日 (土) 04:08 (UTC)
- コメント上記にてコメントさせていただいた直後ですが、被害者の方全員の名前が公表されました。「「京アニ」 死亡した25人の名前公表 京都府警」公表された方の中に個別で記事が存在する池田晶子 (アニメーター)氏(同社取締役)も含まれており既に該当記事には追記がされている模様ですので記載が必要と思われます。--Kinseikani(会話) 2019年8月27日 (火) 08:41 (UTC)
- 反対 いかなる方法であっても被害者氏名を記載すべきではないと思います。何故なら記載をすれば今後の不特定多数による編集により犠牲者リストになりかねなせん。また、被害者遺族のほとんどの方が京都府警による実名公開を反対していました。Wikipediaは特定の不慮の出来事で死亡した人の名簿帳ではありませんし、百科典の役割を果たすWikipediaにおいては記載すべきではないと考えます。以上の理由により被害者氏名の記載に反対します。ただし、犠牲者が特定の作品に携わっていたことに関しては氏名を出さずに記載することには賛成します。【例文】“なかには『らき☆すた』、『氷菓』などの作品に携わっていた者もいた。”たぁにゃん(会話) 2019年9月2日 (月) 00:04 (UTC)
- コメント再度のコメントとなりますが、事件の被害者全員ではなく既に独立記事が作成されている方々のみの記載で良いと思われます。具体的にどの遺族が反対しているか、していないかも不明ですし報道されている出典も多々あること、各独立記事には死亡の事実が記載されていること、なおかつ独立記事が作成されている方々は会社の役員という重要ポジションの被害者という事実もありますしその方々について言及するのはJAWPとしても特に不適切ではないと思われます。--Kinseikani(会話) 2019年9月2日 (月) 16:48 (UTC)
- 返信 今回の事件で亡くなられた方の各独立記事に同事件で死亡した旨が記載されていることには存じ上げます。しかしそれらの記事において亡くなったことを記載するには必要なことだと思います。やはりこの記事で犠牲者の氏名を記載するとなるとどうしても犠牲者リスト化のリスクは避けられないと思います。記事『京都アニメーション』での令和元年7月30日 (火) 14:20時点における版及び令和元年8月2日 (金) 06:52時点における版に於いても犠牲者リストになっているような状況でした。 たぁにゃん(会話) 2019年9月3日 (火) 13:19 (UTC)
- コメント記事内に被害者のリスト掲載は不要とノートで合意が得られているものかと思いますので、もしリスト化を行う方が出た場合はノートへ誘導し、応じないのであれば粛々と対応すれば良いと思います。誰が公表を望み望まなかったは今となっては不明ですし、「遺族の意向把握に課題=警察説明、食い違いも-実名報道めぐり・京アニ放火」という警察公表と遺族の意見自体が食い違っているという報道も出ていますので誰が望んだか望んでいないかについてはJAWPでは考慮せず、著名人に関しては言及を行いリンク付に留める。で良いと思います。被害者情報に関して出典を出す際に全員のリストが載っている物を採用するかどうかは判断次第ですが、個人的には外部サイトの記載にこちらが考慮する必要もないのでアーカイブ化したものを出典として利用するといった手法を使っても問題は無いかと感じます。--Kinseikani(会話) 2019年9月5日 (木) 17:59 (UTC)
本件、1週間以上異論が出てきていないことから、独立記事がある人物以外は載せない=リスト化しない、リスト化しようとするユーザーにはその都度対処することで合意が取れそうですがいかがでしょうか?--Haetenai(会話) 2019年9月21日 (土) 04:33 (UTC)
改名提案 (2019-10-08)
前回の改名提案が結論に至らず停止したこと、事件から2か月以上経過したことから、仕切り直しをしたいと思います。改名候補は従前の通り「京都アニメーション放火殺人事件」となります。ご意見をお願いします。--切干大根(会話) 2019年10月8日 (火) 04:18 (UTC)
賛成 改めて改名への賛成を表明します。--Gruppetto(会話) 2019年10月8日 (火) 16:09 (UTC)誤字修正--Gruppetto(会話) 2019年10月9日 (水) 05:31 (UTC)
賛成 引き続き、記事名の「京都アニメーション放火殺人事件」への変更に賛成致します。理由は以下の通りです。
- WP:CRITERIAが定める「認知度が高い - 信頼できる情報源において最も一般的に使われており、その記事の内容を表すのに最も著名であると考えられるもの」に最も適応すると考えられる
- NHKを除くほぼ全ての大手マスメディアは「放火殺人事件」の呼称を用いている(「京アニ放火」などの見出しは略称に過ぎない)
- 事件から3カ月近くたち、(動機などの心情的事項はさておき)事件名を左右するような、少なくとも実際に起きた出来事については殆ど明らかにされたはず
- 周到な犯行準備、京アニ社員に直接ガソリンをかけて火を放ったという犯行、警察が幾度も逮捕状を取り直すとといった立件に向けての明白な意志、及び今までの放火殺人として立件された事件の前例(宇都宮宝石店放火殺人事件・武富士弘前支店強盗殺人・放火事件など)から、検察が放火容疑では起訴しても殺人容疑では起訴しない可能性は極めて低く、記事名を放火殺人事件に変える支障はないと思われる--Tenebrae aeternae(会話) 2019年10月12日 (土) 02:35 (UTC)
- 改名ありがとうございます。--さんど" Sunacat(会話) 2019年10月18日 (金) 07:23 (UTC)
賛成 未だ改められていない事の方が驚きです。--ホットコーヒーゼリー(会話) 2019年10月19日 (土) 02:41 (UTC) コメント既に変えられていたんですね、発言撤回します。--ホットコーヒーゼリー(会話) 2019年10月19日 (土) 02:50 (UTC)
- 情報 上記議論により改名が行われましたが、「Template:編集画面の注意文/記事/京都アニメーション放火事件」の改名が行われていないため、編集画面に注意文が表示されていません。こちらの改名も必要です。--Y-route(会話) 2020年1月4日 (土) 10:49 (UTC)
- 返信 (Y-routeさん宛) 移動依頼を提出しました。--Q8j(会話) 2020年2月3日 (月) 05:26 (UTC)
- 報告 アルトクールさんにより移動。--Q8j(会話) 2020年2月5日 (水) 02:56 (UTC)
- 返信 (Y-routeさん宛) 移動依頼を提出しました。--Q8j(会話) 2020年2月3日 (月) 05:26 (UTC)
冷静なご対応を
本文のうち、2020年5月30日 (土)から同年6月1日 (月) (UTC)の編集のうち、ノートなりで議論をすべき事項がなされていないと思います。どうか皆様ご冷静に。--快速フリージア(会話) 2020年6月1日 (月) 22:22 (UTC)
- 議論の場を作って下さりありがとうございます。快速フリージアさんのご指摘は「被疑者」節の大幅な削除、またそれを差し戻す編集が相次いだことについてだと思います。ひとまず、議論を経ない変更であったため、大幅な削除がある前の状況に戻しました。さて、被疑者についての詳細な記述が必要かについてですが私は「必要ない」寄りの立場です。私情を語るべきではないかもしれませんが、私も京都アニメーションの一ファンであり、事件については思うことがあります。しかし、容疑者は罪が確定しておらず、推定無罪に基づけば一般人です。事件と直接関係する記述(「事件前後の動向」「身柄確保後」)は残しつつ、とくに「経歴」節については内容を大幅に減らすことも考えるべきではないでしょうか。みなさんの意見を求めたく思います。--しんぎんぐきゃっと(会話) 2020年6月2日 (火) 11:22 (UTC)
既に議論の提起はいたしました。しかし、ノートのその提起をした項目ごと、既に削除されています。それで合意を見たものと判断し、削除を実施しているわけです。仮に反論があるのであれば、その場で反論すべきだったのではと思います。 そもそも推定無罪の原則があるのに、被疑者とされる人の生い立ちだの、事件直前の行動まで晒す意味があるのでしょうか。これらは判決が決してからでないと、人権上問題です。被害者の氏名公表についての議論があるのであれば、それは被害者の人権に配慮するからでしょう。であれば、被疑者とされる人の人権も考慮はされる必要があります。 この人が犯行に及んだことは、現状事実に見えますが、それがどのように評価されるかはまだわかりません。市井の人々が勝手に評価出来るのであれば、それはただの私刑ではありませんか。よって、判決が確定するまでは、被疑者と思われる人が逮捕されたという事実を報じることには妥当と考えますが、その他の事柄を記載することは許されないと考えます。なので、とりあえず一度削除をさせていただきます。復活するかどうかについては、判決が確定後に再度議論する必要があるのでは?。だいたいガイドラインは無いんですか?。こういう事件の被疑者と思われる人についての記載には。--126.36.108.217 2020年6月3日 (水) 04:47 (UTC)
- 快速フリージアさんは「冷静なご対応を」とおっしゃってこの節を新設されたわけですが、上記IP利用者様の主張は「冷静なご対応」といえるものではないでしょう。上記で記した通り、私も原則無罪に立ってIP利用者様と近い意見です。しかし、「反論があるのであれば、その場で反論すべきだった」というのはいささか不誠実に思えます。法的立場からおっしゃっていますが、たとえば裁判であっても控訴・上告とあるわけです。1度そう決まったんだからそうだろ、という考えはWikipediaでも歓迎されるものではないでしょう。また、IP利用者様は「だいたいガイドラインは無いんですか?」ともおっしゃっていますが、ガイドラインへの不理解を自ら表明してらっしゃるようにも見受けました。快速フリージアさんの言葉を繰り返しますが、どうか冷静な議論がなされることを望みます。--しんぎんぐきゃっと(会話) 2020年6月3日 (水) 05:08 (UTC)
- Xx kyousuke xxさんによって差し戻しがされました。「ノートでの合意がない」とのことですが、ご指摘を支持します。--しんぎんぐきゃっと(会話) 2020年6月3日 (水) 05:20 (UTC)
私としては冷静そのものなんですが。ノートでの合意がと言われましても、当初私がノートに記載したことに対して、何の反応も無かったことについての反省は無いんですか?。だからそこで議論すべきだったと申し上げているのですが。不誠実だったのは、そこで議論に反論しなかった方々だと思いますが。疑問が提起(ノートに記載)され、それに対して反論が無ければ、普通は了承されたと考えるのではないかと。また、裁判が上級審まで続くかもしれないからということですが、上級審まで続くから人権に対する配慮はしなくていいというのは、それこそ冷静で無い暴論かと思います。--126.36.108.217 2020年6月3日 (水) 06:34 (UTC)
さらに申し上げれば、被疑者とされる人の氏名を掲示することは禁止されていますよね。上のほうでも議論があったようですよね。しかし、あれほど細かく「人となり」を書き、さらには事細かに記載をすればするほど、誰のことを指しているのか明白なわけですよ。それは解釈上氏名掲示に当たらないのかとも言っているわけです。今残してある「被疑者」の項目も、氏名推認が可能では無いかと言われるかもしれませんが、逮捕はされている以上、逮捕されたという事実は書くしかないと思うわけです。本来であれば、逮捕を持って有罪じゃありませんから。逮捕されても、その人はまだ推定無罪であることを忘れずに。なので、一度全部落として、刑が確定してから追記したらどうかということで、いちいち逮捕されたという事実を除いて記載を削除しているわけです。またその削除も、前回の議論提起に対して誰からも反論がなかったという、記載賛成派の方々の瑕疵があった以上、妥当と考えています。以上。--126.36.108.217 2020年6月3日 (水) 06:41 (UTC)
- コメント まずあなたはいつノートに書いたんでしょうか。ウィキペディアでは全てが記録に残るのはご存知だと思います。管理者は削除によって編集記録(つまりIPさんが提案をしたと言う記録)を消すことはできますが、その場合その消したと言う記録は残るんです。あなたの主張の大前提として、あなたがいつここで提案したのか教えていただけませんか?--Q8j(会話) 2020年6月3日 (水) 06:47 (UTC)
ここの4月4日の版です。ご自分でご確認下さい。というか、こんなに議論に参加する人がいるなら、なんで4月4日以降無視し続けたのですか。今になってから、ああだこうだ言うのであれば、当時なんで言わなかったんですか。反論出来たはずでしょ。それをしなかった。ということは、同意を得たと思われても仕方が無いじゃないですか。2ヶ月近くが経過しているわけで、私は十分な時間があったと思いますよ。--126.36.108.217 2020年6月3日 (水) 07:35 (UTC)
- コメント - 126.36.108.217さんへ申します。今年の4月4日と言う事でしたら、過去ログ化されている(この版においてで間違えございませんか?)上に署名がなされていませんでした。今後は執筆日付や内容を明確に、また署名などにご配慮下さい。--快速フリージア(会話) 2020年6月3日 (水) 08:11 (UTC)
署名についてはつい忘れていたもので、それについては訂正します。ただ、「申します」と言われるのは、知らない人への物言いとしてはどうですか?。
さて、快速フリージア氏が提示した過去ログは合っていません(?)。https://ja-two.iwiki.icu/w/index.php?title=%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%88:%E4%BA%AC%E9%83%BD%E3%82%A2%E3%83%8B%E3%83%A1%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3%E6%94%BE%E7%81%AB%E6%AE%BA%E4%BA%BA%E4%BA%8B%E4%BB%B6&diff=76905232&oldid=76063060 こちらが正しいです。ここに変更履歴がありますから、ご覧下さい。この方がわかりやすいかと思います。
で、快速フリージア氏として、何か本件について意見は無いのですか。--126.36.108.217 2020年6月3日 (水) 10:44 (UTC)
- 「申す」は「言う」のへりくだった言い方なので、少なくとも失礼にはならないかと(ただ、「申し上げます」の方が自然であると思いますが)。--ホーリーブライト(会話) 2020年6月3日 (水) 11:12 (UTC)
- あと、126.36.108.217さんは「提案を無視された」ということに随分とお怒りのようですが、私が過去ログを拝見した限りでは、「あれではスルーされても仕方がない」と思います。「犯人の実名」という節に、節を分けずに紛れ込んでしまっているし、署名もない。あれでは「提案」の体を成していませんので、ここで怒りをぶちまけるのは筋違いというものです。--ホーリーブライト(会話) 2020年6月3日 (水) 11:21 (UTC)
- 「申す」は私も思いました。高校時代の教師が「親御さんが申していた」みたいな使い方をしてました。ちょっと違和感ありましたけど。
- 脱線失礼しました。以降はみなさん、「被疑者」節の扱いについての議論に労力を割くべきではないでしょうか。私は前記の通り、事件と直接関係する記述は残しつつ、とくに「経歴」節については内容を大幅に削減するべきと考えます。根拠はIPさんも示しておりますが推定無罪の原則です。現段階では容疑者は一般人であり、一般人についての詳細な記述は百科事典的ではないものと考えます。--しんぎんぐきゃっと(会話) 2020年6月3日 (水) 11:27 (UTC)
別に怒っているわけではないのですよ。前にも書きましたように、私は冷静です。「提案を無視した」ことに怒っているのではなくて、形式はどうあれ、議論の提起があったのに、それに対して反論しなかったでしょ、それを今になって何ですか?と申し上げているのですが。何遍も書かせないで下さいよ。
そもそも被疑者については、逮捕がこの時期に妥当なのかどうかすら警察・検察・識者らで議論されているような段階です。それを鬼の首取ったかのように、ここ(ノートではなくて本文)ではまるで週刊誌のように「報道」してしまっている。さらには客観的事実だけですらなく、その人の生い立ちまでですよ。それを編集しようとすると、保護なんかかけたりしている。これじゃあ、まるでやっていることは商業マスコミと同じじゃ無いですか。ネット百科事典はそれでいいんですか? 最近売れない冊子体の百科事典に、いちいち編者の私感が入っていますか? そういうことを指摘しているつもりですが。
しんぎんぐきゃっとさんも疑問を呈していらっしゃるように、一般人の人権は少なくとも刑が確定するまでは最大限守られるのが普通です。そのシステムが社会を支えているのではありませんか。
本日被疑者の「鑑定留置」が決定したようです。それは鑑定の結果によっては無罪もありうるということを意味しますよね。そうしたとき、Q8jさんがおっしゃるように「ウィキペディアでは全てが記録に残る」のですから、私としんぎんぐきゃっとさん以外の人々で、それら記録に残っているいろいろ書き込んだ方々は、名誉毀損で訴えられてもよいというお覚悟はお持ちですか。--126.36.108.217 2020年6月3日 (水) 15:29 (UTC)
- 返信 私はあなたがおっしゃる「提起」がこのノート、過去ログを探しても見つからなかったので聞いただけなんですが・・・4/4の版、とおっしゃいましたが、あなたがその提案で使われたIPは今のとは違いますよね。そして節の名前からその主張が読み取れるわけでもない。IPが今のと同じか、似たものであれば過去ログ、ノートの検索は容易ですし、あるいはあなたが新しい節を設けて(というか普通新しい提案をする時はそうするもんですが)やっていれば過去ログをさらうこともできました。そしてあなたが最初から4/4という日付を言っていればそこから探すこともできた。
- 要するに、今回の一連の件は私はあなたの議論態度に問題があると思ってる、ということです。最初の記述除去の段階で、「推定無罪の原則に反する記述を削除。裁判が終了してから記載するべき話」ではなく、4/4に提案した、ということを言うべきだった。そしてしんぎんぐきゃっとさんに「「議論の提起」が確認できなかった」と言われた時点で、あなたがすべきだったのは漠然と「ノートをご覧ください」と言うのではなく、私に答えたように日付を指摘することだったんじゃないんですか。
- 最後に。「名誉毀損で訴えられても良いというお覚悟」とかおっしゃいましたが、そんなのあるに決まってんでしょう。もし法律を破ったらその責任を負うのは当たり前の話です。ただ、その法的措置を取る/取られる可能性を盾に議論を進めるのは、Wikipediaにおいては禁止されていますので、ご承知おきください。--Q8j(会話) 2020年6月3日 (水) 16:14 (UTC)
コメント 出典付きの記述を大幅に削除するかを議論しようというのに、記事本文で告知しないのはいかがなものでしょうか。いずれにせよ、該当項目を作成した者として、見解を申しておきます。結論から先に申し上げれば、事件の重大性を鑑みて、「経歴」欄は必要とまでは言えないものの、どちらかといえばあった方が良いという考えです。
推定無罪の原則はあくまで刑事裁判に適用されるものであり、ウィキペディアでは必ずしも従わなければならない理念ではないはずです。この事件で逮捕された被疑者が、心神喪失などにより無罪判決が言い渡される可能性はゼロではないものの、日々の報道を参照する限り、その犯人性については疑う余地はないと断言できます。
同時に、「経歴」の記述内容はWP:DP#B-2に違反しているとは考えておりません。なお、私が執筆した範囲においては、新聞およびTV局(のウェブサイト)で確認できる限りの記述にとどめました(週刊誌出典の記述は他者執筆)。
社会に衝撃を与えた重大事件については、ウィキペディアの他の記事においても大なり小なり犯人の経歴が記載されております(裁判前に死亡した場合を含む)。重大事件に関心がある人なら、凶悪犯がどんな人生をたどって犯行に至ったか興味を抱くのは自然であり、概要だけでも記すのは有益ではないでしょうか。故に、信頼できる情報源に基づく限り、該当の項目は残した方が良いと考える次第です。--Tenebrae aeternae(会話) 2020年6月3日 (水) 16:42 (UTC)
あのですね、ますQ8jさんに対してになりますが、「あなたの議論態度に問題がある」←こういうことは議論の対象では無いわけです。私が先日来申し上げているのは、被疑者の人格権を侵害するような記述を、一時の怒りにまかせてかどうかしらないが、放置することが、「百科事典」としてどうなのか。当面削除しておいて、刑が確定してからにするべきではないのかというのを、4月4日以来申し上げているのに過ぎません。
議論態度に対しては、項目立てが最適だったかはともかく、人が記載は記載したのだから、「読んでない、見てない」は通用しませんよということです。たった1日でとかなら、そりゃ「相当期間」とは言えないので、「読めないじゃ無いか」というのは当然ですが、2ヶ月近くも放置。それならさすがに社会通念上も「読んでない」とかいう屁理屈は通用しませんよ。
訴えられる覚悟をお持ちとのこと。そりゃ結構。みなさんそうですか?>all。--126.36.108.217 2020年6月3日 (水) 17:45 (UTC)
Tenebrae aeternaeさんに。
あなたが今述べているような議論を、こちらが書き込んだ時点で早急に進めるべきだったのですよ。もう既にこの件は、ノートから通常見られない(過去ログという意味)ところに収納されてしまった段階で、合意されたとみなされるわけでしょ(だから過去ログに入れてしまうわけですよね)。少なくとも、「わかりづらい書き方だ」と思ったのなら、その旨返答するべきだし、そうしなかったのは「見なかった、読まなかった」からだろうと推定するわけです。「標識見なかったから、意味知らなかったから交通違反の点数負けてくれ」と言って、警察官に通用しますか?。それと同じことなんですよ。
さて、その上で推定無罪の原則はあくまで刑事裁判に適用されるもの、とのことですが、果たしてそうでしょうか。人のプライバシー権というようなものは、常にどんな状態でも守られるべきで(だから被害者の氏名公表にも強硬に反対なさるのでしょ?)、その究極が推定無罪の原則で「も」あると考えます(当該人物が本当に無罪だった場合、不必要なプライバシーを晒して不利益を押しつけることになりますからね)。我ら市民も、常に本来そういう感覚を持っていなければいけないと思うわけですよ。韓国では、被疑者逮捕の段階で、マスコミの前に晒し、インタビューを受けさせる場合が見受けられますが、あれらどうですか?。好ましいとお思いですか。思わないでしょ?。なんでですか?。推定無罪の原則があるからではないですか?。あれと同じことを、wikipediaでやってしまっていますよと指摘しているのですが。本当に何度も言わないとわからないのですね。上のほうの議論読みましたか?。
週刊誌に載っているから、新聞に載っているから、他の記事に載っているから、wikipediaとしてはいいんですか?。だったら他の媒体をお読み下さいと、一行書けばすむ話になってしまう。他の媒体とは違っていて、淡々と事実のみを知識として記載しているから百科事典なのではありませんか?。だから独自研究は排除するのでしょ?。
なので、「今の段階では、法律的な推定無罪に基づいて、一度全ての記述を落とし、刑が確定してから復活について再度議論してはどうか」と、こちらも提案しているのですが。--126.36.108.217 2020年6月3日 (水) 17:45 (UTC)
私の投稿の仕方についての議論は、他にあると思うので、しっかり本題の議論をしていただきたい。それは被疑者に関する根掘り葉掘りを記載することの妥当性であるべきでしょ。本来もうそれは相当時間の経過により、削除に合意とみなされると考えますけどね。理由はちゃんとこちらの指摘を読んで下さい。
これだけ多数の方が意見を述べられるのなら、なんでこちらの意見提起を無視し続けたのですか。繰り返しになりますが、それは指摘しておきますよ。
それから、Q8jさんは「訴えられる覚悟はお持ち」だそうですが、もう一度聞いておきます。他の方はどうですか?。法的措置を取る/取られる可能性を盾に議論を進めるのは、Wikipediaにおいては禁止とのことですが、可能性を盾にして議論なんか進めてません。そういうことを言っているのでは無くて、これらの議論も含め、例えば弁護人が知ったら、当然法的措置の対象にはなり得ます。その覚悟が各人あって、あのように記載しているのですか?と、「覚悟を聞いて」いるのですよ。言っておきますが、「ある、ない」をここに書き込むことを要求しているのでは無いのですよ。そんなことは本質論の外でしょ、そもそも。ただ、覚悟が無いのなら、とりあえず議論からフェードアウトしておかないと、大変なことになるかも知れませんよというだけですね。私は当事者では無いので、脅しているわけでも何でも無いです。しかし、他人が倫理と法を冒してまで、被疑者について判決が確定しても無いのに、「百科事典」に記載することを、まずいですよと指摘しているに過ぎません。以上。--126.36.108.217 2020年6月3日 (水) 17:45 (UTC)
- 既にしんぎんぐきゃっとさんが 2020年6月3日 (水) 11:27 (UTC)におっしゃっていますが、みなさん「被疑者」節の扱いについての議論に労力を割くべきだと思います。それから126.36.108.217さん、貴殿のノートページをご覧ください。--快速フリージア(会話) 2020年6月3日 (水) 21:07 (UTC)
- 報告 「経歴」欄の是非・要否についてを投稿しました--しんぎんぐきゃっと(会話) 2020年6月3日 (水) 21:12 (UTC)
「経歴」欄の是非・要否について
冷静なご対応をで「経歴」欄の是非・要否について議論がなされていましたが、議論の中心は容疑者についてどの程度の記述がなされるべきかというものからは外れてしまっています。勝手ながら、新しく節を設け仕切り直させていただきます。当節では「『経歴』欄の是非・要否について」を中心に、百科事典として容疑者についてどの程度の記述がなされるべきかについてのみを議論願います。以下、ノート:京都アニメーション放火殺人事件#冷静なご対応をにて出た意見の要旨を一部紹介させていただきます。
- 判決が出ていない人物は一般人であり、一般人の詳細な記述があることは百科事典的ではない(推定無罪論)。 - 126.36.108.217(IP利用者様)、しんぎんぐきゃっと
- 推定無罪の原則はウィキペディアでは必ずしも従わなければならない理念ではない。日々の報道を参照する限り犯人性については疑う余地はなく、「経歴」の記述内容はWP:DP#B-2に違反しない。 - Tenebrae aeternaeさん
--しんぎんぐきゃっと(会話) 2020年6月3日 (水) 21:12 (UTC)
この議題について、Wikipedia:コメント依頼#議_2020年6月にて意見を募りました。--Tenebrae aeternae(会話) 2020年6月3日 (水) 22:50 (UTC)
- コメント 上記でまとめられているような、推定無罪の原則を遵守するか否かという単純な二択の話ではありません。そもそも現在の記述も「被疑者」となっており、「犯人」とはしていません。推定無罪の原則を守りつつ、被疑者のプライバシーとそれを知りたいと考える人たちに応えようとする公益性の比較衡量の話ですので、判決が確定するまでは全部除去などという極端な話になるわけがありません。確定判決まで10年かかるのか20年かかるのかわかりませんが、それまで一切記載しない方が質・量ともに世界最大の百科事典を目指すという我々の価値観にあわないでしょう。私は現在の分量で適正であると考えます。--Xx kyousuke xx(会話) 2020年6月4日 (木) 00:18 (UTC)
しんぎんぐきゃっとさんお疲れ様です。話を本来的な議論に仕切り直しして下さり、御礼申し上げます。
その上で、やはり現在の記述は
1.「利用規約」における「他者のプライバシーの侵害」違反
2.「ウィキペディアは何ではないか」の「ウィキペディアは新聞ではありません」に違反
3.「存命人物の伝記」の「当人はプライバシー尊重を望んでいると推定する」の「私人・非著名人」に違反
4.「中立的な観点」にも逸脱
…という問題があります。少なくとも被疑者がまだ刑が確定していないのに(推定無罪の原則に基づく)、勝手に人となりや生い立ちまで晒すのは、違反行為そのものであるだけでなく、法的責任すら発生しかねないので、一度全て削除する必要がある(「被疑者」の項目自体と、逮捕の事実を伝える部分は残さないと今度は被害者についての記述とのバランスが失われる)と考えます。刑が確定するのに10年以上を要して、その間被疑者についての記載がいっさい追加できなくとも(裁判の進行程度は追記できるかも知れませんが)、それは致し方が無いのではないでしょうか。wikipediaは裁判所では無いので、本来の裁判所の決定を無視するわけにもいきません。
なお、付随して被害者の項目について、改変が必要になるかも知れませんが、それはまた別に論議する必要があると思うので、ここでは触れません。
あくまで本件は、「事件」ですから、直接的な犯人はいます。それが現在逮捕されている人には疑いの余地が無いかもしれませんが、最終的にその人が有罪かどうかを決め、したがってその私的権利であるプライバシーがある程度明らかに出来るかどうか(どの程度権利が制限されるか)が決まるのは、裁判以外の手段によるのはおかしいです。ましてや、現在鑑定が行われていると報道されている状態では、この先の公判がどうなるかすらわかりません。無罪になる可能性もあるにはあります。
いずれにせよ、被疑者も「著名人」には違いないと思いますが、ただの個人でしかありません。その人権上の地位は被害者と全く同じであります。個人的な感情としては、思うところはありますが、しかし被疑者の人権も守られなければ、被害者や一般人の人権も守られません。
以上のことから、現在の被疑者の項目における記述は、逮捕の事実を除いて一旦全部削除し、百科事典としての中立性・人権保護に立った記述がどの程度出来うるか検討が必要です。分量の問題でもありません。以上。--126.36.108.217 2020年6月4日 (木) 07:53 (UTC)
以下の通り反論致します。
- Wikipedia:利用規約 - 氏名・(詳細な)住所・写真・電話番号などの個人を特定する情報は記事には記載されておらず、プライバシーを侵害しているとは認めがたい
- Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか#ウィキペディアは新聞ではありません - 現在の記載は簡潔にまとめており、特に問題はない(一部の記述・出典の数をより簡略化する余地はあり)
- Wikipedia:存命人物の伝記#私人・非著名人 - 現状は「知名度に釣り合う情報だけ」の記述量と考えられる
- Wikipedia:中立的な観点 - 被疑者が成人してからの人生についての報道は否定的な内容(服役・騒動など)ばかりで、その中から事実だけを端的に記述するよう努めている
有罪確定まで被疑者・被告人の経歴の記述が認められないと定めたウィキペディアの公式方針が存在するなら、条文と共にご提示願います。執筆を制限する以上、WP:DP#B-2のように規定されていて当然ではないでしょうか。
なお、実際に認められていないなら、有罪確定前に被疑者が死亡した場合は、(歴史上の出来事とみなされるまで)何十年もその経歴を記載できなくなります。しかしながら、そのような事件の被疑者の経歴を記載した記事はウィキペディアに少なからず存在し、認められているのが現状です。現時点で裁判中または裁判前の事件の一部についても同様です。
また、現状の記述が、被疑者が無罪になる可能性を否定しているとは思いません。(限りなくゼロに近い確率で)仮に無罪または不起訴になっても、上述の通り個人を特定する情報は載せておらず、法的には(名誉毀損などの)問題はないと考えております。--Tenebrae aeternae(会話) 2020年6月4日 (木) 15:45 (UTC)
さて、私の指摘は既に書いた通りですので、とりあえず一言だけ。 他にも同様の例があるからいいのだ、という「あれはいいのか論」というのは通用しません。例えて言えば、スピードオーバーで取り締まりを受けているA氏の後ろを、より高速で走り抜ける車があっても、A氏といっしょに警察官があわてて捕まえ無いのと同様です。スピード違反をしたA氏が問題なのであって、警察官にとっては他の人はその場で問題になっていないからです(あくまで例です)。同様に他の記事が同様に人権侵害をしているのなら、それはそれで削除されなければなりませんが、今問題になっているのはというか、ここで問題になっているのは、本件の記事についてです。なので他の記事がどうだから、ということは関係ありません。それから、直接的に個人を特定する情報を書いて無いから、というのも暴論です。プライバシーを侵害するかしないかは、被疑者であるかどうかと関係ありません。週刊誌じゃないんだから…。以上。--126.36.108.217 2020年6月4日 (木) 22:57 (UTC)
コメント 126〜氏とは別人の匿名利用者です。私は現状の記述を維持する方針で構わないと考えています。被疑者に関する記述は存命人物の伝記・中立的な観点等各種方針に概ね沿った内容に纏められており、直ちに一個人のプライバシーや人格権を侵害しているものとは認められないと思います。主張の典拠としてはこの記事に関連する議論がありまして、刑事事件の被疑者・被告人に対して過剰に配慮した記事づくりを行うことは、結果としてより事件や被疑者・被告人の印象が強く利用者に残ることとなり、プライバシーに配慮されたいとお考えの方々にとっては望ましくない結果が後々残る気がしてならないのです。事件の重大性や背景というものは関係なくただ平坦に事実を必要なだけ記載する、これが刑事事件の記事や被疑者に関する記述では求められることでしょうし、現状その条件は満たしていると思います。--122.217.149.83 2020年6月5日 (金) 14:15 (UTC)
- 122.217.149.83さん、ご意見ありがとうございました。今後はWP:CON・WP:DRに沿った流れになると思われます。--Tenebrae aeternae(会話) 2020年6月7日 (日) 08:36 (UTC)
いやいや、おかしいですよ。
まず、122~さんの「意見」は、単なる個人の感想としか言えないです。あなたがどう思うかが問題なのではなくて、本件において、客観的に「百科事典」として妥当かどうかを論じているわけで。妥当とはとうてい言えないわけで。
人権からしても、被疑者はまだ「被疑者」(現在は逮捕されているので、本件としては「容疑者」)なのであって、その時点では、本当にその人が犯行を実行したのかどうかすら、確定してないのですよ。
通常、事件や事故が起きても、最近はプライバシーに配慮して、当事者を毛布やブルーシートで囲ったり、××歳・男性などとぼかした言い方にするじゃないですか。あれらは当事者のプライバシー(もっと言えば人権)に配慮した結果であって、現在の一般的な対応と思えます。今被疑者氏の地位は、逮捕はされているものの、まだ無罪なのですよ(推定無罪の原則)。ということは、一般人と同様なプライバシー保護はあってしかるべきであって、その人権は逮捕とか、報道とか、個人の感想とかそういうものには影響を受けません。なんべんも言っていますが、それらの人としての憲法上、法律上の地位からして、現在の記載は全く適当でないと言えます。あくまで、その種の記載については抑制的であるべきですから、削除を要求します。
どだい、被疑者氏はこの手の権利侵害に対して、抗弁する手段も無いじゃないですか。そんな中で、勝手にその人の「人となり」や直近の行動まで記載して、それを正当化しようとするのは、既に「社会的制裁」を加えているのであり、それは私刑ですよね。そんなこと、この法治国家の日本で許されていると考えてるのですか?。許されてると思うなら、各人の見識を問うべき話です。
繰り返しになりますが、現在の問題は、記述が「報道として妥当か」ということを問うてるのでは無いのです。「ウィキペディアは新聞ではありません」なのですから。そうじゃなくて、「百科事典として妥当か」ということを問うてるのですよ。--126.36.108.217 2020年6月7日 (日) 21:31 (UTC)
そもそも、Tenebrae aeternaeさんの直近の記述に沿うのであれば、wikipediaとしての立場は、
・存命人物の伝記に関連する特定の問題というような内容の問題は、主にそれが内包する訴訟の危険性のために、通常は議論や合意の対象ではありません。
・合意は広範な過程であり、編集者には百科事典に記す実用上の必要性ならびに法的、倫理的制限とともに競合する見解の間における妥当なバランスを協議することが望まれる中で、記事内容の特定の点が記事全体の観点および百科事典における記事の位置付けの観点から検討されます。
・編集者が相違を解決するためにいくつかの処理が求められます: 何人かの編集者による論争には中立な第三者グループを含めた第三者の調停
…だそうです。なので、この議論はwikipedia上の「合意」に達するためにしているのではないということですか?。
アニメファンの方々の、一種盲目的な「信仰にも似た感情」そのものは理解できますが、だから本件の記述が法を逸脱したり、wikipediaが問題とするような記述でいいということにはなりません。どんな結果であれ、そこに存在する事実を淡々と記述するより無く、それ以外のことは書いてはいけません(独自研究や報道に相当します)。
一方、「論争の解決」としては、投票に付すというのも、人権侵害かどうかの話ですからなじまないと思いますし、法的にプライバシー権の侵害ではないのかということを通じて、wikipedia言うところの「それが内包する訴訟の危険性のため」からしても、多数決で決められる問題ではあり得ません。--126.36.108.217 2020年6月7日 (日) 22:05 (UTC)
- コメント 一見専門家風だが理論の展開は整合していない部分も多く賛同を得るのは難しいと考えられる点、方針やガイドラインを引用する割に基本的な部分を理解していないと考えられる点、これで終わりといいながらも誰かのコメントが付くとすぐに反論しないといられない点など、ある懐かしい利用者を思い出しました。同様の道を歩まれませんよう、ご注意ください。さて余談はさておき、IP利用者がここでどんなに長演説をぶっても、何も事態は進展しません。方針やガイドラインを多数引用される割にはご存じないようですのでお教えしますが、jawpにおいて法的懸念のあるプライバシーの侵害は編集除去ではなく、削除することとなっています。削除依頼の提出をお勧めします。--Xx kyousuke xx(会話) 2020年6月8日 (月) 08:15 (UTC)
- コメント (126〜氏宛て) 推定無罪の原則やプライバシー保護の観点についてはどのような場においても尊重されるべきだと私も考えています。私個人としても世間で刑事事件が話題になる度に被疑者の卒業アルバムだのが一々晒されることに対してはどうなのかな、と疑問に思っています。その上で私は「現行の記述に特段の問題はない」と判断しています。これは先般当方が述べたようにWikipediaにおける各種方針に特段そぐわない記述はなされていないという理由と、加えてこの記事にも付与されている「Category:無差別殺人事件」を同じく付与されている他記事と比較しても、この記事における被疑者の記述はさしあたって過剰ではないと判断しているためです。私としては自論についていわゆる「スピード違反の論理」にはあたらず、これまで執筆されてきた刑事事件の記事やそれに付随する削除依頼を含む議論の積み重ねが当記事には反映されているものと解釈しています。それから126〜氏は2020年6月7日 (日) 21:31 (UTC) に述べられたご意見で「百科事典として記述が妥当なのか」を文末で問いかけられていますが、これについては妥当と私は考えますし、プライバシー保護の観点における一般論を主張された後に百科事典の記事という視点でのお話をされるのは大変恐縮ですが論点を混同されているように私は感じました。あと、2020年6月7日 (日) 22:05 (UTC)に追記されたご意見中の「アニメファンの方々の、一種盲目的な「信仰にも似た感情」」については、少なくとも私は持ち合わせておりませんし、他の利用者方もおそらくそれを踏まえて議論に参加されているとは思いません。Wikipediaにおける記述の否応については基本的には論議において解決されることですし、仮に記述の除去だけではなく秘匿が求められるとすればそのステップでも削除依頼における論議が行われるのが基本です。この場での意見交換に126〜氏が価値を見出せないということであれば、Xx kyousuke xxさんも仰っています通り該当記述についての削除を依頼することを検討されてはいかがでしょう。--122.217.149.83 2020年6月8日 (月) 09:57 (UTC)
- コメント 122~さんが126~さんの「アニメファンの方々の、一種盲目的な「信仰にも似た感情」」に言及されていますが、同意いたします。前節でも申し上げました通り、私は京都アニメーションのファンです。推奨されないこととは思いつつ、個人的に京都の事故現場に静かな追悼に関東より赴いたりも致しました。そのような個人的な感情を抑えても、私は126~さんの推定無罪のお考えに同意し、容疑者についての記述は削減すべきとのお考えを支持していたのです。それはアニメファンとしてでは無く、一編集者としてです。そして、拝見する限りほかの方が「信仰にも似た感情」から議論しているようにも見えません。議論の筋からは外れますが、これだけは申し上げておきたく。--しんぎんぐきゃっと(会話) 2020年6月8日 (月) 11:14 (UTC)
- コメント まず、訴訟の危険性についてあるかどうかであれば、不起訴の場合はありえます。その情報を掲載したメディアが対象です。名誉毀損や間違った情報を載せているなどの瑕疵があれば損害賠償請求が認められるでしょう。ただ、この場合でも表現の自由及び知る権利などを持ってきて容疑者の情報を公表することは社会的意義が大きいとしてプライバシー権の侵害は認められない可能性はあります。私的には被疑者の生い立ちが防犯に役立つのか(社会的意義があるのか)疑問に思うところですので、もう少し必要な情報だけを残すよう編集していただければな、と思います。「事件前後の動向」以降については残しても良いでしょう。動向から対策などを考える手助けになるはずなので不起訴になったとしても情報の公開は社会的意義はあるでしょう。--Haetenai(会話) 2020年6月8日 (月) 11:45 (UTC)
- コメント 別の観点から。「経歴」節では、出典が新聞と週刊誌で混合しています。WP:SOURCEを鑑みれば、一般の新聞社でも報じられる事件記事は新聞社の記事を出典とするべきであり、週刊誌を出典として用いるべきではありません。現状から主に京都新聞社の記事のみを出典として記載し、週刊誌やスポーツ新聞を基にした記述はなくすべきと思います。(出典が手元に無いため自分ではできないのですが…) 一方で「事件前後の動向」は新聞社の記事のみの出典で構成されており問題無いと考えます。--たびびと551(会話) 2020年6月8日 (月) 12:39 (UTC)
- たびびと551さん、ご意見ありがとうございます。私も、実名または特定可能な著名人や専門家(何度か匿名で取材に応じている、近大病院での被疑者の主治医など)の証言を除き、週刊誌の出典は望ましくないと考えておりました。本当は他の様々な項目と共に一気に修正する計画でしたが、この度取り急ぎ該当の出典を除去致しました。--Tenebrae aeternae(会話) 2020年6月8日 (月) 14:12 (UTC)
- たびびと551さん、ご意見ありがとうございます。私も、実名または特定可能な著名人や専門家(何度か匿名で取材に応じている、近大病院での被疑者の主治医など)の証言を除き、週刊誌の出典は望ましくないと考えておりました。本当は他の様々な項目と共に一気に修正する計画でしたが、この度取り急ぎ該当の出典を除去致しました。--Tenebrae aeternae(会話) 2020年6月8日 (月) 14:12 (UTC)
おお。
一人で多数を一度に相手にするのは大変なので、少しずつにします。
まず、Xx kyousuke xxさんに対しては、「これで終わりといいながらも誰かのコメントが付くとすぐに反論しないといられない」とおっしゃるが、私「これで終わり」なんて宣言してませんよ。終わりでいいですか?。じゃ、全削除でいいんですね?。それから「すぐに反論しないと…」に至っては、じゃあ議論はしなくていいということですか?。やはり全削除で合意なんですね?。みんな1日に1回書き込みする程度のことが、「すぐに反論」ということになるのなら、この「議論」は意味がありませんよね。自ら上のほうでいろいろ言っておいて、議論は放棄しますと、そういう認識でよろしいのか?。
続いて「122~」さん。それこそ論点の混同ではありませんかね。そもそも私は「報道では無いのだから、百科事典として個人のプライバシーを記載することは、例え被疑者でも許されない」という指摘をしているのであって、多少の脱線はあってもそこの指摘は終始一貫しているつもりなのですが。削除依頼というのは、やり方としてはそうかもしれませんが、やはり自主的にまずいところは削除するというほうが、知的なやり方だと考えるものですので、今の時点ですることが妥当とも思えないのですが。また、するならする前に、本来は弁護人にここの記述を見てもらいたい位だと思うわけですよ。
Haetenaiさん。情報の公開が社会的意味を持つのは確かですが、「それを」、「今」、「ここで」する必要があるか、ということが問題なのだと考えます。つまり事件の裁判が終結し、裁判の過程で明らかになった捜査の過程なども重要な情報でしょうし、記者の夜討ち朝駆け取材で得られた証言なんかは、「公式」なものではありませんし(少なくとも私らの市井の人の認識としては)。
総評として。
私もかつてはアニメファンでありましたから、本事件に対するファンの方々の怒りはよくわかります。しかし一方で、だからこそ、ネットで被疑者叩きをするのではなく、冷静に何が起こって、何が起こらなかったのかを自分の心の中で検証するべきであり、そのためにwikipediaは客観的に事実と認められ、事件に関連することのみの記載に留めるべきだと考えているわけです。有罪も確定してない被疑者叩きをするばかりでは、何も変わらないのではありませんか。被疑者氏の、過去の生い立ちや軽犯罪レベルの犯歴なんかは、そりゃまあ事実ではありましょうが、本件に直接関係ないわけです(心理学的にはどうとかありましょうが、それはそっちの学者先生方が研究するべき話)。しかし、百科事典たるwikipediaに、堂々とそんなことがテレビ取材の結果として記載されている。それはもうただのネットリンチですよね。こういうことが続くし、議論の中で危機感を持たないから、政府が誹謗中傷を一律に取り締まる話になってくる。政府の言論ヘの介入を許すことになるのだと思うわけです。本件は、実はそこまで重要なファクターを含むわけですが、議論に敗北しそうになると、しれっと「削除依頼すればいい」なんて言い出す。自身の書き込みに責任を持ってない証拠です。--126.36.108.217 2020年6月8日 (月) 22:50 (UTC)
- コメント あの、私の意見に本当に目を通してくださいましたか?別にこの記事においてはアニメファンの怒りの発露だとか、その怒りに基づいた被疑者叩きなんて行われてないと思いますけれど。それから政府の〜だとか言論の〜だとか仰っていますけれど、そんな大袈裟な話ではなくてただ単に「載せるか、載せないか」の話ですよこれは(126〜氏の価値観は尊重しますが)。記述の否応をめぐってコメント依頼では解決せず、削除依頼でより広く意見を募ることも珍しいことではないですから、それをお勧めすることを責任がないと見なされるのは心外です。匿名利用者の私が言えた話ではないのかもしれませんが、126〜氏はそもそも議論そのものに価値を見出していないように見受けられるし、議論相手に対する尊重も感じられないです。ひたすら自説を披露することに固執されているように感じられて、なおかつ憶測や偏見を元に議論相手や相手の意見を批評する。少なくともそのスタンスは改めていただけないとあなたと折り合ったり意見をすり合わせることは難しいです。--122.217.149.83 2020年6月8日 (月) 23:27 (UTC)誤字修正--122.217.149.83 2020年6月8日 (月) 23:30 (UTC)
122.217.149.83さん、ご意見ありがとうございます。
別に「憶測や偏見」なんて持っていませんよ。議論そのものに価値を見いだしてないとも言ってませんし、思っても無いです。そう取られてしまうのは、残念ですね。確かに「載せるか、載せないか」の話なんですが、それで削除すると文句を言う人がいて、半保護なんてかけて、ログインしている人にしか編集できないようにする。だからこうして「議論」をしているわけなのではありませんか。
「議論相手に対する尊重も感じられない」とおっしゃるが、これはお互い様のような気がします。
「ひたすら自説を披露することに固執」とおっしゃるが、私は普遍的な法律・憲法、判例、常識、良識…そういうものに基づいて発言しているのみです。固執もしてませんから。何かこういう尖った言葉が出てくること自体、私に対して偏見を持たれているのではありませんか?
意見に目を通してないとか言われるので「百科事典として適当」に一言。いや、不適当ですよ。百科事典に、未決事件について、いちいち被疑者の父親がどうとかとか、家がどうとかというような記事が載っていますか?。判決後だったら良識の範囲では書いてもいいと思いますよ。事件の背景を全く見ないで、事件の全容把握は難しいですからね(それでも書くなという人はいるでしょう)。しかし、今はまだ被疑者は「推定無罪」なんですよ。だから、今公表事実以外の書くのは人権上許されないと申し上げているのです。かなり繰り返しですよ。今日の新聞で、秋葉原事件のことが書かれていましたが、裁判で事実認定されたことしか、新聞ですら書いてませんでしたよ。少しは私の上の方の記述も読んで下さいよ。
ここからは「122.217.149.83さん」へのレスでは無く、主たる議題とも離れるのですが、そもそもこの議論は、半保護で始まっているのもおかしいです。
https://ja-two.iwiki.icu/wiki/Wikipedia:%E5%8D%8A%E4%BF%9D%E8%AD%B7%E3%81%AE%E6%96%B9%E9%87%9D
ここによれば、
・半保護は一部の利用者の編集のみを禁止するため、編集合戦、差し戻し合戦などの、論争を伴う事態への対処として適当ではありません。
・これらは、それがログイン利用者とIP利用者間、IP利用者同士のものであっても、保護の方針に基づく全保護で対処されます。
…とあるわけで。堂々と全保護にしてから議論をするべきことだと(この記述を読む限りでは。全保護については、「短期間に2人またはそれ以上の利用者がそれぞれ3回以上編集している。」を満たしてなかったと思われるので、それはそれで問題もあるかも)思いますけどね。
私や122.217.149.83さんは、IPで書いているのだから編集したらしたで下手すりゃ「荒らし認定」だし、私らだけ編集禁止なのですよ?。こういう処置で人の発言もしくは行為を封じようとする人は、「議論ヘの参加資格が無い」と言っても過言では無いと思いますが。どだい(これはwikipediaの姿勢によるものかもしれないが)IP丸出しで書いている人のほうが、よりリスクと責任を負っているわけで。--126.36.108.217 2020年6月9日 (火) 01:12 (UTC)
- コメント 126.36.108.217さんは、相変わらず人のコメントをきちんと読んでいないのか、読んでも理解できないのか判然としませんが、いずれにしても的外れな回答を繰り返していらっしゃいますので、もう一度申し上げます。jawpにおいては法的懸念のあるプライバシーの侵害については編集除去ではなく「削除」で対応することとなっています。また「削除」についてはあなたが「全削除でいいんですね」などと威勢よく宣言すればいいというものではなく「削除依頼」を経てその可否が決定されることとなっています。繰り返しになりますが詳しくは削除の方針をご覧ください。--Xx kyousuke xx(会話) 2020年6月9日 (火) 01:17 (UTC)
Xx kyousuke xxさん。あなたこそちゃんと読んでないじゃないですか。私の反問に答えてすら無い。私は今の段階では議論を続けるべきで、削除依頼を出す前にまだ議論する必要があろうと申し上げているのですが? 私の「やはり自主的にまずいところは削除するというほうが、知的なやり方だと考えるもの」読みました? 私が事実と反する「終わりを宣言した」とか決めつけて、それら対するコメントは無いんですか?
あなた、wikipediaの方針に反して、本件記事を半保護依頼をした本人でもあるのだから、かような処置で人の発言や編集行為を封じようとする者には、wikipedia自体への参加資格が無いと考えます。どだいあなたのコメントは種々失礼だと思います。--126.36.108.217 2020年6月9日 (火) 01:40 (UTC)
- コメント 私の意見は随分前に申し上げていますが、読んでいらっしゃらない可能性もあるので、再掲します。
- 上記でまとめられているような、推定無罪の原則を遵守するか否かという単純な二択の話ではありません。そもそも現在の記述も「被疑者」となっており、「犯人」とはしていません。推定無罪の原則を守りつつ、被疑者のプライバシーとそれを知りたいと考える人たちに応えようとする公益性の比較衡量の話ですので、判決が確定するまでは全部除去などという極端な話になるわけがありません。確定判決まで10年かかるのか20年かかるのかわかりませんが、それまで一切記載しない方が質・量ともに世界最大の百科事典を目指すという我々の価値観にあわないでしょう。私は現在の分量で適正であると考えます。--Xx kyousuke xx(会話) 2020年6月4日 (木) 00:18 (UTC)
- また三度目になりますが、jawpにおいては法的懸念のあるプライバシーの侵害については編集除去ではなく「削除」で対応することとなっています。したがってあなたが言う通り、ここで議論を重ねて仮に削除すべしとなったとしても、そこから削除依頼を提起して、再度議論を行うことになるわけです。それでは二度手間になるので削除依頼を出してはいかがでしょうかと申し上げています。またあなたが考える通り法的懸念があるのであれば、ここでゆっくりと議論している場合ではないのではないですか?
- ついでですので「事実と反する「終わりを宣言した」とか決めつけて」についても回答します。あなたは2020年6月4日 (木) 15:45 (UTC)のTenebrae aeternaeさんのコメントについて、「私の指摘は既に書いた通りですので、とりあえず一言だけ。 」から始まる返信をされています。これは一般的な日本語話者の感覚だとおそらく、「とりあえず一言だけ」返信するが、自分の指摘は既に書いているのでこれ以上は発言しない、と理解されるものと考えます。1700bのコメントが一言だけかどうかはさておき、とにかく「一言だけ」とおっしゃっているのでその通りに理解したものを、「決めつけて」などと言われても困ります。
- またjawpの方針に従った保護依頼を提起したことで「wikipedia自体への参加資格が無いと考えます。」などと荒唐無稽なことを言われてもコメントの返し様がありません。それ以降のコメントと併せてスルーして差し上げますので、まずは、Wikipedia:保護の方針、Wikipedia:礼儀を忘れない、Wikipedia:エチケット辺りを読んでおいてください。--Xx kyousuke xx(会話) 2020年6月9日 (火) 02:18 (UTC)
- コメント この記事の半保護を決めたのは管理者であるBletillaさんであり、xx kyousuke xxさんではありません。当然、その判断の責任はBletillaさんにあるはずです。半保護を依頼しても、管理者が論争である、編集合戦とみなせば全保護になったでしょう。なんで半保護になったのか、なんで「IP利用者による問題投稿」とみなされたのか。私の見解は上に書きました。後126さんに申し上げますが、あなたは上で私に『「あなたの議論態度に問題がある」←こういうことは議論の対象では無いわけです。私が先日来申し上げているのは、被疑者の人格権を侵害するような記述を、一時の怒りにまかせてかどうかしらないが、放置することが、「百科事典」としてどうなのか。』と言っておきながら、なんでこの記事に対する半保護措置を批判するんでしょう。その理屈でいうならこの記事の半保護が妥当か否か、xx kyousuke xxさんが『wikipediaの方針に反して、本件記事を半保護依頼をした本人でもあるのだから、かような処置で人の発言や編集行為を封じようとする者には、wikipedia自体への参加資格が無い』のかどうかもここでの議論対象ではない。利用者‐会話:Bletillaで聞いてください。--Q8j(会話) 2020年6月9日 (火) 02:22 (UTC)
なんだか知らない人が、記事ごと全削除を試みたようで、保護になっていますね。公的機関の要請によるか、裁判所の裁定によるか、あるいはさすがに「合意」をするかでないと、記事または項目の「全削除」には同意するものではありません。半保護が自動解除される時期などはもちろん知っていましたが、このところ本記事のほうは見てなかったので驚きました。
その上で改めて議論を元に戻したいと思います。私個人に対する「議論」は関係ありませんので。
基本的に被告(現在は起訴されたので被告に変化)であっても、「起訴するに足りると検察が判断した」ということだけであり、まだ有罪ではありません。したがってまだ無罪です。これは憲法上も保証されています。その上で、その推定無罪の人の「人となり」、生年月日、年齢など本人氏名などを推定できること、生い立ちなど、家族関係、犯歴その他を報道引き写しで記載することは、人権上問題だし、wikipediaは「新聞では無い」(報道では無い百科事典)のだから、裁判が終了するまで掲載することは許されない…から、その部分は削除する必要がある。
ただし、現在事実に違いないこと(逮捕された、公判が開始された、鑑定留置されている等)については、記載してもかまわないという認識です。何も無理なことは言ってないと思うのですがねぇ。
で、それを削除依頼でしろ、二度手間だという人もいますが、それならなおさらここでの議論で削除範囲を決めた方がよろしいかという認識です。今のままでいいという点は同意できませんし、私が同意するとかどうとかいうことではなく、人権侵害が続いている状態と言わざるを得ません。wikipediaの運営方針がどうかということ以前に、公器を用いて個人を晒すというような法律や憲法に違反することは書いてはいけません。こんなことは自明では無いですか。--126.36.108.217 2020年6月11日 (木) 07:34 (UTC)